岡田幸文
千葉ロッテマリーンズ #66 | |
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2012年4月30日、QVCマリンフィールドにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県塩谷郡高根沢町 |
生年月日 | 1984年7月6日(39歳) |
身長 体重 |
177 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 中堅手 |
プロ入り | 2008年 育成選手ドラフト6位 |
初出場 | 2010年6月1日 |
年俸 | 3,800万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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岡田 幸文(おかだ よしふみ、1984年7月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(外野手)。2009年に育成選手としてマリーンズに入団、同年3月に支配下選手登録された。2010年に初めて一軍に昇格し、この年の日本シリーズでは、勝てば日本一が決まる第7戦で決勝打となる適時打を放つなどマリーンズの日本一に貢献[1]。2011年には日本の育成選手出身者として初めて全試合に出場した[1]。
2011年と2012年にゴールデングラブ賞を受賞。また2011年にはリーグ新記録となる「外野手のシーズン連続守備機会無失策」359を樹立したことにより、特別表彰を受けた。一方、プロ入り以来本塁打が無く、2014年には初打席以来1,773打席連続本塁打無しの新記録を達成した[2]。
経歴
プロ入り前
作新学院高では、2年夏は1番センターとして栃木県予選に出場。同大会の決勝で会田有志(のち巨人)有する佐野日大高に敗れる。2年秋から主将を務め、俊足の一番打者として活躍[3]。チームは秋季県大会で準優勝、春季県大会では優勝したものの[4]、本命として迎えた3年夏の栃木県予選では4回戦で那須拓陽高に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった[5]。
高校卒業後の2003年に日本大学に進学。同級生には、長野久義がいた。しかし、入学してまもなく左肘の軟骨を故障して手術を受け、全治1年以上と宣告されたため数カ月で大学を中退している[6]。
大学中退後は地元に戻り、肘が完治した2004年から全足利クラブでプレー。同年の全日本クラブ野球選手権での優勝にも貢献し、俊足好守の一番・中堅手として活躍した[7]。2006年前半は左手首の骨折と右ひざ半月板損傷で治療に時間を要したが[7]、7月に11歳年上で足利市職員の女性と結婚している。結婚を機に2007年から足利ガスの嘱託社員となり、2008年4月からは全足利クラブの主将を任された。
同年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成枠で6位指名を受ける。背番号は132に決まった。
プロ入り後
- 2009年
- 入団後は育成選手のためさいたま市のロッテの独身寮に入居して単身赴任を始める。球場のクラブハウスでは、椅子と段ボール箱だけでロッカーもない環境に置かれてハングリー精神を鍛えられたという[6]。3月30日に支配下登録され、同時に背番号を66に変更。独身寮を出て足利市内の自宅から二軍の練習に通った[6]。同年は同じ俊足外野手の早坂圭介のブレイクもあり、一軍昇格はならなかった。
- 2010年
- 開幕二軍で迎えたが、6月1日に初の一軍昇格。球団初の育成ドラフト出身で一軍に登録されている。7月4日のヒーローインタビューでは「オーバーフェンス以外は全部捕るつもりでいる」と発言した。
- 中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、第2戦で先発メンバーで出場。11月7日の第7戦で12回表に浅尾拓也から右中間へ決勝打となる適時三塁打を放っている。
- 2011年
- 開幕戦に1番センターのスタメンに抜擢されるとそのままシーズン終了まで1番もしくは2番でスタメン出場を続け、育成選手としてプロ入りした選手では初となるシーズン全試合出場・規定打席到達[8]を果たし、俊足を活かしチームトップとなる41盗塁を記録したほか、打率も.267を記録し、守備面ではシーズンを通して無失策で、両リーグトップの351刺殺を記録し刺殺のパ・リーグ記録にあと2と迫り、最多得票(163票)でゴールデングラブ賞を受賞するなど自己最高の成績となった。外野手としてシーズン連続守備機会無失策359のリーグ新記録を樹立したことにより、特別表彰をも受けた[9]。
- 2012年
- シーズン前の東日本大震災復興支援ベースボールマッチの日本代表に、千葉ロッテから唯一選出された。
- 全試合フルイニング出場を目標に臨むも、開幕当初は自身の打撃不調もあり途中で交代を送られたり控えに回ることもあるなど低調で、フルイニングはおろか前年達成した全試合出場すらも早々に達成不可能となった。当初は9番が多かった打順も復調後は1番に定着した。しかし、交流戦では指名打者の使えないセ・リーグ主催試合でスタメン落ちすることもあり、更に角中勝也の台頭や荻野貴司の復帰に伴ってスタメン落ちしたり、スタメンでも打順が9番となるなど、前年と比べると不安定な起用状況となった。6月16日の対阪神タイガース3回戦(QVCマリンフィールド)でプロ初失策を記録し、外野手の連続守備機会無失策が602でストップした。通年で、リーグ2位となる319刺殺をマークし、前年に続きゴールデングラブ賞を受賞した。
- 2013年
- 同年からチームの主将を務める。前年を上回る134試合に出場したものの、角中・荻野貴司・清田育宏・伊志嶺翔大・ルーキー加藤翔平ら他の俊足外野手との兼ね合いもあり、スタメン落ちして途中で守備固めとして起用されるケースも少なくなく、2010年以来3年ぶりの規定打席未到達となり、打率も最終的に前年を下回るなどレギュラーの地位を守れなかった。また、3年連続のゴールデングラブ賞も逃した。一方で、前年より盗塁数こそ減少したが、盗塁成功率は自己最高の.864を記録した。
- 2014年
- 7月31日、対北海道日本ハムファイターズ戦(QVC)の第1打席で中前打を記録したが、これでプロ入りからの連続打席無本塁打を1770として、元東急フライヤーズの横沢七郎の同記録に並び、つづく第2打席で死球を受けNPB新記録とした[2]。
人物
プロ入り前・社会人時代から既婚であり、入団当時で育成契約では史上初の既婚選手であった。プロ入りについては2人の子供もいたため妻に大いに反対されたが「2年だけやらせてくれ」と説得し、2年後に退団した場合は社員として採用するという足利ガスの後押しもあって入団を決めた[6]。
2009年のオフには年俸が支配下選手最低額の440万円に上がり、二軍監督に着任した高橋慶彦から起用を増やすと明言された事もあってロッテ浦和球場近くにアパートを借りている[6]。
一軍で活躍した2010年のオフには年俸が倍増し、「奥さんの給料を超えましたね」と発言した。2011年シーズンに向け、千葉マリンスタジアムに近いアパートに引越しをする[10]。
一軍のレギュラーに定着した2011年から、TBSのスポーツアナウンサー・石井大裕(元・アマチュアテニス選手)および、同局の営業局に勤務する大裕の兄・大貴(メンバー全員が現役の会社員であるボーカルユニット「√9」のメンバー)と交流。2013年には、石井兄弟が 「Well stone bros feat. 我武者羅應援團」という名義で、岡田のために「Go for it」という登場曲を作った。2014年にも、新しい登場曲として「OVERCOME」を制作。4月2日には、大貴・大裕ともTBSへの勤務を続けながら、「Well stone bros.」としてこの曲でavex traxからメジャーデビューを果たした[11]。ちなみに、「OVERCOME」のCDシングルのジャケットやミュージックビデオには、千葉ロッテのホーム用ユニフォーム姿の岡田が登場している[12]。
選手としての特徴
打撃
バットを短く持つコンパクトなスイングを持ち味とし、2010年は内野安打率32パーセントを記録するなど内野安打が多く、俊足なため併殺打も少ない。2010年は内野安打を狙って「走り打ち」になることが多く打率も伸びなかったが、終盤からはしっかりと振り切る打撃を心がけている[13]。
プロ入りから本塁打がなく、2014年7月31日にプロ初打席からではNPB新記録となる1773打席連続無本塁打とした。高校時代は練習試合で1本打ったのみで、社会人時代を含めて公式戦で本塁打を打ったのは、2008年5月の全日本クラブ野球選手権の栃木県予選が最後となっている。なおNPBにおいて初本塁打をもっとも遅く記録したのは村松有人の1566打席目で、初打席からに限らない連続無本塁打の記録は赤星憲広が記録した2528打席である[2]。
守備
持ち味の俊足を生かした守備範囲の広さを武器とする[14]。打者が打つ前に半歩スタートを切ることを心がけており、抜けると思われた当たりを好捕するファインプレーを度々見せている。なかでも圧巻といえるのが2011年6月15日の対巨人戦で、2回裏、5回裏、8回裏に抜けそうな打球を好捕するファインプレーを1試合で3回も見せた[15]。また、フェンスまでの距離を常に測り、追いつけないと判断した場合は、すばやくクッションボールを捕りにいくなど状況判断に優れている[16]。
走塁
50メートル走5秒6、一塁到達3.97秒を誇る俊足である[13]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2010 | ロッテ | 72 | 161 | 142 | 19 | 25 | 2 | 0 | 0 | 27 | 8 | 15 | 6 | 9 | 1 | 8 | 0 | 1 | 15 | 2 | .176 | .224 | .190 | .414 |
2011 | 144 | 635 | 577 | 68 | 154 | 7 | 4 | 0 | 169 | 35 | 41 | 11 | 20 | 1 | 28 | 0 | 9 | 66 | 5 | .267 | .311 | .293 | .604 | |
2012 | 131 | 482 | 431 | 53 | 113 | 5 | 3 | 0 | 124 | 18 | 23 | 14 | 25 | 2 | 18 | 0 | 6 | 47 | 4 | .262 | .300 | .288 | .588 | |
2013 | 134 | 355 | 313 | 39 | 81 | 4 | 4 | 0 | 93 | 18 | 10 | 3 | 16 | 3 | 18 | 0 | 5 | 26 | 7 | .259 | .319 | .297 | .604 | |
2014 | 110 | 249 | 222 | 37 | 61 | 6 | 3 | 0 | 73 | 9 | 14 | 4 | 11 | 1 | 14 | 0 | 1 | 32 | 1 | .275 | .307 | .329 | .648 | |
2015 | 112 | 205 | 188 | 24 | 46 | 2 | 3 | 0 | 54 | 13 | 11 | 2 | 7 | 0 | 8 | 0 | 2 | 22 | 0 | .245 | .283 | .287 | .570 | |
NPB:6年 | 703 | 2087 | 1873 | 240 | 480 | 26 | 17 | 0 | 540 | 101 | 123 | 40 | 88 | 8 | 94 | 0 | 24 | 208 | 19 | .256 | .299 | .288 | .589 |
- 2015年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年 度 |
外野 | |||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2010 | 68 | 107 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2011 | 144 | 351 | 8 | 0 | 1 | 1.000 |
2012 | 130 | 319 | 6 | 3 | 1 | .991 |
2013 | 130 | 259 | 3 | 2 | 0 | .992 |
2014 | 105 | 141 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
通算 | 577 | 1177 | 21 | 5 | 3 | .996 |
- 2014年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞年
表彰
記録
- 初記録
- 初出場:2010年6月1日、対読売ジャイアンツ3回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に南竜介に代わり中堅手で出場
- 初先発出場:2010年6月2日、対読売ジャイアンツ4回戦(千葉マリンスタジアム)、9番・中堅手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏にディッキー・ゴンザレスから一塁ゴロ
- 初盗塁:同上、2回裏に二盗(投手:ディッキー・ゴンザレス、捕手:阿部慎之助)
- 初安打・初打点:同上、4回裏にディッキー・ゴンザレスから中前適時打
- 節目の記録
- その他の記録
- プロ初打席からの連続打席無本塁打:2087(2015年度シーズン終了時)、NPB記録
背番号
- 132 (2009年 - 同年3月29日)
- 66 (2009年3月30日 - )
登場曲
- 「Happiness」/ 嵐 (2011年)
- 「バリバリBUDDY!」/ V6 (2012年)
- 「Go for it」/ Well stone bros feat. 我武者羅應援團 (2013年)
- 「OVERCOME」/ Well stone bros. (2014年)
- 「NIPPON」 / 椎名林檎 (2015年 - )
脚注
- ^ a b 島村誠也 (2014年4月3日). “プロ入り後、1637打席本塁打ゼロ。ロッテ・岡田幸文の挑戦”. 集英社 web Sportiva. 2014年4月4日閲覧。
- ^ a b c “ロッテ岡田 67年ぶり更新 不名誉だけど「自分らしい」”. スポーツニッポン. (2014年8月1日) 2014年8月19日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2002年7月4日付朝刊、栃木地方面
- ^ 朝日新聞、2002年5月5日付朝刊、栃木地方面
- ^ 朝日新聞、2002年7月24日付朝刊、栃木地方面
- ^ a b c d e AERA、2010年11月22日号、P.78
- ^ a b 読売新聞、2006年7月31日付朝刊、栃木地方面
- ^ 育成枠出身の外国人選手も含めば、オリックスのアーロム・バルディリスも規定打席に到達した。
- ^ パ4人特別表彰 内川、ダル、平野、岡田 - 日刊スポーツ(2011年11月9日)
- ^ 岡田“奥さんの給料超え”127%アップ! - スポーツニッポン(2010年11月20日)
- ^ TBS石井アナ、ロッテ岡田登場曲歌う - 日刊スポーツ(2014年3月28日)
- ^ 「Well stone bros.」公式サイト「DISCOGRAPHY」
- ^ a b 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、122頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、48頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 美技連発、外野の名手 ロッテ・岡田幸文 - 日本経済新聞 2012年2月11日配信、2013年4月5日閲覧
- ^ 岡田 美技連発は“打つ前のスタート”と成瀬との信頼関係 - スポーツニッポン(2011年6月16日)
関連項目
- 栃木県出身の人物一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- 清水貴之 - クラブ時代の同僚
外部リンク
- 個人年度別成績 岡田幸文 - NPB.jp 日本野球機構
- 千葉ロッテマリーンズ:岡田幸文 - 球団公式サイト
- 岡田幸文オフィシャルブログ「感謝」
- ティースタイルエージェンシー 各種マネージメント業務を担当