コンテンツにスキップ

金星 (相撲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。いちけい (会話 | 投稿記録) による 2012年5月25日 (金) 06:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎年間金星無配給)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

金星(きんぼし)とは、大相撲で、平幕力士横綱と取組をして勝利することである。三役以上(小結以上)が横綱に勝っても金星にはならず、普通に白星と呼ばれる。

概要

金星を獲得すると力士褒賞金の支給標準額が10の増加となる。これは、勝ち越し20点分に相当し、獲得場所に負け越しても本場所ごとの褒賞金の支給額が、10円を4000倍した4万円まるまる昇給となる。ただし、不戦勝や反則勝ちの場合は金星扱いにはならない(2003年平成15年)7月場所10日目、横綱朝青龍の反則負けに際して、勝利した前頭2枚目旭鷲山に対し金星不適用が確認された)。

また、優勝決定戦での勝利も、それ自体は番付の昇降や持ち給金にはかかわらないものなので(優勝によって30円の昇給にはなるが)、これも金星にはならないと考えられる。なお、過去に決定戦での平幕-横綱戦は7例あるものの(一騎打ちは4例)すべて横綱が勝っている。

勝ちを白星、負けを黒星と呼ぶことから生まれた表現であると思われる。また、大関に勝つことを俗称として銀星(ぎんぼし)ということがあるが、これは公式記録として集計もされないし、昇給にも関係しない。しかし銀星でもアナウンサーからインタビューは受ける。

金星を獲得した力士はその場所の勝敗数にもよるが、三賞、特に殊勲賞の選出対象となりやすい。

派生した俗語

  • 金星を上げる - 勝てないと思える相手に勝利する事。または、絶対に勝つ事を必須としている勝負事に勝利する事。誰が見ても勝てないと思えた相手に勝利した場合は大金星(だいきんぼし)とも言う。 
  • 相撲界隠語で、美人、または会うと勝負事に運があがるような女性のことも「金星」と呼ぶ。

金星獲得記録

金星獲得数

2010年(平成22年)11月場所現在)

1位 安芸乃島勝巳 16個
2位 高見山大五郎栃乃洋泰一 12個
4位 土佐ノ海敏生 11個

同一横綱からの金星獲得

4個以上獲得した力士のみ

四股名 獲得金星数
(通算金星数)
配給横綱
高見山大五郎 7個(12個) 輪島大士
貴闘力忠茂 7個(9個) 曙太郎
大豪久照 5個(8個) 栃ノ海晃嘉
安芸ノ島勝巳 4個(16個) 千代の富士貢
北勝海信芳
旭富士正也
土佐ノ海敏生 4個(11個) 貴乃花光司
鶴ヶ嶺昭男 4個(10個) 栃錦清隆
安念山治 4個(10個) 栃錦清隆
玉乃海太三郎 4個(9個) 栃錦清隆
時津山仁一 4個(8個) 栃錦清隆
豊山広光 4個(8個) 輪島大士
太寿山忠明 4個(7個) 北の湖敏満
安美錦竜児 4個(7個) 朝青龍明徳
山錦善治郎 4個(5個) 宮城山福松
朝潮太郎 (4代) 4個(5個) 北の湖敏満

1場所3金星獲得

場所 力士 対戦横綱
1953年(昭和28年)1月 若ノ花 千代ノ山 東富士 羽黒山
1955年(昭和30年)1月 朝潮 吉葉山 千代の山 栃錦
1979年(昭和54年)11月 栃赤城 若乃花 三重ノ海 輪島
1983年(昭和58年)11月 大ノ国 千代の富士 隆の里 北の湖

連続場所金星獲得

  • 4場所連続 土佐ノ海
場所 対戦横綱
1998年(平成10年)11月 若乃花
1999年(平成11年)1月 貴乃花
1999年3月 若乃花 貴乃花
1999年5月 曙 若乃花

複数横綱からの金星獲得

  • 6人
    • 巨砲丈士(輪島大士、北の湖敏満、二代目若乃花幹士、三重ノ海剛士、千代の富士貢、隆の里俊英
    • 安芸ノ島勝巳(千代の富士貢、北勝海信芳、大乃国康、旭富士正也、曙太郎、武蔵丸光洋)

優勝20回以上の複数横綱から金星獲得

同一横綱からの連続金星獲得

四股名 連続場所数 期間 配給横綱
山錦善治郎 3場所連続 1930年5月-1931年1月[1] 宮城山福松
楯甲新蔵 3場所連続 1940年5月-1941年5月[2] 男女ノ川登三
鳴門海一行 3場所連続 1956年5月-1957年1月[3] 鏡里喜代治
大豪久照 3場所連続 1964年11月-1965年3月 栃ノ海晃嘉
  1. ^ 当時年4場所制
  2. ^ 当時年2場所制
  3. ^ 当時年4場所制

金星獲得年少記録

(平成20年5月場所現在)

1位 貴花田光司千代の富士貢 18歳9ヶ月
2位 白鵬翔朝青龍明徳 19歳8ヶ月
3位 北の湖敏満北の富士勝昭 19歳11ヶ月
4位 大錦充周琴櫻傑將 20歳0ヶ月
5位 錦洋幸治大鵬幸喜 20歳4ヶ月
( )内は対戦相手。

金星配給記録

金星配給数

(2011年1月場所現在)

1位 北の湖敏満 (63) 53個
2位 輪島大士 (47) 、貴乃花光司 (49) 39個
4位 柏戸剛 (47) 、曙太郎 (48) 35個
6位 千代の山雅信 (32) 34個
7位 栃ノ海晃嘉 (17) 33個
8位 鏡里喜代治 (21)、栃錦清隆 (28) 31個
()内は横綱在位場所数。

1場所5金星配給

場所 横綱 配給相手
2001年9月 武蔵丸 琴光喜 朝青龍 海鵬 玉春日 栃乃洋


連続場所金星配給

四股名 連続場所数 期間
栃ノ海晃嘉 11場所連続 1964年(昭和39年)3月-1965年(昭和40年)11月[1]
貴乃花光司 9場所連続 1997年(平成9年)1月-1998年(平成10年)5月[2]
朝潮太郎 (3代) 8場所連続 1960年(昭和35年)9月-1961年(昭和36年)11月[3]
北の湖敏満 8場所連続 1975年(昭和50年)1月-1976年(昭和51年)7月
栃錦清隆 7場所連続 1955年(昭和30年)1月-1956年(昭和31年)5月[4]
大乃国康 7場所連続 1988年(昭和63年)9月-1989年(平成元年)9月[5]
  1. ^ 64年3月場所は新横綱で、新横綱場所からの最多連続記録にもなる。64年11月場所と、65年11月場所を途中休場、それぞれ2個と1個の金星配給。全休3場所を挟んで、66年11月場所まで14場所連続、同場所で引退。要するに、横綱在位中、全休を除いた出場全場所で金星を配給しているのである。
  2. ^ 98年3月は途中休場、金星2個配給。
  3. ^ 62年1月場所、番付に名を残して引退。
  4. ^ 当時年4場所制。55年1月場所は新横綱。55年9月と56年5月は途中休場、金星配給はそれぞれ2個と4個。
  5. ^ 89年7月は途中休場、金星配給1。

連続場所金星無配給

四股名 連続場所数 期間
大鵬幸喜 9場所連続 1965年(昭和40年)7月場所-1967年(昭和42年)1月場所[1]
玉の海正洋 7場所連続 1970年(昭和45年)9月場所-1971年(昭和46年)9月場所[2]
北の湖敏満 7場所連続 1976年(昭和51年)9月場所-1977年(昭和52年)9月場所
白鵬翔 7場所連続 2011年(平成23年)1月場所-2012年(平成24年)3月場所[3]
若乃花幹士 (2代) 6場所連続 1978年(昭和53年)9月場所-1979年(昭和54年)7月場所
千代の富士貢 6場所連続 1987年(昭和62年)11月場所-1988年(昭和63年)11月場所[4]
貴乃花光司 6場所連続 2000年(平成12年)9月場所-2002年(平成14年)7月場所[5]
白鵬翔 6場所連続 2009年(平成21年)11月場所-2010年(平成22年)9月場所
  • 年6場所制以降で、皆勤場所のみ対象。
  1. ^ 66年1月場所を全休。
  2. ^ 71年9月場所後、現役死。
  3. ^ 2011年3月場所は中止。
  4. ^ 88年3月場所を全休。
  5. ^ 2000年7月場所を途中休場、翌9月場所を全休。01年7月場所から02年7月場所までを7場所連続全休。01年5月に平幕力士(和歌乃山)からの不戦勝1あり。

年間金星無配給

年六場所制以降、6場所を皆勤してのものとしては、2011年現在まで未記録。2011年の白鵬は金星配給なしだったが、この年は八百長問題による春場所中止があり、年5場所だった。これ以外での年間金星配給最少の記録は1で、大鵬はじめ複数の横綱が記録している。また年間に限らない連続6場所皆勤しての金星なしは、大鵬、玉の海、北の湖、2代若乃花、千代の富士、貴乃花、白鵬が記録している(#連続場所金星無配給の節も参照)。惜しかった例としては昭和46年の玉の海で、9月場所まで金星無しの後の現役死だった。

金星配給の一場所平均

休場場所などを考慮せず、単純に「金星配給数÷横綱在位場所数」で見た時、年6場所制移行10場所以上在位の横綱で「金星配給率」のもっとも高いのは栃ノ海晃嘉。在位17場所で33個配給は一場所平均約1.94個になる。若乃花勝の在位11場所で18個配給、一場所平均約1.63個がこれに続く。どちらも軽量の技巧派横綱として期待されての昇進だったことを思うと、この面では皮肉な結果だったことになる。昭和以降年6場所制以前の横綱の中では男女ノ川登三の在位12場所で22個、一場所平均約1.83個、宮城山福松の在位18場所(うち出場17場所)、一場所平均1.71個(出場場所数で算出)が、目を引く。

逆に金星の少なかった横綱としては戦前の玉錦三右エ門と、戦後の玉の海正洋という二所一門の先輩後輩が双璧。玉錦は在位12場所で金星4個、一場所平均約0.333個、玉の海は在位10場所金星3個で一場所平均は0.3個、ともに3場所に1個金星を与えるかどうかだった。この二人はともに横綱在位中の現役死だったためもあるが、大鵬幸喜(在位58場所、金星28個、一場所平均約0.482)や千代の富士貢(在位59場所、金星29個、一場所平均約0.491個)といった大横綱でも、この面では彼らには一歩及ばない。しかし2012年5月場所現在、白鵬翔は在位29場所に対し6個(豊ノ島・稀勢の里・安美錦・翔天狼・稀勢の里・豊響)しか配給しておらず、少ないペースで進んでいる。

面白い記録として、横綱在位数=金星配給数となる金星配給率1の横綱が昭和以降で3人だけいる。東富士欽壹(在位20場所、金星20個)、佐田の山晋松(在位19場所、金星19個)、そして双羽黒光司(在位8場所、金星8個)である。

座布団

現在では横綱が敗れると会場全体から座布団が舞う。金星を挙げた力士に対する賞賛の意味であるが、実際は土俵上の力士行司、またその他の観客に座布団が当たるなどして怪我の恐れがあるため、館内では投げないようにと放送が流れる。

近年は、座布団同士を繋ぎとめて投げられないようにするなどの対策が取られており、2010年11月場所で稀勢の里が白鵬の連勝記録を止める金星を挙げた際には、座布団が舞うことはなかった。一方、歴史や文化的観点からこのような対策が取られることに苦言を呈す者もいる[1]

関連項