ヴェンジェンスオブレイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェンジェンスオブレイン
ヴェンジェンスオブレイン(2007年香港カップ)
欧字表記 Vengeance of Rain
原語表記 爪皇凌雨
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2000年9月21日
死没 2011年10月25日(11歳没)
ザビール
デーンラー
生国 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
生産者 K.Biggs Enterprise社 ほか
馬主 周漢文、周永健 ほか
調教師 Bradley Marzato(オーストラリア
→ D.E.Ferraris(香港
競走成績
生涯成績 27戦10勝(香港24戦9勝)
テンプレートを表示

ヴェンジェンスオブレイン爪皇凌雨Vengeance of Rain)は、ニュージーランドで生まれ、香港調教を受けた競走馬。父はザビール。母デーンラーは1998年ブルーダイヤモンドステークス (G1) の優勝馬で、本馬の妹にオーストラリアンオークスに優勝したディゼルがいる。

戦績[編集]

もともとサブスクライブ (Subscribe) という名でオーストラリアに所属し3戦1勝。VRCサイアーズプロデュースステークス (G1) に挑戦しているが5着が精一杯であった。2004年に香港に移籍とともに改名。2004年中は結局1勝も出来なかったが、翌2005年は初戦フェアリーキングプローンハンデキャップを皮切りにセンテナリーヴァーズ(香港G3・LR)、香港ダービー(香港G1・LR)、クイーンエリザベス2世カップ (G1) 、香港チャンピオンズ&チャターカップ(香港G1・LR)と5連勝。

シーズンが変わっての緒戦のナショナルデイカップで8着に敗れ、連勝は途絶えるものの、秋には国際カップトライアル(香港G2、LR)、香港カップ (G1) を連勝した。香港カップの勝利でワールドレーシング・チャンピオンシップのポイントが24になり、アジア圏の馬として初めてワールドレーシング・チャンピオンシップ総合優勝を果たした。 しかし、年が明けると心臓疾患を発症。当初予定されていたドバイシーマクラシック遠征を見送り、香港調教馬としては異例のニュージーランドへの海外放牧に出された。

心臓は順調に回復し、2006/2007シーズン10月に戦列に復帰。香港マイルトライアルを経て香港カップで3着と徐々に良化を見せ、年が開けて2007年はスチュワーズカップで敗れるも、香港金杯で勝利を収め、香港調教馬として初となる香港における2000mのG1競走全制覇を達成。更に、前年の念願だったドバイシーマクラシックに挑戦し、見事に勝利を収め、香港調教馬として初めて国外の2000m以上の国際G1勝利を飾った。また、この勝利によってサイレントウィットネスの記録を抜き、歴代香港最多賞金獲得馬にもなり、さらに2006/2007年度の「香港馬王(香港年度代表馬)」にも選ばれた。(同時に「最優秀ステイヤー」と、ファン投票で選出する「最高人気馬」にも選ばれている。)

2007/2008年度は11月の国際マイルトライアルから始動するも5着、次走の香港カップ (G1) もラモンティの6着に終わった。そしてセンテナリーヴァーズ(香港G3)に出走するが、レース中に心房細動を発症し(自身2度目)競走中止となる。このレースを最後に引退が発表された。

2005年1月以降のレースではセイシェル出身のアンソニー・デルペッシュ騎手 (Anthony Delpech) が主戦を務めていた。

2011年10月25日にニュージーランドのケンブリッジスタッドにて死亡した。

血統表[編集]

ヴェンジェンスオブレイン血統サーゲイロード系(ロイヤルチャージャー系) / Northern Dancer 4×4=12.50% (血統表の出典)

Zabeel
1986 鹿毛
父の父
Sir Tristram
1971 鹿毛
Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Isolt Round Table
All My Eye
父の母
Lady Giselle
1982 鹿毛
Nureyev Northern Dancer
Special
Valderna Val de Loir
Derna

Danelagh
1995 鹿毛
* デインヒル
Danehill
1986 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Razyana His Majesty
Spring Adieu
母の母
Palatious
1989
Semipalatinsk Nodouble
School Board
Delicious Blue Rascolnik
All in Vain F-No.1-o


外部リンク[編集]