南極物語
南極物語 | |
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ANTARCTICA | |
監督 | 蔵原惟繕 |
脚本 |
野上龍雄 佐治乾 石堂淑朗 蔵原惟繕 |
製作総指揮 | 日枝久 |
出演者 |
高倉健 渡瀬恒彦 岡田英次 夏目雅子 荻野目慶子 |
音楽 | ヴァンゲリス |
撮影 | 椎塚彰 |
編集 | 鈴木晄 |
製作会社 | 南極物語製作委員会 |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 145分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
興行収入 | 110.0億円[5] |
配給収入 | 59億円[6] |
『南極物語』(なんきょくものがたり、英: ANTARCTICA)は、1983年(昭和58年)公開の日本映画(実写)。 南極観測隊の苦難とそり犬たちの悲劇を描いている。
概要[編集]
南極大陸に残された兄弟犬タロとジロと越冬隊員が1年後に再会する実話を元に創作を交え、北極ロケを中心に少人数での南極ロケも実施し、撮影期間3年余をかけ描いた大作映画である。
1971年の『暁の挑戦』以来、フジテレビが久しぶりに企画製作、学習研究社が半分の製作費を出資して共同製作し、日本ヘラルド映画と東宝が配給。フジサンケイグループの大々的な宣伝に加え、少年、青年、成人、家庭向けの計4部門の文部省特選作品となり、映画館のない地域でもPTAや教育委員会がホール上映を行い[7]、当時の日本映画の興行成績新記録となる空前の大ヒット作品となった。1980年代に何度もテレビ放送され、21世紀に入りデジタル・リマスターでの放映の他にも、ケーブルテレビで多く放送されている。
本作の成功の勢いはその後の『ビルマの竪琴』や『子猫物語』などが続き、1980年代以降に続くフジテレビ製作映画の起点ともなった作品である[8]。
キャッチコピーは、『どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか』。
物語概要[編集]
1956年(昭和31年)文部省の南極観測隊第1次越冬隊が、海上保安庁の運航する南極観測船「宗谷」に乗り南極大陸へ赴いた。1年以上にわたる南極生活の中で、隊員たちは様々なトラブルや経験に出くわす。
1958年(昭和33年)2月を迎え、第2次越冬隊と引継ぎ交代するため再び「宗谷」で南極大陸へ赴いたが、「宗谷」側は長期にわたる悪天候のために南極への上陸・越冬断念を決定する。その撤退の過程で、第1次越冬隊の樺太犬15頭を、無人の昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。極寒の地に餌もなく残された15頭の犬の運命、犬係だった2人の越冬隊員の苦悩、そして1年後に再開された第3次南極観測隊に再び志願してやってきた隊員の両者が、南極で兄弟犬タロとジロに再会する。
第1次観測隊に参加した村山雅美が監修を行っている[注 1]。モデルとなった隊員である菊池徹(潮田隊員のモデル)と北村泰一(越智隊員のモデル)も映画化に併せて、回想記として、菊池徹/著『犬たちの南極』(中公文庫、1983年5月)と、北村泰一/著『南極第一次越冬隊とカラフト犬』[注 2](教育社、1982年12月)を刊行している。なお、第1次越冬隊隊長の西堀栄三郎は、その著書に『南極越冬記』(岩波新書、初版1958年)があり、半世紀を越え重版されている。3者とも資料提供などで協力している。
潮田暁(高倉健)のモデルとなった菊池徹は、実際には3次隊には参加しておらず、越智健二郎(渡瀬恒彦)のモデルとなった北村泰一のみが犬たちとの再会を果たしているが、劇中では、潮田暁(高倉健)と越智健二郎(渡瀬恒彦)が第3次観測隊に参加してタロ・ジロと再会している。
製作の経緯[編集]
フジテレビでは1969年の『御用金』『人斬り』から映画製作に進出していたが、1971年の『暁の挑戦』が大赤字となってからは中断していた[9]。しかし映画の放送権料が高騰する中で、1回か2回の放送のため数億円を投じるならば映画製作をして自社のライブラリーにした方が効率的という判断に傾く中、1979年夏に放送した蔵原惟繕監督の『キタキツネ物語』が44.4%の高視聴率を記録[10]。『キタキツネ物語』と同様の大自然の物語を作らないかという話になり、蔵原惟繕の弟の蔵原惟二から持ち込まれた企画が26話のテレビシリーズ『タロとジロは生きていた』だった[11]。これにフジテレビ側担当の角谷優が乗り気になり、劇場映画でやることを提案、映画『南極物語』の企画が始動した[12]。
脚本[編集]
テレビシリーズ『タロとジロは生きていた』は、実話に基づいて佐治乾が脚本を書いたドキュメンタリー・タッチのものだった[11]。しかしこの段階では映画会社にも俳優にも興味を持ってもらえず[11]。それで人間味を加え、ドラマ性のあるエピソードを紡いで、映画的感動を盛り上げることができるかが試行錯誤された[11]。まず石堂淑朗が脚本に加わり、次に監督の蔵原が『青春の門』や『必殺シリーズ』で腕を見込んだ野上龍雄を加えた[11]。これが1981年の秋[11]。
宣伝と興行成績[編集]
最初はフジテレビが東映に配給を打診に行ったら、岡田茂東映社長が「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」と、門前払いしたといわれる[11][13][14]。
フジサンケイグループの総力を挙げた宣伝とメディアミックスが行われた。『笑っていいとも!』にはタロとジロが出演[15]、7月17日にはテレビアニメ『さすがの猿飛』でパロディ「肉丸南極物語」[16]、公開当日の7月23日には特別番組『南極物語スペシャル』を放送、制作秘話やエピソードを織り交ぜながら映画を紹介し、更に渡瀬恒彦と植村直己の対談も放送[17]、さらにバラエティ番組『オレたちひょうきん族』の「タケちゃんマン」で7月30日に「タケちゃんマンの南極物語の巻」が放送[18]。この他にもフジテレビとニッポン放送で連日大々的なキャンペーンが行われた。
映画公開自体をイベント化して大ヒットをもたらした大々的な宣伝は、当時の角川映画の方法論を踏襲してそのお株を奪うものであったが[19][20]、一方で電波の私物化であるとの批判も起こった[21]。
全国キャンペーンには、タロとジロを演じた犬と、犬の飼い主役で3シーンのみ出演の荻野目慶子がキャンペーンガールとなって全国をまわった。荻野目はイメージソング「愛のオーロラ」も歌い、フジサンケイグループのキャニオンレコードから発売された[22]。その他のメディアミックスについては、学研の『学習・科学』全誌で大々的に取り上げられ、学研とサンケイ出版から関連書籍が出された他、ポニーキャニオンからは当時の8ビットパソコン向けにゲームが発売された。
日本国内では1200万人を動員して61億円の配給収入を挙げた[23]。1980年公開の黒澤明監督の「影武者」の記録を塗り替えて当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し[24]、この記録は1997年公開の宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」まで、あるいは実写映画としては2003年公開の「踊る大捜査線2」に抜かれるまで破られなかった。フジサンケイグループを中心に当時としては記録的な240万枚の前売り券が販売[25]。共同製作の学習研究社と協力して全国の家庭も対象に前売券を販売した[26]。
上映時間など[編集]
本編[編集]
日本の劇場公開版の上映時間、ビデオテープ(レーザーディスク・VHD、2001年にDVD)本編の収録時間は、いずれも約143分。初めてのテレビ放送で一度未公開シーンを追加し、2日に分け2時間・計4時間枠で放送された他は、編成上の都合により短縮編集版がテレビ放映されたこともある。
後年に、米国(英語吹替・112分)・オーストラリア(前同)・イタリア(イタリア語吹替・モノラル・90分)・フランス(フランス語吹替)の各国で「ANTARCTICA」のタイトルでビデオが発売された。日本版との差異の大半はシーンのカットによる時間短縮であるが、そのほかにシーンの脈絡が日本版と前後する部分(米国版)や、日本版(特別編含む)で全く使用されていない音楽(日本版ラストシーンの続きに当たるメイン・テーマのCD未収録部分約1分50秒間)を使用している部分(イタリア版)などがある。
特別編[編集]
公開1年後の1984年(昭和59年)10月5日・6日に、製作元のフジテレビ系列で、前・後編に分け正味約180分の「南極物語 特別編」(劇場公開版に未収録の場面を加えた現在でいう「ディレクターズ・カット版」)が放送された。なおこの特別編は、以後再放送もビデオ・DVDなどで販売もされていない。
予告編[編集]
2001年(平成13年)11月21日に発売されたDVD(日本版)の特典ディスクには予告編が収録されている。日本版1編(1分20秒)と米国版2編(2分30秒と3分30秒)であり、日本版は初期のもので南極物語の曲は用いられていない。米国版のほうは(米国公開が日本公開の翌年であったこともあり)南極物語の曲が使用されており、2分30秒版ではグレゴリー・ペックがナレーションをしている。
実際には、日本版にもきちんと南極物語の曲を使用、「文部省特選」である旨も表示し、後に「第二回予告篇コンクール<邦画部門>金賞」を受賞している完成度の高い後期版(3分20秒)の予告編(画面では「予告篇」と表示)があったが、このDVDには収録されていない。
音楽[編集]
音楽はヴァンゲリスが担当した。当時、ヴァンゲリスは映画『炎のランナー』のサウンドトラックでビルボードのシングル/アルバムチャートで全米No.1を獲得、第54回アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞した直後で、『ブレードランナー』や『ミッシング』など世界中からオファーが殺到しており、依頼の際、マネージャーから報酬として当時の日本映画を数本撮れるほどの金額を提示された。一時は断念しかけたが、本人に参加を確約してもらい、マネージャーと粘り強く交渉してヴァンゲリスの音楽担当が実現した[27]。
前述のテレビアニメ『さすがの猿飛』でのパロディ「肉丸南極物語」では、そのためにヴァンゲリスによって新曲も作曲されている[16]。
データ[編集]
- 日本国内劇場公開:1983年(昭和58年)7月23日
- 配給収入:約59億円(当時の日本映画最高配給収入記録、日本映画の歴代興行収入第7位)
- 観客動員数:約880万人
- テレビ放送での視聴率(ビデオリサーチ調べ):1984年(昭和59年)10月5日(前編):26.3%[28]、10月6日(後編):35.3%[28]
- ビデオ売上(ポニー、1986年時点):3万本[28]
主なスタッフ[編集]
- 製作:南極物語製作委員会(フジテレビジョン、学習研究社、蔵原プロダクション)
- 配給:日本ヘラルド映画、東宝
- 製作者:古岡滉、鹿内春雄、蔵原惟繕
- 企画:角谷優、蔵原惟二
- 製作指揮:日枝久
- チーフプロデューサー:貝山知弘、田中寿一
- プロデューサー:森島恒行、蔵原惟二
- 製作コーディネーター:村上七郎
- 監督:蔵原惟繕
- 脚本:野上龍雄、佐治乾、石堂淑朗、蔵原惟繕
- 音楽:ヴァンゲリス
- 撮影:椎塚彰
- 助監督:大林丈史、金井進二、高崎通浩
- 製作担当:北澤秋夫、植田成
- 記録:石川久美子
- 音響効果:小島良雄(東洋音響)
- 小道具:佐藤結樹
- ドッグトレーナー:宮忠臣
- スチール:大隅隆章
- メイク:上田幸夫
- 撮影助手:松橋亮、松尾研一、三浦忠、倉持武弘、山形一也
- 録音助手:中野俊夫、武進、永峯康弘
- 照明助手:内田勝也、津木昭
- 小道具助手:大坂和美、御牧賢秀
- 編集助手:冨田功、松本ツル子、村山勇二
- 音効助手:渡部健一(東洋音響)
- オーロラ製作班:原政男、佐藤正直、樋口一雄、萩原啓司、皆川慶助
- 獣医:橋山悟
- 極地サポート:五月女次男、沢野新一朗
- 製作デスク:杉野有充、河井真也
- 製作経理:嘉納修治、竹内恵美子
- 製作進行:山本隆康
- 宣伝 :ヘラルドエース
- 宣伝プロデューサー:坂上直行
- 監修、資料提供:西堀栄三郎、菊池徹、北村泰一
- オーロラアドバイザー:小口高
- ニュージーランド南極局長:ロバート・B・トムソン
- 協力:ニュージーランド南極スコット基地、カナダ大使館、海上保安庁、国立極地研究所、日本極地研究振興会、稚内市役所、船の科学館、朝日新聞社、京都大学、北海道大学、東映俳優センター、学習科学編集部
- 協賛:ライオン、日本クリニック、三菱自動車工業、学研グループ、ニッポン放送、産経新聞社、フジネットワーク
- MA:にっかつスタジオセンター
- 現像:東洋現像所
主なキャスト[編集]
人間[編集]
- 潮田暁(高倉健)
- 第1次・第3次越冬隊員。有能な地質学者。犬係を務める。南極滞在時にボツンヌーテンへの旅に出るが、その復路に犬や越智らとともに遭難しそうになる。犬たちを非常に大切に思っており、犬が置き去りにされそうになったときは必死に阻止しようとした。帰国後、世間の非難とバッシングに晒されるが、一切弁明せずに耐える。北海道大学講師の職を辞し、樺太犬の提供者への謝罪の旅に出る。
- 越智健二郎(渡瀬恒彦[注 3])
- 第1次・第3次越冬隊員。京都大学で研究している。関西弁を話す。温厚な潮田とは対照的に、鞭(むち)を使って調教するなど、犬にはかなり厳しく、潮田から「鬼の訓練士さん」と揶揄されるが、それは犬たちを思ってのことである。南極から帰国後、南極越冬隊での事は一切口にせず以前の仕事に復帰するが、犬たちのことを忘れられずに苦悩する。
- 小沢大(岡田英次)
- 第1次越冬隊長。
- 北沢慶子(夏目雅子)
- 越智の婚約者。南極から帰国後に苦悩する越智を支える。
- 志村麻子(荻野目慶子)
- 樺太犬リキの飼い主。最初、潮田が連れてきた2匹目のリキを受け取るのを拒否するが、のちに許諾し、再び潮田に会いに行く。
- 森岩剛士(日下武史)
- 北海道大学教授。
- 堀込勇治(神山繁)
- 第2次南極地域観測隊長。
- 岩切竜雄(山村聡 [注 4])
- 南極観測船「宗谷」船長。
- 徳光(江藤潤)
- 第2次越冬隊員。犬の世話担当。
- 戸田(佐藤浩市)
- 第2次越冬隊員。犬の世話担当。
- 喫茶店のマスター(岸田森)
- 越智の通う喫茶店のマスター。「南極」が禁句のようになっている越智に、潮田が犬たちの飼い主への謝罪の旅をしている雑誌記事を示唆する。
- 野々宮英(大林丈史、兼・助監督)
- 第2次越冬隊長。
- 尾崎勇造(金井進二、兼・助監督)
- 第1次越冬隊医師。潮田たちとともにボツンヌーテンの旅に同行する。
- 長谷川(中丸新将)
- 第2次越冬隊員。
- 昭和号パイロット(佐藤正文)
- 「宗谷」搭載の軽飛行機DH-2のパイロット。
- 武井(坂田祥一郎)
- 梶原博(志賀圭二郎)
- 第2次越冬隊員。
- 南極観測船「宗谷」航海長(寺島達夫)
- 鶴田功(長谷川初範)
- 第1次越冬隊員。
- 池内(内山森彦)
- 南極観測船「宗谷」通信士(川口啓史)
- 志村真紀(市丸和代)
- 麻子の妹。リキを置き去りにしたことについて潮田を激しく責める。
- カトリーヌ(スーザン・ネピア)
- 外国人記者。犬たちを置き去りにした潮田を難詰する。
- 「バートン・アイランド号」艦長(チャールズ・アダムス)
- 「宗谷」を救援するアメリカの砕氷艦の艦長。
- 稚内市長・浜森辰雄
- 公開時の稚内市長だったが、史実では、(本作上の)1958年時点では北海道議会議員で、翌1959年に初当選している。本人の特別出演。
- 野口(大谷進)
- 江藤(前島良行)
- 第2次南極越冬隊員(佐山泰三)
- 第2次南極越冬隊員(野口貴史)
- 中村(大江徹)
- ナレーション(小池朝雄)
犬(役名)[編集]
樺太犬たち[編集]
南極観測隊の犬ぞり曳きとして南極へ行った樺太犬たち。第1次南極観測隊では多くの活躍をする。越冬隊の撤退の過程で、シロ(雌)などを除いて無人の昭和基地に置き去りにされてしまう。
- タロ
- 稚内市に生まれ、南極で育った雄の樺太犬。南極観測隊に樺太犬による犬ぞりの使用が決定され、犬ぞり隊となる。ボツンヌーテンの旅の帰路、越智の提案により思わぬ活躍をする。無人の昭和基地に置き去りにされてしまう。
- ジロ
- タロの弟。タロとともにボツンヌーテンの旅の帰路に活躍をする。
- ゴロ
- “無駄飯食い”と呼ばれるほどの大食漢。体が大きい。鎖から抜ける事ができずにそのまま死亡する。のちに、昭和基地に戻ってきた越智がゴロの死体を見て「腹減って」と呟くシーンがあるが、凍死か餓死かは定かではない。
- ペス
- モク
- アカ
- 攻撃的な性格。鎖につながれたまま死亡する。
- クロ
- ポチ
- 紋別のクマ
- リキ
- 麻子・真紀姉妹の元々の飼い犬。犬たちのリーダー的存在。脱出後も他の犬を統率する。タロ・ジロをシャチからかばって傷を負い、2匹に食料のアザラシの死体の場所を教えて死亡する。なお、史実では、タロとジロの生還から9年後の1968年に昭和基地近くの解けた雪の中からリキの死体が発見されている。
- アンコ
- 南極に取り残された後、鎖から脱出した8頭のうちの1頭。鎖を杭ごと引き抜き脱出したことが仇となり、アザラシに海中に引きずり込まれて死亡する。置き去りにされる直前に一度首輪抜けしており、このことが死の遠因となる。帰国した越冬隊員によって死亡した7頭の死の遠因と見なされる発言がなされた。
- シロ(雄)
- シロ(雌)
- 昭和基地でジロと結婚。日本帰還中に仔犬を産む。
- ジャック
- 南極に取り残された後、鎖から脱出した8頭のうちの1頭。オーロラを見て狂乱、いずこへともなく走り去りそのまま行方不明となる。最後は死体が発見された。
- デリー
- 最後に鎖から脱出したものの、氷の裂け目の食料をとろうとして、海に落ちて死亡する。
- 風連のクマ
- 脱出した8頭のうちの1頭。タロ・ジロ兄弟の父に当たる犬。一匹狼的性格で、脱出したほかの犬と群れずひとり大陸にとどまるが、はぐれたアンコを連れてタロ・ジロと合流し、また大陸へと消える。
その他の犬[編集]
- ピーちゃん
- 京都の祇園祭りで越智と隣り合わせた婦人が抱いていた犬。南極に残した犬を忘れようと努めている時期の越智に親愛の情を見せた。いたたまれない気持ちになった越智はその場を去る。
- リキ
- 潮田が麻子たちのもとに連れてきた、リキの代わりの犬。先述のリキとは別個体。
DVD副音声参加者(2001年)[編集]
副音声の解説者の肩書きはいずれも1983年映画公開当時のもの。
- 角谷優(企画・フジテレビ映画部長)
- 貝山知弘(チーフプロデューサー)
- 蔵原惟二(企画・プロデューサー。蔵原惟繕監督の実弟)
- 蔵原惟繕(製作・監督・脚本。副音声コメントは別録のものを適宜挿入)
エピソード[編集]
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- 本編に登場する樺太犬は、制作当時には既に希少犬種となっていたため、出演した犬の犬種はすべて、現在[いつ?]の南極観測に多く用いられているエスキモー犬である[29]。
- 劇中の潮田隊員は、最後のヘリで昭和基地に行き、そこで残された犬たちを毒殺してくることを要望して却下されるが、史実の菊池徹隊員は、「最後のヘリで基地に自分を連れて行って、そこで犬と一緒に自分も置き去りにしてくれ」と要望して当然却下された。
- 第3次観測隊にも参加しタロ・ジロと再会した北村泰一が「南極観測隊OB会報」に寄稿した内容によれば、実際の再会の様子は、風評とは異なる。第1次観測時には幼かったタロとジロは成長していたため見極めが困難となっており、さらに、野生化していて襲われるのではないかという恐怖心もあったため、最低でも10分以上は互いに警戒し距離を置いていた。そこで、黒い犬の名を順番に呼びかけ、「タロ」、「ジロ」と呼んだ時に反応があったことから特定、その後は実際に抱擁した。なお、下記のコミカライズ版『タロとジロは生きていた』の再会シーンでは映画とは異なり、比較的史実に近い描写がなされている。
- 氷の割れ目からタロとジロに襲いかかるシーンに出演しているシャチは、和歌山県の白浜町にあるテーマパーク、アドベンチャーワールドで飼育されていたシャチの「弁慶」である。
- 高倉健は、著書でこの映画を、度々回想している。
- 登場シーンはごくわずかだが、岸田森の遺作となった。
- 俳優である大林丈史が助監督もやっているのは、南極ロケにおいて(南米圏に近いため)必須のポルトガル語が堪能だったことによるものである。
- 初のテレビ放送は1984年10月5日(金曜日)と同年同月6日(土曜日)で、『南極物語 愛と感動のスペシャル』と銘打ち、前後編に分け、それぞれフジテレビ系列の21:02 - 22:52(JST)で放送(21:00 - 21:02は予告番組『今夜の南極物語』を別途放送)、解説は前後編とも『ゴールデン洋画劇場』の高島忠夫が担当した。なお、後者は『ゴールデン洋画劇場』の放送枠だが、本作(後編)は『ゴールデン洋画劇場』枠外で放送された[30]。
- 2014年11月10日、主演の高倉健が83歳で死去した。これを受けて、同月21日にフジテレビ系列にて特別番組が編成され、本作のデジタルリマスター版と高倉健追悼特別番組として放送された。
- 越智隊員を演じた渡瀬恒彦は、劇中でタロ・ジロを演じる犬たちと信頼関係を築いてから撮影に臨むことを提案。撮影に入る数か月前から自宅で飼育して南極に赴いた。撮影終了後も2匹を引き取って飼うことにした[31]。
メディアミックス[編集]
書籍[編集]
- 南極物語 タロ、ジロは生きていた!
- 野上龍雄ほか、サンケイ出版、1983年7月- 写真・シナリオ
- 南極物語 生きていた奇跡の犬、タロとジロ
- 学研、1983年6月- 映画ストーリー
- タロ・ジロは生きていた 南極物語
レコード[編集]
ゲーム[編集]
- 南極物語(PC-8801、FM-7、X1、MSX) - フジサンケイグループのポニーキャニオンのポニカレーベルで発売、2800円、カセットテープ、昭和基地に物資を運ぶシミュレーションゲーム、1983年8月
- 学研LCD CARD GAME 南極物語(学研)
関連書籍[編集]
- カラフト犬物語 南極第一次越冬隊と犬たち 生きていたタロとジロ
- 北村泰一、教育社、1982年- 児童文学
- タロ・ジロは生きていた ドキュメント フォト・南極
- 菊池徹、ジュニア・ノンフィクション:教育出版センター、1983年7月- 児童文学
- 実録 南極物語 第一次越冬記者の回想
- 藤井恒男、朝日ブックレット:朝日新聞社、1983年4月- 小冊子
- タロ・ジロは生きていた 南極越冬隊とカラフト犬の物語[注 5]
- 藤原一生、ジュニア・ノンフィクション:教育出版センター、1983年6月- 児童文学
- 映画の神さまありがとう テレビ局映画開拓史
- 角谷優、扶桑社、2012年
受賞歴[編集]
- 第1回ゴールデングロス賞最優秀金賞、マネーメイキング監督賞
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ “Antarctica”. IMDb(Company Credits). Amazon.com. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “Antarctica”. IMDb(Release Info). Amazon.com. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “Les films japonais sortis en France en salle(フランスの劇場で公開された日本映画)”. 電気館 Denkikan ─ Le blog du cinéma japonais. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “ANTARCTICA(20 mars 1985)”. ALLOCINÉ(アロシネ). 2020年6月2日閲覧。
- ^ “歴代ランキング - CINEMAランキング通信” (2014年7月7日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ 1983年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ 「映画人生50年・永遠の青春・古川勝巳」編集プロジェクトチーム編集『映画人生50年 永遠の青春 古川勝巳』古川爲之・古川博三、1987年、p.88
- ^ 大高宏雄『日本映画のヒット力 なぜ日本映画は儲かるようになったか』ランダムハウス講談社、2007年、p.56
- ^ 映画の神さま 2012, p. 284.
- ^ 映画の神さま 2012, pp. 38-39.
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- ^ 映画の神さま 2012, pp. 105-106.
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- ^ 斉藤 守彦 on Twitter: 2015年11月11日 "映画界でもよくある話で.. 2016年8月26日閲覧。
- ^ 斉藤守彦「斉藤守彦の映画経済スタジアム」『インビテーション』2006年6月号
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- ^ 1983年7月23日付「朝日新聞」ラジオ・テレビ欄の番組紹介
- ^ 高田文夫責任編集『笑芸人』1999冬号VOL.1、白夜書房、1999年、p.29
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- ^ 平辻哲也「『アマルフィ女神の報酬』とフジテレビ映画小史」『キネマ旬報』2009年7月下旬号。pp.31-32
- ^ ザテレビジョン編『2000年のテレビジョン 放送メディア大激変のシナリオ』角川書店、1993年、p.20
- ^ 荻野目慶子『女優の夜』幻冬舎、2002年、pp.110、117
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- ^ a b c 『週刊東洋経済』1986年8月2日号、122頁。
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- ^ 『毎日新聞 縮刷版』毎日新聞社、1984年10月5日・10月6日付ラジオ・テレビ欄。
- ^ “情に厚い男だった渡瀬さん「南極物語」タロとジロ 共演後も飼い続けた”. Sponichi Annex (2017年3月16日). 2017年3月17日閲覧。
参考文献[編集]
- 角谷優『映画の神さまありがとう テレビ局映画開拓史』扶桑社、2012年11月30日。ISBN 978-4-594-06685-7。
関連項目[編集]
- タロとジロ
- 斎藤弘吉 - タロとジロ他の樺太犬救出のために尽力した。(財)日本動物愛護協会理事長。
- 南極物語 (2006年の映画)
- 初代南極観測船「宗谷」 - 元は貨物船で、戦争中は輸送船として使用され、砕氷船として海上保安庁に移転した後、南極観測船になるという数奇な運命を辿る。現在は、東京の船の科学館で保存・公開されている。
- 南極観測船
- 宗谷物語 - 一部「南極物語」を原作にした話がある。
- 南極大陸 (テレビドラマ) - 2011年のテレビドラマ。本作と同じ第1回南極観測隊を中心に描く。
- 「Antarctica」 ヴァンゲリス - オリジナルサントラ
- 1983年の映画
外部リンク[編集]
- 南極物語 - allcinema
- 南極物語 - KINENOTE
- 南極物語のチラシ - ぴあ
- Antarctica - オールムービー(英語)
- Antarctica - インターネット・ムービー・データベース(英語)