「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の版間の差分
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*番組のメインであるビートたけしの事故による休養、復帰直後精彩を欠いていたことから[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』の[[視聴率]]上昇の影響で視聴率が低迷し始める。半年後の1995年10月にレギュラー出演者を大幅に入れ替えて、番組タイトルの頭に「超」を付けてリニューアルをしたが、視聴率低迷を止められず、1996年10月限りで終了した。このころ同番組の企画は出尽くした感があり、ネタこそが生命線である同番組の終了は必然だったという意見もある。 |
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*2004年12月22日に初回限定2枚組で[[DVD]]が発売された。 |
*2004年12月22日に初回限定2枚組で[[DVD]]が発売された。 |
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*2005年の[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」 |
*2005年の[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]の深夜企画で元気が出るテレビの名場面と復活企画を行うとともに、たけし以外の出演者が全員出演した。 |
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*翌年の2006年の24時間テレビで、この番組の名物企画だった「ダンス甲子園」が復活した。 |
*翌年の2006年の24時間テレビで、この番組の名物企画だった「ダンス甲子園」が復活した。 |
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2008年3月4日 (火) 03:20時点における版
天才・たけしの元気が出るテレビ!! | |
---|---|
ジャンル | バラエティ |
作 | 日本テレビ |
出演者 |
ビートたけし 松方弘樹 高田純次 兵藤ゆき 島崎俊郎ほか |
放送 | |
放送局 | 日本テレビ系 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1985年4月14日~1996年10月6日 |
放送時間 | 日曜日20:00 - 20:54 |
放送分 | 54分 |
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!(てんさいたけしのげんきがでるてれび)』とは、日本テレビ系列ほかで1985年4月14日から1996年10月6日までにかけて放送された、ビートたけしがメイン司会のバラエティ番組である。通称は元テレ。放送時刻は毎週日曜日の20:00 - 20:54(日本時間)。
1995年10月からはタイトルを『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に替えリニューアルが図られていた。略称は超・元気TV、超・元テレ。
概要
- ドキュメントバラエティの元祖であり、「テレビとは真実を伝えるもの」という社会的な共通認識を、根本から打ち砕いた革命的な番組だったと評されている。現在では一般視聴者にも「テレビには演出やヤラセがある」という認識が広まっているが、この番組が放送された当時は「テレビに映っているのは真実」と信じるナイーブな視聴者がほとんどだったため、視聴者に衝撃と困惑を与えたと同時に大きな話題を呼んだ。現実なのかフィクションなのかパロディなのか不明な事柄をテレビカメラが執拗に追いかけ、事の真偽は全く不明なままであるにもかかわらず視聴者が興奮させられていくという図式は、以後の「電波少年シリーズ」や「いきなり!黄金伝説。」など数々の番組に大きな影響を与えた。最終回でたけしは「今のバラエティでやっていることは全てこの番組でやってきた」と、この番組がもたらした影響を自負した。
- その反面、たけしが当時PTAに嫌われていたことに加え、「内容がバカバカしい」などといった理由から低俗番組という批判も存在した。
- 名もない市井の人々にスポットを当てて話題にし、様々な人気者を生み出した。従来のバラエティ番組は基本的に番組内だけで(出演芸能人だけで)ストーリーが進行していたのに対し、普通に生活している一般人を主役に祭り上げることで、番組の内容にリアリティが生じるという効果があった。「○○区にすごいそば屋のオヤジがいた!」、「信じられないほどお金持ちのお嬢様が実在した!」など、よく考えてみれば視聴者にとってどうでもいい企画も数多く放送されたが、バカバカしさとリアリティとの奇妙なバランスが高視聴率を呼んだ。
- その一方、番組の都合で急に人気者に仕立て上げられた人物・会社・商店街などが、番組の企画が終了した時点であっさり置き去りにされてしまうことも多かった。寂れた商店街に人気タレントがおしかけて一時的にブームを作り上げ、あたかも町おこしをしたように思わせるのだが、企画が終わった途端に忘れ去られてさらに寂れた町になる…といった事例が多かったと言われる。
- お笑いバラエティ番組であるが、松方弘樹、原田大二郎、宝田明などの二枚目俳優や、野口五郎などの有名歌手がレギュラー出演しており、これも独特の雰囲気を作り上げていた。これは当初、テレビドラマを制作する予定でキャステイングし、スケジュールを空けてもらっていたためである。当時、二枚目俳優や有名歌手がバラエティに出演してバカげた企画に付き合う例は少なく、この点も画期的だった。また二枚目俳優や有名歌手がレギュラーであることが、「どう考えても嘘っぽい内容だが、あの俳優が出ているのだから本当かも知れない」と視聴者に思わせる効果もあった。もしも旧来のバラエティ番組と同様、出演者がお笑いタレントばかりだったなら、「どうせ嘘だろう」と思われるだけだった可能性が高い。
- 「元気が出る商事」という設定で、出演者に「社長」「部長」「課長」「秘書」といった肩書きがあるのは、企画段階では会社を舞台にしたコメディー番組だった名残である。
- 1988年頃からコメディー色が薄れ、「ダンス甲子園」など出演者が大きな目標に向かって努力する様子をドキュメントするという、若干シリアス的な内容が目立つようになる。後にドキュメントバラエティと言われるようになる路線であり、この時期(1988年頃~1995年頃)を番組の全盛期と見る向きもある。
- 1988年7月にはズームイン朝の「ワンポイント英会話」に鞍馬天狗扮したたけしとリポーターに徹した高田が突如通行人として出演した。ウィッキーに対してちょっかいを出すたけしの奇妙な行動に当時キャスターの福留功男も「今写っているのはたけしさんじゃないですか?」と声を掛けて見破った。そのシーンはズームイン朝始まって以来、史上に残る最高傑作の爆笑シーンとなった。 (「ウィッキーさんのワンポイント英会話に出よう」と言う企画)
- 1996年8月25日の放送において、前番組の「24時間テレビ」でチャリティーマラソンを走った赤井英和の日本武道館の到着が遅れ、「24時間テレビ」を放送時間を15分延長したことによって、本編は相当カットされて放送された(後のニューススポット・あすの天気以降は通常の時間で放送された)。冒頭のコーナーや最初の提供クレジットはなかった。
- たけしは第1回目の放送の時に、前番組の『久米宏のTVスクランブル』について「あの番組は終わったのではなくやめさせられたの。」と揶揄した。
- たけしがフライデー襲撃事件で謹慎(この時期はタイトルから「天才・たけしの」の冠を外して単に「元気が出るテレビ!!」として放送)した際、たけしの相方であるビートきよしが1度だけ代理司会を務めたこともある。しかし、予想以上に受けなかったためか、以降、きよしに声が掛かることは無かった。なお、1987年最初の放送では、「社長は海外出張中」と説明していた。
- 番組前の5秒予告スポットは、たけしが「この後は、○○!」と言うように違うタイトル(別番組・商品名等)を言うパターンが多かった[1](松方弘樹が代役司会を担当したときは「この後すぐ、元気が出るテレビ!」と普通の紹介だった)。
番組の終焉とその後
- 番組のメインであるビートたけしの事故による休養、復帰直後精彩を欠いていたことからフジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』の視聴率上昇の影響で視聴率が低迷し始める。半年後の1995年10月にレギュラー出演者を大幅に入れ替えて、番組タイトルの頭に「超」を付けてリニューアルをしたが、視聴率低迷を止められず、1996年10月限りで終了した。このころ同番組の企画は出尽くした感があり、ネタこそが生命線である同番組の終了は必然だったという意見もある。
- 2004年12月22日に初回限定2枚組でDVDが発売された。
- 2005年の24時間テレビの深夜企画で元気が出るテレビの名場面と復活企画を行うとともに、たけし以外の出演者が全員出演した。
- 翌年の2006年の24時間テレビで、この番組の名物企画だった「ダンス甲子園」が復活した。
出演者
★は番組開始時のレギュラー
司会
レギュラー
- 元気が出るテレビと超・元気が出るテレビに両方出演したレギュラー
- 松方弘樹★
- 高田純次★
- 兵藤ゆき★
- 島崎俊郎
- 元気が出るテレビのレギュラー
- 木内みどり★
- 野口五郎★
- 川崎徹★
- 桑田靖子★
- 勝村政信
- 岸本加世子
- 峰竜太
- 井森美幸
- 山口美江
- 森尾由美
- 村上遙
- 超・元気が出るテレビからのレギュラー
- 加藤紀子
- 大東めぐみ
- 三井ゆり
- ぜんじろう
- 風間トオル
- 佐竹雅昭
- ガダルカナル・タカ
- この内、番組に第一回から最終回まで皆勤したのは、松方弘樹と高田純次の二人だけである。
- 司会のビートたけしが半年程、番組を休んだ際には代役として山田邦子(当時はたけしと同じ芸能事務所所属)が司会を務めた。
当番組の出身タレント
- X JAPAN(ヘビメタシリーズ、当時の名前はX)
- 的場浩司(草野球チーム『爆苦連亡世(ばっくれんなよ)』、ただのトラック運転手をしていたヤンキーであった)
- LLブラザーズ(高校生ダンス甲子園)
- 永田雅規(元JINDOU現MJ)(高校生ダンス甲子園、「れいかん やまかん とんちんかん」の一員として)
- 山本太郎(高校生ダンス甲子園、当時の愛称:メロリンキュー)
- 岡田准一(V6)(ジャニーズ予備校)
- 飯田覚士(ボクシング予備校、実際に世界チャンプになった)
- 松島二郎(ボクシング予備校)
- グレートチキンパワーズ(お笑い甲子園)
- 劇団ひとり(お笑い甲子園、川島省吾として)
- COWCOW(お笑い甲子園)
- 2丁拳銃(お笑い甲子園、ダイジェストで一瞬の出演)
- 元気美佐恵(女子プロレス予備校)
- 上林愛貴(女子プロレス予備校)
- 市来貴代子(女子プロレス予備校)
- シュガー佐藤(女子プロレス予備校)
- 三上大和(口喧嘩王、青森の資産家三上誠三の子息)
- 稲森いずみ(勇気を出して初めての告白)
- 観月ありさ(1987年9月20日放送の「大人の顔してTVに出よう!」のコーナーに、当時33歳の母親と共に出演)
- 安室奈美恵(「沖縄の空手美少女」に初期メンバーの「スーパーモンキーズ」として出演)
- 土肥洋一 「GENKI FC」
- よゐこ(カメラに向かって一発大会)
- 矢作兼(幸福の黄色いハンカチ)
上記の人物(グループ)は全くの素人だったわけではなく、ある程度の下積み修行をしていた者(俳優やタレントの卵)が多い。
その他
- ダンカン
- 井手らっきょ
- 原田大二郎
- 宝田明(どうでもいいような功績を挙げた人や団体に、大げさにトロフィーを与える。たけしいわく“トロファー”)
- 泉谷しげる
- 浪越徳治郎(ジェット浪越)
- AURA
- 志垣太郎(デビル志垣)
- 宅八郎
- 山田花子(漫画家、「お笑いの舞台を見に来ても下を向き笑わない女性発見」という設定で出演)
- 志茂田景樹
- 日出郎
- 大槻ケンヂ
- ジュゴン
- ひろ&さやか(べるぽぴんず)
- 大仁田厚
- 嘉門達夫
- 戸塚宏
など
主なコーナー
- たけしメモ
- こんな◯◯◯◯はいやだ
- いかにもの人を探せ!
- 女子高生くすぐり我慢クイズ
- 草野球 (「爆苦連亡世」)
- 人気のない商店街を盛り立てる(熊野前商店街、浦安フラワー通り商店街)
- 予備校シリーズ(ボクシング、プロ野球、プロレスラー、ジャニーズ、漫画家、放送作家)
- 視聴者参加ドラマ(原田大二郎主演の学園ドラマ、超えこひいきドラマ、ジャニーズ事務所の忍者主演ドラマ、忠臣蔵、シンデレラ、大脱走)
- 有名人お見舞いインフォメーション
- お嬢さまを探せ
- ダンス甲子園(このコーナーは2006年8月26日と8月27日放送の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」29』で復活、さらに2006年12月30日18:30から再復活)
- 口ゲンカ王
- 早朝シリーズ(早朝バズーカ、早朝西部劇、早朝サーフスクーター、早朝蒸しタオル、早朝大筒、早朝マウストゥマウス、早朝SM、早朝ヘビメタ、早朝コーナーポスト、早朝ディープキス)
- ヘビメタシリーズ(このコーナーでX JAPAN(当時はX)が脚光を浴びる)
- おかまシリーズ
- ジャイアント島崎シリーズ
- 勇気を出して初めての告白
- 幸せの黄色いハンカチ(おぎやはぎの矢作兼が素人時代に出演)
- 失恋傷心バスツアー
- 北国演歌ツアー
- 渚で彼女にオリジナルラブソングを歌おう
- なりきりポエムの集い
- ダジャレ青年の主張
- たけし軍団人気投票
- たけし軍団と渚を走ろう
- タバコバスターズ
- 赤点バスターズ
- 島崎俊郎による「ともだちんこ」(漫画「おぼっちゃまくん」のギャグ)の実演
- ワニ相撲
- 勉強して東大に入ろうね会 - 広瀬伸哉
- やしろ食堂
- ウカール教
- お元気予報
- アジアコーヒ(ネーポン)
- 100人隊
- みゆき学園
- ビックカメラの生コマーシャル
- Mr.オクレ主演のリポビタンDのCM(番組スポンサーが大正製薬だったため)
- デブリンピック
- こんな所でクイズ
- カメラに向かって○○してください
- メッセージソング集会
- ピュアボーイズに愛の手を
- 大人の顔してTVに出よう!(観月ありさが母親と共に出演)
- ダンカン、勝村お約束ギャグ対決
- 替え歌ウッドストック
など
番組から生まれたキャラクター
- パンチパーマ軍団・相沢会長
- 素人のニューハーフ・セリーヌ管
- エンペラー吉田(ラストエンペラー吉田)
- アッハー浪越(ジェット浪越)
- 大仏魂
- セリーヌ菅
- ガンジーオセロ
- 8月のペンギン
- ゴメンネ馬場
- デビル志垣
- 半魚人(月島にカフェド半魚人をオープン)
- 江戸っ子じいさん
- 五木ひろし隊
- 郷ひろみ隊
- 今きた加藤
- バーバラあきただ
- ワイルドベアー
- 肉屋の双子
- ジョルジョ溝口
- アンジン島津
- 横浜グリース
- 信州のあやしい動きのそば屋
- いじめられっこ(メッセージソング集会)
- ちびっこ篠原君(歌手シルヴィアとデュエットしようとして坂道を転落)
- ホイッスル渡辺
- ナイトエンジェル(おかまソフトボールチーム)
テーマソング
- I'II Be Back Again…いつかは(歌・TAKESHI&HIROKI、1986年4月発売)
- 私・湘南マタンゴ娘(歌・高田暢彦&川崎徹、1987年7月発売)
- CHANCE!心ときめいて(歌・兵藤ゆき&高田純次、1988年3月発売)
スタッフ
- 音楽:斎藤高弘
- ナレーション:根岸雄一
- 音響効果:田中稔、幾代学
- 構成:豊村剛、宮沢章夫、岩立良作、喰始、ダンカン、そーたに、おちまさと、城戸口寛、田中直人、池田一之、都築浩、村上卓史、渡辺哲夫、堀江利幸、高橋ナツコ、とちぼり元、石川裕郁ほか
- 制作:加藤光夫、金谷勲夫
- プロデューサー:篠木為八男、甘利孝/牛丸謙壱、望月政道、玉井浩(IVSテレビ制作)
- AP:岡崎成美、丹羽由美子
- TK : 塚越倫子
- 制作進行:堀田浩司
- 総合演出:伊藤輝夫(現・テリー伊藤)
- 演出:土屋敏男(後の電波少年Tプロデューサー)、神成尚亮、大澤雅彦、財津功、稲葉耕作、松崎俊顕、加藤雅之、木藤憲治、小林ユージ、加藤幸二郎、駒木純一
- ディレクター:宗実隆夫、小島悟、佐藤俊一郎、高須信行、若井力、高橋雅也(現・高橋がなり)、深野和伸、高畑秀太、矢追孝男、長江努、長嶺望、纐纈勇人、山谷 和隆、田口正樹(現・田口マサキ)、宮下仁志、古賀謙一 、長久弦、寺沢隆、マッコイ斉藤ほか
- タイトルアニメ:なんきん、どおくまん、江口寿史、しりあがり寿
- 制作協力:IVSテレビ制作
- 製作著作:日本テレビ
ネット局
- 日本テレビ(関東広域圏)
- 札幌テレビ(北海道)
- 青森放送(青森県、1991年9月まではテレビ朝日系および日本テレビ系クロスネット)
- テレビ岩手(岩手県)
- ミヤギテレビ(宮城県)
- 秋田放送(秋田県)
- 山形テレビ(山形県、放送開始~1993年3月、フジテレビ系)→山形放送(山形県、1993年4月~放送終了)
- 福島中央テレビ(福島県)
- 山梨放送(山梨県)
- テレビ新潟(新潟県)
- テレビ信州(長野県、1991年3月まではテレビ朝日系、ただしテレビ朝日系時代もNNNには加盟していた)
- 静岡第一テレビ(静岡県)
- 北日本放送(富山県)
- 石川テレビ(石川県、1985年10月~1990年3月、フジテレビ系、毎週日曜12:00-13:00の遅れネット)→テレビ金沢(石川県、1990年4月~放送終了)
- 福井放送(福井県、1989年4月からテレビ朝日系にも参加)
- 中京テレビ(中京広域圏)
- よみうりテレビ(近畿広域圏)
- 日本海テレビ(鳥取県・島根県、1989年9月までは日本テレビ系・ANN加盟クロスネット)
- 広島テレビ(広島県)
- 山口放送(山口県、1993年9月まではテレビ朝日系・NNS加盟クロスネット局)
- 四国放送(徳島県)
- 西日本放送(香川県・岡山県)
- 南海放送(愛媛県)
- 高知放送(高知県)
- 福岡放送(福岡県)
- テレビ長崎(長崎県、放送開始~1991年3月、フジテレビ系、ただし1990年9月まではNNSにも加盟のクロスネット)→長崎国際テレビ(1991年4月~放送終了)
- くまもと県民テレビ(熊本県)
- テレビ大分(大分県、フジテレビ系・NNS加盟クロスネット局、さらには1993年9月まではANNにも加盟していた)
- テレビ宮崎(宮崎県、フジテレビ系・NNNおよびANN加盟クロスネット)
- 鹿児島テレビ(鹿児島県、放送開始~1994年3月、フジテレビ系・NNS加盟クロスネット)→鹿児島読売テレビ(1994年4月~放送終了)
- 沖縄テレビ(沖縄県、フジテレビ系、遅れネット)
脚注
- ^ このパターンは同じ日テレの番組「世界まる見え!テレビ特捜部」やMBS・TBS系の「たけし・所のドラキュラが狙ってる」でもなぜか行っていた。
関連項目
前後番組の変遷
日本テレビ 日曜日20:00枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
↓ 超天才・たけしの元気が出るテレビ!! |