「オレステス・デストラーデ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 2 件をウィキデータ上の d:q7101655 に転記
170行目: 170行目:
[[Category:1962年生]]
[[Category:1962年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

[[en:Orestes Destrade]]
[[zh:奧雷斯帝·迪斯多蘭]]

2013年3月16日 (土) 10:11時点における版

オレステス・デストラーデ
Orestes Destrade
ファイル:SL-Orestes-Destrade.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 キューバの旗 サンティアーゴ・デ・クーバ州サンティアーゴ・デ・クーバ
生年月日 (1962-05-08) 1962年5月8日(61歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1981年
初出場 MLB / 1987年9月11日
NPB / 1989年6月20日
最終出場 MLB / 1994年5月24日
NPB / 1995年6月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

オレステス・デストラーデ・ククアスOrestes Destrade Cucuas , 1962年5月8日 - )は、キューバ出身の元プロ野球選手一塁手外野手、右投げ両打ち。

日本プロ野球では西武ライオンズの主砲として活躍した。

来歴・人物

フィデル・カストロ独裁時代のキューバに産まれ、幼少期に家族と共に同国を脱し、アメリカ合衆国フロリダ移住する。1981年ニューヨーク・ヤンキースと契約し、1987年9月11日にメジャーデビュー。1988年ピッツバーグ・パイレーツに移籍。メジャーでは一塁手として出場した。

1989年6月、前年からチームの主砲を務めていたタイ・バンバークレオの不振のために西武ライオンズが急遽獲得した。デビュー戦でいきなり本塁打を放つと左右両打席から本塁打を量産。1年目は規定打席不足ながら32本塁打を放ったが、ラルフ・ブライアント擁する近鉄に敗れ、惜しくもリーグ優勝は逃した。翌1990年も序盤から打ちまくり、6月16日の対ダイエー戦ではチームの9連敗を阻止するサヨナラ本塁打を放つなど、ここぞの場面での一発が光った。1990年の日本シリーズでは巨人槙原寛己から特大の3ラン本塁打を放ってチームを波に乗せ、その後も猛打を発揮して巨人相手に4連勝する原動力となり、シリーズMVPに輝いた。日本シリーズでは1990年から1992年まで3年連続して第1戦の第1打席に本塁打(いずれも左打席)を放つ記録を持っている。このように日本シリーズでも、シーズンと違わない打棒で森西武の3年連続日本一(1990年~1992年)になくてはならない原動力となった。

秋山幸二清原和博と「AKD砲」を結成し、1991年まで2年連続打点王、1992年まで3年連続本塁打王とチームになくてはならぬ存在となっていたが、1992年オフ、MLB新球団のフロリダ・マーリンズからの参加要請を受けて西武を退団。1993年は20本塁打を放ったが1994年途中解雇された。

1995年には西武に復帰するが、前年からのブランクや家庭問題で精彩を欠き、6月途中で退団した。なお、同年5月9日富山アルペンスタジアムで行われた対オリックス戦で、0-9とリードされた8回裏2アウトから投手として登板したものの、高田誠に三塁打を打たれた後、トロイ・ニール藤井康雄に四球を与え、結局1アウトも奪えずに降板した。監督の東尾修は試合後に「点差も離れていたのでファンサービスのつもりで登板させた」と話している。

現在はフロリダで実業家をしており、プロ野球マスターズリーグ東京ドリームスでもプレーする。また、現在米国スポーツ番組ESPNにて野球解説を務めている。

プレースタイル・人物

笑顔を見せることは少なかったが、激しい闘志を内に秘めるタイプであり本塁打を放った後「Bomb!!」と叫びながらのガッツポーズ弓引きガッツポーズ)は非常に有名である。西武在籍時は打率こそ.260前後と高く無く、三振も非常に多かったものの選球眼に優れていた上に長打を警戒されるため四球が多く(特に91年には100四球を記録している)高い出塁率を誇り、3年連続で本塁打王を獲得した長打力、シーズン二桁盗塁の経験が3度あるなど足も速く、打つだけではなく場面に応じた判断力を持つ西武黄金時代にふさわしい選手であった。

左投手に強く、特に、1990年当時オリックス・ブレーブスに在籍していたガイ・ホフマンに対し、同一投手から一シーズン本塁打8本(サヨナラ本塁打を含む)を記録している。

引退後はテレビ番組の野球の企画に出演し、東京ドームであと少しでホームランかというあたり(ライトフェンス直撃)を放ったり、時速250kmの球をフェアゾーンに飛ばしたりと、健在ぶりをアピールした。

双子の兄弟がいる。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1987 NYY 9 24 19 5 5 0 0 0 5 1 0 0 0 0 5 0 0 5 1 .263 .417 .263 .680
1988 PIT 36 53 47 2 7 1 0 1 11 3 0 0 0 1 5 0 0 17 0 .149 .226 .234 .460
1989 西武 83 359 292 56 75 12 0 32 183 81 4 0 0 6 59 4 2 75 7 .257 .379 .627 1.006
1990 130 552 476 81 125 19 0 42 270 106 10 5 0 3 70 3 3 165 7 .263 .359 .567 .926
1991 130 544 437 90 117 21 0 39 255 92 15 5 0 4 100 5 3 119 5 .268 .404 .584 .988
1992 128 548 448 87 119 19 0 41 261 87 12 8 0 2 95 3 3 125 9 .266 .396 .583 .979
1993 FLA 153 637 569 61 145 20 3 20 231 87 0 2 1 6 58 8 3 130 17 .255 .324 .406 .730
1994 39 152 130 12 27 4 0 5 46 15 1 0 0 1 19 1 2 32 2 .208 .316 .354 .670
1995 西武 46 188 163 17 40 6 1 6 66 23 1 1 0 1 24 1 0 45 6 .245 .340 .405 .745
MLB:4年 237 866 765 80 184 25 3 26 293 106 1 2 1 8 87 9 5 184 20 .241 .319 .383 .702
NPB:5年 517 2191 1816 331 476 77 1 160 1035 389 42 19 0 16 348 16 11 529 34 .262 .381 .570 .951
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 西武 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 3 0.0 1 0 2 0 0 0 0 0 0 0 ---- ----
NPB:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 3 0.0 1 0 2 0 0 0 0 0 0 0 ---- ----

タイトル

NPB
  • 本塁打王:3回 (1990年 - 1992年) ※外国人打者では唯一の3年連続タイトル獲得
  • 打点王:2回 (1990年、1991年)

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 53 (1987年)
  • 2 (1988年)
  • 39 (1989年 - 1995年)

関連項目

外部リンク