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2013年3月16日 (土) 10:11時点における版
ファイル:SL-Orestes-Destrade.jpg | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | サンティアーゴ・デ・クーバ州サンティアーゴ・デ・クーバ |
生年月日 | 1962年5月8日(61歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 220 lb =約99.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
プロ入り | 1981年 |
初出場 |
MLB / 1987年9月11日 NPB / 1989年6月20日 |
最終出場 |
MLB / 1994年5月24日 NPB / 1995年6月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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オレステス・デストラーデ・ククアス(Orestes Destrade Cucuas , 1962年5月8日 - )は、キューバ出身の元プロ野球選手。一塁手・外野手、右投げ両打ち。
来歴・人物
フィデル・カストロ独裁時代のキューバに産まれ、幼少期に家族と共に同国を脱し、アメリカ合衆国のフロリダに移住する。1981年にニューヨーク・ヤンキースと契約し、1987年9月11日にメジャーデビュー。1988年、ピッツバーグ・パイレーツに移籍。メジャーでは一塁手として出場した。
1989年6月、前年からチームの主砲を務めていたタイ・バンバークレオの不振のために西武ライオンズが急遽獲得した。デビュー戦でいきなり本塁打を放つと左右両打席から本塁打を量産。1年目は規定打席不足ながら32本塁打を放ったが、ラルフ・ブライアント擁する近鉄に敗れ、惜しくもリーグ優勝は逃した。翌1990年も序盤から打ちまくり、6月16日の対ダイエー戦ではチームの9連敗を阻止するサヨナラ本塁打を放つなど、ここぞの場面での一発が光った。1990年の日本シリーズでは巨人の槙原寛己から特大の3ラン本塁打を放ってチームを波に乗せ、その後も猛打を発揮して巨人相手に4連勝する原動力となり、シリーズMVPに輝いた。日本シリーズでは1990年から1992年まで3年連続して第1戦の第1打席に本塁打(いずれも左打席)を放つ記録を持っている。このように日本シリーズでも、シーズンと違わない打棒で森西武の3年連続日本一(1990年~1992年)になくてはならない原動力となった。
秋山幸二・清原和博と「AKD砲」を結成し、1991年まで2年連続打点王、1992年まで3年連続本塁打王とチームになくてはならぬ存在となっていたが、1992年オフ、MLB新球団のフロリダ・マーリンズからの参加要請を受けて西武を退団。1993年は20本塁打を放ったが1994年途中解雇された。
翌1995年には西武に復帰するが、前年からのブランクや家庭問題で精彩を欠き、6月途中で退団した。なお、同年5月9日に富山アルペンスタジアムで行われた対オリックス戦で、0-9とリードされた8回裏2アウトから投手として登板したものの、高田誠に三塁打を打たれた後、トロイ・ニールと藤井康雄に四球を与え、結局1アウトも奪えずに降板した。監督の東尾修は試合後に「点差も離れていたのでファンサービスのつもりで登板させた」と話している。
現在はフロリダで実業家をしており、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスでもプレーする。また、現在米国スポーツ番組ESPNにて野球解説を務めている。
プレースタイル・人物
笑顔を見せることは少なかったが、激しい闘志を内に秘めるタイプであり本塁打を放った後「Bomb!!」と叫びながらのガッツポーズ(弓引きガッツポーズ)は非常に有名である。西武在籍時は打率こそ.260前後と高く無く、三振も非常に多かったものの選球眼に優れていた上に長打を警戒されるため四球が多く(特に91年には100四球を記録している)高い出塁率を誇り、3年連続で本塁打王を獲得した長打力、シーズン二桁盗塁の経験が3度あるなど足も速く、打つだけではなく場面に応じた判断力を持つ西武黄金時代にふさわしい選手であった。
左投手に強く、特に、1990年当時オリックス・ブレーブスに在籍していたガイ・ホフマンに対し、同一投手から一シーズン本塁打8本(サヨナラ本塁打を含む)を記録している。
引退後はテレビ番組の野球の企画に出演し、東京ドームであと少しでホームランかというあたり(ライトフェンス直撃)を放ったり、時速250kmの球をフェアゾーンに飛ばしたりと、健在ぶりをアピールした。
双子の兄弟がいる。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987 | NYY | 9 | 24 | 19 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 1 | .263 | .417 | .263 | .680 |
1988 | PIT | 36 | 53 | 47 | 2 | 7 | 1 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 17 | 0 | .149 | .226 | .234 | .460 |
1989 | 西武 | 83 | 359 | 292 | 56 | 75 | 12 | 0 | 32 | 183 | 81 | 4 | 0 | 0 | 6 | 59 | 4 | 2 | 75 | 7 | .257 | .379 | .627 | 1.006 |
1990 | 130 | 552 | 476 | 81 | 125 | 19 | 0 | 42 | 270 | 106 | 10 | 5 | 0 | 3 | 70 | 3 | 3 | 165 | 7 | .263 | .359 | .567 | .926 | |
1991 | 130 | 544 | 437 | 90 | 117 | 21 | 0 | 39 | 255 | 92 | 15 | 5 | 0 | 4 | 100 | 5 | 3 | 119 | 5 | .268 | .404 | .584 | .988 | |
1992 | 128 | 548 | 448 | 87 | 119 | 19 | 0 | 41 | 261 | 87 | 12 | 8 | 0 | 2 | 95 | 3 | 3 | 125 | 9 | .266 | .396 | .583 | .979 | |
1993 | FLA | 153 | 637 | 569 | 61 | 145 | 20 | 3 | 20 | 231 | 87 | 0 | 2 | 1 | 6 | 58 | 8 | 3 | 130 | 17 | .255 | .324 | .406 | .730 |
1994 | 39 | 152 | 130 | 12 | 27 | 4 | 0 | 5 | 46 | 15 | 1 | 0 | 0 | 1 | 19 | 1 | 2 | 32 | 2 | .208 | .316 | .354 | .670 | |
1995 | 西武 | 46 | 188 | 163 | 17 | 40 | 6 | 1 | 6 | 66 | 23 | 1 | 1 | 0 | 1 | 24 | 1 | 0 | 45 | 6 | .245 | .340 | .405 | .745 |
MLB:4年 | 237 | 866 | 765 | 80 | 184 | 25 | 3 | 26 | 293 | 106 | 1 | 2 | 1 | 8 | 87 | 9 | 5 | 184 | 20 | .241 | .319 | .383 | .702 | |
NPB:5年 | 517 | 2191 | 1816 | 331 | 476 | 77 | 1 | 160 | 1035 | 389 | 42 | 19 | 0 | 16 | 348 | 16 | 11 | 529 | 34 | .262 | .381 | .570 | .951 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 3 | 0.0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- |
NPB:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 3 | 0.0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- |
タイトル
- NPB
表彰
- NPB
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1989年6月20日、対オリックス・ブレーブス11回戦(阪急西宮球場)、5番・指名打者として先発出場
- 初安打・初打点・初本塁打:同上、3回表にガイ・ホフマンから2ラン
- 100本塁打:1991年8月17日、対オリックス・ブルーウェーブ22回戦(西武ライオンズ球場)、7回裏に星野伸之から2ラン ※史上167人目
- 150本塁打:1992年9月29日、対日本ハム ファイターズ21回戦(東京ドーム)、9回表に白井康勝から同点ソロ ※史上96人目
- 初登板:1995年5月9日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(富山アルペンスタジアム)、8回裏2死に救援登板、1被安打2四球を許し降板
- オールスターゲーム出場:1回 (1992年)
背番号
- 53 (1987年)
- 2 (1988年)
- 39 (1989年 - 1995年)
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube