ノート:赤報隊事件/過去ログ1

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問題点[編集]

"アメリカ中央情報局(CIA)の関与が疑われている高精度の偽ドル札スーパーノートが、統一協会による霊感商法自粛宣言から若干の間を置いた1989年頃から出回り始めている。"

という記述があるのですが、CIAではなく、偽ドル札スーパーノートは北朝鮮ではありませんか?しかも、何か仄めかすような言い回しで実際何が言いたいのかまったく分かりません。--以上の署名のないコメントは、202.225.253.22会話/Whois)さんが 2007年4月12日 (木) 05:15 (UTC) に投稿したものです。

日本民族独立義勇軍について[編集]

赤報隊は当初「日本民族独立義勇軍 別働赤報隊」と名乗っていたことから、「日本民族独立義勇軍」を名乗っていた事件(赤報隊事件より前に発生していた)について書いてもいいでしょうか?

  • 神戸米国領事館放火事件(1981年12月8日)
  • 横浜元米軍住宅放火事件(1982年5月6日)
  • 大阪ソ連領事館火炎瓶襲撃事件(1983年5月27日)

これらも未解決事件ですが。--経済準学士 2009年5月15日 (金) 14:57 (UTC)

インターネットの書き込みについて[編集]

Los688さんは2ちゃんねるの書き込みについて、「蛇足 解説の意義なし」とされています。 どうも理解しかねます。 ご説明をよろしくお願い致します。利用者:はとぽっぽぽぽ2009年9月23日(水)

これが一般人ではなく著名性のある人物による主張であれば記事にする意義はあるが、2ちゃんねるの書き込みは悪戯の可能性が高い。そもそもインターネットの書き込みは匿名かつ正体不明の人物による責任を持たぬ主観的な書き込みであり、「宇宙人が地球をすでに支配している」と同様の思い込みによる内容である。それにインターネットの書き込みを根拠にうかつに真実であると主張すると花岡信昭氏のために出版社が賠償金を支払ったように法的リスクがある。よって「書き込みがある」という事実は書けても、その内容に触れることは脅迫の片棒を担ぐことになりかねず、また解説する必要性も無くやったとしても無意味であるためです。--Carpkazu 2009年9月23日 (水) 05:36 (UTC)

IP「121.92.21.152」の投稿者は2ちゃんねるの書き込みについて、「妄想」と言われていますが、根拠を示してください。 513「狙うんだったら下っ端じゃなく若宮とか手島とかあたりを始末してほしいものだ」(殺人依頼のニュアンスあり) これに対し、514「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」と、はっきり朝日新聞社襲撃の「目的」を書き込んでいます。 これを「赤報隊」メンバー以外の者が書き込んだとは考えにくく(「赤報隊」に成りすましてもメリットはない)、「赤報隊」に属する人間が書いたと考えるのが自然です。 513の書き込み(「下っ端じゃなく・・・を始末してほしい」の部分)に触発され、思わず書き込んだ(だから「下っ端を殺して」という書き出しになった)と考えられます。 以上の理由により、重要な資料になると判断しました。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月24日 (火) 01:42 (UTC)

> これを「赤報隊」メンバー以外の者が書き込んだとは考えにくく(「赤報隊」に成りすましてもメリットはない)
世の中のネットの書き込みをする人間はIPアドレスなどから自身の書き込みが特定されると深く考えもせずに世間を愉快にさせるためにネットの書き込みをする例が多く見られる。また、犯行声明などから犯人を動機()を想像することも容易であり、世間に知られず犯人だけが知りうる秘密の暴露でもない。
また、週刊新潮で赤報隊の犯人を自称する者がいたり、別事件でも三億円事件の犯人を自称する者など、未解決事件の真犯人を自称する者が多くいる以上、犯人に成りすますことのメリットがないとはいえない。
以上のことから、重要な資料になると判断できないため、不記載とすることを提案する。--経済準学士 2009年11月26日 (木) 09:43 (UTC)
(不記載とすることに同意)「なりすまし」による、関係者を装った書き込みはパソコン通信の時代(著名なものに今上天皇の即位直後のものなど多数あり)からあるうえ、内容も朝日新聞に単に反感を持つ愉快犯が書いた悪戯にしか感じられない。活字メディアに載ったものなら別であるが、ネット上の書き込みは誰でも無責任にしたものであり、また妄想を書いたといわざるを得ず、わざわざ愉快犯の意図に乗る必要もなく、百科事典に載せるべきでない無価値な内容といえる。--Carpkazu 2009年11月26日 (木) 15:20 (UTC)

朝日新聞襲撃事件の謎のひとつは、なぜ幹部ではなく支局の記者が狙われたかということである。「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」は、その謎に答える内容の書き込み。秘密の暴露に当たる。 自称三億円事件犯人の目的は、①本を売って稼ぎたい、②世間から注目されたい、③詐欺のためのハクつけ(Wikipedia)で、週刊新潮の自称赤報隊事件の犯人も週刊誌側から謝礼を受け取っている。しかし、2ちゃんねるには書き込んでも何の利益はなく、触発されて書いたと考えるのが自然である。 阪神支局襲撃事件が時効になった日、元捜査員の一人は「警察もインターネットを使った情報収集などを進めていくべきだ。」と語り、インターネット上の情報を重視している(2002年5月3日付け朝日新聞朝刊)。本件は未解決事件であり、容疑者は現在「市民」として生活している。2ちゃんねる(特に政治板)には、「赤報隊」が棲息していると考えられており、問題の書き込みは無価値どころか、特別に重要な情報であり、資料になる。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月27日 (金) 00:07 (UTC)

(コメント)事件があったのは1987年のことであり、犯人が仮に二十歳であったとすれば現在は40歳代であるが、2ちゃんねるのユーザーにいるとは考えられない。当該情報は未確認にすぎず、あなたの言われることは、UFOの目撃談を根拠にエイリアンのスペースクラフトが実在すると主張するようなものである。たしかに書き込んでも利益はないことであるが、世の中には警察に逮捕されるリスクを考えずに脅迫文を面白半分に書き込んで、本当に検挙される者があとをたたない。たしかにインターネットの中に真犯人が潜んでいる可能性は否定できないことであるが、当該事件の場合、東京本社にも銃撃した事実があり、2ちゃんねるであなたが主張する情報には矛盾がある。それに中村粲のように身元も出典もあきらかな人物が同様なことを主張している場合には特筆性もあるが、「赤報隊」のシンパにすぎない、どこの誰かわからない人物の戯言を百科事典にのせたらたちまち「要出典」が必要になるのは明らかである。もっとも2ちゃんねるを絶対視するあなたと論争しても納得させられることは無理なのかもしれませんが。--Carpkazu 2009年11月27日 (金) 15:03 (UTC)
>2ちゃんねるのユーザーにいるとは考えられない。
2ちゃんねるのユーザーは1170万人(10代ー20.0%、20代ー15.0%、30代-30.7%、40代ー21.9%、50代以上12.5%)である。

麻生太郎前首相も書き込みをしていたことを明らかにしている。「赤報隊」が書き込みをしていないと断言できるだろうか。

東京本社銃撃事件は、犯行声明文から朝日新聞社への「警告」と見るべきである。「警告を無視した朝日には第二の天罰をくわえる」として、阪神支局で2人の記者を殺傷している。この時「すべての朝日社員に死刑を言いわたす。きょうの関西での動きはてはじめである」というくだりが声明文にあり、以後名古屋本社寮、静岡支局が襲撃された。
実際には「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」ことは不可能である。ここに「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」という書き込みの意味することの重要性がある。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月28日 (土) 10:24 (UTC)
>元捜査員の一人は「警察もインターネットを使った情報収集などを進めていくべきだ。」と語り、インターネット上の情報を重視している(2002年5月3日付け朝日新聞朝刊)。
これは事実だとしても、「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」は特定の言葉を限定して既存マスコミが取り上げたものではなく、自身が赤報隊の犯人と自称したものでもない。既存メディアで「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」なるネット上の書き込みを重視して真犯人の書き込みと主張する人間が提示されていない以上、Wikipedia:独自研究は載せないに該当し不記載とすべきだろう。--経済準学士 2009年11月28日 (土) 10:33 (UTC)
(コメント)現状は第三者から見て、はとぽっぽぽぽさんが、2ちゃんねるに書き込みをした内容を基にウィキペディアの編集にも反映させようと指摘されたとしても、反論できない状態です。無論、そうであると結論できるはずもないのですが、このように誰が書いたか判らない書き込みを本文に記載するのは不適切である。それに「下っ端から」云々というのはある程度刑事事件の事例を検証すれば誰でも警戒の薄い近場の現場を襲撃した理由として思いつくものであり、「秘密の暴露」とはいえない。それに、この事件では「新潮45」で被害者個人と取材先とのトラブル説が取り上げられた事、また朝日新聞自体がトラブルを秘匿した疑いがあるのを別冊宝島1188「戦後未解決事件史」で紹介されている。このように活字メディアで紹介された推論なら、書く価値もあるといえるが、ネットの書き込みを安易に信用するようなジャーナリストですら取り上げていない、当該書き込みを記載する必要はない。--Carpkazu 2009年11月29日 (日) 00:34 (UTC)

先日NHKニュースでWikipediaについて、誤った記述があり、出発点にすぎないという識者のコメントが放映された。社会の期待に応え、信頼される、インターネット時代に相応しいWikipediaになるには、更に進化が求められている。 犯罪事件の項目では、インターネット上の情報を取り上げることは不適切どころか必要である。 毎日新聞で「ネットに「赤報隊」」という記事が配信され、2ちゃんねるにスレッドが立ったことがある。[1] また、世田谷一家殺害事件奈良小1女児殺害事件杉並区歴史教科書採択騒動では、2ちゃんねるなどの情報の記述がある。整合性から見て、どうだろう。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月29日 (日) 07:26 (UTC)

(コメント)議論が堂々巡りになっていますが、2ちゃんねるもウィキペディアも、インターネットによる誤まった記述があるのは事実である。だからこそ、安易にインターネット上の情報を取り上げることが問題であると指摘しているのであります。正直言ってあなたの理論は矛盾を感じざるを得ない。なぜなら誤まった記述はほとんどが無責任かつ匿名の人物による出典不明の情報が原因であり、当該事例もその範疇に入る。「誤った記述があり、出発点にすぎないという」という指摘は正しいとしても、同じ手法による誤まった記述をいれようとしている可能性が高い。無論既存メディアでも誤報や虚報はありえることであるが、情報ソース発信者の故意または過失による間違った情報が、このような誤まった記述の原因である。それなのに検証不能な2ちゃんねるの書き込みを盲信する姿勢には疑問を感じざるを得ない。はとぽっぽぽぽさんが指摘した事件の編集も、あなたが入れようと執念を燃やしている「赤報隊」による書き込みも同じ欠陥がある。2ちゃんねる出典(既存メディアが情報ソースの場合が多い)の内容であっても、他の既存メディアでの検証が可能であれば記載すべきであるが、あなたが犯行動機と主張しているのは「推論」であり「真犯人」が書いたものではないのは明らかである。もっとも自身が真犯人と断った上で犯行動機を語ったならば記載しても構わないが、この時にはウィキペディアに書き込むよりも先に捜査機関に市民の義務として通報すべきではあるが。まるでウィキペディアも含む、あちらこちらの掲示板に新元号は光文といって「預言者」気取りで書き込みたがる者と同じである。それにしても、あなたが、他の項目の編集を一切せず、ここまで執念を燃やす理由はなんでしょうか?ひょっとしてはとぽっぽぽぽさん自身が真犯人なのではないだろうかとの疑念を感じています。--Carpkazu 2009年11月29日 (日) 14:37 (UTC)

まずCarpkazuさんに申し上げたいのは、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:エチケットを踏まえて発言していただきたいということです。 大変不穏当で重大な内容を含んでいます。

NHKニュースは、11月22日東京大学工学部が開催した「Wikimedia Conference Japan2009」の模様を報道したものです。[2]
この間の経過を振り返りますと、Carpkazuさんは最初、「書き込み」の事実はあると書ける、とされていましたが、載せるべきでない、に変わられました。この理由をお聞かせください。

「検証不能」とされていますが、「書き込みがされる」という事実を示し、具体的に2ちゃんねるの書き込みが見れるのですから、書き込みの事実を確認できます(検証可能です)。 世田谷一家殺害事件などでも、2ちゃんねるの書き込みを指摘しています。特別に変わったことではないと思うのですが、いかがでしょう。 結局「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的ですからね トップを殺すと下っ端がさらにまい進することが多いので逆効果」という書き込みを、どう感じ、見るかの判断の違いということになります。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月29日 (日) 17:15 (UTC)

(コメント)不穏当と思われたのは謝罪します。書き込みがあるという件はすでに2ちゃんねるの書き込みについて触れている箇所がすでにあります。なぜ、載せるべきでないと当方が主張したかでありますが、あなたがあくまでも真犯人の「犯行動機」と主張しているからです。これは数多くある推論のひとつにしかすぎないのに、意固地になって記載しようとしている為です。真犯人の証拠とする材料もないのに、あまり重要とも思えないことに固執していることに問題があるからです。書き込みの事実ですが、書き込み字そのものを出典とするのは誰でも書けることである以上、誹謗中傷や事実誤認もありえるため、記述するのは慎重にすべきですが、今回の件ではやめるべきです。これは掲示板にこういった意見があると言った「雑感」(新聞記事にも使用されている手法)に触れるのはギリギリセーフですが、今回はアウトですね。
「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」ということですが、ずばりこれは無差別爆撃等の戦法と同じ事で、とりたててに奇異なものとは思えないし、この後の一連の事件が脅迫的なものに変わった事が結びつかない。また「トップを殺すと下っ端がさらにまい進する」というのは、別に「トップが病死すると」とすれば世間的にはよくあるはなしですし、余りおかしなことではないです。以上のことから、この書き込み自体は秘密の暴露ではなく、誰でも指摘できる程度の内容であり特筆性もなく、また朝日新聞に対し中村氏のように誹謗中傷したわけでもなく、ネット上の雑感ですらなく、どこの誰かわからないようなことを、わざわざ記載する必要性を見出せない、どこの誰かが既存メディアですら検証しない、重要視もされない取るに足らない内容であるが、「誰」の書き込みかということが特定されない以上書くべきではないといえる。--Carpkazu 2009年11月29日 (日) 23:03 (UTC)

2ちゃんねるの書き込み「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的ですからね トップを殺すと下っ端がさらにまい進することが多いので逆効果」を、無差別爆撃等の戦法と同じ事で、とりたてて奇異なものとは思えない、「トップが病死すると」とすれば世間的にはよくあるはなしですし、余りおかしなことでもないです。とするような見解はまったく通用しません。このような見解こそ奇異であり、世間からかけ離れていると言えます。 Wikipedia:合意形成を参考にし、より多くの意見を求めたいと思います。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月30日 (月) 10:25 (UTC)

>誰でも指摘できる程度の内容
一連の事件や犯行声明から、「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的ですからね」と事件に無関係の人物が指摘できるだろうか。

全体のニュアンスは、事件に関与している者の書き込みを示している。--はとぽっぽぽぽ 2009年11月30日 (月) 12:26 (UTC)

(コメント)事件に関与しているとする者の書き込みと主張している、あなた以外の者を示していただきたい。少なくとも、あなたのその意見は「妄想」とされている。あなた以外に同調する人がいない現状では、あなたの方が奇異である。--Carpkazu 2009年11月30日 (月) 14:28 (UTC)

「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的ですからね

です・・・断定の助動詞「だ」の丁寧な形 から・・・理由・原因の意味を表す接続助詞 ね・・・念を押す時に使う終助詞

書き込み者は、「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的」だと、朝日新聞襲撃事件(阪神支局事件)の目的を断定し、強く念を押している。 第三者なら普通「・・・目的ではないか」という表現になる。 ここからも事件に関与した者が書き込んだ可能性があると判断できる。--はとぽっぽぽぽ 2009年12月1日 (火) 00:57 (UTC)

>朝日新聞襲撃事件(阪神支局事件)の目的を断定し、強く念を押している。
>第三者なら普通「・・・目的ではないか」という表現になる。
>ここからも事件に関与した者が書き込んだ可能性があると判断できる。
赤報隊と無関係なただのアンチ朝日が「俺も赤報隊のことを理解できるぜ」と赤報隊の思想と理解しているだけだろ。
ところで、既存メディアの取り上げはあったんですか?
Carpkazuさんと私が不記載派、記載派はあなただけだけど、双方の言い分が出てもどちらかが折れないようだと出ても、多数決という方法をとらなければならないかもしれませんかね。--経済準学士 2009年12月1日 (火) 01:11 (UTC)

>赤報隊と無関係なただのアンチ朝日が「俺も赤報隊のことを理解できるぜ」と赤報隊の思想と理解しているだけだろ。

経済準学士さん、これは推測であり、2ちゃんねるの問題の書き込み者が赤報隊と無関係とは立証できていません。--はとぽっぽぽぽ 2009年12月1日 (火) 01:58 (UTC)

「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的ですからね

「から」は理由・原因を表し、「ので」に代えることができる(国語辞典による)。

「下っ端を殺して上に意識改革を求めることが目的ですのでね

これは事件関与を示すものになる。--はとぽっぽぽぽ 2009年12月1日 (火) 08:20 (UTC)

(コメント)うーん、2ちゃんねるの問題の書き込みした者が赤報隊と無関係とも関係があるとも立証されていないようにおもいます。それにしても、私でもこれで断定されるような事は書き込み出来ますね。関与を断定するなら犯行の様子などがあれば信じるところなんですが、むしろ私がもし事件に関与していたのなら、捜査を撹乱するためにわざと間違ったことを書くでしょうし、いまここで「私が犯人です」といったら、この程度の洞察力でしたらはとぽっぽぽぽさんは本気で信じるでしょうね。このように、全てが推測である以上、この書き込みは信用できず使用すべきではない。また、書き込み者が否定したら目も当てられない事態になるのは明らかですし。--Carpkazu 2009年12月1日 (火) 15:28 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。1) はとぽっぽぽぽさんは2chの書き込みが正しいと信じている訳ですね。
2) しかし真実であったとしても、ウィキペディアでは2chを出典に記事を書く事は出来ません。ルール上、「掲示板やニュースグループ、Wikiで構築されたサイトへの投稿、あるいはブログ上の記述は、一次情報源としても二次情報源としても使用されてはなりません」と定められています。
3) ウィキペディア以外の場所、例えばブログなどで思う存分記事を書いて頂いた方が良いと思います。--長島左近 2009年12月1日 (火) 16:37 (UTC)
コメントはとぽっぽぽぽ氏がやろうとしていることはどう見ても独自研究でしょう。ウィキペディアにおいて受け入れられる余地はあり得ないと考えます。まだ読んでないなら、今すぐWP:NOR, WP:RSを熟読していただきたいものです。というか、「これは事件関与を示すものになる。」などと簡単に信心できてしまうあたり、ちょっといくらなんでも情報リテラシー低すぎです。--Kojidoi 2009年12月3日 (木) 14:58 (UTC)
コメント (事件に関する知識を持ち、その気になりさえすれば)犯人以外の人物でも書き込み可能な内容です。はとぽっぽぽぽさんが「これは事件関与を示すものになる」と考えていても、信頼できる情報源が取り上げていなければ記載することは出来ません。--花蝶風月雪月花警部 2009年12月3日 (木) 15:27 (UTC)

長島左近さん、Kojidoiさん、花蝶風月雪月花警部さん、コメントをいただきありがとうございます。 現時点ではみなさんの指摘は妥当性があります。しかし、こうも考えられないでしょうか。Wikipedia:信頼できる情報源では、「掲示板やニュースグループ、Wikiで構成された投稿、あるいはブログ上の記述は、一次情報としても二次情報としても使用されてはなりません」という記述になっています。しかし、社会で現状に合わなくなったルール法律)が改正になるように、Wikipediaでも同様なことがあって良いのではと。

現在時効制度の撤廃が議論されています。少し前なら時効という考え方は絶対的でした。しかし、生命侵害犯には刑事責任追及に期限を設けるべきでないという国民の意識の高まりを背景に、法務省殺人罪の時効廃止という報告書を出しています。

赤報隊事件はご承知のように関心の非常に高い事件です。「週刊新潮」の誤報の際よく示されました。 2ちゃんねるの「下っ端を殺して上に意識改革を求めるのが目的ですからね トップを殺すと下っ端がさらにまい進することが多いので逆効果」という書き込みは、情報として重要だと判断しました。花蝶風月雪月花警部さんは(事件に関する知識を持ち、その気になりさえすれば)犯人以外の人物でも書き込み可能な内容です、と言われています。

「下っ端(の記者)を殺して上(朝日新聞社幹部のこと)に意識改革を求める(=意識を変えてもらう)のが(襲撃の)目的だからね」

これだと書き込みのメーセージがよりわかります。

このような内容の書き込みを、犯人以外の人物が可能でしょうか。犯罪心理学上考えられないことだと思います。世田谷一家殺害事件で「インターネットの書き込み」の情報があるのも、重要だと判断され、削除されていないのは支持があるからです。--はとぽっぽぽぽ 2009年12月4日 (金) 03:45 (UTC)

コメント 件の書き込みの信憑性はともかくとして、ルールに異を唱えるのであればまず最初にすべきことは"ルールを無視し編集を強行すること"ではなく、"正しい手順を踏んでルールを改正すること"ではないでしょうか。「現行のルールが正しくないと思える」ことを理由にルールを無視することが正当化されるのであれば、仮に2chをソースとして認められるようルールが改正されたとしても「2chをソースとして認める現行のルールは間違っている」として、ルールに従っている側が入れ替わるだけで同じ争いが繰り広げられるだけです。然るに、はとぽっぽぽぽさんは自論を強行したいがために詭弁を弄しているようにしか見えません。ルールの改正がお望みであれば単一記事のノートで議論するのではなく然るべき場所で提起するべきでしょう。--Griefwalker 2009年12月4日 (金) 07:03 (UTC)
コメントGriefwalkerさん、コメントありがとうございました。参考にさせていただきます。--はとぽっぽぽぽ 2009年12月4日 (金) 12:25 (UTC)

インターネットの書き込みの源泉[編集]

「インターネットの書き込みについて」では、長い論争になったので新しい節として書き込みします。いろいろ資料をさがしたところ、別冊宝島編集部編「迷宮入り!」という本の中で、野村秋介氏から聞いた話として鈴木邦男氏が『創』1997年6月号に寄稿したところによると、『野村氏が赤報隊とおもわれる5人の男にたちに「朝日新聞を狙うならトップを狙え」と説いたのに対し、「朝日の論調を変えるには、誰が殺されるかわからないという恐怖を与えなければならない」と主張した』という記事があるそうです。そのため、問題の「犯人」の書き込みであると主張された内容の主旨が類似しており、彼らがインターネットに書き込みをしたか、これを読んだシンパが書き込みしたかは明らかにすることは不可能ですが、すくなくとも「インターネットの書き込み」という出所不明の情報を出展にするよりかは、はるかに確かなものだと言えます。もっとも鈴木氏の話の信憑性は「?」ですが。--Carpkazu 2009年12月10日 (木) 23:00 (UTC)

外部リンクについて[編集]

外部リンク節を除去しましたが、戻されるためこちらで私が除去すべきと考えた根拠を示します。

ウィキペディアはリンク集ではありませんので、少しでも関係がありそうなものを列挙する必要はなく、赤報隊事件と直接関係し更なる理解に役立つもののみであるべきですので、これら外部リンクは除去するのが妥当であると考えます。--あるふぁるふぁ 2011年3月12日 (土) 09:52 (UTC)

  • 5月3日は殺害された朝日記者の命日。心から哀悼の意を表したい。
  • まず本件は、日本のテロリストテロリスト一覧)が起こした事件で、警察庁広域重要指定事件(116号事件)という「社会的に反響の大きい凶悪又は特異重要の事件」(広域重要捜査要綱)である。記者2人を殺傷し、2人の首相脅迫状を送りつけるという、前代未聞の凶悪なテロ事件である。

しかし、本件は犯人が未逮捕のままであり、最近もNHKや在日公館を狙った事件を起こしている。 だからこそ、捜査機関は本件の情報提供を現在も呼びかけているのである。それゆえに、警察庁兵庫県警察が「11.記事の内容に直接関係がないサイト」と到底言えないことは明白である。

本件は未解決の凶悪テロ事件であり、犯人が現在も活動している中で、事件を解説するサイトは、未然にテロを予防するため、匿名のもの(オワリナキアクム事件史探求)を選ぶことは治安上の要請である。

いきなりすべての外部リンクを削除する今回の変更に違和感は否めず、賛成することはできない。--ABNOIC 2011年5月7日 (土) 13:48 (UTC)

ご回答ありがとうございます。前回のコメントの繰り返しになる点も多いと思いますが、一点ずつお返事いたします。
  • 警察庁兵庫県警察については赤報隊事件の情報提供を呼びかけるページへのリンクであれば有用だと思いますが、何ら言及の無いそれぞれのトップページへのリンクは赤報隊事件の内容を補完するものでも更なる理解への助けとなるものでもありませんので、やはりWikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンク「11.記事の内容に直接関係がないサイト」に該当するものと考えます。
  • 言論の自由を考える5・3集会殺人事件被害者「宙の会」についてリンク先が参照できませんが、私の接続環境の問題でしょうか?答申については「被害者の立場からのサイト」ではなく法務省のサイトですね。答申内容も拝見いたしましたが赤報隊事件に対する言及はありませんでした(見落としであればご指摘ください)。
  • 「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」に関する加筆について確認いたしました。会の公式サイトであればあってもいいとは思いますが、さすがにここから役員名簿を持ってくる必要はないでしょう。
  • 他記事での「無限回廊」についての情報提供ありがとうございます。さっそく除去させていただきました。なお、他の記事にも不適切な使用があることは、この記事で使用してよいことの言い訳にはなりません。
  • 未然にテロを予防することはWikipediaの目的ではありません。治安上、匿名のものしか選ぶことができないのであれば、そもそも掲載しなければ良いだけです。内容的にも無限回廊オワリナキアクム事件史探求の内容は全て本記事に含まれるべきものであり、「1.記事に含まれている内容を本質的に超えないもの」に該当します。
赤報隊事件の公式サイトというものは存在しないのですから、警察庁や兵庫県警察のサイト内に赤報隊事件を主題としたページがあれば、そこへのリンクは有用であると思います。また、記事中で言及のあった会等の公式サイトの掲載も許容されるでしょう。しかし、全体的にABNOICさんが掲載を主張されるサイトは、正面から赤報隊事件を取り上げたものではないように感じます。前回も述べましたが、外部リンクは赤報隊事件と直接関係し更なる理解に役立つもののみであるべきですので、これら外部リンクは除去するのが妥当であると考えます。--あるふぁるふぁ 2011年5月7日 (土) 16:03 (UTC)
一週間以上お返事をいただけておりませんが、このまま2人で続けても平行線のように思いましたのでコメント依頼を出してきました。--あるふぁるふぁ 2011年5月15日 (日) 04:29 (UTC)
コメント依頼を見て来ました。あるふぁるふぁさんの意見が妥当だと思います。ウィキペディアの外部リンクは、よくあるリンク集と逆に、最小限度にとどめるのが基本的な考え方としてあります。その結果、外部リンクに掲載するものがなくなるなら、それでよいのです。ついでながら、関連項目も同様に過剰だと思います。--Kinori 2011年5月15日 (日) 06:03 (UTC)
あるふぁるふぁさんに概ね賛成、一部コメントです。
  • 「警察庁」「兵庫県警察」へのリンクは本項目に関する情報は掲載されておらず、「直接」関係があるとはいえません。
  • 「無限回廊」「アキナワアクアリウム」は参考文献が挙げられていますが、掲載してよい外部リンクの「2. 情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」としてどうでしょうか。匿名であるため信頼性があるとはいいがたいですし、グーグルなどで「赤報隊」関連の検索で引きあたるのであれば、この記事にあえて掲載しなくともよいかもしれません。
  • 「事件史探求」は内容も多くなく、参考文献も挙げられていません。「1. 記事に含まれている内容を本質的に超えないもの」であると思います。
  • 名簿はあると参考になるということでしょうか? あまり重要でないように思われます。独立項目を作るのであれば、そちらになら記載してよいかもしれません。
  • 「5・3集会」はトップが見えます。「言論の自由を考える5・3集会」節の出典にしてはいかがですか。「宙の会」は私も見えません。
  • 「答申」は本項目との関連が明らかではないです。「基本的な考え方」よりも、文書内の下の節に従って、より詳細に検討したほうがよいでしょう。
--Calvero 2011年5月15日 (日) 09:18 (UTC)
関連項目ですが本文中にリンクのあるものは全て除去して良いと思います。これだけ羅列されていてもどう関連性があるかわかりにくく本文を読みながらリンクに飛ぶのでなべれば有用性に乏しいものでしょう。--Tiyoringo 2011年5月15日 (日) 13:32 (UTC)
作成される見込みの薄い赤リンクも多すぎるように思います。現時点での最新版では理論家, カップワズ, ふち取り, 保冷車, 下見, 防寒服, 近隣諸国への配慮, 『新編日本史』, 復古調, スパイ防止法制定促進国民会議, スパイ防止のための法制定促進議員・有識者懇談会, 非公然, 掌紋, 捜査員, 手記, 変革, パネリスト, 社会面, 新聞週間, 型番, 着衣, 支局, 販売所, 在京, 新聞倫理綱領, 鉄砲店, 裏社会とあります。この内、スパイ防止法関連の赤リンクは国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案へのリダイレクト、カップワズ、新編日本史、新聞倫理綱領あたりはあっても良い赤リンクだと思いますがそれ以外は不要なように思います。また字引的記事や曖昧さ回避記事などへのリンクとなっているものも多くあるようです。--Tiyoringo 2011年5月15日 (日) 14:35 (UTC)
その点については「Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成」にも基づいて勘案すべきと考えます。百科事典の項目として作成される見込みが無いものに加えて、単なる単語であるものもリンク解除したほうがよいでしょう。挙げられているものなどは、ほとんど解除しても良いと思います。--Calvero 2011年5月16日 (月) 11:44 (UTC)
外部リンクの用不用が論じられているようですが、外部リンクは公式発表や新聞報道だけでは分からないことに色々と触れていますので事件の理解に役立ちます。是非残して欲しいと思います。特に言論の自由を考える5・3集会は記事の中に出ているものですし、仏教徒なら祥月命日に当たる重要な日、縁者、関係者が集まる中で新しい話が出ることもあるものです。毎年注目されて然るべきと思います。このほか、無限回廊、オワリナキアクム、事件史探求などのコーナーも事件の理解に役立ちます。推理マニアなどがこれらのコーナーから珠玉の真実を突き止めるヒントを得るかもしれません。以上の諸点を含む外部リンクは存在意義が大きいと思いますので是非残して充実を図ってください。——以上の署名の無いコメントは、キリンヴィックノート履歴)さんが 2011年5月23日 (月) 13:37 (UTC) に投稿したものです(あるふぁるふぁによる付記)。
キリンヴィックさん、はじめまして。
現在こちらでは外部リンクの用不用が論じられているというよりは、Wikipedia:外部リンクの選び方に照らして現在掲載されている外部リンクを掲載することが妥当かどうかを議論しています。Wikipediaは種々のルールによって作成されるものですので、まずはWikipedia:外部リンクの選び方をご一読ください。
さて、「無限回廊」・「オワリナキアクム」・「事件史探求」については、掲載してよい外部リンクのいずれにも該当せず、掲載すべきでない外部リンクの1・2に該当するのではないかと考えますし、他の方からもそのような指摘がされています。キリンヴィックさんも「公式発表や新聞報道だけでは分からないことに色々と触れています」と仰っている通り、検証可能性の点で問題があるサイトと看做さざるを得ないと考えます。
「5・3集会」についてですが、集会の場で事件に関する「新しい話」が出てきた場合、そのサイトを情報源として記事に加筆することは歓迎されるでしょう。「新しい話」が出た際に出典として記載すれば十分だと考えます。--あるふぁるふぁ 2011年5月24日 (火) 09:28 (UTC)
キリンヴィックさんが言いたいことはわかるのですが、そういう思いを排除するのを目的にしているのがWikipedia:外部リンクの選び方です。ウィキペディアに百科事典だけでなく××を付け加えるともっと便利になるよ、という××は、リンク集に限らず本当に色々あります。しかしウィキペディアはそういう意見をまとめて退けることを選んだのです(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。ウィキペディアの使命は百科事典であり、リンク集など他のものを兼用すると、本来の説明部分が薄まってしまいます。方針を極力尊重することにしましょう。--Kinori 2011年5月26日 (木) 06:11 (UTC)

議論の前提となることに、Wikipediaの理念とも言うべきものがある(Wikipedia:ウィキペディアについて)。「ウィキペディアは、信頼されるフリーな百科事典、それも質量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト、およびその成果である百科事典本体である」に、理念が表現されている。知り、調べることによって、個人社会が豊かになり、発展していく。無知貧困犯罪戦争の要因になることはよく知られた事実である。 「史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」というwikipediaの目的は、創始者・ジミー・ウェールズ氏の人類の幸福進歩発展に寄与するという崇高な精神を示している。

今議論になっているのは、凶悪なテロ事件である。先進国首脳会議では、テロの克服が毎年議題となり、討議される。それほどテロ問題は重要な課題なのだ。

テロは決してWikipediaも無関係ではない。サイバーテロには常に警戒しなければならない。

「治安上、匿名のものしか選ぶことができなければ、そもそも掲載しなければ良いだけです」は、適切と言えるだろうか。本件は表現の自由言論の自由を標的にした事件で、テロ組織(テロ組織一覧)は今も活動しており、事件を起こしている。「掲載しなけければ良い」は、民主主義に合致した考えだろうか。創始者・ジミー・ウェールズ氏のWikipediaの理念に照らしてどうだろう。

無限回廊オワリナキアクム、 事件史探求は、記事にふくまれていないものがあるからこそ有用性があるのではないだろうか。

また、リンクによって説明が薄くなるのではなく、説明部分の理解を助けるものになっていないだろうか。それはキリンヴィックさんのご投稿からも窺い知ることができる。

言論の自由を考える5・3集会被害者である朝日新聞労働組合「5・3集会」事務局のHPで、記事に直接関係して有用性が高く、新しい話が出た時の出典で十分とは言えない。

「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」役員名簿は、「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」が記事中に出てくるので、組織の役員がわかり、理解を助けるもので有用である。 Wikipediaには統一教会の記事があり、その関連サイトで検証可能性の問題はない。

本来なら兵庫県警察 のHPに事件が掲載されるはずであるが、時効撤廃前の事件だから掲載されていないだけである。現在は時効が撤廃され、今も兵庫県警察は情報提供を呼びかけているのだから、このHPがあった方が読者の要望に応えられるのではないだろうか。

警察庁警察庁広域重要指定事件であったもので、有用性があると認められる。

答申(犯人からの財産犯等の犯罪収益をはく奪し、これを被害回復に充てるための法整備に関する要綱(骨子)は、今後事件の真相解明が進み、テロ組織の正体が判明すれば、被害者のご遺族、朝日新聞等が民事訴訟を起こし、答申が役立つと思われる。

殺人事件被害者遺族の会「宙の会」は接続できない状態となっている。

なお、内部リンク、関連項目はご指摘に沿って整理した。--ABNOIC 2011年5月31日 (火) 15:47 (UTC)

すでに、あるふぁるふぁさんが指摘しておりますが警察庁のトップページへのリンクがあっても赤報隊事件についての記述はありません。どこに関連した情報があるのか閲覧者に探させるようでは検索エンジンによる検索結果などと同様、あまり意味を持ちません。警察庁内に有益な情報があるのであれば記事の出典として具体的に用いるべきで外部リンクにだらだらと並べることは適当ではありません。兵庫県警察も現在情報が掲載されていないのであれば記事主題とは無関係のリンクとしか言えません。事件とは関係なく兵庫県警察について知りたい方のためには内部リンクで十分であり外部リンクには不要です。
「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」については記事中に組織名が出てくるがこれは必要であれば独立記事を作るべきものでしょう、外部リンクに設置するべきリンクではない。全体的に言えることですがWikipedia:ウィキペディアは何ではないかのリンク集ではないことを考えてほしいと思います。--Tiyoringo 2011年5月31日 (火) 13:30 (UTC)
始めまして、麒麟vickです。単にキリンヴィックと呼んで下さっても結構です。先日初投稿しましたが慣れなくて署名もせず失礼しました。論じられているのが外部リンクの要不要ではなくて個々のリンクの妥当性であるとのご指摘があり理解を深めたところです。ま、妥当性も突き詰めていけば要不要に行き着くのでしょうね。先輩諸氏の中には事件記述に精通されていて個々の外部リンクに新味を見出せず「掲載の妥当性がない」「削除妥当」と云う意見をお述べになっているように見受けられます。しかし私のような新参者にはたとえばオワリナキアクムなどは記述内容が記事と変わらなくても整理の仕方、小見出し等々に記事とは別の角度からの工夫が見受けられ、記事とリンクを合わせ読むことによって記事の理解がさらに深まるという効果があります。一般の辞典でも文面説明だけでなく挿絵のようなものがありますね。あれで理解が深まるのですよ。外部リンクにはそれに似た効果が期待できると思うのです。また「外部リンクがあるために本編記事の方が薄まってしまう」と云うような意見の方もお見えでしたが、これは逆で、外部リンクがあるために本編記事の理解が深まると私は思うのです。私の場合実際にそうでしたから。害を及ぼすものなら削除も妥当でしょうが、そうじゃなくて多少なりとも記事の理解を助けるのであれば、現にあるもの、これまであったものをあえて削除することはないと思います。 麒麟vickキリンヴィック会話履歴)による偽署名、投稿日時は2011年6月1日 (水) 15:40 (UTC)

:事件から相当な月日がたちましたが、事件はまったく解決しないまま時効を迎えてしまいました。私は、言論、出版の自由を最大限保障するために、この外部リンクの情報も意図的に削除すべきではないと思います。個人の意見として必要のないと思うものもあるでしょうが、ほかの人にとっては、重要な情報である場合もあります。これからも事件の真相を解明するためには、どの情報が必要になるかわかりません。そうであれば、そのまま保存しておくべきだと考えます。情報が限定されることで利を得るのが誰かと考えれば、削除すべきでないと思います。 さらさらNEXTUouototto会話履歴)による偽署名、投稿日時は2011年6月9日 (木) 03:11 (UTC)

麒麟vickさん、さらさらNEXTさんの現在の外部リンク削除反対のご意見に2ヶ月近く反論がなく、現行のままで異存なしと理解してよいか伺いたいと思う。--ABNOIC 2011年8月1日 (月) 12:22 (UTC)

率直に申し上げまして、掲載すべきでないという考えに変わりありません。「赤報隊事件」という語が全く出てこないページは「赤報隊事件」と直接関係ないと判断しますし、匿名の人物が様々な推測を交えて事件を論じているサイトは検証不可能な記述によって読者に誤解を与えるようなサイトに該当します。方針やガイドラインに拠らず「だれかにとっては役に立つかもしれない」外部リンクを掲載することには賛成できません。アカウントを作成してからほとんどこのノートにのみ書き込みをされているお二方には、まずはWikipedia:基本方針とガイドラインに一通り目を通していただき、方針・ガイドラインに基づいた議論をお願いいたします。Wikipedia:外部リンクの選び方の「基本的な考え方」の1・2・6に反する外部リンク、「掲載すべきでない外部リンク」の1・2・11に該当する外部リンクは掲載すべきではありません。赤報隊事件がいかに重要な事件であるかどうかは外部リンクの選択とは別問題であると考えますし、どの事件が重要な事件であるかを判断することはWikipediaの役割ではありませんし、ましてやその事件の記事をガイドライン上特別扱いすることはあってはならないことだと考えます。--あるふぁるふぁ 2011年8月3日 (水) 08:32 (UTC)

これまでの議論で見落とされているのは、全ての外部リンクを削除することは百科事典Wikipediaの改善になるかという視点である。 赤報隊事件(3月10日) 果たして改善になっただろうか。残念ながら逆の印象になったことは否めない。

・あるふぁるふぁさんは、警察庁、兵庫県警のサイトは事件の記述がなく、直接関係ないとされる。しかし、本件は警察庁広域重要指定事件だったもので、最近も菅直人首相、小沢一郎元民主党代表に対し「赤報隊」を名乗る脅迫事件が起きている。だから警察庁、兵庫県警のホームページがあってもおかしくないのではないだろうか。

・無限回廊、オワリナキアクム、事件史探求について匿名であることを問題にされている。しかし、今の社会情勢で実名で事件を論じると危険を伴うことが多いのも事実であり、やむを得ないのではないだろうか。新聞社、放送局の警備が常に厳しいのは報道に反感を持つ人を警戒しているためである。尚、yahooでは上記3サイトが紹介されている殺人事件名張毒ぶどう酒事件(事件史探求はアクセスできないが、赤報隊事件では可能)。

・外部リンクが記事の理解に役立っていることは、キリンビックさんのご指摘からもわかる。

・「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」役員名簿、言論の自由を考える5・3集会は、直接記事の内容に関係しているサイトで、事実誤認ではないだろうか。

・本件は時効が撤廃されていない時の事件であるが、真相が解明されれば民事訴訟が提起されると思われる(足立区女性教師殺人事件参照)。答申(犯人からの財産等の犯罪収益をはく奪し、これを被害回復に充てるための法整備に関する要綱(骨子))は被害者救済の法律に関する情報、殺人事件被害者遺族の会(宙の会)は時効撤廃にご尽力されてこられた団体で、共に読者が本件を調べる際に役立ち意味あるサイトであると思われる。

・Uouotottoさんの「これからも事件の真相を解明するためには、どの情報が必要になるかわかりません。情報が限定されることで利を得るのは誰か」は非常に大切なご指摘だと思う。外部リンクを削除することによって「赤報隊」を名乗る犯人が利を得る可能性があるという意味に受け取れる。

・よく知られているようにNHKスペシャルで「未解決事件」が放送され、朝日新聞阪神支局襲撃事件がリストアップされた。今後事件の真相解明の動きは加速されると思われる。

以上のように、全ての外部リンク削除は百科事件Wikipediaの改善にならず、読者の要望に応えるものではないと考える。--ABNOIC 2011年8月7日 (日) 07:50 (UTC)

ウィキペディアはリンク集ではありませんし、リンク先に行っても「赤報隊事件」の文字すら出てこないサイト、匿名個人が憶測交じりに記述した検証可能性を満たさないサイトが載っていることが読者の要望に応えるとは到底思えません。また、真相解明のために情報を提供することはWikipediaの目的ではありません。捨てアカとソックパペットの他にABNOICさんのご見解に同意する意見はないようですが、二人で議論をしても水掛け論のようですので再度コメント依頼を提出いたしました。第三者のコメントを待ちたいと思います。--あるふぁるふぁ 2011年8月8日 (月) 06:19 (UTC)
外部リンクは赤報隊事件について直接述べたものや特に深く関わっていたものに限定すべきと考えます。警察庁・兵庫県警が捜査を行ったこと、スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会、5・3集会(と記事中の「『みる・きく・はなす』はいま」)が事件をきっかけに始まったことという赤報隊事件に関する情報を記事内で言及すべきであり、それ以外は赤報隊事件について有用な情報とは言えず外部リンクとして不適です。Tiyoringoさんの2011年5月31日 (火) 13:30 (UTC)のコメントに同意します。
ウィキペディアはガイドブックではないので答申・宙の会は不要です。
無限回廊・オワリナキアクムは微妙なところで、ある程度の質はあるようですが、匿名の一般個人によるもの、記事内容を超えないものでありなくてもよいと感じます。とりあえず、掲載に賛成している方の理由はwikipediaの方針とずれているために同意できません。そういったものは他でやればよいので。--NNMM 2011年8月12日 (金) 01:36 (UTC)

ポータルを見てきました。あるふぁるふぁ氏の指摘に全面的に賛同します。全ての外部リンクをチェックしましたが、どれも記事主題の理解を深める役には立たないと思います。すべて削除でよいと思います。ウィキペディアにはウィキペディアの方針と云うものがあり、役に立つ(と編集者が思う)からと言うだけの理由で何でも書き足してよいわけではありません。ウィキペディアは、全てのボランティアに開かれた万能の社会の木鐸ではないのです。--Kojidoi 2011年8月21日 (日) 13:25 (UTC)

あるふぁるふぁさんの主張をまとめと、以下のようになる。

1.警察庁、兵庫県警察、「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」役員名簿、言論の自由を考える5・3集会、殺人事件被害者遺族の会「宙の会」、答申(犯人からの財産犯等の犯罪収益をはく奪し、これを被害回復に充てるための法整備に関する要綱(骨子))は、「記事の内容に直接関係しないサイト」。

2.無限回廊、オワリナキアクム、事件史探求は、「匿名の人物が様々な推測を交え事件を論じているサイトは検証不可能な記述によって読者に誤解を与えるサイト」。

前にも述べたが、「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」役員名簿、言論の自由を考える5・3集会は、記事にあるサイトであり、「記事の内容に直接関係しないサイト」に該当しないことは明らかであり、事実誤認である。

警察庁、兵庫県警察は、本来なら事件の記述があるべきであるが、「時効」のため削除されたもので、時効撤廃の現在、上記サイトはあってしかるべきである。

島根女子大生死体遺棄事件など未解決事件では、所轄の警察署が外部リンクに掲載されている。これと同様の処置として警察庁、兵庫県警のHPを掲載すべきだと考える。

無限回廊、オワリナキアクム、事件史探求は、現時点では匿名はやむをえないと考える。以前実名で本件を論じるサイトがあったが、現在は匿名になっている。実名のサイトを掲載し、もし事件が起きた場合の責任の所在を考慮すると、匿名のサイトを選択せざるを得なかったことをご理解いただきたい。

また、「誤解を与える」と記されているが、どのサイトのどの部分がどんな誤解を与えるか明示していただきたいと思う。

殺人事件被害者遺族の会「宙の会」は、被害者遺族の事件に対する思いが理解でき、本件被害者の心情を理解する上で役立つものであると考える。

答申は今後の事件推移(真相解明→「赤報隊」を名乗る犯人の正体判明→裁判)から、役立つサイトであると考える。

ここで、あるふぁるふぁさんにお尋ねしたい。 本件の全外部リンク削除の主張の根底には、あるふぁるふぁさんの事件に対する認識があると思われる。 本件は日本国民を戦争の時代に戻すことを狙った凶悪なテロ事件であると考えているが、あるふぁるふぁさんのお考えを伺いたいと思う。

1.「赤報隊」を名乗る犯人の行為は、許されるか。

2.本件被害者の心情をどう思っておられるか。

以上、よろしくお願いしたいと思う。

NNMMさんは「赤報隊事件に関する情報を記事内で言及すべき」とされている。しかし、Wikipedia:外部リンクの選び方では「ウキペディアの方針などの理由でウキペディアの記事に取り込むことができない情報を持っている外部サイトを参照することが有益なことがあります」と記されている。 この点をどうお考えになるだろうか。

kojidoiさんは「どれも記事主題の理解を深める役には立たないと思います」と記されている。具体的にその根拠をお示ししていただきたいと思う。--ABNOIC 2011年8月22日 (月) 00:03 (UTC)

「本件の全外部リンク削除の主張の根底には、あるふぁるふぁさんの事件に対する認識があると思われる」とのことですが、私の事件に対する認識に基づいて主張を展開したことはありません。Wikipediaの方針とガイドラインに基づいて意見を述べているつもりです。むしろ「事件に対する認識」に基づいて演説をされているのはABNOICさんではないでしょうか。
ご質問の1・2について私の考えを述べたところでWikipediaの記事を編集する上では全くの無益であると考えますので回答いたしませんが、むしろWikipediaの編集をする上では、そのような「犯人の行為が許せるか」や「被害者の心情」といったものは脇において編集することが必要であろうと考えています。どうしてもそのような観点からしかその記事対象を見れないのであれば、その記事に関わることは控えたほうがいいのではないでしょうか。--あるふぁるふぁ 2011年8月22日 (月) 09:52 (UTC)

あるふぁるふぁさんから回答をいただいたが、事実誤認と「誤解を与える」問題は未回答なのでお願いしたいと思う。 質問に対しご自分の考えを述べることを無益とされたことは残念である。

質問はWikipediaの創始者、ジミー・ウェールズ氏の人生の信念のひとつである良識に関することである。人間の持っているもので最も貴重かつ1度しか与えられていない命を奪う行為ほど、深きことはない。人間の社会はこのような行為を厳しくする仕組みを作り、社会を守っている。 「赤報隊」を名乗る犯人がした行為は、決して許されるものではない。

被害者の心情」は近年捜査機関司法の場で重視されるようになっている。法務省:犯罪被害者の方々へ警察庁犯罪被害者支援室検察庁・被害者支援裁判所における犯罪被害者保護施策犯罪被害者等基本法犯罪被害者保護法。 Wikipediaの記事においても犯罪被害者の方々のご心情に配慮した執筆・編集が求められていると思うが、いかがだろう。

これまでのあるふぁるふぁさんのご意見から、「規則主義」という印象を受けている。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかという文書があるが、ご検討いただけたらと思う。--ABNOIC 2011年8月23日 (火) 00:25 (UTC)

名指しで質問されたことには回答いたしましたが、私とABNOICさんの二人で議論しても水掛け論のようですし、コメント依頼も出して基本的に第三者のコメントを待つべきだと思っておりますので、その他の点については私からコメントしませんでした。端的にお答えすれば、外部リンク先を開いても記事名すら出てこないサイトは掲載すべきではないと考えますし、いかなる理由があるにせよ匿名個人のサイトを掲載すべきとは思えませんし、「良識」なるものを百科事典の編集に持ち出すべきではないと考えます。ジミー・ウェールズ氏個人の人生の信念が「良識」であったにせよ、氏がそれをWikipediaの編集に持ち込むとは考えられません。それが社会の圧倒的多数にとっての「良識」であったとしても、特定の価値観から記事を編集したりノートページで主張することはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんに反すると考えます。
いずれにせよ、しばらく他者のコメントを待ってはいかがでしょうか。--あるふぁるふぁ 2011年8月23日 (火) 07:24 (UTC)
ただの集会の案内やら、事件への直接の言及のない警察のページやらを紹介することがいったいどう記事の改善につながるというのでしょうか。「本件は警察庁広域重要指定事件だった」=>「警察の外部リンクを掲載すべきだ」という論理構造は私には理解不能です。おそらく大多数の編集者にとっても同様だろうと私は思います。端的にいって、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを再読しなければならないのはABNOICさんのほうだろうと考えざるを得ません。規則主義ではない、とは、誰かが自分の見解に基づいてなんでも編集してよいということではありません。「見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決」せよと書いてあります。これまでの経緯を見れば、あなたの主張が合意に達する見込みはほとんどないことがわかるはずです。何人もの人が、あなたの主張が現在のWPの方針に合致していないと指摘しています。問題のリンクが掲載すべきでないリンクに該当することはわたしやアルファルファ氏だけではなく、Calvero、Kinori、Tiyoringo、NNMM各氏も指摘していることです。どちらの主張がWPの合意に近いかはもはや明白だと思います。しかしあなたは、都合の悪い指摘は無視していつまでも自分の主張を繰り返すばかり。結果として記事の当該場所の編集が半年も停滞しているわけです。いつまでも「納得」しない姿勢をいい加減改めるべきでしょう。--Kojidoi 2011年8月23日 (火) 09:25 (UTC)

良識はどこでも大切だと思いますが、百科事典を作ろうと呼びかけているサイトを別のものに変えたりしないというのも良識のうちです。犯人の行為に対する賛否も被害者の心情も、百科事典の編集という我々本来の目的を外れる理由にはなりません。ABNOICさんが発した2つの質問は、ABNOICさんの目的が百科事典作りと違うところにあると告白されているようなものです。その目的のためには、別にもっと良い場所があります。

「ウィキペディアは何ではないか」が言わんとするのは、ウィキペディアを百科事典以外の別のものにしないでくれ、ということです。その中にある「規則主義ではありません」も、規則の組み合わせに熱中するあまり、百科事典作りという目的から外れてしまうことを戒めています。ルールにあろうとなかろうと、ここで問題になっている警察サイトは何の参考にもなりませんし、個人サイトの紹介は百科事典にふさわしいことではありません(広告リンクを設ける事典サイトはありますが、ウィキペディアはそういうのと絶縁しています)。

ここまでの議論でABNOICさんに賛同したのはキリンヴィックさんとUouotottoさんのお二人ですが、お二方の履歴はこの[ノート:赤報隊事件]での発言だけです。捨てアカウントでの発言は別に構いませんが、合意をとる上で数に加えるのは無理でしょう。結局、ABNOICさん一人がウィキペディアの方針に反して頑張っています。ABNOICさんは2010年5月からこの記事に熱心に加筆を続けていますから、反対に愉快になれないことは理解できます。しかし、この記事も他の記事同様多くの人の協同で成り立っていて、多数をはねのけ一人の意思で支配できるものではありません。心から賛同するのは無理でも、多数の意思には従おうという形で納得できませんかね。--Kinori 2011年8月23日 (火) 15:30 (UTC)

ABNOICさんの質問に回答します。それはWikipedia:外部リンクの選び方冒頭の文面ですが、読み進めればもっと具体的な選び方が示されていますからそちらで判断します。ABNOICさんもそちらに基づいて、事件について知るためにこの外部リンクのこの記述がこのように有益だと具体的に理由を述べてはいかがでしょうか。

Category:未解決事件を全部ではありませんが見てみました。所轄の警察署などのサイトトップにリンクされている例はごくわずかで、その事件に関するページに直接リンクしているものが多いようです。島根女子大生死体遺棄事件は警察署のトップページですが、事件の情報募集ページがすぐ目に入ります。--NNMM 2011年8月24日 (水) 13:50 (UTC)

 体調すぐれず御無沙汰しました。久しぶりにこのノート欄見て少し驚いています。署名をしなかったり当て字の署名を文末に書き込んだりして編集の方々に御迷惑をおかけしました。正規の署名をまだ一度もしていないことになるのですね。でも偽の署名を故意にしたことはありませんのでご理解ください。辞典の関連文書(枠外にせよ)の中で「偽」なんて字で決めつけられると怖い世界へ来たような錯覚に取りつかれそうです。今回は正規の署名をしようとチャレンジしてみます。今度やりそこなったら除名ですかね。なにぶんお手柔らかにお願いいたします。--キリンヴィック 2011年8月27日 (土) 13:22 (UTC)

ご意見をいただいた方々に謝意を表したいと思う。 前回2つの質問をなぜしたかと言えば、あるふぁるふぁさんが良識についてどうお考えになっているか知りたいと思ったからである。あるふぁるふぁさんは良識を百科事典の編集に持ち出すべきでないとされた。 良識とは、物事の健全な考え方、判断力のことである。

kinoriさんが述べておられるように、良識はどこでも大切なものであり、百科事典の編集・執筆においてはなお一層必要であると思う。

ジミー・ウェールズ氏は人生の信念のひとつである良識をWikipedeiaの編集に持ち出すことは考えられないとされたが、人生の信念が最も現れ、発揮されるのは仕事である。ジミー・ウェールズ氏の信念である良識が人生を掛けた事業であるWikipediaの編集にも必要だと彼が判断されていると考えることはごく自然である。

あるふぁるふぁさんは、良識を特定の価値観であると否定され、被害者の心情重視にある社会の現状にも否定的とも受け取れることを述べられた。 しかし、あるふぁるふぁんさんは否定された良識を本欄において発揮されているのである。8月29日の「外部リンクについて」のタイトルが表示されていなかったのを見えるように編集されたのも良識である。

デカルトが『方法序説』の中で述べているように、良識は全ての人に公平に配分されているものである。そして重要なことは良識を発揮するためには「精神をよく用いること」(同掲)である。

kojidoiさんは外部リンク「言論の自由を考える5・3集会」を「ただの集会案内」とされた。「だだの」とは「取り立てて言うほどの価値・意味がない」ということになるが、果たしてそうだろうか。 事件被害者である朝日新聞社員でつくる朝日新聞労働組合が作成した事件に関するHPで、いわゆる赤報隊事件で数少ない被害者からの情報発信がされている。被害者の思いや過去の集会の記録を知ることができる貴重な情報だと考える。

NNMMさんには質問にご回答いただいた。これまでの記述で「有益」な理由を述べているのでお読み直していただければと思う。

Wikipediaは「犯行予告」など事件・犯罪に利用されることがある。良識とはまず法律を守るということである。禁止される外部リンクには「著作権侵害、肖像権侵害などの法令法令違反を行っているか、公序良俗に反する恐れのあるページへのリンク」を掲げている。

無限回廊、オワリナキアクム、事件史探求が誤解を与えるサイトとされたが、具体的に述べていただきたいと思う。

「事件に関する認識」の問題であるが、本件は戦争中の日本に戻ることを求めた事件である。思想・良心の自由表現の自由を一切認めない時代である。もし現在そういう社会であったらならば、Wikipediaの編集・執筆も禁止されるであろうと思われる。このことに賛成の意見をお持ちの方はいないと思う。 Wikipediaの編集・執筆をも禁止する社会を求める本件を重視するのは、このためである。

見落としている点があれば、ご指摘いただきたいと思う。--ABNOIC 2011年8月30日 (火) 04:21 (UTC)

ABNOICさんが見落としている点は、直近では「いつまでも「納得」しない姿勢をいい加減改めるべだ」というKojidoiさんの指摘と、「結局、ABNOICさん一人がウィキペディアの方針に反して頑張っている」「心から賛同するのは無理でも、多数の意思には従おうという形で納得できないか」というKinoriさんの問いかけですね。--あるふぁるふぁ 2011年8月30日 (火) 05:24 (UTC)
挙げられた理由は抽象的・主観的・間接的であったり、wikipediaのガイドラインに反したりしています。再度言いますが、適切な外部リンクであれば、このページ・記述を参照することで赤報隊事件のこの情報が得られる具体的に述べることができるはずです。そうでなければ出典・内部リンク・除去で十分でしょう。
例えば言論の自由を考える5・3集会は、「ごあいさつ」で事件をきっかけに集会が始まったことが分かりますがそれだけで、赤報隊事件の情報は得られません。記事内で出典とすれば十分でしょう。この観点から無限回廊・オワリナキアクム・事件史探求以外は明確に考えることができます。ひとまず話を絞るためにも、それらを取り下げるか具体的に話すかしてはいかがでしょうか。--NNMM 2011年8月30日 (火) 14:10 (UTC)
良識などという、個人の都合でどうにでも適用範囲を設定可能な(アルカイダも彼らの良識に基づいてツインタワーに旅客機で突っ込んだ)ものを議論の場に持ちだしても話はまとまりません。良識を「被害者への心情への想像力」とかに置き換えても同様です。そういうものに頼らず意思統一を図るためにルールとかガイドラインとかがあり、すべての参加者はそれらを尊重することが求められています。その観点から、ABNOIC氏の主張に同調できる要素はひとつも見当たりません。2011年8月30日 (火) 04:21 (UTC)のABNOIC氏の反論への個別の再反論は、すでに表明済みのコメントの繰り返しにしかなりませんので省略します。--Kojidoi 2011年9月1日 (木) 13:47 (UTC)

それより、この記事の内容には首をかしげざるを得ない箇所が沢山あります。最たるものは犯人像(なんか似たような節がしつこくいくつも建てられていますが)の検証可能性です。外部リンクの話はそろそろ収束させて、内容の取捨選択への議論に注力すべきではないでしょうか。--Kojidoi 2011年9月1日 (木) 13:47 (UTC)

「似たような節がいくつもしつこく建てられて」「内容の取捨選択への議論に注力すべき」から、犯人情報を削除したいという思いがあると見たがいかがだろう。

「中立性に欠ける」(「文章中の太字について」)と、本件で「中立性」を持ち出す意味は何か。Wikipedia:中立的な観点ここで「中立性」を求めることは、犯人に配慮をしたものをということになる。今回太字を無くしたことは、「中立的な観点」から犯人への配慮ということだろうか。

良識の否定は、創設者であるジミー・ウェールズ氏の信念を否定することになる。

本件は民主主義の根幹に関わる事件であり、犯人未逮捕になっている。犯人は平素何食わぬ顔で社会生活を営んでいることを忘れてはならない。

時効撤廃後に起きた事件、時効になっていなかった未解決事件の多くは、所轄の警察署の事件情報が外部リンクに掲載されている。編集者の多くが必要だと判断されたと思われる。本件の場合、時効後も事件情報を収集し、情報提供を呼びかけ、犯人が判明した場合、事情聴取をするとしている。外部リンクに捜査機関のHPがあった方が適切だと考える。

赤報隊事件の内部リンク、関連項目の作業で、「いつまでも納得しない」「多数の意見に従がわない」という姿勢でないことはご理解していただけるのではないかと思う。--ABNOIC 2011年9月5日 (月) 04:07 (UTC)

あなたはこれまでの私や他の発言者の発言を真面目に読んでいるのですか? 犯人への配慮とか、寝言もいいかげんにしてもらいたいですね。外部リンクの正当性を主張するこの新たなコメントの内容も、すでにみんなが妥当でないと指摘してきた今までの主張内容を一歩も出ていないですね。いったい何度同じやりとりを繰り返すつもりですか? すでに結論は明白で、こんな議論は本来半年も引っ張るようなものではありません。あなたの姿勢は「いつまでも納得しない」「多数の意見に従がわない」以外の何者でもありません。もう議事妨害とさえ言えるでしょう。
改めて皆さんに提案します。すでに現状の外部リンクは削除という方向で合意は形成されたと見ていいと思います。今週末にでもそのような編集に踏み切ろうではありませんか。キリがありません。--Kojidoi 2011年9月5日 (月) 13:43 (UTC)

 御無沙汰しました。たまに見ますと意見の交換は結構活発ですね。合意は形成されたとか、賛否の数がどうのとか、誰それは人数に計上しないとか(除名扱いのようなものですね)、これ以上の議論はきりがないなどなど、最終段階に来ているような感じを受けます。新参の私にはそのあたり緊急性など今一つ分からず、ついていけない所ありますが、最終で、決着ということなら、最後に一言申し述べたいと思います。これまで何カ月か現存していたもの(外部リンク)を削除するというのであれば、リンクを設定した人や設定を承認した人、実際にリンクを見た人の意見を聞くことも必要ではないでしょうか。また外部の諮問委員会のような人たちの意見も聞く必要があるのではないでしょうか。この欄の論議は私のような員数外と見なされる者を除けば事件について知りつくした準専門家のような方々同士のお話のように思えます。そういう人たち(つまり、辞典に頼らなくてもいい人たち)だけで決めていいものかどうか、首をかしげているところです。--キリンヴィック 2011年9月8日 (木) 09:04 (UTC)

>これまで何カ月か現存していたもの
ウィキペディアの編集には定期的に人が張り付いて作業しているわけではなりません。たとえ10年現存していようとそれだけでは正当性が認められたことにはなりません。
>リンクを設定した人
その人との議論続行はもはや不可能と考えざるを得ません。いくら反論しても2011年9月5日 (月) 04:07 (UTC)の発言のように、肝心なところは無視して同じ主張を壊れたレコードのように繰り返すだけ。ここで疑義が呈されているのと同等な外部リンク追加を今も継続しており、実に遺憾です。この姿勢が継続されるようなら、ABNOIC 氏に対しては別の形での対応が必要になるでしょうね。
>設定を承認した人
事前に査読するわけでもなく、基本的に書いた人勝ちのウィキペディアに、「承認した人」は原理的に存在しません。
>実際にリンクを見た人の意見
>準専門家のような方々
ここで意見を表明している面々はまさに「実際にリンクを見た人」であって、「準専門家」などではありません。そう見えているとすれば議論の流れについての理解が足りませんし、わかった上での発言なら悪質な議事妨害です。10人反対意見が来たら、100人の意見を聞かないとといい、100人の反対意見が来たら1000人の意見を聞かないとと言い逃れするつもりでしょうか。
ガイドラインやルールをちゃんと理解していれば、結論はもう自明と言ってよく、半年も議論するような案件ではありません。すでに対話と議論の努力は皆がしました。もう十分でしょう。--Kojidoi 2011年9月8日 (木) 14:02 (UTC)
実のところ赤報隊事件については素人なのですが、記事と外部リンクを見てあのような意見になりました。なにせ素人意見ですから、再三言っているように具体的に説明があれば間違いがわかって意見が変わる可能性も十分ありましたが、そういった説明は全くありませんでした。さすがにもういいでしょう。--NNMM 2011年9月8日 (木) 14:38 (UTC)

外部リンクを削除しました。理由は要約欄に書いたとおりで、この議論でもとうに指摘されていることですから、長々しい説明は不要でしょう。この期に及んでもABNOIC氏は削除の真意がどうのこうのと埒もないことを言い続けておられますが、下衆の勘ぐりはいいかげんにしておいてくださいと申し上げておきたいです。--Kojidoi 2011年9月12日 (月) 16:01 (UTC)

あるふぁるふぁさんの提案に100%同意します。削除されたリンク先の一つ『無限回廊』の愛読者の一人として一言だけ付け加えると、『無限回廊』はウィキペディアと同じように、信頼できる情報源を典拠に執筆されており、ネットで読める文章としてはもっとも優れているひとつです。惜しむらくは執筆者が無名ということですね。本文の出典として使えないものは外部リンクとしても使えないということなのでしょう。『無限回廊』で参照文献として紹介されていた文献を記事に追加しました。--Bugandhoney 2011年9月13日 (火) 12:43 (UTC)

文章中の太字について[編集]

どうも本記事は太字を多用しすぎているように思います。「一家惨殺という重大事件の記事の重要箇所は、太字が適切で利用者にとってわかりやすい」「新聞社襲撃・記者殺害、総理大臣脅迫、民間企業社長宅銃撃、在日公館襲撃という凶悪テロ事件の記事の重要箇所は、太字が適切で利用者にわかりやすい」とのことですが、該当箇所がいかに重要であるかの根拠がよくわかりません。私は一読者としてみた場合、該当箇所が太字になっているからといって、何かがわかりやすくなっているという印象は受けませんでした。むしろ、執筆者の思い入れが見て取れ、ここが重要なのだと考えなさい、この情報は重要なのだと覚えておきなさい、という押し付けを感じました。この点についてご意見いただければと思います。--Calvero 2011年5月16日 (月) 11:40 (UTC) 修整 --Calvero 2011年5月21日 (土) 05:51 (UTC)

世田谷一家殺害事件の件ですか? 全く別の話を持ち込まないで下さい。何の関係もありません。--220.100.117.39 2011年5月20日 (金) 08:45 (UTC)
それでは差し替えます。--Calvero 2011年5月21日 (土) 05:51 (UTC)
主意に関しては異存ないということでよろしいですか? --Calvero 2011年5月26日 (木) 14:49 (UTC)

世田谷一家殺害事件でも太字が修正され、戻したが、太字の部分は主に犯人に繋がる情報である。「押し付け」とは、相手の意向を無視して無理じいすることであるが、wikipedia:中立的な観点太字の部分は押し付けという感じがするか尋ねたい。--ABNOIC 2011年5月27日 (金) 00:17 (UTC)

その頁での太字の部分は、「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」節の「偏りのない「客観的な」観点に基づいてのみ書くことができる、と誤解されることもありますが」と、「批判と回答」節の批判にあたる箇所ですね。前者については、文脈上、単純な事実の強調ではなく、解説の文意をより明らかにする目的で使われているように思われ、強調によって理解しやすくなっていると感じました。後者については、節全体として対話形式の構成になっており、批判部分と回答部分の別を明らかにするために強調が用いられていると思われ、いずれも押し付けという感じはしないです。--Calvero 2011年6月4日 (土) 04:14 (UTC)

Calveroさんは、世田谷一家殺害事件や赤報隊事件の太字の部分(主に犯人に繋がる情報)は、押し付け感があり、wikipedia:中立的な観点にはないと言われる。この違いはなぜだろう。

Wikipediaの創始者、ジミー・ウェールズ氏は人生の信念について「reason(良識)」と「friendliness(親切)」に集約される、と述べている(小さい頃、百科事典を全部読んだ)。reason(良識)とは、物事を正しく判断する能力、理性、道理(世間で正しいと認めた行いの筋道)のことを指している。

世田谷一家殺害事件での太字は、まったく押し付け感がなく、事件の重要な箇所という認識である。人間が持っているもので最も貴重で、一度しか与えられていない一家族すべてのを奪うこと。これは良識とは対極にある行為である。

また、赤報隊事件は勤務中の新聞記者が殺害されるという日本の言論史上初めての事件であり、2人の首相に脅迫状を送りつけ、1人は命まで狙われている。更に、犯行声明で戦争中の日本に戻すことを要求した。良識に程遠いものである。

太字をめぐる問題は、事件記述において犯人に繋がる情報など重要な箇所を太字にすることは良識なのか、太字にしないことが良識なのか、ということがポイントのように思われる。そして、犯罪・事件に関する記事の記述のあり方はどうあるべきかが問われている。

裁判員制度が実施され、Wikipedianも被告人に向き合う裁判員になる可能性がある。Wikipediaの記事が裁判員に役立ち、信頼されるものであってほしいと願うものである。--ABNOIC 2011年6月7日 (火) 06:21 (UTC)

そうですね、ABNOICさんのおっしゃることはもっともです。太字にすることは、太字にしないと重要なことが見逃される可能性がある、とみなされていると考えることができると思います。そのような可能性を低くするために、太字で強調するのは良識であるといえるでしょう。しかし一方で、そのような可能性があると考えることは、読者が良識を持っていてどこが重要であるのか「正しく判断する能力、理性、道理」に乏しいと、想定しているように思われます。そのような、「読者が良識を持っていない」というような想定があるように感じられるのが、押し付け感の生じる理由であるように思います。つまり、太字をあえて使わないことによって、読者の良識を信じることが、編集者としての良識ではないかと思われます。この考えはいかがでしょうか。
最後の段落から、重要な情報をすぐに目の付くようにするため、太字を使おうというのがABNOICさんのお考えのように思われましたが、もしかしてそういう意図なのでしょうか。--Calvero 2011年6月9日 (木) 17:11 (UTC)

これまでの「文章中の太字について」の議論整理

<一致点>

  • 太字で強調するのは、太字にしないと重要なこと(箇所)が見逃される可能性を低くするためで、良識であるといえる。
  • 読者の良識を信じることは編集者としての良識。

Calveroさんが誤解されている点があるので、記したいと思う。

読者が重要なことを見逃す可能性があると考えることは、読者が良識を持っていなくて(原文「持っていて」は論理矛盾になるので訂正)、どこが重要であるのか「正しく判断する能力、理性、道理」に乏しいと、想定しているように思われます。

と書かれている点である。 重要なこと(箇所)が見逃される可能性の問題は、良識の問題ではなく、認知認知科学認知心理学参照)に関するものだということである(重要な箇所が見逃される可能性の問題で、太字で強調するかしないかは良識の問題)。 Calveroさんが作業された太字のない記事は、分かりにくいという印象になり、反対に、太字のある記事は分かりやすく理解しやすいという印象がある世田谷一家殺害事件赤報隊事件

ここで大切なのは、読者に分かりやすい記事にするためには重要な箇所を太字にした方が良いか、太字にしない方が良いかということだと思う。 情報時代で知る情報量が多い中、事件・犯罪に関連した未解決事件に関する重要な事案の場合、太字にした方が読者に記事中のポイントが分かりやすくなり、理解が得られやすくなる利点があると思われるが、いかがだろう。

ご質問の太字は、記事中の重要な箇所を読者に分かりやすくという視点から、とご理解していただけたらと思う。--ABNOIC 2011年6月10日 (金) 09:14 (UTC)

発言の訂正、ありがとうございました。失礼しました。また認知の点、了解です。
私としては、重要な箇所を太字にするよりは、文章や構成を工夫してわかりやすくするほうがよい、というように思っています。太字にすると、どの箇所が重要であるかについて読者の判断の余地がなくなり、そのため押し付け感の生じる原因となっているのではないかと思われます。太字を用いなくとも、わかりづらくなっているようには私には感じられなかったのですが、個人差もあるでしょうから、ほかの方の意見も聞いてみたいです。--Calvero 2011年6月11日 (土) 14:26 (UTC)
記事中の太字について色々意見があるようですね。念のために「世田谷一家殺害事件」と「赤報隊事件」の概要部分をもう一度読んでみました。確かにところどころ太字や青字ありますが私は余り気になりませんでした。太字が多すぎると目障りですがこの程度なら字数的には許容範囲と思います。中身的に「この部分の太字は適当か否か」と云う論議はあってもいいとおもいますが、太字のもともとの存在意義は「言葉の強調」であり、話や演説ならその部分を強く大きく云う、そういう類のものと思います。辞典の場合は編集者の「強調したい部分」が太字になるのでしょう。文法とか仮名遣いとか、一定の基準が決まっているものとは違いますので、非難轟々でなければ許容されていいと思います。敏感な人は「押し付け感」を抱くかもしれませんが、その場合は意見を述べて部分補正を求めるのがいいと思います。キリンヴィック。ーー~~~~124.18.143.61会話履歴)による偽署名、投稿日時は2011年7月6日 (水) 12:42 (UTC)
ウィキペディアは話や演説をするところではないですよ(WP:NOT#ウィキペディアは演説台ではありません)。プレゼンテーションの応用が利く部分はありますが。辞典でも辞典でも、あるいは新書や小説でも、太字を使っているものは見たことがないです。使うのは教科書くらいではないでしょうか。--Calvero 2011年9月5日 (月) 15:32 (UTC)
wikipediaは編集者が重要だと思うことを書く・知らしめる場所ではありません。ましてや犯人情報提供サイトではありません。今太字になっている部分はどのような基準で太字になっているのでしょうか。同程度に重要な情報が強調されていたりされていなかったりしています。また会話文は、犯人側以外のものをことごとく太字にしているのでしょうか。かぎ括弧で囲むのでわざわざ強調することもないと思いますし。
個人的には、多くの記事ではこのような強調の使われ方をしておらず違和感があり、非常に目障りだとも感じます。--NNMM 2011年8月12日 (金) 02:01 (UTC)

どうやらそれぞれの編集者がてんでに重要だと思っていることを太字表示にしているようですが、どうにも中立性に欠けているように見えます。本当に重要な事項であれば、どうして重要なのかが読者に分かるように、しかるべく明示的に説明すればよい。それができないということは、当該個所の「重要性」はしょせん編集者の主観レベルの話に過ぎないということです。読者に分かりやすくて便利だともっともらしいことをおっしゃいますが、実のところ編集者の価値観を読者に押し付けているだけです。ウィキペディアの趣旨に明らかに反していますし、そのような「わかりやすさ」を読者に提供する必要は全くありません。本記事に限らず、私は基本的にウィキペディア記事本文に太字表記は原則的に不要と考えます。--Kojidoi 2011年8月21日 (日) 13:25 (UTC)

ABNOIC氏以外にボールド除去に積極的に反対している人はおらず、10日以上新しい意見も出ませんでしたので、議論は収束したと判断し、記事冒頭以外のボールド表示指定を外しました。--Kojidoi 2011年9月1日 (木) 13:30 (UTC)

ありがとうございました。言いだしっぺがやるべきところ、お手数おかけしました。--Calvero 2011年9月5日 (月) 15:32 (UTC)

全体的な整理が必要[編集]

外部リンク・太字表記と、記事改善のための議論が行われてきましたが、現状では本文の記載内容について全体的に再吟味が必要だと思います(参考にすべき資料:WP:IINFOおよびWP:NOTDIR)。

朝日新聞阪神支局襲撃事件
社説から長々と引用しているらしい箇所があるが、冗長で不要。
時効
この年表は必要か。特筆性に乏しく、削除で良いと思われる。
犯人の手がかり/犯人のプロファイリング/犯人の正体
似たような趣旨の説が3つ連続してるが、不要な記述を整理した後、ひとつに統合すべき。
  • 犯人の特徴 -- 誰が言っていることか? 検証可能性が確保されていない。出典が示されないなら削除すべき。
  • 現場の遺留品・犯人の所有物 -- いちいち細々列挙する必要はない。
犯人のプロファイリング
誰がプロファイリングしてどこに公表した情報か? 出典が示されないなら削除すべき。
犯人の正体
単一の出典に依存しすぎ。ここまでこの出典を鵜呑みにして断定的かつ詳細に加筆して良いのか? また、教科書問題や靖国問題はここに書くべき内容ではない。
識者の事件の見方・意見
これは出典資料からの単純なコピペにすぎないのではないか? 削除すべき。
影響
少なくとも2チャンニルへの言及は特筆性なし。削除すべき。
犯人への呼びかけ
これもただのコピペ。当事件の理解を深めるための説明になっておらず、削除すべき。
朝日新聞襲撃事件資料室
展示品をいちいち列挙する必要はない。
メディアの決意
いちいち各機関のコメントを列挙する必要はない。
関連年表
事件と関連するのは犯行声明と時効成立ぐらい。他のは事件の背景になっているかもしれない程度の話であり、事件との関連性は明白でない。それらを関連性あるものとして扱うことは独自研究になる。犯行声明と時効の話は他の節に書けばよく、この年表は不要。

削除相当の部分は来月にも編集除去に着手したいと考えています。--Kojidoi 2011年9月16日 (金) 15:36 (UTC)

お願いします。長くて冗長で何がなんだかよくわからない記事になっています。一から書き直すつもりでばっさりとフォーマット等変えるといいと思います。あと見出しが多すぎます。目次を繰るだけで4スクロール分もあるというのは異常です。とりあえず、どの見出しが必要かを検討して、記事をどういう構成にするのかを手始めに作業するとよいと思います。--Bugandhoney 2011年9月16日 (金) 16:03 (UTC)

「犯人の手がかり」「犯人のプロファイリング」「犯人の正体」の出典が全て出ましたので、その部分の「出典を追加」テンプレートの除去を依頼。--ABNOIC 2011年9月18日 (日) 23:48 (UTC)

書物が出典の場合、何ページにその情報が書いてあるのかもあわせて記載すると検証しようとする人にとって便利だと思います。--Bugandhoney 2011年9月19日 (月) 15:56 (UTC)

論議の状況はまた動いているのですね。私のように何日ぶりかの閲覧ではついていけないですね。でも気がついたことは表明させていただきましょう。外部リンクのことでかなり長期の議論があったようです。最後に国会並みのかなり強引な「質疑打ち切り、有権者整理、残った者での強硬採決」で外部リンクの削除が行われました。私なんかはもともとは別件(音楽関係)で辞典に1項目記事を書こうと思って勉強中に、かねて関心のあった事件のノートを見る機会がありちょっと発言させていただいたのでした。あれよあれよと思う間に新参者は置いてけぼりになったわけです。ま、それはそれで当方腰の座りもいまいちなので仕方ないかもしれません。でもね、今度はリンク云々でなく記事本体の話なんですね。外部リンクであれだけ論議されたのだから記事本体ともなれば論議も大変だろうなと思うのですが、どうもそれは下司の勘ぐりか、外部リンクの論議の何分の1かの短時間決着(9月いっぱいとか)でことが運ばれそうな気配ですね。これまた国会でよく見かける仕分け人のような方が「これは不要」「あれも不要」とバサバサ切りまくる気配、これは異常事態ですよ。私はまだ勉強中なので記事全体のことを全面的に発言することはできません。ひょっとしたら「仕分け人」にも一理あるのかもしれませんが、未解決事件についての詳細な記事をバッサバッサと切りまくる、その姿勢自体が瞠目に値すると思うのです。鬼気迫る異様な感じを受けるのは私だけでしょうか。  以上は感想です。異様な感じを受けたこともあって新参者の私もこれはじっくり調べてみなきゃと遅ればせながら思うのです。今日の段階ではとりあえず「現場の遺留品などをいちいち列挙する必要があるのか」という問題提起について所見を述べます。あれだけの凶悪事件で犯人が捕まらず時効を迎えた以上、単に「警察の総力挙げた捜査にもかかわらず事件は未解決のまま時効を迎えた」と云う程度の木で鼻をくくったような記述では辞典の利用者は満足しないでしょう。「そんなことは分かっているんだ。捜査がどこまで到達したのか詳しく知りたい。名高いウイキペデイアなら教えてくれるのではないか」という期待に応える、それは大切なことだと思います。それとも「そんなことは警察で聞け」ととそっぽを向くのが百科辞典なのでしょうか。私はウイキペデイアの内規などまだ勉強中ですから規則の項目を挙げて意見を言うことはできませんが、迷ったら「利用者のためにどちらがいいか」で判断しようと思っています。今日は長くなりますので続きはまた別の機会に述べさせていただきます。--キリンヴィック 2011年9月19日 (月) 15:36 (UTC)

「現場の遺留品などをいちいち列挙する必要があるのか」
ウィキペディアには事件のことを何も知らずに調べにくる読者がいることも忘れないでください。冗長で全体の把握が困難な記事はそのような「初学者」にとっては読解が非常に困難であり、本末転倒です。細かな点に関してさらに調べたいという人には専門書に誘導する、という形でもよいと思います。「現場の遺留品」に関してはそれがどの現場で見つかったかという、致命的な情報が欠けているので、「捜査がどこまで到達したのか詳しく知りたい」という人にとってもほとんど何の役に立たないと思います。--Bugandhoney 2011年9月19日 (月) 15:56 (UTC)
端的に言えば、百科事典とは「木で鼻をくくったような記述」を淡々と書くべきものです。不確かなことをさも確かなことのように延々書き連ねて、結果として読者を誤った理解に導くぐらいなら、《「そんなことは警察で聞け」ととそっぽを向く》のがよほど「良心的」というものです。--Kojidoi 2011年9月21日 (水) 16:37 (UTC)

まず指摘しなければならないのは、警察庁広域重要指定116号事件は、靖国参拝と教科書問題が動機の本筋となって起きた事件だということである。犯罪捜査で重要なのは動機であり、ここから犯人にたどることができる。犯罪捜査規範は、「捜査の心構え」で「動機」に言及している。捜査官は①犯罪の主体、②共犯関係、③原因・動機・目的、④犯罪の日時、⑤犯罪の場所、⑥犯罪の客体、⑦犯罪の方法、⑧犯罪の行為と結果を重視して捜査に従事している。

kojidoi氏は 6 犯人の正体 動機「靖国と教科書」を理由を挙げずに「ここに書くべき内容ではない」と述べられた。不思議である。優秀なkojidoi氏が犯罪で重要な動機を書くべきでないとした「動機」とは何だろう。

kojidoi氏は「太字について」の議論の際、「中立性に欠ける」旨の発言をされている。これは「犯人を非難するような情報の強調」を問題にされたと受け取った。違っていればご指摘願いたい。

kojidoi氏が削除を主張されている箇所は、Wikipedia:赤報隊事件で重要な情報ばかりである。

  • 1.社説は事件被害者である記者が所属していた新聞社の事件に対する見解で、本件を理解する上で貴重な資料である。「冗長」という指摘は当たらない。
  • 2.「時効」は時効の際とその後の経過がわかるもので必要な情報である。
  • 3.「犯人の手がかり」「犯人のプロファイリング」「犯人の正体」はそれぞれ異なる情報である。氏の提案には無理がある。
  • 4.「識者の事件の見方・意見」は事件の本質を突いていて、事件を理解する上で重要な情報である。
  • 5.2ちゃんねるは時効前後、現在も事件の書き込みがあり、特筆性がある。
  • 6.「犯人への呼びかけ」は、犯人の良心に呼びかけるもので貴重で必要である。
  • 7.「朝日新聞襲撃事件資料室」は多くの人が訪れる所で、資料がよくわかる必要な情報である。
  • 8.「メディアの決意」は勤務中の記者が殺害され、戦争中の日本に戻れと要求した言論・報道の自由、民主主義を破壊する凶悪なテロ事件に対するメディアの決意が伝わる必要な情報である。
  • 9.「関連年表」は事件前後の出来事がわかり、事件の理解に役立つ情報である。靖国公式参拝、教科書問題が動機の本筋(捜査幹部)であり、国家秘密法問題が事件発生と深く関わっている可能性があると捜査機関はみている。「独自研究」の指摘は当たらない。年表は教科書をはじめ、企業の資料、書籍、報道、インターネットのホームページなどよく使用されるもので、事象を説明する上で重要性があり、理解を助けるものである。

以上みてきたように、kojidoi氏の主張はWikipedia:赤報隊事件を改善するものではなく、むしろ逆に反対の結果になることを指摘するものである。--ABNOIC 2011年9月20日 (火) 07:38 (UTC)

要するに、Kojidoiさんの提案は何一つ議論の余地もなく受け入れられない、ということですよね。それでは、ウィキペディアの記事を協力して執筆しようという姿勢が何も感じられないのですが、どうなんでしょう。5「2チャンネル」は特筆性の前にこの情報が信頼できる情報源から検証可能性を満たすように引用されているかどうかを検討するべきであって、出典がないということはこのままではウィキペディアにはふさわしくない内容であるというのは明らかだと思うのですがどうでしょうか。私のほうで出典を付記して書き直しておきましたが。7も出典が必要です。
1、4、6は引用を逸脱した新聞記事や著書の転載であり著作権侵害のおそれがあるので削除しました。引用する際は必要最低限にとどめるように注意してください。この件に関する議論はWikipedia:削除依頼/赤報隊事件でどうぞ。--Bugandhoney 2011年9月20日 (火) 23:08 (UTC)
ABNOICさんの反論はあいかわらずウィキペディアの趣旨を履き違えた上での主張のゴリ押しとしか思えず、到底受け入れられるものではありません。我々は百科事典を編集しているのであって捜査に加わっているわけではありません。ここに犯罪捜査規範など持ち出すことそれ自体が、ABNOICさんが「目的外利用」を志向する編集者であることを強く示唆するものと言えます。そもそも、この事件の「動機」についてですが、犯人の特定すらできていない現状では「捜査当局」あるいは出典に挙げられている著書の著者の推測以上のものではありません。「XXがそう推測している」と書くのは良いとしても、それを確定事項のように扱うべきではありません。ABNOICさんが書こうとしていることは明らかに「自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成」する行為(WP:OR)であると判断せざるを得ず、とうてい認めるわけにはいきません。また、仮に今後犯人が逮捕されて「靖国公式参拝、教科書問題が動機」であることが確実になったとしても、靖国公式参拝のことは靖国公式参拝の記事に、教科書問題のことは教科書問題の記事に加筆すべきであって、本記事にくどくど書くべきものではありません。
この他、ABNOICさんが重要・必要と連呼される事柄の殆どは、私から見れば「本質」でもなんでもなく枝葉末節の事柄にしか思えません。《犯人の良心に呼びかけるもので貴重で必要である。》とか、まったく脈略が理解不能です。
なお、今になって何故か蒸し返された《「太字について」の議論の際、「中立性に欠ける」旨の発言をされている。これは「犯人を非難するような情報の強調」を問題にされたと受け取った。》についてですが、私の見解はここに書いたとおりで、これをどう読めば《「犯人を非難するような情報の強調」を問題に》したと解釈できるのか、まったく理解に苦しむところです。同趣旨のことはNNMM氏も書いておられるのに、ABNOIC氏は人のコメントを全く真面目に読んでおられないとしか思えません。もっと真面目にやってもらいたいものです。--Kojidoi 2011年9月21日 (水) 16:11 (UTC)

コメント依頼を出しました。他の方々の意見をしかと聞いてみましょう。--Kojidoi 2011年9月21日 (水) 16:37 (UTC)

「2チャンネル」をはじてめ見たときはもうどうしようもないなと思ったのですが、調べてみると朝日新聞の記事が出典として使えそうで(記事では「過激な掲示板」として名指しはしてなかったですが)、実際書き換えてみたら今では特に問題を感じなくなりました。編集方針としてとりあえず今あるものに出典を加えて目いっぱい改善してから、内容の削除は最終手段したほうが何かと禍根を残さなくていいと思います。「年表」もそれが付属している新聞記事があって分かりやすかったです。今の内容は絞る必要があるとは思いますが。「犯人の正体」は百科事典としての内容云々の前に名誉毀損に気をつけたほうがよさそうです。週刊誌記事やテレビ番組が出典になっている箇所があってちょっと危ういです。存命人物や団体を殺人犯呼ばわりするのはしゃれにならんので。統一教会に関しては朝日や毎日でよい記事を見つけたのでそれに基づいて書き換える予定。--Bugandhoney 2011年9月30日 (金) 23:06 (UTC)
統一教会に関しての編集、期待しております。コメントされたうちの年表についてですが、私は前半の「時効」と題した年表はやはり冗長だと思います。時効の話は概要節にでもいついつ成立したとヒトコト書いておけばよく、それ以上時効そのものについて書き加えるべきことは見当たらないように思います。そもそも時効は事件そのものではないのだから「一連の事件」を列挙している中に唐突に説明されているのも不自然です。一方、後半の関連年表ですが、事件と直接関係ないもの(誰かが関連性を指摘しているだけのもの)は原則的に削除すべきです。残すべきは、東京本社銃撃事件など、赤報隊もしくはそう名乗る団体が起こした事件そのもの、公訴時効成立、「15年目の報告」連載開始など。「朝日新聞襲撃事件資料室」を開設とか、「事件を利用する動き」の中の特筆すべき事項があれば加えてもよいでしょう。一方、参拝を取りやめただの、教科書が検定を通っただのはここに挙げるべきではありません。上に書いたとおり「自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成」する行為(情報の合成)に他ならないからです。--Kojidoi 2011年10月2日 (日) 05:37 (UTC)
年表に関してはそのとおりだと思います。ちなみに、読売新聞の2009年2月24日付け記事『阪神支局襲撃報道 朝日新聞が反論の検証記事 識者指摘「新潮社に説明責任」』に付属していた「警察庁指定116号事件の年表」では「1987年1月24日」「同5月3日」「同9月24日」「1988年3月11日」「8月10日」しか含まれていません。これくらいが適量かなと思います。
あと、この週刊新潮で島村氏が真犯人だと名乗ったやつですけど、これ言いだしっぺの週刊新潮自身が誤報を認めたんですよね。これも早いところアップデートする必要がありそうです。
もう一点、記事タイトルの「赤報隊事件」ですが、メディアでは「朝日新聞阪神支局襲撃事件」と言及されることのほうが圧倒的に多いです(10倍くらい)。改題を検討してみる価値があるかも、です。--Bugandhoney 2011年10月3日 (月) 18:45 (UTC)
記事タイトルはグリコ・森永事件が参考になるのでは。先日放送されたNHK未解決事件の事件リストは「朝日新聞阪神支局襲撃事件」未解決事件 事件リスト--ABNOIC 2011年10月17日 (月) 10:35 (UTC)
(賛成)私も「朝日新聞阪神支局襲撃事件」への改題をぜひ推したいです。新聞記事ではこのように言及されることが圧倒的に多いです。「赤報隊事件」は模倣犯の判決文への言及だけ。このように改題すると阪神支局襲撃事件以外の赤報隊事件の扱いが中途半端になると思われるかもしれませんが、それは阪神支局襲撃事件に関連した事件として述べればいいのであって、阪神支局襲撃事件を中心にすえると構成がすっきりすると思います。--Bugandhoney 2011年10月17日 (月) 15:04 (UTC)

冗長な記事の対策として記事の分割を検討してみるのもいいかもしれません。「真相究明の取り組み」(変な見出しですね)とか「犯人の正体」とか別の記事にできるだけの分量がありそうです。詳しく知りたい人はそちらを見てね、という感じで。--Bugandhoney 2011年10月14日 (金) 17:43 (UTC)

反対 ウィキペディアらしからぬ雑多なリストが増えるだけです。問題の所在を拡散させるだけで本質的な解決にはなりません。--Kojidoi 2011年10月15日 (土) 03:04 (UTC)

現状この記事はどうにもまとまりなく散漫です。これは、細かい記述が多すぎるというのもありますが、それぞれの節の位置づけが今ひとつ整理されていないのが主因でしょう。たとえば「週刊誌などの情報」なんていうのが大見出しになっているのはおかしな話で、その結果、「犯人はどういう奴か」という話、「言論の自由」との対立、事件に触発されたらしい後日の出来事……等々の事項が記事のあちこちにバラバラに、また繰り返し記述されることになってしまうわけです。大見出しレベルでのリストラをきちんとすべきです。

たとえば:

  • 事件の概要
  • 事件の経緯(現在の「関連事件」と「一連の事件」)
  • 真相解明に向けて
    • 当局による捜査
    • 事件の背景・犯人像に関する推測
  • 社会の反応
    • 事件への批判
    • 事件への共感(?)
    •  模倣犯による犯行など
  • 年表
  • 参考文献
  • 脚注
  • 関連項目

ざっとこんな感じではないかと思います。--Kojidoi 2011年10月15日 (土) 03:04 (UTC)

ABNOICさんへ

NNMMさんが加えた<div class="toclimit-2">__TOC__</div>のおかげですごく見やすくなったと思っていたのですが。できれば元に戻してほしいです。--Bugandhoney 2011年10月15日 (土) 00:20 (UTC)

目次は戻しました。
別件ですがBugandhoneyさんは論理タグを使うべき所で物理タグを使うのを控えてください。見出しは=を使って書くべきで、'''を使うのは不適当です。--Kojidoi 2011年10月15日 (土) 03:04 (UTC)
目次どうもです。太字で強調すれば目に留まりやすいかなと思っただけで見出しではないです。
記事の構成ですけど、時系列を追うのが基本かなあと。英語版ではこの種の事件はほぼ同じ構成を持っていて「1.背景(事件が起こるまで)」「2.事件」「3.捜査」「4.影響(事件が起きた後)」というのが多いです。たとえば英国人女性殺害事件。今の記事はこの枠組みにうまく納まらないものもありますが。「犯人の正体」とか。「事件の概要」はなくていいと思います。導入部と重なる部分が多いので導入部に統合すればいいのでは。--Bugandhoney 2011年10月17日 (月) 14:29 (UTC)

出典の示し方[編集]

ABNOICさん、出典の追加、お疲れ様です。ここいらで出典の示し方を統一してはどうでしょう。ウィキペディアでは書物の場合、書籍名ではなく著者名を示すことが一般的です。ここいらあたりを読んでみてください。Template:Cite bookTemplate:Cite book ja-jp。つまり

  • 『新聞社襲撃』p.60

ではなくて

  • 朝日新聞社116号事件取材班(2000)、p. 60

のほうが好ましいです。それでアンネ・フランクでは出典が統一的に示されていてそれを参考にして『新聞社襲撃』にrefタグをつけてみました。今後は

<ref>[[#新聞社襲撃|朝日新聞社116号事件取材班(2000)、p. 60]]</ref>

というふうに書くと脚注のところに自動的に書物へのリンクが追加されます。 こんな感じになります[1]
新聞記事にはTemplate:Cite newsが使えます。 書き方の例:

<ref>{{cite news|title=言論と暴力 本島等(私の視点 ウイークエンド)|author=本島等|newspaper=朝日新聞|date=2002-04-27}}</ref>

こんな感じになります[2]
同じ記事を何度も使う場合、nameタグが使えます。書き方の例(一回目)

<ref name=hensyubu>{{cite news|title=編集部から|newspaper=朝日新聞|date=2002-04-27}}</ref>

書き方の例(二回目以降)

<ref name=hensyubu />

こんな感じになって[3]、何度でも簡単に参照できます[3]

参考文献[編集]

  • 朝日新聞社116号事件取材班『新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年』岩波書店、2002年。ISBN 4-00-022374-7 

出典[編集]

  1. ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2000)、p. 60
  2. ^ 本島等 (2002年4月27日). “言論と暴力 本島等(私の視点 ウイークエンド)”. 朝日新聞 
  3. ^ a b “編集部から”. 朝日新聞. (2002年4月27日) 


以上検討してみてください。--Bugandhoney 2011年10月5日 (水) 16:46 (UTC)

Bugandhoneyさん、貴重なご提案であり、検討させていただきます。--ABNOIC 2011年10月5日 (水) 17:11 (UTC)

「この節の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。」について[編集]

上掲のタグを二箇所に貼りました。この意図を説明しておきます。

まず赤報隊事件#犯人の特徴節について。最初の文で2002年発刊の『新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年』(岩波書店)が出典として掲げられ、その下に幾つかの項目が列挙されています。このリストの内容が「新聞社襲撃」において言及されているというわけですが、その中に

  • 大物右翼財界人の存在<ref>『ニッポン"タブー"事件簿』(ミリオン出版)p.82</ref>。
  • 背後に大きな背景<ref>『ニッポン"タブー"事件簿』(ミリオン出版)p.80</ref>。

がありました(そのそも記述が曖昧すぎて加筆が適当と思われないので現在コメントアウト中)。この「事件簿」は2009年の発刊だそうですから、「新聞社襲撃」の中で参照されているわけがありません。すなわちどちらかの出典提示が不正確ということです。

赤報隊事件#車両の方は2つの新聞記事が出典として示されています。その下のリスト項目のうち、いったいどの項目が1989年5月3日の新聞記事に対応し、どれが対応していないのか。また、どれが1993年5月3日の新聞記事に対応し、どれが対応していないのか。現状の記述ではさっぱりわかりません。さらに、リストには2002年の「JNN報道特集」を別途出典として示している項目が含まれていますが、これは1993年5月3日の新聞記事に対応しているのかいないのか。混乱の内容にきちんとした出典提示をしてもらわないと混乱します。--Kojidoi 2011年10月14日 (金) 14:42 (UTC)

車両に関しては直しておきました。テレビ・ラジオ番組は基本的にウィキペディアの出典にはならないので、灰色の保冷車に関しては朝日新聞の記事に準じて書き換えました。--Bugandhoney 2011年10月14日 (金) 16:49 (UTC)
「犯人の特徴」は岩波の書物を出典に箇条書きにした後に、誰かがミリオン出版を出典に加筆したのでは。岩波の本にミリオン出版の本のことが書いてあるということではなくて。ABNOICさんがそれぞれ岩波の何ページに書いてあるのか出典を明確にしたおかげで最初の一行が不要になったので削除しました。「大物右翼」に関しては毎日に出典があったのでそちらで置き換えましたが、「大物右翼」は野村秋介氏のことで、「キーパーソン」は島村氏のことですね、多分。現在ではでたらめであることが分かった情報なのでなくてもいいかもしれません。「背後に大きな背景」は確かに意味がぜんぜんわかんないですね(苦笑)。背後にない背景ってあるんでしょうか...。全体的に散文調でなんだか変な節です。--Bugandhoney 2011年10月14日 (金) 18:21 (UTC)
ABNOICさんへ
カッコ内の補足で少し意味が通じるようにはなったと思いますが、まだよく分かりません。『ニッポン"タブー"事件簿』(ミリオン出版)p.80には具体的になんと書いてあるのでしょうか。--Bugandhoney 2011年10月15日 (土) 00:23 (UTC)

Bugandhoneyさんへ

  • 公安関係者「中曽根、竹下両首相への脅迫状が焦点。江副リクルート元会長宅襲撃で確実に思想右翼の犯行ではないと確信した」旨の記述。
  • 活動家A氏の指摘。「赤報隊の行動の基点となる思想部分の記述があまりにも、わざとらしいほどに"右翼過ぎる"」
  • 「これは俺の考えだけど、赤報隊は右翼ではない。だが、あれだけの犯罪をやってのけながら時効まで逃げ切る以上、右翼マニアの素人でもない。つまり、戦闘能力を持った組織の犯行だということだ。それもかなり大きな背景を持っているよ」(活動家A氏)この活動家A氏は、取材した執筆者によると「戦後の某大物右翼の系譜を引き継ぐ」と説明。--ABNOIC 2011年10月15日 (土) 01:28 (UTC)
  • 取材した執筆者は活動家A氏が犯人を知っている印象を受けた、と記述。注目すべきは野村秋介氏、鈴木邦男氏はメディアで「犯人はわかっている」と公言していた、とあること。
  • 「捕まえられない相手もいる。くやしいが、分子より分母が大切なんだ」という公安関係者の証言は、Wikipediaに書く特筆性もあるのでは。「分子」とは、犯人が「反日分子」と呼んだ相手、「分母」とは「赤報隊」を名乗った犯人を指していると思われる。--ABNOIC 2011年10月15日 (土) 05:46 (UTC)
情報提供ありがとうございます。これはちょっとまとめづらいですね、話し言葉なので。ポイントは右翼に見せかけているけど右翼ではない、というところではないでしょうか。私がまとめるとしたら
  • 右翼による犯行に見せかけているだけで、犯人の背後には別の政治的勢力がある可能性が公安関係者や右翼活動家から指摘された。
となりますかね。「分子・分母」はそういうことではなくて、集団の中で異を立てる一部の者という意味の分子と分数の分母・分子をかけているのでは。分母はある集団(犯人が所属する政治的集団)、分子はその中で極端な行動をとる一人の人間(犯人)。つまり、犯行を行った特定の一個人を逮捕することよりも、その犯人が所属している政治的勢力を割り出すほうが大事だ、という意味では。
ところで、出典になっている『ニッポン“タブー”事件簿』を私のほうでもちょっと調べてみましたけど、事件記事の出典としてはいまいちな気がします。というのは、『ニッポン“タブー”事件簿』は『不思議ナックルズ』という雑誌の再録記事で構成されていて、この『不思議ナックルズ』はウィキペディアによるとオカルト雑誌とされています。出版社のサイトも見てみましたが、問題の赤報隊の記事は「デーブ・スペクターの正体…謎の外国人タレントに囁かれる噂」という記事と「遂にカメラが捉えた!深夜の廃病院に現われた“謎の少女”」という記事に挟まれていてなんだかなあという感じです。--Bugandhoney 2011年10月17日 (月) 14:56 (UTC)
この出典の信頼性についての判断はひとまず保留しますが、いずれにせよ、編集者が独自解釈を交えなければ加筆できないという点で、すでに「分子・分母」の話はウィキペディアの方針から逸脱した不適切な題材ということになるでしょう。加筆は認められませんね。--Kojidoi 2011年10月18日 (火) 15:26 (UTC)
出典として大丈夫ということでしたら
  • 「捕まえられない相手もいる。くやしいが、分子より分母が大切なんだ」と公安関係者が証言した。
とだけ、そのまま書いとけばいいのでは。文脈がなくとも、さほど難解な発言だとは思わなかったですが。--Bugandhoney 2011年10月18日 (火) 16:31 (UTC)
その発言を「そのまま」書いておくことで、記事本題についての読者の理解がどう深まりますか? 私にはこの発言は意味がわかりませんが。--Kojidoi 2011年10月18日 (火) 17:21 (UTC)
公安警察も犯人が所属する集団を捜査していたという点は伝わるのでは。公安警察による捜査にまったく触れていないのは片手落ちなのであって、何もないよりは一行でも言及したほうがましだと思いますが。--Bugandhoney 2011年10月18日 (火) 23:29 (UTC)
それなら、最初のご提案のように「右翼による犯行に見せかけているだけで、犯人の背後には別の政治的勢力がある可能性が公安関係者や右翼活動家から指摘された。」でいいんじゃないですか? 意味不明なコメントをそのまま載せても「何もない」のと一緒です。--Kojidoi 2011年10月19日 (水) 14:04 (UTC)
それはそうですね。というか公安警察と刑事警察の捜査の仕方の違い、両者がうまく連携しなかったことが時効の一因となったという批判などは加筆されてしかるべきかと。--Bugandhoney 2011年10月19日 (水) 18:24 (UTC)

年表内に事細かにコメントを引用する編集について[編集]

先日しばらくぶりに記事を閲覧したところ、ノートで論議されていた外部リンクがなくなったり、本体記事もあちこち削除されるなど大きな変動のあったことを知りました。「必要の有無」「簡略か詳細か」「著作権」などの論議からの一時的変動だとは思いますが、視点を変えてみると人骨にたとえるなら「大体の骨格が分かればいい、大きなものだけ残しておけ」という方々と「全体像の理解に役立つから小さなものも残しておけ」と云う方々との争いのようなものを感じます。私はどちらかと言えば小さなものも大切と思う方です。そんな観点から「おやおや、あんな重要なものまで消されている」と思った幾つかの点の一つ(関連年表の一部)をまず補充しました。「時効」の日に日本ジャーナリスト会議やマスコミ労組が声明を出したことなどの補充です。この項目では初めての記事書き込みですので緊張しました。

ところが、それがいつの間にか、消されてしまいました。どうも即日消された形跡があります。あの補充はそれほど邪魔だったのでしょうか、それほど「記入してはいけないもの」だったのでしょうか。迷惑メールが消されるような扱いに私は釈然としないものがあります。場合によっては再度の投稿を考えるかもしれません。--キリンヴィック 2011年10月15日 (土) 13:58 (UTC)

この話題は「この節の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。」についての話題ではないですよね。新しい話題を始めるときには既存のコメントの下に適当にぶら下げるのではなく、新しい節を作ってください。これも基本的な作法の一つです。今回は私が修正しておきますが、次からはきちんと対応願います。
さて本題ですが、本事件はたしかに重大事件だったので、節目の日にはいろいろと多くの人がコメントを出しているわけですが、それらを何の説明もなくただずらずら列挙するというのはウィキペディアが目指している編集の方向性とは違います。編集に手を付ける前に最低でもWP:NPS,WP:NOTREPOSITORY,WP:SURPLUSあたりは熟読していただくことをお願いします。ホントお願いしますよ。
そもそも年表というのは項目だけを列挙していくのが基本でしょう。真に労組のコメントやらが「あんなに重要なもの」だと判断されるであれば(私は到底そうは思いませんが)、それらは本文にきちんとした文章で解説されるべきであって年表部分を肥大化させるべきではありません。
加筆内容が今ひとつであると判断されれば、あなたの加筆だろうと私の加筆であろうと、他の編集者に削除・改変される可能性は常にあります。それが「迷惑メールが消されるような扱い」だとしか感じられるないようであれば、ウィキペディアの編集になど手を出すべきではありません。どこか他のメディアに活躍の場を見出すべきでしょう。--Kojidoi 2011年10月18日 (火) 15:26 (UTC)
キリンヴィックさんへ。せっかく加筆したことが別のユーザーに取り除かれるとがっかりする気分はよく分かります。ただ、よくあることなのであまりくよくよしすぎる必要はありません。Kojidoiさんの挙げたガイドライン、方針は熟知しないとウィキペディアに書いてはいけないということではないです。知っておいたほうが要らぬ摩擦を避けたり、なにかと便利ではありますが。これからもどしどし執筆お願いします。「あらゆる記述は除去される可能性がある」ということと「ある記述を除去することが妥当であるかどうか」は二つの別の事柄なので、再投稿を考えているというのであれば、その理由・記述の必要性を分かりやすく説明されるとよいかと思います。
Kojidoiさんは初心者をいじめないでください。--Bugandhoney 2011年10月19日 (水) 18:48 (UTC)

動機「靖国と教科書」「国家秘密法批判が触発」への加筆について[編集]

「国家秘密法のことは国家秘密法の記事に、教科書問題のことは教科書問題の記事に」と「編集内容の要約」に「靖国・教科書をめぐる動き」「国家秘密法をめる動き」の削除理由が記載されている。

一連の朝日新聞襲撃事件、2人の首相脅迫事件など警察庁広域重要指定116号事件が、靖国・教科書問題、国家秘密法と無関係なら妥当な指摘である。しかし、事件から15年目に朝日新聞は「15年目の報告」(『新聞社襲撃ーテロリズムと対峙した15年』岩波書店にまとめられている)を通じて、事件について詳しく報道した。【事件の周辺】では、「一九八六年の教科書問題」(p.49-p.54)で事件の背景の教科書問題、「国家秘密法をめぐる論争」(p.62-p.67)で事件を触発した可能性がある国家秘密法問題について記述されている。また「赤報隊の影、政界にもー元首相に脅迫状」では、2人の首相脅迫の動機に靖国参拝問題があることが記述されている(p.43-p.48)。捜査当局が作成した資料にも「教科書問題」がある(p.50)。『謀略としての朝日新聞襲撃事件』には、国家秘密法が事件と関係する旨の記述がある(p.67)

事件の被害者はなぜ被害者となったかよく分かるとされる。事件被害者である朝日新聞は、事件の動機、いわば「背景」に靖国参拝、教科書問題があり、事件を触発した報道に国家秘密法問題があると見ているのである。

捜査当局、被害者の朝日新聞が事件の「背景」に、靖国・教科書問題があり、国家秘密法報道が事件を触発した可能性があると考えているのに、「靖国・教科書をめぐる動き」「国家秘密法をめぐる動き」を削除することは不適切であり、事件の理解を遠のけるものと考える。

また「編集内容の要約」欄とは言え、「加筆せよ」の命令口調はWikipedia:礼儀を忘れないに抵触することを指摘する。

これまでに削除された記事

動機「靖国と教科書」

1985年8月15日、中曽根首相(当時)は第二次世界大戦のA級戦犯が1978年に合祀されて以来初めて、靖国神社に公式参拝した。しかし、中国、韓国の批判を受け、「近隣諸国への配慮」からその後の参拝を見送った(靖国神社問題参照) 1985年高校用日本史教科書『新編日本史』(執筆・日本を守る国民会議)の検定が申請された。しかし、「天皇の記述が多い」などの理由で、数百か所の修正・改善意見がついた。朝日新聞は「復古調の日本史教科書 高校用作成めざす」と伝えた(1986年5月)。執筆者側は修正に応じ、文部省の検定調査審議会は合格を了承したが、中国、韓国の反発があり、文部省は中曽根首相の指示で再修正を求めた。執筆者側はこれを受け入れ、1986年7月合格した(歴史教科書問題参照)

国家秘密法批判が触発

江藤淳は秘密法の意味について「日本の言論人、日本国民のすべてに対し、日本の皇室、日本の歴史への忠誠心の根幹にたち帰ることを、言外に求めた一点にある」とした。国民新聞は「日本を間接侵略しようとするソ連のスパイ工作に貢献する売国的キャンペーンだ」、別の法制定推進団体は「朝日新聞のスパイ防止法反対の記事は他紙と比べ圧倒的多数を占める。なりふり構わぬわい曲・偏向報道」と述べた。1986年暮れから87年初め、国際勝共連合などの街宣車が朝日新聞東京本社へ連日のように抗議行動をした。--ABNOIC 2011年10月19日 (水) 12:30 (UTC)

事件について詳しく知らない身としては、関連が深いのであれば文章でその関連性を解説していただきたいところです。そこまでの解説が不要なのであれば教科書問題の今の文章程度で十分な気がします。国家秘密法については元あった文章とほぼ同じ内容ですね。--NNMM 2011年10月19日 (水) 14:58 (UTC)
誰も靖国・教科書問題や国家秘密法が事件とは無関係とは言ってないですよ。だからこそ、両者とも見出しとして残っているわけで。要は本筋の理解を妨げないようにどれくらい詳しく書くのか、ということでは。たとえば、削除された部分には「1985年高校用日本史教科書『新編日本史』(執筆・日本を守る国民会議)の検定が申請された。」と書いてありますけど、これは教科書問題の理解を促すとしても、赤報隊事件の理解が進むわけではないですよ。別に犯人は「1985年に新編日本史の検定が申請された」から事件を起こしたわけでもなく。基本は事件に直接的に関係ある記述に限定するということでは。
動機「靖国と教科書」はもう少し詳しくてもいいかも。中曽根がこの二つにどのように関わったか書いてないので「日本民族を裏切った」が具体的に何を指しているのか分からなくなってますね。私が書き直すとしたら
  • 中曽根康弘に出された脅迫状に「貴殿は総理であったとき靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った」とあったことから、中曽根が首相在任時に中国、韓国からの圧力を受けて靖国公式参拝を見送ったことや検定に通った歴史教科書の再修正を命じたことを犯人は恨んでいたと見られ、捜査幹部によるとこれらは犯行の動機の本筋であるという[58]。
くらいですかね。「恨んでいた」が日本語としてちょっと変かな。あと『動機「靖国と教科書」』は見出しとしていまいちです。括弧で意味を限定しなければならない言葉は避けるべきでは。
「国家秘密法批判が触発」に関しては江藤淳の言葉は無関係ですね。それ以外だと、今の記述の最後の一文を
  • 国民新聞、国家秘密法法制定推進団体、国際勝共連合などの保守陣営は朝日新聞のこのような報道姿勢に反発し抗議を行っている中、事件は起きたため、犯人も朝日新聞の国家秘密法に批判的な報道に触発された可能性があると捜査当局は見た[64]。
と置き換えてもいいかもです。
あと、要約欄は字数が限られているから書き方がぶっきらぼうになったり舌足らずになるのは仕方ないですよ。--Bugandhoney 2011年10月19日 (水) 18:19 (UTC)

削除の作業をされたkojidoi氏から10日以上意見表明がなく、表明があったNNMMさん、Bugandhoneyさんの意見を参考に記事を修正。中江伝次郎さんの靖国・教科書と国家秘密法をめぐる動き(年表)は有意と判断し、加筆。--ABNOIC 2011年10月30日 (日) 01:55 (UTC)

加筆部分についてはBugandhoneyさんからもNNMMさんからも冗長であるという意見表明がなされています。私から特にコメントを付けなかったのは、私の意見が基本的にこれに賛成で、「私もそう思います」以上の追加事項を特に思いつかなかったからにすぎません。Bugandhoneyさんのコメントに出てきた「もっと詳しく」は文脈を追うための最小限の語句を追加する提案であって、ABNOICさんが試みたような、味噌もクソも全部復活させようというものとは全く異なるものです。あいかわらず都合の悪いコメントは全部無視あるいは都合よく曲解した上で、議論の大勢を無視した自分ごのみの編集の強行。採算の指摘にもかかわらずABNOIC氏がいつまでも独善的な姿勢を変えようとしないことは遺憾です。これ以上そのような姿勢が続くようならコメント依頼・ブロック依頼も視野に入れざるを得ないと思います。合意の無視が明らかなので、編集はリバートさせて頂きました。--Kojidoi 2011年10月30日 (日) 03:36 (UTC)
ABNOICさんの本文に対する加筆はちょうどいい分量だと思います。意味が通りやすくなったと思います。年表はなくてもいいかなとは思いますが、参考文献に記載されているのであれば、必ず削除しなければならない、ということもないかなとも思います。ただ、それぞれ関連する項目に加筆して、「詳しくは○○を参照すること」とやるのがスマートかなとも思います。どっちつかずの意見ですいません。--Bugandhoney 2011年10月31日 (月) 12:36 (UTC)
Bugandhoneyさん、コメントをありがとうございます。大変励まされました。感謝申し上げます。--ABNOIC 2011年11月1日 (火) 04:49 (UTC)

今回kojidoiさんが太字で作業されたことを参考にさせていただいた。この時10日以上新しい意見が出なかったということで、ボールド指定を外されている。Wikipedia:合意形成参照。コメントがなかったことは了解。 kojidoiさんのご意見で理解できないのは、「教科書問題や靖国問題はここに書くべき内容ではない」とされていることである。靖国・教科書問題は事件の背景になっており、kojidoiさんの構想にも「事件の背景」がある。関連年表からも、靖国・教科書問題を削除された。そして今回、事件を触発したと捜査当局も見ている国家秘密法の情報も「加筆するな」と主張されている。ご自分の構想とも違った主張としか受け止められないのだが、ご説明いただきたいと思う。--ABNOIC 2011年11月1日 (火) 05:50 (UTC)

ボールド指定や外部リンクについては、発言者の大部分が、不要、冗長、見づらい、方針から逸脱などなど、否定的な見解を表明しており、当該箇所の除去の方向でコンセンサスが成立していると明白にみなしうる状況でした。このコンセンサスの元、問題箇所の除去を実行しました。一方、本件において、「(年表)は有意と判断」がコンセンサスを得ているとは全く考えられません。Wikipedia:合意形成のどこをみればABNOICさんの再加筆が正当化できるのか全く謎ですね。
本題について言えば、私は以前、以下のようなコメントを書きました。ABNOICさんは読み飛ばしたかお忘れのようなので再掲しておきます。
そもそも、この事件の「動機」についてですが、犯人の特定すらできていない現状では「捜査当局」あるいは出典に挙げられている著書の著者の推測以上のものではありません。「XXがそう推測している」と書くのは良いとしても、それを確定事項のように扱うべきではありません。ABNOICさんが書こうとしていることは明らかに「自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成」する行為(WP:OR)であると判断せざるを得ず、とうてい認めるわけにはいきません。また、仮に今後犯人が逮捕されて「靖国公式参拝、教科書問題が動機」であることが確実になったとしても、靖国公式参拝のことは靖国公式参拝の記事に、教科書問題のことは教科書問題の記事に加筆すべきであって、本記事にくどくど書くべきものではありません。(2011年9月21日16:37時点における加筆)
教科書問題や靖国問題が動機だという推論があるということを書くのはかまいませんし推奨されるでしょうが、それ以上は余計ということです。百歩譲って「本文」の加筆を許容するとしても、年表の加筆には全く正当化出来る理由がなく、断じて反対です。「ほら時期が一致しているでしょ。やっぱり教科書問題が動機で間違いないよね」などとやりたいのでしょうが、ウィキペディアの方針はそのような編集を明確に否定しています。以上、私はそんなにわかりにくい主張をしているつもりはありませんが、どこが理解できませんか。--Kojidoi 2011年11月1日 (火) 19:19 (UTC)

kojidoiさんはWikipedia:独自研究は載せないの「編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する」に当たると言われる。

修正・加筆された部分

動機「靖国と教科書」

中曽根康弘に出された脅迫状に「貴殿が総理であったとき靖国参拝教科書問題で日本民族を裏切った」とあったことから、中曽根首相が中国、韓国からの批判により靖国神社公式参拝を見送り、高校日本史教科書『新編日本史』の再修正を指示したことを犯人は恨んでおり、捜査幹部は「靖国と教科書が動機の本筋とも読める」と話している。

靖国・教科書をめぐる動き
  • 1982年6月:マスコミ各社が高校用日本史教科書の検定で、「侵略」から「進出」に書き変えられたと報道
  • 1982年11月:文部省が「近隣諸国に配慮」の検定基準(近隣諸国条項
  • 1985年8月15日:中曽根首相、靖国神社公式参拝
  • 1985年8月16日:朝日新聞、社説で首相の靖国神社公式参拝の反対表明
  • 1986年5月:朝日新聞、高校教科書『新編日本史』(執筆・日本を守る国民会議)を「復古調の日本史教科書」と報道
  • 1986年7月:『新編日本史』検定合格
  • 1986年8月15日:中曽根首相、参拝見送り
  • 1987年8月15日:中曽根首相、参拝見送り
  • 1997年:全中学歴史教科書に「従軍慰安婦」記述
  • 2001年4月:『新しい歴史教科書』が検定合格
  • 2001年8月:小泉首相、靖国神社参拝

kojidoiさんの言われる独自研究になっているだろうか。記事は『新聞社襲撃』が出典となっていて、「恨んでおり」という表現も犯行声明にある「のろっている(恨みのある人に悪いことが起こってほしいと願う、強く恨む)」から適語である。 また、年表については「断じて反対」と言われる。しかし、年表も出典は『新聞社襲撃』である。まったく独自研究には当たらない。

仮に今後犯人が逮捕されて(時効になっているので、「犯人が特定され、裁判になって」が正確)「靖国公式参拝、教科書問題が動機」が確実になったとしても「本記事にくどくど書くべきものではありません」と言われる。しかし、その時どのような報道がされるか未知数であり、今から「書くべきでない」(「くどくど」はどの程度か不明、常識的な記事量になるのではないだろうか)とするのも不適切である。

国家秘密法については何も触れられていない。ご見解をお願いしたいと思う。--ABNOIC 2011年11月8日 (火) 15:45 (UTC)

まずのっけから、どこからその引用が出てきたんだという話ですね。ABNOICさんとの対話は本当に骨が折れます。私が言っているのはそこではありません。WP:SYN、すなわち「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」です。出典があるとの指摘は反論になっていません。
「その時どのような報道がされるか未知数であり」云々は、脈略が理解不能です。公式参拝その他が真相であろうがなかろうが、公式参拝そのものについて詳述するべき場所は他のしかるべき記事であって当記事ではないと私は言っているのです。赤報隊事件の真相を理解するのに、中曽根が公式参拝したのが1985年8月15日であることを知る必然性はありません。すなわち赤報隊事件の記述としては冗長で不要です。こちらも反論になっていません。
国家機密法についても、以下同文です。--Kojidoi 2011年11月9日 (水) 13:56 (UTC

ここでkojidoiさんの疑問にお答えしたい。「文字の級数を上げる」は字を大きくすることで、1級=0.25mm。 さて、kojidoiさんのご意見は年表の加筆は絶対認められない、というものである。「公式参拝その他が真相であろうがなかろうが、公式参拝そのものについて詳述するべき場所は他のしかるべき記事であって当記事ではない」真相でない場合、メディアは報道しないが、真相であった場合当然報道する。最近17年間逃亡していたオウム真理教事件容疑者が出頭して逮捕され、大きく報道されている。Wikipediaでも加筆が行われている。 このように事件で新たな展開があった場合、メディアは報道し、Wikipediaにおいても加筆がされるのはごく普通のことである。本件でもし犯人が特定され、裁判が始まって真相が明らかになれば、今の記事は大きく変わることになる(オウム真理教事件参照)。しかし、kojidoiさんは加筆するな、というご意見に聞こえるのである。弁明をお願いしたいと思う。

kojidoiさんの構想には、「事件への共感(?)」がある。?が付いているが、凶悪なテロ・殺人事件でこのような内容の記述は不適切である(テロ事件の一覧参照)。地下鉄サリン事件で「事件への共感」などという記事がないのと同様に、本件においてもそのような記事があってはならない。

朝日新聞の記事に靖国・教科書や国家秘密法関係の年表があるのは、捜査当局、幹部も一連の朝日新聞襲撃事件や2人の首相脅迫事件に靖国・教科書問題が関係し、国家秘密法報道が事件を触発した可能性があると見ており、被害者である朝日新聞も同様な見方をしているからである。ただkojidoiさんは「靖国問題や教科書問題が動機だという推論があるということを書くのはかまいませんし、推奨されるでしょう」とされておられるので、検討したいと思う。「発表済みの情報の新たな合成」は理解しました。--ABNOIC 2012年1月8日 (日) 15:13 (UTC)

変なところに加筆されているから、気づくのが遅れましたよ。もう少し何とかならなかったんでしょうか。
>「文字の級数を上げる」
それはわかっています。意味不明なのは、それをするのに===などの見出し用マークアップを使おうとしたところですね。論理マークアップと物理マークアップの違いを学習してください。
>本件でもし犯人が特定され、裁判が始まって真相が明らかになれば
そりゃ新しい事実が明らかになれば、新たに加筆すべきことが増えるかもしれませんね。ですが中曽根がいついつ靖国に参拝したという事項が事件との密接な関係性を示すとは依然およそ考えにくいことですね。
>kojidoiさんの構想には、「事件への共感(?)」がある。
下衆の勘繰りはいい加減にやめてください。最悪です。--Kojidoi 2012年1月12日 (木) 18:55 (UTC)

内容が主に動機「靖国と教科書」「国家秘密法」への加筆になるので、この欄にさせていただいた。

1.論理マーク、物理マーク、勉強させていただきたいと思う。「;」「:」の関係理解しました。

ただ、kojidoiさんの編集で理解できないのは、「週刊誌などの情報」で週刊誌名の級数を下げられたことである。ご説明いただきたいと思う。

2.中曽根首相宛ての脅迫状「貴殿は総理であったとき靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った」、竹下首相宛ての「日本の総理になったら靖国に参拝するはずである」から、捜査当局は靖国参拝問題が動機にあると考えている。今、年表は掲載されていないが、中曽根首相は1985年8月15日公式参拝し、中国、韓国の批判により翌年から中止している。年表に中曽根首相の参拝、その中止情報があれば、犯行声明の意味していることとの関係性が理解できる。

ただ、脅迫状について捜査当局には捜査の攪乱という見方もあり(朝日新聞社116号事件取材班『新聞社襲撃』p.48 岩波書店、2002、「週刊文春」p.43 1997年5月15日号)、このことを記述することを検討してもよいと思う。

3.「事件への共感(?)」は、本ノート「全体的な整理が必要 」でkojidoiさんがお書きになっていることである。--ABNOIC 2012年1月13日 (金) 09:03 (UTC)
> 「週刊誌などの情報」で週刊誌名の級数を下げられたこと
そんなことはしていません。まだあなたには論理マークアップと物理マークアップの違いが理解できていないようです。
>「事件への共感(?)」
現に本文中に「右翼のほか保守派の一部に共感を呼んだ。」とあります。それは事実でしょうから淡々と記述しておけばよい。私が共感側に一方的に肩入れしているかのような言いようはやめてもらいたいものです。
以前にも書いたとおり、赤報隊事件の真相を理解するのに、中曽根が公式参拝したのが1985年8月15日であることを知る必然性はありません。そりゃ「犯行声明の意味していること」を示唆する資料は探せば色いろあるのでしょう。しかしそのような研究をすすめることはウィキペディアの守備範囲外です。前のコメントを修正・撤回する必要は全く感じません。--Kojidoi 2012年1月15日 (日) 12:48 (UTC)

未解決事件は、捜査当局にヒントを与えるぐらい丁寧な方がいいかと思います。 したがって、年表など削除せずに掲載した方がいいかと思いますし、思わぬところで警察・捜査当局への協力になるかもしれません。真田義経

真田義経さん。あなたが誰かの捨てアカでないのなら、まずこの議論を最初から読み返すことを薦めます。特に次のような発言に注目してもらいたいです。
結論として、「捜査当局にヒントを与えるぐらい丁寧な」記述はウィキペディアの目指すものではありません。--Kojidoi 2011年11月20日 (日) 02:34 (UTC)

不適切なマークアップ修正など[編集]

「;」は「:」とセットで使って「定義の箇条書き」を構成するためのものであって、単独で見出しとか強調表示とかのために使ってはいけません(Help:箇条書き参照)。

見出しの中でリンクは使うことは推奨されていません(WP:MSH#NOLINK参照)。また、「たった1つや2つの段落」に見出しをつけることも推奨されていません(WP:MSH#使用は適度に)。

上記に鑑み、一部の羅列的記述を定義の箇条書きのネストに書き換えました。これで多少可読性が上がったと思います。なお、内容に手をつけていないからといって、それらが100%妥当な記述だと考えているわけではありません。とりあえず手を付けられるところを修正したまでですので誤解のないようにお願いします。--Kojidoi 2012年1月7日 (土) 12:07 (UTC)

朝日新聞の左翼論調を狙ったもの、という記述[編集]

赤報隊事件は朝日の中国政府よりの姿勢を含め、同紙の左翼論調を狙ったものであることは誰の目にも明らかです。そのように記載することは客観的であり必要なことです。今も朝日は尖閣報道で中国政府の立場に立って書き連ねています。差し戻されるのは納得できません。--115.162.56.206 2012年5月17日 (木) 02:25 (UTC)個人攻撃を除去。WP:RPA--Bugandhoney会話2012年5月17日 (木) 12:46 (UTC)

ご承知のようにWikipediaの記述にはWikipedia:検証可能性が求められます。朝日新聞などを狙ったいわゆる赤報隊事件の動機について捜査機関は、靖国参拝、教科書問題、国家秘密法報道を指摘し、報道されています。 「朝日新聞の左翼論調を狙ったもの」を記述されたいのでしたら、文献など情報源が必要になります。--ABNOIC会話2012年5月17日 (木) 05:45 (UTC)

(IPユーザーの方へ)ウィキペディアでは、いかなる場合においても他の編集者の政治的立ち位置などを決め付けて批判してはいけません。これはウィキペディアでもっとも大切なルールの一つです。Wikipedia:個人攻撃の除去に従い、個人攻撃に該当する部分は取り除きました。また、礼儀を忘れずに、他のユーザーの名前には敬称を付してください。
それで、「朝日新聞の左翼論調を狙ったもの」に関してですが、ABNOICさんによる差し戻しを支持します。出典となっている朝日と読売の社説を確認しましたが、そのようなことは書いてありませんでした。読売の社説にはむしろ逆に「犯行の動機、事件の背景などはまだはっきりしていない」と書いてありました。「朝日新聞の左翼論調を狙ったもの」と書きたいのであれば、その通りに書いてある文献が必要です。WP:VWP:NORなどを参照してください。--Bugandhoney会話2012年5月17日 (木) 12:46 (UTC)

本題と関係性の薄い画像が多すぎる[編集]

この件について、まずは広くWPの趨勢を知ろうとWikipedia:井戸端/subj/写真掲載の基準を提起したところ、みなさん概ね画像が過剰であるとの見解でした。画像掲載には肯定的だというHmanさんでさえ、必要性を認める写真は2枚だけと述べています。私は冒頭のジャーナリスト・メモリアル の写真すら不要と思います。この写真で何を説明したいのか全くわかりませんので。

異議なき場合、年明け早々にも、朝日新聞本社以外の写真は削除したいと考えています。反論があればどうぞ。--Kojidoi会話2012年12月19日 (水) 16:26 (UTC)

井戸端でもコメントしましたが、Kojidoi様に賛同します。「目撃された不審な白のマークII(同型車)」は残しても良いかもしれませんね。--JapaneseA会話2012年12月19日 (水) 16:33 (UTC)(主アカウント:sutepen_angel_momo)

本件は警察庁広域重要指定事件(116号事件)で、国松孝次警察庁長官が「何が何でも犯人を挙げる」と述べた事件であったが、時効になり、現在NHK未解決事件シリーズにリストアップし、事件に関する情報提供を募集している[3][4]

ノートでのやり取りは、現在も真相解明を目指している兵庫県警察本部朝日新聞社116号事件取材班、NHK未解決事件関係者も見ておられることを前提に、意見を述べたいと思う。

画像削除の理由として、 1. 事件と関連が薄い。 2. 画像のため、読みにくいことが上げられている。

まず削除予定の画像について、どう関連が薄いのかその根拠をお示しいただきたいと思う。 画像アップした者としては、すべて事件と関係が深いとの認識である。

世界で犠牲になった記者の名前が刻まれ、朝日新聞阪神支局襲撃事件で亡くなった記者の名もあり、事件と大変関係深い画像である [5]

警察庁広域重要指定116号事件に指定した警察の最高組織である。

  • 兵庫県警察本部

現在も真相解明をめざしている警察組織である。

「赤報隊」を名乗る犯人が脅迫状で、「靖国参拝教科書問題で日本民族を裏切った」(中曽根首相宛)、「貴殿が八月に靖国参拝しなかったら、わが隊の処刑リストにのせる」(竹下首相宛)と脅迫した両元首相である。

阪神支局襲撃事件、名古屋本社寮襲撃事件で犯人が身につけていたものである。

捜査当局が静岡支局爆破未遂事件で使用されたピース缶爆弾の部品を購入したと推理した場所である。

事件では指紋が検出されており、理解に役立つと判断した。

阪神支局襲撃事件で目撃された不審車である。

中曽根、竹下両元首相宛脅迫状の文面にあり、捜査当局は「動機の本筋」と見る。

中曽根首相宛脅迫状の文面にあり、捜査当局は「動機の本筋」と見る。

「赤報隊」を名乗る犯人が「反日マスコミ」として名指しした新聞社である。

一連の事件を捜査した機関である。

2009年に「赤報隊」を名乗る犯人が事件を起こした放送局である。

2011年に「赤報隊」を名乗る犯人が脅迫文などを送った政治家である。

「赤報隊」は戦後民主主義を全否定するメッセージを朝日新聞に送った。『青い山脈』は朝日新聞に連載され、戦後民主主義を啓発した。犠牲になった記者が最後の忘年会で歌った歌でもあり、追悼歌となっている。

「読みにくい」という印象がするだろうか。多くのご意見を求めたい。--ABNOIC会話2012年12月20日 (木) 15:54 (UTC)

警視庁や靖国神社や菅直人氏の写真が「事件に関する情報提供」になるとは全く思えません。失礼ながら蛇足です。なお「目出し帽」の写真は目出し帽に記載されているので本記事では不要でしょう。--JapaneseA会話2012年12月20日 (木) 16:02 (UTC)
JapaneseA氏は誤解されている。「事件に関する情報提供」はNHK未解決事件関係者が求めてみえるもので、Wikipedia:赤報隊事件の画像が事件と関連薄いかどうかが問題になっている。勘違いしないでいただきたい。目出し帽の画像は、「赤報隊事件」の記事にあった方が理解しやすくなる。--ABNOIC会話2012年12月20日 (木) 16:32 (UTC)
警視庁が事件との関連性をもっているとしても、警視庁が入居している「建物」と事件との間に特別な関係性があるわけでもなんでもない。あなたの言う関連性は私から見ればほとんどこじつけ以外の何物でもありません。そもそも当方が問題にしているのは、その写真があることによって、事件への理解がどのように深まるかです。私も他の皆さんもその点において写真に必要性はないと考えています。なお、「事件との関係が薄いことの根拠を示せ」というのは典型的な悪魔の証明と言われる詭弁です。説明責任は加筆を望む側、すなわちABNOICさん側にあります。--Kojidoi会話2012年12月20日 (木) 17:47 (UTC)

kojidoi氏の言われるように朝日新聞東京本社の画像のみにした。以前より事件への理解が深まるものになっただろうか。--ABNOIC会話2012年12月21日 (金) 01:42 (UTC)

画像(写真)によってどのように事件の理解が深まるかというkojidoi氏の問いへの答えは、事件の内容(被害者、捜査機関、事件の背景、犯行に使われた物・購入場所など)がよく分かるようになるという事である。kojidoi氏の言われる朝日新聞東京本社だけの画像では、逆に理解が浅くなる(事件がよく分からなくなる)ということがはっきりした。--ABNOIC会話2012年12月21日 (金) 23:44 (UTC)
いったい何がどうはっきりしたのですか? 警察署の建物の写真が見られることで、何がどうわかるのですか? 菅直人の風貌が明らかになれば犯人が脅迫状を送った動機についても理解が進むとでも言うのですか? あなたの言っていることには説得力が全くありません。--Kojidoi会話2012年12月22日 (土) 01:29 (UTC) 
ふたつをよく見比べていただきたい[6][7]。画像のあった方が事件への理解が深まる。マークIIは事件現場で目撃された不審車である。それさえ削除と言われる。説得力がないのはkojidoi氏の主張である。--ABNOIC会話2012年12月22日 (土) 03:09 (UTC)
ですから、何の理解がどう深まるのですか? マークIIの外観が明らかになることによって、犯人の動機なり犯行の経緯なり、何らかについてどう理解が進むというのですか? 何一つ深まるものはないですね。あなたの言っていることには説得力が一欠片足りともありません。そもそも、不審車といいますが、今のところ犯人が使用したと断定されるものではなく、数多くある推測の一つに過ぎません。これをことさら取り上げるのは井戸端での指摘にあるようにウィキペディアの趣旨を外れた印象操作です。--Kojidoi会話2012年12月22日 (土) 06:17 (UTC)

kojidoi氏とはこの問題について見解が一致していないが、時効撤廃後未解決事件に対する社会的関心は高まり、NHKが未解決事件を放送している未解決事件 (NHKスペシャル)。このシリーズで今年はオウム真理教[8]を放送、犯人逮捕につながった。先日はTBSが放送した[9]。このような社会情勢の下、ネット百科事典における未解決事件の画像使用について、どうあるべきか、もっと広い視点から議論すべきだと思われる。捜査関係者、報道関係者の方など各界からWikipediaのこの問題に対するご意見、ご要望など承れればと思います。--ABNOIC会話2012年12月22日 (土) 14:59 (UTC)

以前にもさんざん議論したことですが、ウィキペディアは事件解明への協力のために存在しているのではありません。「関係者、報道関係者の方などのご要望」を伺うという発想自体がすでにウィキペディアの方針を逸脱しています。どうしても方針を変えたいのであれば、このノートではなく、しかるべき場所に提案を行ってください。--Kojidoi会話2012年12月23日 (日) 10:58 (UTC)
kojidoi氏にはもう一度文章を読んでいただきたいのだが、「事件解明への協力」を呼びかけたのではなく、ネット百科事典における未解決事件の画像使用について、ご意見、ご要望を依頼したものである。Wikipediaについて色んなご意見、評価があることはkojidoi氏もよくご承知のことと思う。辞典利用者の方(特に捜査、報道関係者はお仕事がらご関心があると思います)に今回の画像使用の件について、コメントをお願いした。このことがWikipediaの方針を逸脱されると言われたので、方針について調べてみたが、見つからなかった。お手数であるが、ご教示いただければと思う。--ABNOIC会話2012年12月24日 (月) 02:34 (UTC)
インデントを修正しました。ウィキペディアが何を目指しているかは方針文書の中に書いてあります。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかあたりを熟読すれば容易に理解できるはずのものです。その趣旨に従った提言なら「捜査、報道関係者」のものであろうとなかろうと歓迎されるでしょうが、趣旨から逸脱していれば「捜査、報道関係者」何千人がどんな強い要望を述べようと受け入れられるものではありません。すなわち、「関係者、報道関係者の方などのご要望」を伺うという発想自体がすでにウィキペディアの方針を逸脱しています。--Kojidoi会話2012年12月24日 (月) 08:52 (UTC)
>「以前にもさんざん議論したことですが」
丁度よい機会なので、お聞きし忘れたことをお尋ねしたい。『動機「靖国と教科書」「国家秘密法批判が触発」への加筆』についてで、「公式参拝その他が真相であろうがなかろうが、公式参拝そのものについて詳述するべき場所は他のしかるべき記事であって当記事ではないと私は言っているのです。」の個所は、朝日新聞襲撃事件に靖国公式参拝が動機であることが真相になっても、あまり書くな、とおっしゃっているように受け止められるがその理解でよいか、お聞きしたい。
別件ですが、散弾銃の映像がアップされた。事件の悲惨さが想像できるが、掲載するなら画像(写真)の方がよいのでとの感想を持った。--ABNOIC会話2012年12月24日 (月) 02:34 (UTC)
随分迅速に対応していただきありがとうございました。すっきりして見やすくなったのではないでしょうか。--Kojidoi会話2012年12月21日 (金) 17:46 (UTC) 

 別件音楽ボランテイア多忙でご無沙汰してしまいました。久しぶりに本項見ましたらその後色々補充がされていました。写真なども幾つかあって親しみやすさを感じました。しかしノート見て驚き。写真の扱いでまたまた意見の対立があるのですね。投稿者が「削除意見に従うとこうなります」と言う臨時画面まで示すなど熱が入っています。私はこれらの写真、説明を分かりやすくするのでいいと思いますよ。字だけで挿絵も写真もない文は見向きもされない昨今、Jメモリアム、青い山脈、警察や新聞社のビルなどあるとないとでは辞典の印象が違います。辞典でも最近は「引く辞典」としての価値とともに「読む辞典」としての価値も話題になります。ありもしないことをあるように見せたり針小を棒大に見せるなど邪まな意図からの掲載なら削除すべきですが今回の数枚はあったほうが分かりやすいし、字ばかりの読み辛さを和らげてくれます。多いか少ないかについては画集的、絵本的な数じゃないし、まあ適当でしょう。このあたりは論議も主観のぶつかり合いになりがちで多数決にはなじまないでしょう。1項目につき何枚以内とか、字数幾つにつき何枚とか客観基準でもあれば解決は早いのですが・・・・--キリンヴィック会話2012年12月21日 (金) 15:55 (UTC)

ウィキペディアは絵本ではありません。これらの写真は全然説明を分かりやすくしていないどころか、不適切な印象操作につながりかねないことが指摘されています。そのような「わかりやすさ」を追求することはウィキペディアとしては大きく間違っています。--Kojidoi会話2012年12月21日 (金) 17:53 (UTC)
kojidoi様へ。私は「絵本だ」と言っていません。絵本になってはいけないという立場で発言しています。それなのに「絵本ではありません」と言う書き出しで反論をされますと空しいですね。--キリンヴィック会話2012年12月24日 (月) 05:11 (UTC)
>「不適切な印象操作につながりかねないことが指摘されています。」
出典をお示しいただきたい。--ABNOIC会話2012年12月22日 (土) 00:01 (UTC)
井戸端の議論を見てください。--Kojidoi会話2012年12月22日 (土) 01:29 (UTC)
Kojidoi様の御意見に賛成します。この画像の掲載基準だと、漫画の冒頭「江戸時代~」→江戸時代の風景を描いた絵の写真、松田聖子のテンプレ「福岡県出身」→福岡県の写真となりますね。本記事のレベルだと、「過ぎたるは~」でなく「蛇足」以外の何者でもありません。--JapaneseA会話2012年12月22日 (土) 02:52 (UTC)
JapaneseA氏のご投稿が消えたことを前回入力後気が付きました。作業中「あなたはログインしていません」と表示されたので、入力画面をコピーして入力。この時点でJapaneseA氏のご投稿はありませんでした。なぜログインしたのに「あなたはログインしていません」と表示されるのか、この間何度も同様の事が起きています。これは管理者にお聞きしたい。--ABNOIC会話2012年12月22日 (土) 04:26 (UTC)
Wikipedia:バグの報告へ報告すると良いと思います。--JapaneseA会話2012年12月22日 (土) 08:52 (UTC)
了解しました。ありがとうございます。--ABNOIC会話2012年12月22日 (土) 09:06 (UTC)
出典確認。しかし、40代の男性と違って、秋葉原電気街と捜査当局が犯行に使われた部品購入場所の名前を挙げているのである。朝日新聞も「14点が東京・秋葉原の電気店街でそろう」と報道している(1989年5月3日付朝刊)。印象操作の概念には該当しない。--ABNOIC会話2012年12月22日 (土) 03:09 (UTC)

繰り返しますが、せいぜいで2~3枚を抜かして残りは全て除去相当です。Wikipedia:画像利用の方針より引用します。「過剰な数の写真を配置させることも読者にとって閲覧の弊害になるおそれがあり」。Wikipedia:井戸端/subj/写真掲載の基準での皆様の御意見も御覧下さい。個人的感想ですが、この件に関して議論になっている事自体が理解の範疇を超えています。--JapaneseA会話2012年12月24日 (月) 06:38 (UTC)

議論の参考に他の記事の画像枚数を上げておきます。
井戸端でコメントされた皆様も含めて、誰も「画像が多いからダメ」とは一言も申し上げておりません。「関連性が薄いからダメ」と申し上げているのです。関連性の薄い画像を全撤去して、関連性の深い画像を貼って下さるのであれば、大歓迎します。--JapaneseA会話2012年12月24日 (月) 08:11 (UTC)
Wikipedia:ウィキペディアに参加するの「画像を投稿する」に、「記事に画像を伴っていると、見栄えがよくなるだけでなく、読者が具体的イメージを想起しやすくなり、理解しやすくなります。」とあります。その通りですが、「関連性が薄い」と言われる根拠が理解できません。掲載された画像によって、「読者が具体的イメージを想起しやすくなり、理解しやすくなる」と考えていますが、具体的にどの画像事件と関連性(関係)が薄いとご指摘していただきますと、よりはっきりすると思います。--ABNOIC会話2012年12月25日 (火) 00:11 (UTC)
記事に画像が~理解しやすくなります。」、全くその通りです。しかし、不要な画像を掲載して、理解しやすくなる事はありえません。これはWikipediaであろうが、なかろうがです。私の基準では「全ての画像」は関連性が薄いか、リンク先に存在するので不要です(良く見れば、マークIIも本文記事中に年式が記載されていたので、リンク先で容易に画像を見る事ができますので、これも不要です)。「関連性が薄い理由」については「悪魔の証明を求めないで下さい」と申しておきます。トヨタ・ソアラで車名の由来がグライダーだからといって、「グライダーの画像を載せて、理解が深まる」事はありません。グライダーに画像があれば良いだけです。当記事も一緒で、「目出し帽って何?」と思った閲覧者は、目出し帽のリンク先を見る事でしょう。そこに説明や画像があればそれで良いのです。それともまさか、トヨタ・ソアラにグライダーの画像があった方が良いと御考えですか?そうであればこれ以上、話す事はありませんが。--JapaneseA会話2012年12月25日 (火) 02:44 (UTC)
議論の参考に他の記事の画像枚数を挙げておられますが、WW1・WW2といった歴史的に重大な事件や美術史・歴史のように関連する画像が山をなすような記事でさえその程度の枚数なのです。比較対象になりそうな二・二六事件についても直接関係のある写真と襲撃を受けた政府関係者に関連するものに限られております。また同様な未解決事件である三億円事件グリコ・森永事件では一枚・零枚と微量です。歴史的な事件より未解決事件等を比較するほうが比較対象としては適切であり、そちらでは画像枚数が二桁になることも稀でしょう。そもそも議論以前の水準として事件記事にわざわざ警察署を貼り付ける理由が不明です、それらが一体どのように事件の理解を深めるのでしょうか。--202.224.70.161 2012年12月25日 (火) 04:05 (UTC)

JapnaneseA氏は前「2~3枚残して」となっていましたが、今回「全不要」になっています。なぜ変わられたのかご説明ください。「悪魔の証明」を口実に画像と事件の関係について説明するのを避けておられる、という印象がします。すべての画像が事件と関係があることは明瞭です。IP「202.224.70.161」氏は未解決事件との比較が適切であると言われています。また2・26事件について直接関係、政府関係者に限られている、本件で警察署の画像が意味不明とおっしゃっています。しかし、本件の場合、まだ十分歴史的な位置付け評価が定まっていない事件です。整理してみますと、1987年5月3日の憲法記念日に朝日新聞阪神支局に目出し帽の男が押し入り、散弾銃を発砲、2人の記者を殺傷しました。3日後通信社時事通信共同通信)に「赤報隊」を名乗り「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」などと記された犯行声明文が送られ、その後朝日新聞名古屋本社寮、同静岡支局を狙う事件が起きます。また東京本社にも銃撃があったことが分かります。事件はさらに拡大、中曽根康弘竹下登両元首相に靖国神社参拝を要求する脅迫状が送りつけられます。中曽根首相宛では教科書問題に言及、「処刑」を公言しました。また、リクルートホールディングス会長宅、愛知韓国人会館を狙う事件も起きています。2009年にはNHKを標的にした事件が発生、これも未解決です。さらに、2011年菅直人前首相、小沢一郎元民主党代表を狙う事件が起きます。

以上のように「赤報隊」を名乗る事件は、空前の規模のテロ事件であり、オウム真理教が引き起こした一連のテロ事件、首相新聞社を狙った2・26事件に匹敵する、考えようでは「反日朝日は五十年前にかえれ」と日本国民すべてを戦争時代に戻すことを公言した、空前絶後のテロ事件と言えます。ですから警察庁警察庁広域重要指定事件(116号事件)に指定して捜査犯人検挙を目指したのです。事件に関わったすべての捜査機関の画像を掲載したのは、本件の重大性を考えたからです。また、毎日新聞社東京新聞は「反日マスコミ」として朝日新聞同様に、襲撃対象になった新聞社であり、掲載すべきだと判断しました。2009年に起きたNHKを狙った事件も重大な意味があると考え、事件と関係ある放送局の画像を掲載しました。中曽根康弘、竹下登両元首相、菅直人前首相、小沢一郎元元民主党代表は、3人の首相と政党代表を狙った意味の重大性から掲載しました。目帽し帽、秋葉原電気街指紋の捜査、マークⅡは事件に関係する物、場所であり、靖国神社、教科書は脅迫状にあり、捜査当局は「動機の本筋」としており、掲載しました。 『青い山脈』ポスターは、この事件が戦後民主主義を標的にしており、戦後民主主義啓発に貢献した『青い山脈』、この歌は犠牲になった記者が最後の忘年会で歌った歌でもあり、掲載しました。--ABNOIC会話2012年12月25日 (火) 08:14 (UTC)

今回「全不要」になっています。なぜ変わられたのかご説明ください。」について返答します。マークIIについては申し上げた通りです。「ジャーナリスト・メモリアル」は「犠牲になった記者の名前もある」だけなので不要と判断しました。「朝日新聞東京本社」はKojidoi様が上記で触れられていますが、私は最初から不要だと判断しています。他は論外でしょう、これはもう部屋が散らかっているかどうかっていう判断みたいなものです。貴方様と私ではその感覚が全く違っているとしか言い様がありません。--JapaneseA会話2012年12月25日 (火) 10:15 (UTC)
空前の規模のテロ事件とお考えになるのは自由ですが、そのような主張がされている資料が十分な数があるのでしょうか、多くの視点からの資料でそのような言及がないならば他の同種の事件と同程度の事件として見られているということでしょう。また二・二六事件アメリカ同時多発テロ事件でもここまで関連性の薄い画像は使用されていません、オウム真理教関連の記事も同様です。
ここから先は蛇足ですが記事の主題上そうなるのは仕方が無いのですが朝日新聞系の資料に偏りすぎ、また資料を端的にまとめられていない・雑多な内容を載せすぎであるようにも思えます。--202.224.70.161 2012年12月25日 (火) 13:42 (UTC)
『新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年』(岩波書店、2002年)は、「未曾有の事件」となっていますので、「空前」と同じ意味です。『謀略としての朝日新聞襲撃事件』(鹿砦社、1988年)は、「歴史に残る一大謀略事件」という表現です。この書では、「後世の人々に「朝日新聞襲撃事件の未解決が、日本のファシズムへの入り口だった」との批判を受けないために、全国民が、いま一度真摯にこの事件の解決に取り組むべきだ」「狙われているのは、戦争と侵略体制を否定する一切の言論と思想である」「(国家秘密法に反対する)世論の前に秘密法制定は決して容易とはいえない。…朝日襲撃は、テロによってこの抵抗をなし崩しにしようとする願いが込められている」と記されています。日本新聞協会は「言論・報道機関に対する前例のない凶悪な犯罪であり、民主主義を否定する暴挙である」、朝日新聞「民主主義社会の破壊行為」(1987年5月5日付)、毎日新聞「戦前のあの暗いテロの時代へと、私たちの社会が逆走していくことがないよう用心深く見守りたい」(1987年5月5日付)、読売新聞「今回の朝日事件のように銃器を使って直接行動に出、自分たちの言い分を貫徹しようとすることは、「言論の自由」に対する最も危険な挑戦である」(1987年5月7日付)、産経新聞「朝日新聞一社にとどまらず、わたしたち言論機関全体に対する重大な挑戦といわねばならず、ひいては国民全体を敵に回した反民主主義的行為といえよう」(1987年5月8日付)といずれも厳しく批判しています。この他に事件発生後社説で取り上げた新聞社は、岩手日報愛媛新聞大分合同新聞沖縄タイムズ神奈川新聞河北新報紀伊民報北日本新聞岐阜新聞京都新聞熊本日日新聞高知新聞神戸新聞四国新聞信濃毎日新聞下野新聞日本海新聞ジャパンタイムズ中国新聞中日新聞東京新聞徳島新聞苫小牧民報長崎新聞南信日日新潟日報西日本新聞日刊福井日本経済新聞福井新聞福島民友北海タイムス北海道新聞南日本新聞宮崎日日新聞陸奥新報山梨日日新聞琉球新報など40社を超えています(『朝日新聞社史』1995年)。--ABNOIC会話2012年12月29日 (土) 01:36 (UTC)
IP202です、それほどの大事件と捉えるならばこそアメリカ同時多発テロ事件オウム真理教と同様に使用する画像は関連性の高いものを選んで使用するべきでしょう、これらの事件についても「未曾有」「空前」の言葉が数多のメディアで扱われ、言及された新聞でもまず間違いなく様々な形式で論評を行なわれているでしょう。また警察庁警察庁広域重要指定事件に指定して捜査したから重大事件というのでしたら、記事内容、画像ともに他の警察庁広域重要指定事件と同程度の扱いでもよいことになります。
ABNOIC様にお願いしたいのですが、先に画像枚数の比較対象として挙げられました福島第一原子力発電所事故の経緯日本の歴史日本美術史西洋美術史第一次世界大戦第二次世界大戦2・26事件と同程度に事件内容と関連の深い画像を提示・使用していただけないでしょうか。--210.141.54.171 2012年12月29日 (土) 04:27 (UTC)
IP202様に賛同します。「本件は重大な事件である」かどうかに関係なく、そこに関連性の薄い画像があって良いわけはありません。--JapaneseA会話2012年12月29日 (土) 04:40 (UTC)

長々しくコメントされているが、結局ABNOIC氏は我々の疑問に何一つ答えていない。すなわち、その画像があることによって、それがないことに比べて何がわかりやすくなるのか、という問への返答がこれまで何もありません。ただひたすら、関連がある解りやすいと、壊れたレコードのごとく繰り返すばかりです。昨年の議論と全く同じパターンです。先の議論から何も学ぼうともせず、ただひたすら独特のウィキペディア観に固執し、「いつまでも納得しない」姿勢を改めようとしないのであれば、こんどこそABNOIC氏には引導を渡す必要があるかもしれません。もう一度だけ聞きましょう。その画像があることによって、具体的に事件の何がわかりやすくなるのでしょうか。--Kojidoi会話2012年12月29日 (土) 15:46 (UTC)

多くの方から貴重なご意見をいただきました。まず心より深くお礼申しあげます。画像があることによって、具体的に事件の何がわかりやすくなるのでしょうか、というご質問ですが、具体的なイメージが湧き、内容がわかりやすくなります。「百聞は一見に如かず」という言葉ありますが、百行の記事より、ひとつの画像の方が内容をわからせます[10][11]。画像と事件との関係が薄いか否かは、捜査関係者や朝日新聞社が一番お詳しいのではないでしょうか。ご投稿をお待ちしたいと思います。--ABNOIC会話2012年12月30日 (日) 14:02 (UTC)
あの画像で事件のイメージが湧く人はウルトラクイズ行きとか思って頭を抱えてるIP202の人です、『百行の記事より一つの画像の方が内容をわからせます』、たしかに適正な画像でしたらそうです。先に挙げている福島や二・二六等では画像の主題が記事の主題と深い関係が有り、他の記事ではあまり使われないものです。歴史・美術史などでは他でも使用される画像が使われておりますが~史は包括的に物事を扱うためです。9.11では航空機の画像が扱われていますが、これは旅客機を使用した同時テロという他に例を見ない大規模なもののためです。
当記事に貼られた画像に関しては「捜査をした警察」「首相への脅迫」「目出し帽」「散弾銃」「指紋捜査」「秋葉原で調達」などを筆頭とする日本の事件では陳腐なものや事件の主題からすれば蛇足である「青い山脈」「ジャーナリスト・メモリアル」までその画像がある必要性の無いものの比率が極度に高いです。分りやすく説明しますと貴方のされていますことは豚汁の記事に材料だから豚肉や野菜、使う道具だから鍋に包丁にまな板、味噌の原料も知っておいた方がいいから大豆も…と関連する画像をアバウトに加えつつ肝心の豚汁の画像は貼っていないという、突っ込み所に溢れた画像チョイスなのです。記事も現状では複数の料理本を根拠に「A本ではこう調理すると書かれている、B本ではこう、C本では…」と事細かに書くような「群盲象を撫でる」如く主題が曖昧な状態にあります。内容につきましてはウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんので現状の引用が過剰に使用されている体裁と内容を整理すれば大幅に分りやすくなるでしょう、もし利用者が詳しいことを知りたければ参考文献があるのですからそれにあたればより詳しく適切な情報を得られるでしょう。百行の記事を五十行程度にまとめる努力をすることが肝要なのであり、散漫な状態を一見綺麗に見せるために画像を使用するべきではないのです。
『捜査関係者や朝日新聞社が一番お詳しいのではないでしょうか。ご投稿をお待ちしたいと思います』につきましてはWikipedia:自分自身の記事をつくらないを参照願います。無論のことながら朝日新聞社さんなどが明確にWikipediaでの画像使用や引用のルールを理解したうえで事件関連の画像の使用許可を誰でも確認できるよう示していただけることがあったなら、事件に関連深い画像を多く使用できることになるでしょう。ただし今のところ使用されている画像は事件の内容に対し三線以下という意見が多いですので、使用される画像に進展が無い限りは朝日新聞東京本社を除けば外しておいたほうが良いように思えます。--203.148.113.84 2012年12月30日 (日) 17:09 (UTC)
「豚汁」の例は分かりやすいと思います。この場合、事件現場[12]や朝日新聞阪神支局の画像がそれに当たります。しかし、材料の画像を陳腐、蛇足とされる理由を示されずに朝日新聞東京本社を除き、すべて削除というのは乱暴すぎるように思います。画像もデータであり、必要な人には必要なデータです。Wikipediaはまだ文章中心で、画像を使用した記事の少ないことが今回影響しているように思えます。--ABNOIC会話2013年1月3日 (木) 02:27 (UTC)
IP202様に賛同します。今まで幾多の議論・論争に参加してきましたが、このようなユニークな例は初めてです。現在の画像では、連想ゲームの常連回答者でも正解できないと思います。我々は当たり前の事を申し上げているのですが、納得頂けないのが不思議で仕方ありません。ABNOIC様のすべき事は、無意味な画像を除去して、誰もが納得できる画像に貼り替える事だと思いますがいかがでしょうか?--JapaneseA会話2012年12月31日 (月) 04:49 (UTC)
全く答えになっていません。警視庁の建物や菅直人の「具体的なイメージ」が提示されたことで事件の何の理解が深まるのかと聞いているのです。あなたの回答は結局何の根拠も具体性もなくただ「理解しやすくなる」と従前からの返答を繰り返しているだけですね。零点答案です。また、画像と事件との関係が薄いか否かを「捜査関係者や朝日新聞社」に判断してもらうというのもナンセンスです。当事者のコメントで特筆性の判断を左右させることはウィキペディアでは認められません。--Kojidoi会話2013年1月2日 (水) 16:25 (UTC)

IP202の人はABNOIC様にWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを一読していただくよう願います。そうすれば少なくとも私の発したコメントの内容はだいたい理解いただけるものと思います。--203.148.113.84 2013年1月3日 (木) 12:00 (UTC)

ABNOICさんがこちらでの我々の問いかけに碌に対応せぬまま、またも本文に延々とWP:IINFOに反する加筆を行われたので、リバートしました。編集の手を止めて議論に集中するよう求めます。--Kojidoi会話2013年1月3日 (木) 12:42 (UTC)

もう次のステップに入りましょうか?Wikipedia:論争の解決に基づき、次のステップは投票ですね。好きではありませんが、仕方ありません。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 15:43 (UTC)

その前にABNOIC氏に対するコメント依頼じゃないでしょうかねえ。そのさらに次のステップを視野に入れた上での。--Kojidoi会話2013年1月3日 (木) 16:30 (UTC)
IP202の人はABNOIC様とは方針文書の解釈や利用者の可読性への感覚に深い溝があるように感じまして議論の継続にはあまり意味が見い出せません、ですので投票に入ることに意義はありません。自分は掲載画像の選択、記事内容の整理を提案しましたが投票議題は画像掲載基準のみで問題無いと考えます。ちなみに同項をここ数日で何回か提示しておりますがABNOIC様にはウィキペディアは演説台ではありませんも提示しておきます。--203.148.113.84 2013年1月4日 (金) 13:50 (UTC)
元日から旅行していて久しぶりに覗かせていただきました。結局投票ですか、以前もそういうことがありまして私なんかは部外者扱いで投票権も貰えませんでした。今回もそんな感じですかね。殺人事件が新聞の報道姿勢に対する抗議としてなされたことは声明文で示されています。それはあってはならないことであり報道機関、ジャーナリストはそういう威圧に屈せず言論の自由を守ることが望まれます。私も現役時代には記者の端くれでしたので、あの時には他社で起こった事件ではあっても「いつ自分に降りかかるかも知れない」と緊張し朝日労組の支部臨時集会に駆けつけ抗議と支援の言葉を述べたことを覚えています。そういう体験から申しますと冒頭のジャーナリスト・メモリアルに犠牲となった記者の名が刻まれていることは社会が事件を重大に受け止めていることを示すものとして残されてしかるべきものと考えます。もちろん字が見えないとかの批判はありますが説明と関連サイトの表示がありますので役割は十分果たしていると思います。何が何でもこの写真は邪魔だと言う方が圧倒的に多いのなら仕方ありませんが、それはそれでWPの限界と受け止めることになりましょう。ほかの画面についても意見はありますが、余り長文になってもどうかと思いますので、「多数決決定の前に一言」延べさせていただきます。--キリンヴィック会話2013年1月8日 (火) 13:59 (UTC)
何点か申し上げます。まず私は投票は好きではありませんが、Wikipedia:論争の解決に従うとそのようになります。次に、もし投票になった場合ですが、既にノートで御意見されている貴方様を締め出す理由は何一つありません。さて私は画像は極力削除すべきだと考えますが、「絶対削除」と「削除した方が良いのでは?」などと画像によって見解が多少違います。ジャーナリスト・メモリアルの画像は「削除しても構わない」なのでコミュニティの意志が「残す」であれば、残しても構わないと考えます。逆に伺いますが、貴方様は全ての画像が「あった方が良い」と御考えですか?そうでなければ削除して良いものを一覧で挙げて頂ければ、合意に近づけるかもしれません。繰り返しますが、投票は好きではありません。--JapaneseA会話2013年1月8日 (火) 14:10 (UTC)
>説明と関連サイトの表示がありますので役割は十分果たしている
ならば写真は不要ですよね。記事のどこかに「ジャーナリスト・メモリアルにも記者の名前が刻まれている」と一言書いておけば充分です。何か金属質の床だか壁だかしか見えない写真が何の役に立つのですか? 我々は一環して同じような事を問い続けていますが、未だにまともな返答がありません。--Kojidoi会話2013年1月8日 (火) 15:58 (UTC)
写真が必要か否かはそれを参照する人によって求めるものが異なるでしょうから一概に言えないのではないでしょうか。事件そのものを否定して極力写真掲載に反対ということでしたら問題です。その点はどうなんでしょう。前にも指摘しましたが、写真もデータであり、必要な人には必要なデータですから、それを載せて不都合なことはありません。一枚を残してばっさり削除してしまうのは乱暴だと思います。この点写真に高い見識を持っておられる方のご意見をお聞きできればと思います。
写真によって何がわかりやすくなるのか、というご質問に再度お答えします。それは事件の内容が分かりやすくなるということです。2つを比較すれば一目瞭然です写真がある写真がない。具体的に申しますと、事件の被害者捜査機関犯人が使用した物(その購入場所)事件の背景(捜査機関が動機の本筋と見る『靖国、教科書』問題)事件の性格(『青い山脈』ポスター)がよく分かります。「ジャーナリスト・メモリアル」ですが、犠牲になった記者の名前を見ることができます[13]。「ジャーナリスト・メモリアル」を設立した「フリーダム・フォーラム」財団は「自由な社会を守るため、記者が危険な目に遭っていることを知らせるためです」と碑建立の目的を述べています『新聞社襲撃』(岩波書店、2002年、p.123)。この写真によって朝日記者も自由を守るために犠牲になったことが理解できます(国連は5月3日を「世界報道の自由の日」に定めています)。--ABNOIC会話2013年1月9日 (水) 09:54 (UTC)

コメント依頼から来ました。大量の画像が主題と十分な関係性があるのか、また記事内容の理解に寄与しているか、という事ですが、現状いずれの画像も関係性が薄く、記事の理解に大きく役立つこともなく、掲載する必要性は薄いという印象を受けました。まず警察施設や放送局、それから首相ら政治家の写真については、この事件を説明する上で果たして県警察本部の外観や首相の笑顔が何の役に立つのだろうか、と感じました。もちろん何某県警が捜査して、何某元首相が脅迫されたというのは重要な要素ですが、それを説明する為に画像が必要かどうかということです。またこれらの施設・人物はいずれも自身の記事を持っていて、そこには同等ないしより多くの画像が詳細な情報と共に備わっている訳ですから、敢えてこの記事に画像を集結させる理由も無いものと思います。マークIIや靖国神社、青い山脈も同じような理由から掲載の必要を感じません。目出し帽、散弾銃、秋葉原、指紋、教科書あたりは完全に無関係の画像として除去してしまっても良いと思います。特に目出し帽は事件と全く無関係の人物の写真でありながら、レイアウトの都合上元首相らに次ぐ位置に同じサイズで配置されていますから、記事を読んだ人は彼ないし彼女が事件の重要な関係者であるかのような錯覚を受けるかもしれません。ジャーナリスト・メモリアルも、世界中の受難記者の記念碑という性質を考えると、この事件の被害者たる記者だけが何らか特別扱いされている訳でもなし、特に関係が深いとは言えないと思います。しかもこの写真は別に被害者記者の名前を確認出来る画像ではないのですよね。であれば、このままテンプレートに組み込んでおくと、あたかもこれがこの事件の記念碑であるかのような、あるいは被害者たる記者の名前が記載されている箇所であるかのような、様々な誤解を生む可能性があります。--Sugarman会話2013年1月10日 (木) 09:27 (UTC)

「銃撃された朝日新聞東京本社」を事件と関係が薄いというご主張は、まったく事実に反するものです。1987年1月24日に銃撃されたことは「赤報隊」を名乗る犯人が犯行声明で述べています(東京本社銃撃事件、阪神支局襲撃事件での声明文)。目出し帽散弾銃秋葉原指紋教科書を「完全に無関係」とされていますが、まったく正反対で事件と深い関わりがあります。本文をよく読んでいただきたいと思います。事件を捜査した警察、脅迫された首相らはご指摘のように事件を知る上で重要な要素です。重視して写真を掲載してあります。目出し帽の写真の人物が「事件の重要な関係者であるかのような」錯覚を受けるかもとのご懸念を示されていますが、杞憂と言うべきです。指名手配の写真なら「犯人」と認識され、事件と関係ありとなりますが、掲載の目出し帽の写真のモデルが「犯人」、事件と関係があると思われることはありません。人間の認知としてありえないことです。またマークⅡ靖国神社青い山脈、ご指摘のない毎日新聞社東京新聞NHK放送局も事件と深い関係があります。
「ジャーナリスト・メモリアル」では犠牲になった記者の名前を見ることができます[14]。毎年5月3日に犠牲になった記者の遺族、同僚を招き、名前を刻みます。写真は相応しい場所に掲載されています。「様々な誤解を生む可能性があります」といわれますが、いったいどんな誤解を生むと言われるのでしょうか。「被害者の記者の名前が記載されている箇所」は事実であり、誤解にはなりません。ご指摘のように「世界中の受難記者」の碑で、「この事件の記念碑であるかのような」という「誤解」は見当違いです。写真がある写真がない写真があることで記事の理解が深まり、大きく役立つことは歴然としており、結局すべての写真を「事件と関係が薄い」「事件と完全に無関係」という事実に反する誤った認識による主張であると指摘するものです。--ABNOIC会話2013年1月11日 (金) 15:38 (UTC)
>「ジャーナリスト・メモリアル」では犠牲になった記者の名前を見ることができます
なぜそういう返答を疑問なくできるのか理解できませんね。あと何度こういう間の抜けた答えを繰り返すつもりでしょうか。我々は写真の話をしています。掲載の写真からは「犠牲になった記者の名前を見ること」はできません。 ゆえに写真は事件の理解の役にはたちません。なぜこの簡単な理屈が理解できないのかわからない。
>またマークⅡ靖国神社青い山脈、ご指摘のない毎日新聞社東京新聞NHK放送局も事件と深い関係があります。
マークIIは「事件と関係があるかもしれない」のレベルでしかありません。毎日新聞社が事件と関係があるかもしれないとしても「毎日新聞社の建物」は事件と関係ありません。
>写真がある写真がない写真があることで記事の理解が深まり、大きく役立つことは歴然としており
これだけ大勢の人間が役立たないといっているのにまだ「歴然としている」「一目瞭然」と強弁ですか。まったく歴然としてなどいません。そう思っているのは世界中であなたと(誰かの成りすましでなければ)キリンヴィック氏の二人だけですよ。ご自分の感覚がかなり特殊であるという厳然たる事実をそろそろ受け入れてくれなければ困りますね。--Kojidoi会話2013年1月11日 (金) 17:09 (UTC)

写真の説明「犠牲になった記者の名前もある「ジャーナリスト・メモリアル[15]」に犠牲なった記者の名前を見ることができます。 毎日新聞社が事件と関係があることはお認めになっています。普通建物で新聞社を認識することが多いのではないでしょうか。 Kojidoiさんに贈りたい言葉は、無理が通れば道理引っ込むです。--ABNOIC会話2013年1月12日 (土) 17:17 (UTC)

おはようございます。ABNOICさん、返信有難うございます。が、どうにも私とABNOICさんの間には物事の関係性の重み付けについて根本的な認識の違いがあるようですね。

例えば散弾銃ですが「2連銃身式と推測される」と記事にはあります。これはあくまで推測であって、しかも水平二連か上下二連かも不確定。もしかしたら薬莢受けをつけた連発式だったかもしれない。こういう犯罪事件の記事で不確定な箇所の印象を偏らせる恐れのある特定の画像を掲載するのは非常に良くないと感じます。そのうえ掲載されている画像はウィンチェスターM1873ライフルという、「西部を征服したライフル」とあだ名され西部劇に愛されたレバーアクションライフルであります。上下二連銃というキャプションは全くの誤りで、M1873はチューブ型弾倉に14発の拳銃弾を装填する連発式小銃です。仮に「西部劇風のライフル」とか「ジョン・ウェインが使っていたような奴」とかの証言があったらちょっとくらい関係があるかもしれませんけど、現状だと全く無関係の画像です。目出し帽も同じような理由です。目出し帽と一言に言っても様々な種類(軍用、作業用、防寒用などの用途、あるいは穴の形や材質などの形態)がある訳ですが、やはり画像の目出し帽が事件で使われたわけではないのですよね。それじゃ無関係です。誤解云々について「人間の認知としてありえないことです」とまで仰ってくださいましたけど、私は軽くそういう印象受けましたよ。犯人は「黒いスキー用の目出し帽」と「黒いセーター」を身につけた奴だったのかな、と。

さて、これだけ大きい事件になると日本全国各地で捜査が行われたはずですが、秋葉原は単にその中の1つに過ぎません。重要な証拠が発見されたでもなし、グループの誰かしらが捕まったでもなし、何らか特別な出来事があったでもなし。ついでに秋葉原の写真も2007年3月17日作成ですから事件との直接的な関係はないありません。するとやはり無関係です。指紋捜査は大抵の犯罪事件捜査で大抵の警察組織が行う一般的な捜査手法なのに、あえて画像を載せる必要がわかりません。この事件で使用された指紋捜査の手法が、2005年にオランダ語版ウィキペディアで作成された画像と特に深い関係があるなら話は別ですけども、さもなければ不要です。靖国神社と教科書は犯人の動機ですが、例えば「遊ぶ金ほしさにやった」とか白状した強盗事件の記事に紙幣サンプルの画像が必要でしょうか。言うまでもなく画像自体は事件と無関係ですし。青い山脈も映画記事にポスターの画像があるのに、あえてここに貼る必要はないですよね。重要なのは映画そのものであってポスターではないのだし。もし出典に記者らがこれこれこういうポスターを見て云々とか書いてあるなら別ですけれど。ついでに貼るなら貼るでリンク先は青い山脈 (映画)の方が適切だと思います。車もそんなようなところです。あくまで「関係があるかもしれない不審車輌」であって事件との関係は明らかになっていないなら、あえて掲載するほど重要なものではないでしょうに。

ジャーナリストメモリアルについて、「被害者の記者の名前が記載されている箇所は事実」とのことですけど、画像を目一杯拡大しても名前確認できませんよ。1987年の箇所は一部が画像右端に写っているのみです。そして名前は2000人だか3000人だかのうちの1つとして載っている訳でしょう。ニュージアム側は世界中の記者の為にこの碑を作ったんであって、赤報隊事件の犠牲者の為に作ったんじゃないでしょう。それじゃこの画像はテンプレートに放り込むような、この事件を代表する画像とは言えません。戦史とかの記事で「この戦いで何某軍を率い壮烈な戦死を遂げられた何某大尉が英霊として葬られたから」とか言って靖国神社とかアーリントン国立墓地の画像をテンプレートに放り込むようなもんです。ちょっとばかし穿った見方をすれば、あたかもこの事件がアメリカ(あるいは世界)でも重大視されていたかのような印象を与えるための印象操作ではないかとすら思えます。あと建物と人物について「重視して写真を掲載してあります」との事ですが、建物や人物の外観が説明に無関係な以上は単に詰め物以上の役割は果たしていないように思えます。

私はコメント依頼を見るまでこの記事を読んだことはありませんでしたし、編集した事もありませんでした。その上でABNOICさんが示した「画像がある場合」と「ない場合」を比較して、画像がある方が理解が深まるとは全く思えないのであります。--Sugarman会話2013年1月12日 (土) 00:21 (UTC)

散弾銃の画像を削除しました。朝日新聞は水平2連銃と上下2連銃、水平2連銃、自動銃の銃口イラストを掲載しています。--ABNOIC会話2013年1月19日 (土) 20:24 (UTC)
Kojidoi様やSugarman様に賛同します。新聞社や警察署の外観の写真が、記事の理解を深めるとは思えません。教科書などは論外です。この基準だと教科書問題に触れている全議員の記事に同じ画像を入れるのでしょうか?もし私がそれを全てやり遂げたら、私は荒らしと呼ばれRv+ブロックされる事は想像に易しいです。--JapaneseA会話2013年1月12日 (土) 03:38 (UTC)
埒が明かないのでWikipedia:コメント依頼/ABNOICを出しました。--Kojidoi会話2013年1月12日 (土) 17:07 (UTC)
Kojidoiさんがコメント依頼を出され議論する空気ではなくなりました。ご返答は延期させていただきます。ご了承ください。--ABNOIC会話2013年1月12日 (土) 19:35 (UTC)
延期は自由です。ただし、その間も参加者の間で議論は進め、合意形成を図ることになります。あとになって自分の意向が無視されたなどと不満を言われても通らないということは言っておきます。--Kojidoi会話2013年1月14日 (月) 06:29 (UTC)
2-3日見ないとずいぶんと色々発言が交錯しているのですね。テンポの速さに驚いています。コメント依頼には一言感想を述べておきました。さて画像のことですがそれぞれについての意見も求められています。コメント依頼で情勢が激変と言うこともあり一つ一つ俎上にという雰囲気ではありませんが、あえて聞かれれば、ビルの写真は新聞なんかではよくお目にかかること(たとえば日銀の話なら日銀のビル写真、国会なら議事堂写真、アメリカ政治の話なら大統領の顔かホワイトハウスの建物と言う具合)ですから、いちいち目くじら立てるのもどうかと思うくらいです。それでも「多すぎる」というのなら朝日新聞以外の新聞社とか、なくても多くの人が想像できる目だし帽なんかは再考の余地があると思います。それから私のことを「誰かのなりすましかも・・」と見る方がおられるようですが私はそんな芸当の出来る人間じゃないことを宣言しておきます。--キリンヴィック会話2013年1月14日 (月) 14:22 (UTC)

議論が止まっていますが、

  1. 印象操作につながりかねない写真 - 散弾銃について、Sugarmanさんから「不確定な箇所の印象を偏らせる恐れのある特定の画像を掲載するのは非常に良くない」との指摘が出されています。これまでに同様の指摘が、目出し帽・秋葉原などについても表明されていると認識してます。少なくともこれらの写真はすみやかに削除されるべきです。
  2. マークアップが不適切で環境によっては非常に問題のでるレイアウトになっている部分がある(井戸端での指摘)。
  3. 警察署の建物、首相経験者の顔写真など、事件そのものとの関連性が薄く、掲載しても事件そのものの説明に寄与しないと思われるもの。

私としては第3点についても大々的に整理すべきと考えますが、まずは第1,2点についてできるだけ早く改善を図るべきでしょう。そこで、

  • 第1点については、これに該当する写真をリストアップし、削除。
  • 第2点については、早急にマークアップを修正。

に進むべきかと思います。第1点については、私は手順にあまり詳しくないのですがJapaneseAさんが提案するように投票を考えるべきなのかもしれません。この点について諸氏の意見を伺いたく思います。第2点は私はwindows以外の閲覧環境を持たないので十分な検証ができません。ケータイやスマホなどで問題を確認できる方がおられたらコメントを頂きたいところです。--Kojidoi会話2013年1月19日 (土) 13:56 (UTC)

どなたからも意見がありませんが、改正第1弾として、「目出し帽」と「秋葉原」の写真を削除したいと思います。これらについてはその弊害が複数の方から具体的に指摘されております。
目出し帽
特に目出し帽は事件と全く無関係の人物の写真でありながら、レイアウトの都合上元首相らに次ぐ位置に同じサイズで配置されていますから、記事を読んだ人は彼ないし彼女が事件の重要な関係者であるかのような錯覚を受けるかもしれません。2013年1月10日 (木) 09:27 (UTC)
目出し帽も同じような理由です。目出し帽と一言に言っても様々な種類(軍用、作業用、防寒用などの用途、あるいは穴の形や材質などの形態)がある訳ですが、やはり画像の目出し帽が事件で使われたわけではないのですよね。それじゃ無関係です。誤解云々について「人間の認知としてありえないことです」とまで仰ってくださいましたけど、私は軽くそういう印象受けましたよ。犯人は「黒いスキー用の目出し帽」と「黒いセーター」を身につけた奴だったのかな、と。 2013年1月12日 (土) 00:21 (UTC)
秋葉原
秋葉原の画像などを添付するのは印象操作と感じられてもしかたないのではないでしょうか。2012年12月16日 (日) 09:00 (UTC)(井戸端)
秋葉原の写真も2007年3月17日作成ですから事件との直接的な関係はないありません。 2013年1月12日 (土) 00:21 (UTC)
2-3日待って実行します。--Kojidoi会話) 2013年2月3日 (日) 08:13 (UTC)ケアレスミス修正 --Kojidoi会話2013年2月6日 (水) 16:24 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。現在掲載されている写真のうち、残した方がよさそうというか私なら使うかもと思うのは、上から順に次のものです。
  1. 事件の直接の舞台となった「朝日新聞阪神支局」
  2. 当該事件を広域重要指定事件に指定した「警察庁」
  3. 実際に銃撃を受けた「朝日新聞東京本社」
  4. カセットボンベ爆発事件の現場となり、実弾が送りつけられた「NHK福岡放送局」
このうち1,3,4は、一連の事件現場ということで、項目に直接関係する画像としてあった方がよいでしょう。2は、全国捜査対象ということで、必須ではないがあってもいいかな、というレベルです。ただし、2の掲載位置は一連の捜査についての記述に合わせるべきで、現状だと「真相究明への取り組み」節が該当しそうです。このあたり、節構成があまり整理されていない印象があります。
目出し帽画像は、すでに指摘があるとおり、警察の公開写真など事件に直接関連した人物と誤認されるおそれがあるので不適切です。「指紋の捜査」とクルマの画像も同様。秋葉原の写真も関連事実がはっきりしない上、漠然とした風景写真を載せるのは主題にそぐわず、写っているビルに意味があるなどの誤解を招くおそれもあるので不適切でしょう。
ほかの画像ですが、警視庁や各県警は2で代表させることで十分でしょう。歴代首相や政治家は、事件について特筆できるようなコメントを残していれば掲載する意味はありますが、単に名前が挙がっているだけでは画像は不要です。脅迫の対象となったNHK各放送局なども同様。ただし、現場に準じた扱いということでマスコミ関連をひとまとめにギャラリー化する手はあるかもしれません。映画ポスターは、映画に使われた歌については事件の被害者と関係があるものの、事件そのものとの関わりで特筆すべきかという点では疑問であり、とくに映画そのものやポスターに描かれた女優は事件になんの関係もないため不要です。靖国神社や教科書も同様。これらは、画像があることで煩わしいというだけでなく、掲載することで潜在意識に働きかけたりなにか誘導的な意図があるかのように受け取られるおそれがあるため、ない方がむしろよいものです。
なお、ABNOICさんについては別途コメント依頼が出されているようですが、ひとこと申し上げれば、あまり熱心になりすぎないように留意願います。参考になるだろうと思う方針としてWikipedia:エチケットを挙げます。ここでいうエチケットは単に礼儀や丁寧な態度にとどまるものではありません。とくに私は「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」を重要に考えます。いったん記事から離れることも考えてみてはいかがでしょうか。--みっち会話2013年2月4日 (月) 11:38 (UTC)
コメント有難うございます。それでは、個別に確認していくことにしましょうか。
「朝日新聞阪神支局」「朝日新聞東京本社」「NHK福岡放送局」
現在「朝日新聞阪神支局」の写真はページトップに移動されています。これはこれでよいと思います。「赤報隊事件」が阪神支局の事件だけではなく、それ以外もまとめたものと捉えるならば、「朝日新聞東京本社」の写真もここに移して「場所」のキャプションも加筆修正が必要があるかもしれません。「NHK福岡放送局」については掲載を支持する意見がABNOIC氏以外から出たのは初めてだと思います。この写真と他の放送局の写真との違いは何でしょうか。ボンベが爆発したかどうかでしょうか。しかし、この爆発を「赤報隊事件」の一部と見るべきかどうかは微妙なような気がします。
「警察庁」
今のところ、出されている意見の大勢は「不要」だと思います。しかし他の方々の賛同が得られるならとりあえず「真相究明への取り組み」節移動も検討して良いと思います。
映画ポスター・靖国神社・教科書・政治家
概ねABNOIC氏以外の皆さんの見解は一致しているようです。
「指紋の捜査」とクルマの画像
これも、誤解を招きかねず不適切というのがコンセンサスと観て良さそうですね。
まとめると、先に提起したものも含め、目出し帽・秋葉原・自動車・指紋捜査・映画ポスター・靖国神社・教科書・政治家の一連の写真については、削除が妥当というコンセンサスができた。放送局と警察署の建物の写真については少し議論の余地がある。ということになりそうです。後者に論点を絞って話を続けましょう。--Kojidoi会話2013年2月6日 (水) 16:24 (UTC)

そうですね、警察庁は広域重要の指定を行った上に全力を尽くし、それでも時効を迎えてしまったと言うことで、事件未解決の当事者と言うか責任者というか象徴と言うか、そういう存在ですので残すべきでしょうね。それから「絞込み」から外されているようですがジャーナリストメモリアル、あれは残したいですね。皆さんの議論では名前が見えないから無意味と言うことのようですが、名前を見える写し方にすれば今度は「それがどうした。名前が見えるだけで全体が分からない。名前だけなら写真なしで分かる」なんてことになるのでしょう。ジャーナリストメモリアルと言う言葉だけでは分からない施設空間を示すのが読者への親切だと思います。本来なら沖縄の平和の礎のように「ああ、ここに記されたのか」となるのが望ましいのですが、施設空間の性格から言ってそのあたりが難しい。だから次善の策的な不満はあるのですが、有か無かとなれば私は有を取る。そういうことです。どうしても邪魔だと言うことであればリンク先を明示すべきでしょうね。どなたかの意見に「リンク先が書いてあるからいいじゃないか」と言うのもありましたが、写真を外したらリンク先も消えるのですよね。それから新しい映像として朝日新聞名古屋寮というのがもしあれば出した方がいいと思います。小規模にせよ現に赤報隊関連の事件があったのですから。--キリンヴィック会話2013年2月7日 (木) 14:41 (UTC)

ジャーナリストメモリアル
要りません。「施設空間を示すのが読者への親切施設空間を示すのが読者への親切」といいますが、何のための親切ですか? 事件の理解とは無関係です。--Kojidoi会話2013年2月7日 (木) 15:33 (UTC)
コメント 警察庁の写真は、事件の一方の主体である捜査側の代表としてあってもいいという程度であって、「残すべき」とはいっていません。より厳しくいえば写っているのは建物であって、これが「警察」を表しているというのは思い込みの一つでしかありません。ほかの写真にもいえることですが、こうした抽象的なイメージ画像は一切いらないという見方も成立します。広域指定事件の記事ならすべて警察庁の写真を載せるべきというような画一的な判断になっても困るわけです。
あとは繰り返しになって申し訳ないですが、「朝日新聞阪神支局」「朝日新聞東京本社」「NHK福岡放送局」は記述からして一連の事件現場と判断していいだろうと考えたので挙げています。事件や記事内容については大した知識もなく立ち入っていませんが、NHK福岡放送局が一連の現場でない、ということなら記述についても配慮いただきたいところです。いずれにせよ、「警察庁」も含めてこの程度なら取り立てて問題はないのではないか? これくらいなら私でも使うかもしれないという観点で申し上げています。また、掲載したい方の主張をもう少し汲もうとするのであれば、ギャラリー化などの対応もあるのでは?という妥協案も示したつもりです。よろしければ、試しに編集してみますが、ご覧になってどれぐらい邪魔か判断いただいてもいいと思います。お互いに歩み寄っていただければ解決も早いと思うのですが、あとは「大勢」の結論におまかせします。--みっち会話2013年2月8日 (金) 11:19 (UTC)
コメント みっち様に御足労頂けるのであれば、是非御願いしたく思います(この膠着状態を何とかしたいものです)。--JapaneseA会話2013年2月8日 (金) 12:18 (UTC)
コメント 私は削除側ですが、画像を残したい側は、削除側が絶対に文句のつけれない画像に切り替えないのは何故でしょうか?例えば、たかだかガラスが割られた程度の「本社」の写真でなく、犠牲者の出た「当時の朝日新聞阪神支局の2階編集室」の写真とか。「兵庫県警のビル」の画像でなく、兵庫県警察本部記者会見の模様とか。出典が個人ブログだと言われれば、強力な出典に換えるのが常識です。画像もそれと同じではないでしょうか?--JapaneseA会話2013年2月8日 (金) 12:18 (UTC)
編集してみました。キャプションも重複を少し削りましたが、精査していないのでもしかすると記述との関係でさらに手を入れたほうがいいかもしれません。ざっくり見るには十分かと思います。--みっち会話2013年2月8日 (金) 23:01 (UTC)
ありがとうございます。2月6日のコメントで色々言いましたが、やはり対NHK実弾送りつけ事件関係の写真が悩ましいです。福岡放送局と放送センターを差別化しなければならない積極的な理由がないように思われます。私としては全部削除でいいとは思うものの、妥協案として福岡放送局も含めてギャラリー化ならば次善案として受け入れたいと思います。なおその場合、キャプション内の「消印の日付」もこれでは結局本文を読まなければ脈略がわからないし、いらないのではないでしょうか。また、警視庁の写真もやはりいらないとおもいますね。--Kojidoi会話2013年2月9日 (土) 06:11 (UTC)
私の役目は終わったと思うので、あとはお任せします。--みっち会話2013年2月9日 (土) 09:25 (UTC)

(インデント戻し)みっち様、ありがとうございました。さて、ギャラリー化されたNHK各放送局も警察庁も各マスコミ本社も不要だと感じます。これは思うに、殺人事件よりも「警察庁」や各マスコミ本社の知名度が高すぎるためではないでしょうか?再三再四申し上げますが、なぜ「事件現場」や「犯行声明文」のようにもっと関連性の高い画像を貼らないのでしょうか?--JapaneseA会話2013年2月9日 (土) 12:42 (UTC)

除去よりの意見です。2月8日のJapaneseAさんのコメントがとてもしっくりきました。今ある写真は赤報隊事件の情報というより各施設の外観情報にとどまっています。例えば「犯人はこの位置からこの窓に向かって発砲した」といった情報が得られる写真ならば有用だと思いますが、今の写真はギャラリー化するぐらいなら各施設記事におく方がいいのではないかと。ただし警視庁については、同様に重要な各事件記事に警視庁庁舎を載せるのか、と考えると載せないようにすべきでしょう。--NNMM会話2013年2月9日 (土) 14:48 (UTC)
実のところ私も同じ意見ですね。現状の警察署・放送局の写真は削除。ギャラリー化もなし。要するに冒頭infoboxの写真以外はナシがコンセンサスということでよろしいでしょうかね。もういい加減クローズしてもいいと思うんですが。--Kojidoi会話2013年2月9日 (土) 15:03 (UTC)

チェック  合意が形成されたと判断し、上記のように写真データを削減しました。--Kojidoi会話2013年2月16日 (土) 01:23 (UTC)

上記の件、意見は出尽くし堂々巡りの感じでしたので多数決かなと思ってしばらく静観していました。結局削除となったのですね。その後たしか2枚の画像が追加がなされたのを私は現認しました。ところが短時日のうちにその2枚が削除されブロック云々の論議になりました。そこで私なりの発言をしましたが「無資格」の理由で発言が削除され、その後告知でブロック関係の発言は出来ないことを知りました。

 そこで、この場を借りて一言発言いたします。削除のあと追加された2枚は削除されたものの再掲ではなくて新規です。これまでの意見交換を参酌して画像を探したのではないかと私は推測します。そういう努力は多とすべきものです。私はこの2枚はあって良いと思います。被害者の顔が分かるし事件発生の日5・3を記念する集会の画像もマスコミ労働者の受け止め方を知る上で役立つと思います。10枚前後の画像が削除されるまでには何カ月かの長い論議がありました。ところが新規の2枚はあっという間に消されてしまいました。辞典の読者は「字引をひく」だけとは限りません。何の気なしにページをめくり画像に興味を持って説明を読む・・・そんな人も居るのです。だから百科事典には画像が多いのですよ。新規の2枚がどうしても邪魔だというのであれば致し方ありませんが、そうでなければ、実力者の一存で短時日に消去するのではなく、新たに関係者の意見を聞くことも必要ではないでしょうか。そのためには消去されたものの再掲を考えなければなりません。再掲は出来るのでしょうか。研究してみます。--キリンヴィック会話2013年2月27日 (水) 15:49 (UTC)

一つ気になっているのですが二つの写真、著作権上問題は無いのでしょうか? もし記憶違いでしたら申し訳ないのですが、ポスター等にも著作権が有り無断使用した場合問題になるものと記憶しております(複数のポスターをコラージュしたものでも同様のはずです)。また、書籍の場合にも複製物を使用する場合は同様に著作権の問題があったはずです。画像のファイルには『投稿者自身による作品 (掲載了解済)』とありますが、Wikipedia:削除依頼/赤報隊事件利用者‐会話:ABNOIC#映画のスクリーンショットの例もあり額面どおりに受け取りがたいのです。無論フリー素材であるなら問題がないのですが、その場合画像の原典は出典元となるはずです。--203.148.113.97 2013年3月1日 (金) 11:40 (UTC)
ご心配いただきありがとうございます。2つの写真は関係者の了解を得ております。報道に使用された写真の著作権は50年と理解しています(著作権の保護期間)。-ABNOIC会話2013年3月1日 (金) 12:11 (UTC)
例として以前に井戸端での古い議論ちょいと前の議論を挙げますが、著作権者がCCなどで公開していなければ基本アウトという判断が多いようです。権利者によりフリー素材として公開されている、サイトなどで画像の使用を許可しているのでしたら出典には出所を示したほうが良いように思えます。--203.148.113.97 2013年3月1日 (金) 13:29 (UTC)
ありがとうございます。出典(出所)を記載しました。--ABNOIC会話2013年3月1日 (金) 14:25 (UTC)
先に言いました出典とは、著者や出版者等の書誌情報を言うのではなく、Web上のホームページなど画像を自由な素材として扱ってよいと明示したウェブサイトのアドレス等のことを言っております。--203.148.113.97 2013年3月1日 (金) 14:47 (UTC)
以前の削除依頼の議論で、《「許諾を受けた」とあなたが幾ら書き連ねても、それ自体には全く意味がありません。》と指摘を受けているはずです。それを忘れているのか、それとも記憶の上でなお2013年3月1日 (金) 12:11 (UTC)のような応答以上のことは必要でないと考えているのか確認させていただきたいですね。--Kojidoi会話2013年3月2日 (土) 02:40 (UTC)

(インデント戻す)ABNOICさまに質問しますが、使用された二画像について「Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意」にあるように著作権者は画像の商用利用や改変も許可されているのでしょうか? また、許可されているのでしたらそれがどこかで確認できるのでしょうか?--210.141.54.32 2013年3月6日 (水) 09:05 (UTC)

著作権問題について[編集]

2月18日以降に追加された2枚の画像について、著作権上の問題が指摘されました。この懸念が妥当であるならば、当該画像に関しては編集除去のみでは不足で、削除依頼を出す必要が出てくるでしょう。今のところABNOIC氏からは問題の写真がシロであることの明白な説明がありませんし、これまでの経緯を考えれば今後その説明がなされるかどうか極めて怪しいと思います。2-3日待って自体に変化が内容なら削除依頼を出そうと思いますが、いかがでしょうか。--Kojidoi会話2013年3月8日 (金) 17:19 (UTC)

異議ありません。一律な差し戻しでなく、このような原則的な対応を支持します。--みっち会話2013年3月8日 (金) 22:45 (UTC)
写真の著作権は撮影者のABNOICにあります。それ以上のどんな説明を求められるのでしょうか。--ABNOIC会話2013年3月9日 (土) 00:04 (UTC)
書き込み場所を移動しました。見難いので新しい発言を書き込む際は古い発言の上にではなく下に書き込んでできるだけ時系列順に並ぶようにしていただけませんかね。本題ですが、203.148.113.97氏による 2013年3月1日 (金) 13:29 (UTC)の古い議論ちょいと前の議論を読んでもなお、その返答で充分だとお考えですか。イエスかノーかでお応えいただきたい。--Kojidoi会話2013年3月9日 (土) 15:35 (UTC)
東日本大震災から明日で2年。犠牲になられました方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。写真の件ですが、掲載した写真は掲載に当たりご了解を得ており、原典にその旨の記載をしています。ご指摘された箇所にも許可のある場合の例が紹介されおり、問題はないと考えております。--ABNOIC会話2013年3月10日 (日) 04:40 (UTC)
ABNOICさんが「許可を得ました」と言っても、周りはそれを確認できません。また許可というのも、IPの方が既に言っているように商用利用・複製・改変・再配布が許可されている必要があります。今回の場合自著作物ではありませんが、Wikipedia:自著作物の持ち込み#著作権を侵害していないことの証明方法Wikipedia:自著作物の持ち込み#フリーライセンスについてが参考になるかと思います。--NNMM会話2013年3月10日 (日) 08:08 (UTC)
《ABNOICさんが「許可を得ました」と言っても、周りはそれを確認できません。》との指摘がNNMMさんからありましたが、同じ事は私が先日指摘したばかりです。そちらでも書いたように、同じパターンは先の削除依頼でも明白に否定されていたことです。何度も説明されていることをあたかもなかったかのような返答を続ける、このような姿勢も注視されていることを忘れないでください。この種の指摘は是非これで最後にしたいものです。--Kojidoi会話2013年3月10日 (日) 09:43 (UTC)
先日ポスターコラージュの画像がライセンス違反と判断されて削除されたようです。残った一枚の方にも警告メッセージが貼ってあり、対応なければ3月17日をもって削除されることになるようです。わざわざ削除手続きを進める必要も無さそうです。消えたのを確認した所で本ページの呼び出し側のテンプレートを編集除去して決着としましょう。それにしても検証作業へのABNOIC氏の非協力的な姿勢は嘆かわしいことです。--Kojidoi会話2013年3月17日 (日) 04:53 (UTC)
現在掲載されているcommons:File:Hanshin Bureau.pngについても個人的に疑念を持っています。理由1.jpegではなくpng規格によるアップロード。理由2.画像右端及び下端に不自然な影。理由3.Exifが無く、2012年撮影の自作画像にしてはファイルサイズが小さい。撮影対象自体は(例えば近所に住んでいれば)簡単に撮影できる物ですが、該当の画像については何らかの媒体からスキャンあるいはコピーしたのではないかと思っています。もっとも個人的な疑念であり証拠があるわけでないのでメモ書きに留めておきます。--121.82.129.166 2013年3月18日 (月) 14:25 (UTC)
今回のコモンズファイル削除に当たってのABNOICさんの一連の対応は残念なものでした。朝日新聞阪神支局の画像もあらためて確認しましたが、IPの方の指摘はその通りで、ふつうにカメラで撮ったとは考えにくいものです。ABNOICさんのこうした著作権関連に配慮のない画像アップと記事掲載が今後も続くようなら、ブロック依頼への意見を変更しなければならないと感じています。--みっち会話2013年3月19日 (火) 10:59 (UTC)
体調を崩していて、対応できず申し訳ありません。Exif、pngは対応していません[16]。画像が小さいのは上と下をカットしたからです。スキャン、コピーでなく撮影したものです。--ABNOIC会話2013年3月19日 (火) 12:57 (UTC)

「報道関係者の証言」について[編集]

「報道関係者の証言」を加筆したところ、2度に渡って戻されました。事件の取材に当たった記者や、襲撃された朝日新聞社幹部の証言は事件について知る上で貴重な情報です。これを削除することは、事件理解を妨げるもので、適切な編集とは言えません。ご指摘の「情報を無差別に収集する」に該当するものではありません。削除されたkojidoiさんは、朝日新聞襲撃事件で靖国公式参拝が動機であることが真相になってもあまり書くな、と受け取れる趣旨のことを主張されています。これがWikipediaの方針に逸脱していることは誰が見 ても明らかです。今回の「報道関係者の証言」削除も真相をあまり書くな、の延長線上にあるように思えます。 振り返りますと、国家秘密法、教科書問題について触れますと、強い怒りの感情を出されています[17]。これも異様なものを感じました。--ABNOIC会話2013年1月3日 (木) 14:27 (UTC)

Rvされた記述には有益なものもあったと思います。一方「議論中に編集しないで下さい」という旨には賛同します。なお、「これも異様なものを感じました」→いや、全く普通の行為です。蛇足の除去なので、イデオロギーとは無関係でしょう。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 14:41 (UTC)JapaneseAが主アカウントになりました、副アカウントは利用者:Sutepen angel momo会話 / 投稿記録 / 記録
以下は、先行する議論が終息してから、議論を開始する事を提案します。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 15:36 (UTC)
可読性のため此方に記述しますが、IP202の人としては2,3時間前にWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを一読願って再度一読願います、特にウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません辺りを。ちなみに特筆性を根拠とすると、朝日新聞関係を典拠とする記述は「対象と無関係な」とは言い難いため他の典拠でも言及されているもの以外は避けるべきである、とも取れます。もっとも特筆性は本来記事が独立して立てられるかの特筆性であって内容についてはまた別ですが。--203.148.113.84 2013年1月3日 (木) 15:43 (UTC)
前にも同じようなことを言ったような気がしますが、ABNOIC氏のこの発言は「ゲスの勘ぐり」としかいいようのない、全く見当はずれの見解です。「真相をあまり書くな」などと私が主張した事実はありません。本題と外れたことを延々と書くなとは言いましたけどね。また、今のところ「朝日新聞襲撃事件で靖国公式参拝が動機であることが真相」というのは推測に過ぎませんから、その意味でも靖国公式参拝について延々と書くことは不適切であるとも指摘しました。ABNOIC氏の発言はいつのまにか推測が既成事実にすり替えられてしまうため危険です。こういうところが「印象操作」だと批判されているわけです。「強い怒りの感情」というのも見当はずれです。あれだけ説明したのにねえ。--Kojidoi会話2013年1月3日 (木) 16:27 (UTC)
「公式参拝その他が真相であろうがなかろうが、公式参拝そのものについて詳述するべき場所はしかるべき記事であって当記事ではないと私は言っているのです」を素直に読めば、靖国公式参拝が真相であっても当記事(赤報隊事件)に詳述するな、となります。--ABNOIC会話2013年1月4日 (金) 02:54 (UTC)

特筆性を根拠に差し戻されておりますので、IP202の人は特筆性のガイドラインを以って判断しますが「対象と無関係な」ところからの情報ではない、「複数の信頼できる情報源において独立した言及がなされている」こともない、「その主題に関する一般的な知識の概要」とも言えない、よって記述の必要が無いものと考えます。また現在記事内容も整理がされていないため、同基準を以って整理したほうが利用者が事件の概要を知る助けになると考えます。細かいことが知りたい人は参考文献にあたったほうがより詳しく正確に調べられますし、細かい引用などは一般的でも概要でもないです。--203.148.113.84 2013年1月4日 (金) 12:58 (UTC)

ご指摘に従い、朝日新聞社以外からの情報源も掲載し、記事も整理してみました。--ABNOIC会話2013年1月5日 (土) 05:47 (UTC)
上で言いました記事とは、追加部分以前に現状の赤報隊事件の記事全体です。加えて追加されようとしている文脈も「その主題に関する一般的な知識の概要」でないことに変わりがなく、現状の記事内でも第二次世界大戦の三倍以上ある脚注が整理の不足を如実に示していると思います。--202.224.70.229 2013年1月14日 (月) 18:13 (UTC)
赤報隊事件と第ニ次世界大戦を比べればすぐ分かることですが、赤報隊事件はほぼ全ての文に脚注を付けています。それに反し、第ニ次世界大戦はそんなに付けていません。全部の文に脚注を付ければ、飛躍的に第ニ次世界大戦も増えることになります。--ABNOIC会話2013年1月15日 (火) 01:39 (UTC)
ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんを基とする「その主題に関する一般的な知識の概要」ではないという主張には納得いただけたのでしょうか。第二次世界大戦の例で言えばあちらでは、「誰々はこう言った」を集めたものではなく事実関係をシンプルにまとめてあの分量です、脚注を逐一付ければその数は増えるでしょうが証言ごとに脚注がつくほど煩雑なものにはならないでしょう(複数の文献で説明されていることについて詳細に脚注をつければ話は別ですが)。下の再掲部分についても報道関係者の証言を逐一載せる必要性を感じません、専門家の意見については信頼性,実績,知名度を考慮し、記述内容は言動の趣旨をシンプルにまとめるべきです。報道関係者の証言は入れるとしても端的に「事件の性格から報道関係者の証言も多い」と記述し以下脚注で書籍とページを指定とすることで事足りるものと考えます。--202.224.70.229 2013年1月15日 (火) 03:30 (UTC)
ご指摘の箇所拝読しました。第ニ次世界大戦は「誰々はこう言った」ものを集めるものではなく、ご指摘のように事実関係の記述が重要になります。「報道関係者の証言」は日本の言論史上初めて勤務中の記者が殺害されたことに対し、同じ報道機関で働く人々はどう受け止めたのかということには、読者のニーズがあると考えました。--ABNOIC会話2013年1月20日 (日) 09:51 (UTC)
(1)仮に犯人が特定され、その口から例えば「靖国公式参拝反対が許せなかったから襲撃に及んだ」などと証言が出て報じられたとすれば、それを「真相」として加筆することは何の問題もありません。(2)しかし仮にそのような真相が明らかになったとしてもそこに「そもそも靖国公式参拝とは…」と延々書き込むことは不適当です。そういう解説は「靖国神社問題」に記述してそれを参照先とするのがまともな記事の書き方です。
どうやらABNOIC氏は(1)と(2)の話の区別をつけることができないようですが、そんなことでは何時まで経ってもまともな記事をまとめることはできないでしょう。当面編集に手を付けるのは自粛して、もう少し勉強を積んだほうがいいのではないでしょうか。--Kojidoi会話2013年1月4日 (金) 16:44 (UTC)
>仮に犯人が特定され、その口から例えば「靖国公式参拝反対が許せなかったから襲撃に及んだ」などと証言が出て報じられたとすれば、それを「真相」として加筆することは何の問題もありません。
ここまで踏み込まれたのは今回が初めてです。「公式参拝その他が真相であろうがなかろうが、公式参拝そのものについて詳述するべき場所はしかるべき記事であって当記事ではないと私は言っているのです」には、上記の意味はないことを指摘しておきます。--ABNOIC会話2013年1月5日 (土) 20:45 (UTC)
コメントウィキペディアの事件記事では事件が社会に与えた影響を記述するのは胆かなと思います。それで、この事件の場合、新聞記者がターゲットになってますので、報道関係者の証言を集めるというのは、アイデアとしては何も悪くなくて、むしろこの記事にとってふさわしいことだと思います。そういう観点で除去されたABNOICさんの文章を読んでみましたけど、「事件に憤りを覚えた」などというありきたりな反応が多いのと、見出しを使って報道機関別に書いてあることが気になりました。前者に関してはあまり重要な情報とは思えず、後者に関しては流れが寸断されるので読みづらいです。ただし、朝日新聞関係者の証言に関しては事件と直接の関係がありますし、社長や相談役の証言はそれ自体重みがありますので、このように見出しを改めて書き出すのではなくて、今ある構成の中に組み込むというようなことを考えてみるとよいかもしれないです。また、事件取材班キャップの証言もこの記事にとって重要だと思います。この事件では、多くの遺留品があったにもかかわらず時効を迎えた、というのが大きな特徴となっていて、この点に関しては様々な分析が加えられています。こういう特徴や未解決事件となった理由などは、分かりやすく記述されるべきであって、事件取材班キャップの証言はその中で利用されるべきかと思います。--Bugandhoney会話2013年1月23日 (水) 21:35 (UTC)
Bugandhoney様、コメント依頼欄、本欄へのコメント、ありがとうございます。ご指摘された点は貴重で重要であると認識しております。朝日新聞社長、相談役、116号事件取材班キャップの証言、多くの遺留品にもかかわらず時効になったという特徴、未解決事件となった理由についての記述は特筆性があると思います。多くの遺留品があったのに時効になった特徴について分析が加えられているということですが(大量生産品の壁という指摘があります)、具体的にご指摘いただけますと参考になるかと思います(文献など)。--ABNOIC会話2013年1月24日 (木) 04:13 (UTC)

削除された記事をご検討していただくため再掲します。

報道関係者の証言

報道関係者は事件について、次の証言をしている。

朝日新聞

中江利忠朝日新聞社社長は「衝撃と悲嘆は、終生わすれられるものではありません」と述べ、事件を「大きな歴史として、私たち一人一人の責任で考え、行動する一里塚にしたいと思います」と決意表明している[1]一柳東一郎朝日新聞社相談役は、社長在任中の最大の痛恨事として阪神支局襲撃事件を挙げ、「阪神支局の事件には何の救いもない」「人の世の不条理さということを、何度も考えさせられた」と述べている[2]。朝日新聞社116号事件取材班キャップだった記者は、刑事公安の捜査組織の壁で捜査が遅れ、時効になったことに繋がったと批判した[3]。「事件は朝日新聞だけの問題ではない」[4]、「赤報隊との闘いに、永遠に時効はない」としている[5]。別の社会部記者は、「やらねばならぬことは犯人を捕まえることだ」とし、「犯人の意図をひっくりかえすこと」の重要性を指摘、記事、取材で襲撃されると考えることは、「犯人の思うつぼだ」と述べている[6]

読売新聞

読売新聞の記者は、事件の最初の感想として「なんやこれは。めちゃくちゃや」と述べた[7]。別の記者は、事件の真相、犯人究明への期待を表明、「気に入らないマスコミがあるから撃ってしまえ」はナンセンスと批判した[8]

毎日新聞

毎日新聞の記者は「こんなアホなことがあってええのか」と思い、「(犠牲になった記者は)無念の一言」「あまりに卑怯で、許し難い」と述べた[9]。別の記者は、犠牲になった記者は書いた記事、言説を問われたのではないとし、無言の犯人に理不尽に殺されたことに「非常にやりきれない」と述べた[10]

産経新聞

産経新聞の記者は憲法記念日に新聞社が襲撃されたことに対して「何とも言えない怒りと嫌なものを感じた」と述べた。犠牲になった朝日新聞記者とは面識があり、名前を聞いた時「事件が生々しく重みを増した気分になった」と記している[11]

TBS

報道特集』キャスターの金平茂紀は、静岡支局爆破未遂事件で使用されたピース缶爆弾について、新左翼に使われたものを右翼が使ったことに「非常に奇妙な違和感を抱いた記憶がある」と記した。攻撃目標が全国的で、朝日新聞社の細かい関連施設に及んでいることに「情報収集能力が異様に高いことに疑念をもった」と述べ、時効に関係なく「真相は究明されなければならない」としている[12]

NHK

NHK経済部デスクは犠牲になった記者とは岩手県警記者クラブで向い合わせにおり、「記者の仕事は危険と隣り合わせにある。それを気付かせてくれた」、事件が「記者としての覚悟を決めた」と語った[13]

共同通信

共同通信の記者は、第一報が入り、「なにっ、阪神支局か」と思い、犠牲になった記者の名前を知り、「ショックはもうとても言いようがない」と述べた。西宮警察署には100人ほどの報道関係者がいて、「みんな、他人ごとじゃないという気持ちだった」と証言した[14]

一橋文哉

一橋文哉は阪神支局襲撃事件について「犯人の強烈な殺意や、周到な準備と計画性を秘めている」、「事件そのものに、犯人のアピールのようなものが感じられる」と述べている[15]

  1. ^ 『明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように』(朝日カルチャーセンター、1993)、pp.2-3
  2. ^ 『明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように』(朝日カルチャーセンター、1993)、p.11
  3. ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.160
  4. ^ 朝日新聞社116号事件取材班 (2002)、p.152
  5. ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、p.163
  6. ^ 五十嵐智友『歴史の瞬間とジャーナリストたち』(朝日新聞社、1999年)、p.448
  7. ^ 岩波ブックレット『新聞記者の仕事とは』(岩波書店、1987年)、p.43
  8. ^ 朝日新聞社116号事件取材班 (2002)、p.204
  9. ^ 岩波ブックレット『新聞記者の仕事とは』(岩波書店、1987年)、pp.46-47
  10. ^ 朝日新聞社116号事件取材班 (2002)、p.190
  11. ^ 産経ニュースwest2011年10月20日
  12. ^ ジャーナリスト・金平茂紀 変えてはいけないもの
  13. ^ 朝日新聞社116号事件取材班(2002)、pp.127-128
  14. ^ 岩波ブックレット『新聞記者の仕事とは』(岩波書店、1987年)、p.43
  15. ^ 一橋文哉『「赤報隊」の正体』(新潮社、2002年)、p.11

--ABNOIC会話2013年1月3日 (木) 15:00 (UTC)