コンテンツにスキップ

「サッカーイングランド代表」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Sunny589 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
48行目: 48行目:
| socks2 = FF0000
| socks2 = FF0000
|FIFAコード=ENG|image=Arms of The Football Association.svg}}
|FIFAコード=ENG|image=Arms of The Football Association.svg}}
'''サッカーイングランド代表'''(サッカーイングランドだいひょう、{{lang-en-short|England national football team}})は、[[フットボール・アソシエーション]] (FA) により組織される[[サッカー]]の[[ナショナルチーム]]。愛称は「'''スリーライオンズ'''」。ホームスタジアムは[[首都]]、[[ロンドン]]郊外にある[[ウェンブリー・スタジアム]]。
'''サッカーイングランド代表'''(サッカーイングランドだいひょう、{{lang-en-short|England national football team}})は、[[フットボール・アソシエーション]] (FA) により組織される[[サッカー]]の[[ナショナルチーム]]。愛称は「'''スリーライオンズ'''」。ホームスタジアムは[[首都]]、[[ロンドン]]郊外にある[[ウェンブリー・スタジアム]]。<ref>{{cite web |url=https://footballarroyo.co.uk/england-national-football-team/ |title=England national football team |publisher=Football Arroyo |accessdate=11 August 2022}}</ref>


== 概要 ==
== 概要 ==

2022年8月11日 (木) 11:19時点における版

サッカーイングランド代表
国または地域 イングランドの旗 イングランド
協会 フットボール・アソシエーション (FA)
FIFAコード ENG
愛称 Three Lions
監督 ガレス・サウスゲート
最多出場選手 ピーター・シルトン(125試合)
最多得点選手 ウェイン・ルーニー(53得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1872年11月30日スコットランド
0-0
最大差勝利試合 1882年2月18日北アイルランド
13-0
最大差敗戦試合 1954年5月23日ハンガリー
1-7
FIFAワールドカップ
出場回数 14回(初出場は1950
最高成績 優勝(1966
UEFA欧州選手権
出場回数 10回
最高成績 準優勝(2021

サッカーイングランド代表(サッカーイングランドだいひょう、: England national football team)は、フットボール・アソシエーション (FA) により組織されるサッカーナショナルチーム。愛称は「スリーライオンズ」。ホームスタジアムは首都ロンドン郊外にあるウェンブリー・スタジアム[1]

概要

近代フットボール発祥の地

フットボール/サッカー発祥の地であるイングランドのナショナルチーム。1870年3月5日、ロンドンのケニントン・オーヴァルで“非公式”ながら、世界初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われ、1-1の引き分けに終わった。その後、この試合も含め両者は5回に渡り非公式国際試合を行った(1870年の11月19日、ケニントン・オーヴァルでイングランドが1-0で勝利。1871年2月25日、同地区で1-1引き分け。1871年11月18日、ロンドンでイングランドが2-1で勝利、1872年2月24日、ロンドンでイングランドが1-0の勝利)。一連の非公式国際試合は、それらの試合を企画したイングランドサッカー協会(FA)第4代事務局長チャールズ・ウィリアム・オールコックの名前にちなんで、オールコックの国際試合と呼ばれている。1872年11月30日に、グラスゴーのパーティック地区のハミルトン・クレッセント・グラウンドで、世界で最初の“公式”国際試合が、イングランドとスコットランドの間で実施された。結果は0-0の引き分けだった。

テューダー家の紋章。ランカスター家の赤薔薇とヨーク家の白薔薇を合わせた形になっている。

愛称とロゴ

愛称の「スリーライオンズ」はイングランドサッカー協会のエンブレムに描かれる「3頭の獅子」から。これはイングランド王室紋章に由来する。現在のイングランドの国章は、「獅子心王(Lion Hearted King)」ことイングランド王リチャード1世第3回十字軍で使用した紋章が発祥である。それに、イングランドの国花であるバラ薔薇戦争を終わらせたチューダー朝の紅白の「チューダーローズ」をあしらっている。ユニフォームの色に合わせて紺の縁取り(ボーデュア)で盾形に画された白のフィールドに爪と口の中が赤の紺の獅子が三頭配されている。最上段、二段目、三段目の獅子の上に3つのチューダーローズが左右と中央にちりばめられ、さらに最下段の獅子の下に一つのチューダーローズ、すなわち10のチューダーローズが配されている。これらのデザインはUMBRO社が手がけた[2]

実績

サッカーの母国で、古くから世界を代表する強豪国として知られている。しかし、ボビー・チャールトンケビン・キーガンポール・ガスコインデビッド・ベッカムウェイン・ルーニーなどの名選手を多く輩出しながら歴史的に大舞台では勝負弱く、サッカーの母国として十分な実績を残しているとは言い難い。FIFAワールドカップでの4強進出は地元開催で優勝した1966年大会と4位になった1990年イタリア大会2018年ロシア大会の3度である。また、ワールドカップと並ぶ国際タイトルであるUEFA欧州選手権では2020年大会で準優勝したのが最高成績である。FIFAワールドカップ優勝経験のある全ての国の中で唯一各大陸選手権で優勝していない国でもある。

2006 FIFAワールドカップのイングランド代表

歴史

1920年代にサッカーの国際大会が始まっても、1930年からFIFAワールドカップが開催されるようになっても長らくこれらに参加しなかったが、サッカーの母国として世界最強のナショナルチームであると目されていた。

ワールドカップ初参加となった1950年のブラジル大会ではトム・フィニースタンリー・マシューズジャッキー・ミルバーン、スタン・モーテンセンらを擁して臨んだが、アメリカ戦とスペイン戦を共に0-1で連敗して1次リーグ敗退に終わり、面目を失う形となった(アメリカ VS イングランド)。

1953年11月25日には、ホームであるウェンブリー・スタジアムで当時世界最強を謳われた「マジック・マジャール」ことハンガリーとの親善試合に3-6という歴史的大敗を喫し、「ウェンブリーではいかなる外国チームにも負けなし」というイングランド代表ウェンブリー不敗伝説が終わった(すでにスコットランドに4敗しており、イギリス4協会以外とは4試合目)。雪辱を期し、翌年ブダペストへ乗り込みリターンマッチに挑むが、1-7と更なる大差で敗れた。

1954年のワールドカップ・スイス大会では1次リーグ突破を果たすも決勝トーナメント初戦でウルグアイに敗れベスト8止まり、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会ではソ連とのプレーオフに敗れてまたも1次リーグ敗退となった。これら1950年代の一連の敗北はもはやイングランドのロングボールを主体とした古き良きプレースタイルが時代の推移に大きく遅れ、世界最強の座から完全に転落した事を意味していた。

1963年に監督に就任したアルフ・ラムゼイは就任早々独自に代表選手選考を行なえる権限を得て選手強化に努め、1966年自国開催のワールドカップで念願の初優勝を果たす。これによりようやくサッカーの母国としての面目を施したものの、決勝戦の西ドイツ戦でのジェフ・ハーストの決勝ゴールは物議を醸した。

前回王者として臨んだ1970年のワールドカップ・メキシコ大会では決勝トーナメント一回戦で西ドイツと対戦。後半途中まで2-1とリードしていたため、次の準決勝を見据えエースのボビー・チャールトンを休ませるべく交代させたが(今大会から2名の選手交代が認められていた)、西ドイツの反撃を受けて2-3で敗れた。

その後、1974年のワールドカップ・西ドイツ大会ポーランドに、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会イタリアに競り負け、連続してヨーロッパ地区予選敗退に終わるという第2の低迷期を迎える。

1977年にロン・グリーンウッドが監督に就任、1970年大会以来となるワールドカップ出場権を獲得した。1982年のワールドカップ・スペイン大会ではケビン・キーガンがアクシデントによる負傷で殆ど出場出来ないなど、無得点が響いて無敗のまま2次リーグ敗退、1986年のワールドカップ・メキシコ大会ではFWゲーリー・リネカーの活躍もあって準々決勝進出を果たす。準々決勝ではアルゼンチン戦でディエゴ・マラドーナによる「神の手」ゴールと「五人抜き」の前に1-2で敗れたが、リネカーは通算6得点をあげ得点王に選ばれた。

1990年にはリネカーとポール・ガスコインらの活躍により4位となり、1966年大会以来となる好成績を収めた。大会後グレアム・テイラーが監督に就任したが。ユーロではグループリーグ敗退、1994年ワールドカップ・アメリカ大会オランダノルウェーに各々1敗1分だったことが響き、まさかのヨーロッパ地区予選敗退となる。なお、この時のヨーロッパ地区予選では英国4協会代表が揃って予選落ちという事態となった。

1996年にはUEFA EUROを地元で開催し、30年ぶりの国際大会優勝を期待された。アラン・シアラーが大会得点王となるが、準決勝のドイツとのPK戦に惜敗した。1998年のワールドカップ・フランス大会も「ワンダーボーイ」ことマイケル・オーウェンを擁しながら、ベスト16でアルゼンチンとの死闘の末、PK戦で敗れた。この試合で退場処分を受けたデビッド・ベッカムはのちに汚名を返上し、キャプテンとして代表を牽引することになる。

2001年には代表史上初めて外国人監督のスヴェン・ゴラン・エリクソンを招聘した。ベッカム、オーウェンのほかフランク・ランパードスティーブン・ジェラードジョン・テリーウェイン・ルーニーら才能ある名選手を擁し、たびたび優勝候補に挙げられながらも、国際大会では最高でベスト8止まりという状況が続いた。

UEFA EURO 2008の本大会出場を逃したのを受けて、2007年末にファビオ・カペッロを監督に迎え、ワールドカップ・南アフリカ大会欧州予選では圧倒的な攻撃力で予選参加国中、最多の34得点を挙げた。しかし、本戦グループリーグでは得点力不足に苦しみ、決勝トーナメント1回戦でドイツに敗れた。しかし、この試合でランパードの放ったシュートがクロスバーに当たった後、明らかにゴールラインを超えていながら得点を認められず、1966年イングランド大会のハーストの決勝ゴールを想起させる誤審が物議を醸した。ファビオ・カペッロは2012年2月に辞任し、ロイ・ホジソンが新監督に就任した。2大会ぶりの出場となったUEFA EURO 2012は準々決勝でイタリアに延長PK戦の末敗れた。

2012年10月9日にフランスのクレールフォンテーヌ国立研究所やイタリアのコベルチアーノに学び、世界最高峰のナショナルフットボールセンター、セント・ジョージズ・パークをバートンに開いた。

2014年ワールドカップブラジル大会では、4カ国中イングランドを含む3カ国が優勝経験を持つ最激戦区「死の組」と目されたD組において、初戦でイタリア、2戦目でウルグアイにいずれも1-2で敗れ、ワールドカップでは同じブラジルで開催された1950年大会のグループリーグで、2戦目アメリカ合衆国、3戦目スペインに連敗を喫して以来2度目、初戦からでは初となる連敗を喫し、同組で最終戦で対戦するコスタリカがイタリアを破り連勝した時点で、1950、1958各大会に続き56年ぶり3度目のグループリーグでの敗退という屈辱となった[3]。最終戦のコスタリカ戦でも負けこそしなかったものの0-0に終わり、1958年大会以来2度目の未勝利での敗退、かつグループリーグでの勝点1はイングランドのワールドカップ史上最低の勝点となった。

2大会連続の出場となったUEFA EURO 2016では、グループリーグを2位で突破し、ラウンドオブ16でアイスランドに敗れ、ロイ・ホジソン監督が辞任した。後任にはサム・アラダイスを据えたが、デイリー・テレグラフの囮取材によって不適切な言動が明らかとなり、2016年9月にわずか1試合のみで契約を解除された[4]

サム・アラダイスの解任に伴いU-21カテゴリーで指揮を執っていたガレス・サウスゲートが暫定で代表監督を務め、同年12月に正式に代表監督に就任した。ガレス・サウスゲートが監督に就任をした前後においてプレミアリーグに所属するチェルシーFCマンチェスター・シティFCトッテナム・ホットスパーFCが採用していた3バックシステムを2018 FIFAワールドカップロシア大会までイングランド代表の布陣として導入した。代表監督就任から1年が経ち2018 FIFAワールドカップロシア大会まで残り1年を切りはじめた2017年11月にドイツブラジルを本拠地ウェンブリー・スタジアムに迎え、親善試合ではあるものの両試合をスコアレスドローに抑えた。翌年2018年の5月に行われた親善試合ではオランダ相手に勝利、イタリアを相手に1-1の引き分けと、強豪国との連戦も負けなしの状態が続き2018 FIFAワールドカップロシア大会を迎えることとなった。

2018 FIFAワールドカップロシア大会に向けた代表登録の最終メンバーにはまだ20歳前後のトレント・アレクサンダー=アーノルドマーカス・ラッシュフォードそして2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で主力として活躍したハリー・ケインラヒーム・スターリングデレ・アリがメンバー入りし、例年に比べて非常に若い代表メンバーとなった。またプレミアリーグ2015-2016で初優勝を遂げたレスター・シティFCからはジェイミー・ヴァーディが選出され若い選手の多いチームに多様性をもたらした。2018 FIFAワールドカップロシア大会では初戦のチュニジア戦でキャプテンのハリー・ケインが後半ロスタイムにヘディングで決勝点となる2点目を決めてから勢いに乗り、グループリーグを2位で突破したのちベスト16でコロンビアと対戦して延長戦の末PK戦にもつれ込んだがゴールキーパーのジョーダン・ピックフォードのセーブもあってPK戦勝利という記録的な勝利をあげた。ベスト8では2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフイタリアを敗退に追いやって出場を手に入れたスウェーデンと対戦し無失点で2-0というスコアで勝利し1990年イタリア大会以来のベスト4進出を決めた。準決勝クロアチア戦では前半5分にキーラン・トリッピアーの直接フリーキックが決まり先制に成功するも、同点ゴールを決められ延長戦の末1-2で敗れて決勝進出が絶たれた。3位決定戦ではグループリーグの最終戦で対戦したベルギーとの再戦に敗れて大会を4位で終えた。

ワールドカップ終了後もガレス・サウスゲート代表監督の続投が決まり、10月の国際親善試合とUEFAネーションズリーグ2018-19に向けた登録メンバーでは当時10代のジェイドン・サンチョメイソン・マウントを代表入りさせ、代表チームの世代交代を進めた。1年延期されたUEFA EURO 2020では初めて決勝へ進出したが、PK戦でイタリアに敗れ準優勝だった。

2021年11月15日に2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で最終節を戦った結果カタールで開催される2022 FIFAワールドカップ本大会への出場が決定した。

2022年4月2日にカタールのドーハで行われた2022 FIFAワールドカップのグループリーグ組み合わせ抽選ではグループBに入り、アジアのイランと初戦で当たり北中米から同じく英語圏のアメリカそしてウェールズの3か国と対戦することが決定した。

PK戦の弱さ

国際大会のトーナメント戦でPK戦決着方式が導入されてから、ワールドカップでは1勝3敗[5]、UEFA EUROでは1勝4敗である[6]。2012年欧州選手権でPK戦に敗れた後、ロイ・ホジソン監督は「イングランドのサッカー界でPK戦はある種のトラウマとなっている」と語った[7]

  • 1990年 ワールドカップ・イタリア大会準決勝 西ドイツ戦●
  • 1996年 UEFA EURO 準々決勝 スペイン戦◯
  • 1996年 UEFA EURO 準決勝 ドイツ戦●
  • 1998年 ワールドカップ・フランス大会ラウンド16 アルゼンチン戦●
  • 2004年 UEFA EURO 準々決勝 ポルトガル戦●
  • 2006年 ワールドカップ準々決勝 ポルトガル戦●
  • 2012年 UEFA EURO 準々決勝 イタリア戦●
  • 2018年 ワールドカップ・ロシア大会ラウンド16 コロンビア戦◯
  • 2021年 UEFA EURO 決勝 イタリア戦●

弱体化の要因

国内リーグの最高峰であるプレミアリーグにおいて、外国籍選手の大量流入により国内若手選手の出場機会が減っていることが指摘されており、ワールドカップやEUROの予選で厳しい戦いを強いられることになるとの声もある[8]

イギリス人の国民性が要因で、サッカー選手なのに他国に比べて選手のアルコールの摂取量が異常に多いとの指摘もある[9]

成績

FIFAワールドカップ

開催国 / 年 成績
ウルグアイの旗 1930 不参加
イタリア王国の旗 1934
フランスの旗 1938
ブラジルの旗 1950 グループリーグ敗退 3 1 0 2 2 2
スイスの旗 1954 ベスト8 3 1 1 1 8 8
スウェーデンの旗 1958 グループリーグ敗退 4 0 3 1 4 5
チリの旗 1962 ベスト8 4 1 1 2 5 6
イングランドの旗 1966 優勝 6 5 1 0 11 3
メキシコの旗 1970 ベスト8 4 2 0 2 4 4
西ドイツの旗 1974 予選敗退
アルゼンチンの旗 1978
スペインの旗 1982 2次リーグ敗退 5 3 2 0 6 1
メキシコの旗 1986 ベスト8 5 2 1 2 7 3
イタリアの旗 1990 4位 7 3 3 1 8 6
アメリカ合衆国の旗 1994 予選敗退
フランスの旗 1998 ベスト16 4 2 1 1 7 4
日本の旗大韓民国の旗 2002 ベスト8 5 2 2 1 6 3
ドイツの旗 2006 5 3 2 0 6 2
南アフリカ共和国の旗 2010 ベスト16 4 1 2 1 3 5
ブラジルの旗 2014 グループリーグ敗退 3 0 1 2 2 4
ロシアの旗 2018 4位 7 3 1 3 12 8
合計 出場15回/優勝1回 68 29 21 18 91 64

UEFA欧州選手権

開催国 / 年 成績
フランスの旗 1960 不参加
スペインの旗 1964
イタリアの旗 1968 3位 2 1 0 1 2 1
ベルギーの旗 1972 予選敗退
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 1976
イタリアの旗 1980 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3
フランスの旗 1984 予選敗退
西ドイツの旗 1988 グループリーグ敗退 3 0 0 3 2 7
スウェーデンの旗 1992 3 0 2 1 1 2
イングランドの旗 1996 ベスト4 5 2 3 0 8 3
ベルギーの旗オランダの旗 2000 グループリーグ敗退 3 1 0 2 5 6
ポルトガルの旗 2004 ベスト8 4 2 1 1 10 6
オーストリアの旗スイスの旗 2008 予選敗退
ポーランドの旗ウクライナの旗 2012 ベスト8 4 2 2 0 5 3
フランスの旗 2016 ベスト16 4 1 2 1 4 4
欧州連合の旗 2021 準優勝 7 5 2 0 11 2
合計 出場10回 38 15 13 10 51 37

選手

個人記録

出場試合数

2021年7月7日現在
  水色は現役代表選手
# 名前 出場 得点 期間
1 ピーター・シルトン 125 0 1970-1990
2 ウェイン・ルーニー 119 53 2003-2016
3 デビッド・ベッカム 115 17 1996-2009
4 スティーヴン・ジェラード 114 21 2000-2014
5 ボビー・ムーア 108 2 1962-1973
6 アシュリー・コール 107 0 2001-2014
7 ボビー・チャールトン 106 49 1958-1970
フランク・ランパード 29 1999-2014
9 ビリー・ライト 105 3 1946-1959
10 ブライアン・ロブソン 90 26 1980-1991

得点数

2022年6月16日現在
  水色は現役代表選手
# 名前 得点 出場 期間 得点率
1 ウェイン・ルーニー 53 119 2003-2016 0.4454
2 ハリー・ケイン 50 73 2015- 0.70
3 ボビー・チャールトン 49 106 1958-1970 0.4623
4 ゲーリー・リネカー 48 85 1984-1992 0.5647
5 ジミー・グリーブス 44 57 1959-1967 0.7719
6 マイケル・オーウェン 40 89 1998-2008 0.4494
7 トム・フィニー 30 76 1946-1958 0.3947
ナット・ロフトハウス 33 1950-1958 0.9091
アラン・シアラー 63 1992-2000 0.4762
10 ビビアン・ウッドワード 29 23 1903-1911 1.2609
フランク・ランパード 106 1999-2014 0.2736

監督

期間 名前 国籍 試合数 勝数 引分 敗数
1946-1962 ウォルター・ウィンターボトム イングランドの旗 イングランド 139 78 33 28
1963-1974 アルフ・ラムゼイ 113 69 27 17
1974 ジョー・マーサー 7 3 3 1
1974-1977 ドン・レヴィー 29 14 8 7
1977-1982 ロン・グリーンウッド 55 33 12 10
1982-1990 ボビー・ロブソン 95 47 30 18
1990-1993 グレアム・テイラー 38 18 13 7
1994-1996 テリー・ヴェナブルズ 23 11 11 1
1996-1999 グレン・ホドル 28 17 6 5
1999 ハワード・ウィルキンソン 1 0 0 1
1999-2000 ケビン・キーガン 18 7 7 4
2000 ハワード・ウィルキンソン 1 0 1 0
2000 ピーター・テイラー 1 0 0 1
2001-2006 スヴェン・ゴラン・エリクソン  スウェーデン 67 40 17 10
2006-2007 スティーブ・マクラーレン イングランドの旗 イングランド 18 9 4 5
2007-2012 ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 42 28 8 6
2012 スチュアート・ピアース(暫定監督) イングランドの旗 イングランド 1 0 0 1
2012-2016 ロイ・ホジソン 56 33 14 9
2016 サム・アラダイス 1 1 0 0
2016- ガレス・サウスゲート 41 24 9 8

脚注

関連項目

外部リンク