山形県立山形東高等学校

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山形県立山形東高等学校
山形県立山形東高等学校
過去の名称 山形縣師範學校中學師範学豫備科
山形縣中學校
山形縣尋常中學校
山形縣山形中學校
山形縣立山形中學校
山形県立山形第一高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 山形県
校訓 文武両道
質實剛健
自學自習
設立年月日 1884年(明治17年)10月29日
創立記念日 10月29日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 06101J
所在地 990-8525
山形県山形市緑町一丁目5番87号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山形県立山形東高等学校(やまがたけんりつ やまがたひがしこうとうがっこう、英称:Yamagata Prefectural Yamagata East High School)は、山形県山形市緑町一丁目にある県立高等学校

通称は「山東」(やまとう)、「山形東」(やまがたひがし)、山形市近辺では「東高」(ひがしこう)とも呼ばれている。

概要

歴史
1884年(明治17年)に山形県師範学校から独立の上創立された「山形県中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革によって新制高等学校となった。当初は男子校であったが、1950年(昭和25年)から男女共学を開始した。2014年平成26年)に創立130周年を迎える。
設置課程・学科
全日制課程 普通科 1学年6クラス編成 240名(内推薦入学者は約10%)
校訓
「文武両道・質實剛健・自學自習」
校歌
「羽前の三山」。作詞は土井晩翠、作曲は中田章による。創立40周年を記念して制定された。
また校歌とは別に、祝典歌[1]、応援歌[2]遠征歌[3]もある。
教育課程
授業は65分で行われる(1958年(昭和33年)から実施)。2003年度(平成15年度)入学生から1クラス減の一学年6クラス編成の240名となった。また、同じく2003年度より従来の3学期制から、前期(4~9月)・後期(10~3月)の2学期制へと移行した。但し前期・後期間の秋季休業等は設けられておらず、3学期制をとる学校と長期休業期間はほぼ同じである。
校舎
現在の校舎及び千歳園山東講堂は、創立100周年時に記念事業として竣工した。

沿革

前史
旧制中学校時代
  • 1884年(明治17年)10月 - 山形県師範学校から中学科が分離し、「山形県中学校」として独立。(創立年
  • 1886年(明治19年)9月 - 中学校令の施行により、「山形県尋常中学校」に改称。
  • 1900年(明治33年)
    • 3月1日 - 新庄分校を設置。
    • 4月1日 - 中学校令の改正により、「山形県立山形中学校」と改称。
  • 1902年(明治35年)4月1日 - 新庄分校が分離し、山形県立新荘中学校として独立。
  • 1911年(明治44年)5月 - 山形市北大火により、校舎が全焼。
  • 1912年(明治45年/大正元年)- 校舎を再建。
  • 1936年(昭和11年)8月 - 第22回全国中等学校優勝野球大会夏の甲子園大会の前身)に初出場。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。山形県立山形夜間中学校を統合し、夜間課程とする。
  • 1944年(昭和19年)
    • 2月 - 本校舎が全焼。
    • この年 - 勤労動員が開始。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。
      • 本来、修業年限4年が施行されるのは中等学校令が施行された1943年(昭和18年)4月に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月であったが、戦況の悪化により中等学校令施行前の1941年(昭和16年)以降に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることになった。これにより、1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式が行われた。
    • 4月1日 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
    • 8月 - 終戦。
    • 9月 - 授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
    • 7月 - 学校復興促進委員会が結成され、校舎の再建が協議される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校

施設設備

本校舎
口の字型に配置された3階建の建物を、南側の正面玄関から北側の普通教室棟に向かって2階建の中央廊下が南北に貫く形となっている。地形的な理由により生徒昇降口が本校舎1階よりも低い地階(地下ではない)にあり、生徒昇降口・グラウンド側から見ると4階分の高さがある。普通教室棟については、1階が1年教室、2階が2年教室、3階が3年教室となっている。3年教室については、2006年よりクーラーが設置された。
  • 和風庭園 - 中央廊下東側。小川や池があり、学級の記念写真撮影場所となっている。
  • 洋風庭園 - 中央廊下西側。
  • ピロティ - 本校舎地階部分にある運動場である。
理科
本校舎の南側にある3階建の建物。1階が化学室、2階が生物室、3階が物理室となっている。主に2,3年生と科学部が使用する。本校舎と1,2階部分を渡り廊下で接続されている。
向学棟
本校舎の南南西にある3階建の建物で、渡り廊下により本校舎とは2階部分がつながっている。かつては通信制の校舎であった。霞城学園高の新設に伴い、同校から定時制・通信制が廃止され、霞城学園高は山形駅西口の霞城セントラルビルに校舎を設置したため、現在は、社会科や平日講習等の授業場所、3年生の自習場所、文化部の部活動場所として利用されている。またコンピュータルームを2003年に整備・運用開始し、情報の授業や総合学習の調査等で使用している。高速インターネットLANシステムを完備。
本棟は千歳園山東会館と隣り合わせのため、昼食時に食堂を利用するための通路ともなっている。
体育
バレーボールコート4面分の広さを備える。地階部分は卓球場・トレーニングルームとなっている。
屋内練習場
野球部が屋内の練習場として利用している。
武道
1階がフェンシング場、2階が柔道場、3階が剣道場となっている。
50mプール
同校のすぐ北東に隣接してある山形工業高と共用である(授業時は山形工業高が屋内、同校が屋外プールを使用する。)。水球(山形工業高の部活動で利用)ができる仕様のため、両プール共水深が深い。
グラウンド
山形工業高との共用である。
千歳園山東講堂
創立100周年記念として本校舎と共に竣工した。定員1,008名。各種儀式・集会の他、音楽演奏会、山東祭メイン会場、予餞会等幅広く利用されている。過去にはNHK交響楽団山形交響楽団の演奏が同館で行われたこともある。普段は吹奏楽部が主に利用している。
千歳園山東会館
創立120周年記念として竣工した食堂付の合宿所。過去、食堂は存在していたが焼失してしまい、同校は山形市内で唯一食堂の無い高校であった。2004年に同館が完成し同年より運用開始となった。授業・土曜セミナー(土曜日に行われる講習)の日の昼に食堂が利用できる。保安上の理由で撤去されていた自動販売機が、同館開館と共に内部に設置された(2003年までは武道館脇の屋外に設置されていた。ちなみに、2009年に武道館脇の屋外の自動販売機は再設置された。)。また部活動の校内合宿場所として利用されている。

年中行事

2学期制

前期
  • 東南定期戦(4月)
東南とは山形東高・山形南高の二校のことである。元来、上記二高校の体育部各部が試合を行い勝敗を競うものであったが、平成17年度より野球部、卓球部、剣道部の試合のみとなった。野球部においては山形市営野球場で行われ、全校応援となる。この定期戦の山形南高での呼称は「南東定期戦」である。
  • 新入生歓迎校内駅伝大会(4月下旬~5月上旬のいずれか)
馬見ヶ崎川の河川敷で行われる。午前は個人ロードレース英語版大会を行い、午後はクラスより選抜されたメンバーによるクラス対抗駅伝大会が行われる。生徒はいずれか一方の大会のみに出場する。これに合わせ4月から大会前までは、体育の授業で長距離走の練習が行われる。
  • 研修旅行(5月、無期限中止)
1年生が岩手方面に旅行する。山形東高には修学旅行がないため、これが実質の修学旅行となる。また、各部活の1年生が先輩へのお土産に小岩井農場チーズケーキを買うという慣習がある。なお、東日本大震災により平成23年度より無期限中止となっている。代わりに平成25年度から、2年次に首都圏研修を実施する予定である。
  • 音楽鑑賞教室(5~7月のいずれか)
山形東高講堂もしくは山形市コンサートホールにおいて開催されるクラシックコンサートである。
  • クラスマッチ(7月)
ソフトボール卓球バスケットボールサッカーバレーボールの球技の他、綱引きと剛健ジャンプ(長縄跳び)の種目を、学校敷地内で行う行事のことである。また、女子のみが出場できるレディースマッチというリーグがあり、各球技種目の他、ドッジボールが行われる。球技では、その種目に該当する部活の生徒は出場できない(ソフトに野球部、バスケにバスケ部など)ただし1年生に限り、1人だけの出場が認められる。
  • 体育祭(7月)
あかねヶ丘陸上競技場で行われる陸上競技大会のことである。騎馬戦などのフィールド競技や、障害物競走などの競技も行われる。なお、クラスマッチと体育祭は、前者が3日間、後者が1日間の連続4日間開催される。
  • 甲子園予選全校応援(7月)
野球部の甲子園出場を目指し、全校生徒が応援する。実質、3年生は部活を引退し(野球部3年部員、上位大会に進んだ体育部3年部員、文化部3年部員及び応援団チアリーダー3年メンバーを除く)受験期に入っているため、1,2年生は全員参加が原則であるが、3年生は有志による参加となる。
  • 山東祭(8月)
2日間半開催される。山形西高山形南高山形北高も同じ日程で文化祭を開催しており、4校合同企画も行われる(年度によって4校合同とならず、2校や3校合同となる場合もある)。1日目は午前に短縮授業を行う。その後、午後より山東祭が開催される。1日目「前日祭」2日目「文化部発表」3日目「文化部発表」「後夜祭」という全校生徒参加による行事が山形東高講堂にて行われる。一般への公開は2~3日目のみで、生徒による模擬店出店、アトラクション、演劇発表、カラオケ大会、ライブコンサート映画上映会やフードファイトなどが行われる。これらにおいて、「前日祭」「後夜祭」「文化部発表」は一般公開ではない。
後期
  • 遠足(10月)
受験を控えている3年生の合格祈願を行う行事で、3年生のみが参加する。羽黒山山形県鶴岡市)登山を行い、頂上にある出羽三山神社にて合格祈願を行う。往路は、山のふもとから石段を歩いて登り、復路はバスにより下山する。
  • 1日総合大学(10月)
3年生の遠足の日に、1・2年生が参加する総合学習のことである。外部講師を招いて山形東高内で講義を行ったり、裁判所大学研究所等の施設を訪れ実地研修などを行う。
創立記念日に開催される行事。創立記念式典と、外部の識者による記念講演会の2部構成で開催。例年、山形東高講堂にて開催されるが、10年単位の節目の年には、山形県県民会館で開催される。
  • 峠の力餅集会(11月)
受験期で最も苦しい時期に差し掛かっている3年生を応援するために行われる行事。3年生が参加する。配られる餅が「峠の力餅」と呼ばれることから行事名となっている。
  • 演劇鑑賞教室(11月)
山形県県民会館で行われる。この演劇鑑賞教室は、山形県村山地区の全高等学校が参加する。
  • センター試験出陣式(1月)
センター試験前日に行われる。大学受験の第一関門であるセンター試験における高得点獲得を祈願する。
  • 予餞会(2月)
卒業を控えた3年生のために、1・2年生が主催して行う行事。

生徒会機関

  • 常任委員会
  • 生活委員会
  • HR委員会
    ホームルーム委員会)
  • 保健委員会
  • 図書委員会
  • 放送委員会
  • クラスマッチ委員会
  • 応援団幹部会
  • 応援団補助委員会
  • 部長会
  • 選挙管理委員会
  • 群竹委員会(旧群竹会)
    (女子による自治組織)
  • 山東祭実行委員会

部活動

体育部
文化部
生徒会管轄部
チアリーダーは、元々女子生徒の「女子は応援団に入ることができないのか」という要望がきっかけで創設された。折しも当時、部員減少により応援団が存続の危機に立たされていたため、チアリーダーの結成を約300人で組織する応援団OB会が呼応、チアリーダーのユニフォーム代などをバックアップする形で創設が実現した。

交通アクセス

著名な出身者

脚注

  1. ^ 「麗しの我が故郷よ」。作詞は神保光太郎、作曲は佐治恒夫による。普段は歌われていないが、創立10年単位の節目の年に開催される創立記念式典の際は歌われる。
  2. ^ 「友よ、立て」- 作詞は門脇徹による。応援歌第一番と並んで今でも頻繁に歌われている。第一番 (おお、勝利)、第二番 (骨をつらぬく)第三番 (鉄壁固く)がある。また創立100周年を迎えた1984年(昭和59年)には谷川俊太郎作詞、服部公一作曲の新応援歌「みなぎる力」が制定された。
  3. ^ 応援歌第一番や「友よ、立て」ほど歌われてはいないが、現在でも東南定期戦の際などに歌われている。
  4. ^ 山形第二高等学校(前・旧制中学校、現・山形県立山形南高等学校)、山形第三高等学校(前・工業学校、現・山形工業高等学校)、山形第四高等学校(前・高等女学校、現・山形西高等学校)、山形第五高等学校(前・高等女学校、現・山形県立山形北高等学校
  5. ^ “「ばばこういち」という生き方”. http://kunyon.com/shucho/100621.html 2015年10月16日閲覧。 

関連項目

外部リンク