北側一雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。114.185.193.238 (会話) による 2012年5月12日 (土) 14:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎その他)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

北側一雄
きたがわ かずお
生年月日 (1953-03-02) 1953年3月2日(71歳)
出生地 大阪府大阪市
出身校 創価大学
前職 弁護士
現職 党副代表
所属政党 (公明党→)
(公明新党→)
新進党→)
(新党平和→)
公明党
親族 父・北側義一
公式サイト 北がわ一雄HP

内閣 第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
在任期間 2004年9月27日 - 2006年9月26日

選挙区大阪府第5区→)
大阪府第16区
当選回数 6回
在任期間 1990年2月19日 - 2009年7月21日
テンプレートを表示

北側 一雄(きたがわ かずお、1953年3月2日 - )は、日本政治家公明党所属の前衆議院議員(6期)。

経歴

人物

  • 弁護士時代は庶民派弁護士で知られ、主としてサラ金、地上げ、悪質訪問販売などの被害者救済を得意とした。
  • 中選挙区時代の対立候補に同じ大阪弁護士会西村眞悟がいた。
  • 司法修習33期・90年衆院選で初めて国会議員になった両方の同期に簗瀬進

政策評価

  • 国土交通大臣就任中に耐震強度偽装事件、豪雨災害など事件事故災害やJALのトラブルの多発、JR福知山線脱線事故JR羽越本線脱線事故など重大事故が頻発していたが、その対応を的確に行い、マスメディアや首相の小泉純一郎(当時)から評価され、2005年に国土交通大臣に再任されている。特に福知山線脱線事故については、JR西日本が早期の運転再開を求めたのに対して、北側は「改良型ATSを設置するまでは運行再開を許さない」とJR西日本の要望を一蹴し、安全確保を最優先したことが評価されている。また鉄道事故防止のため、いわゆる「運輸安全法」制定に尽力した。
  • 関西圏に続いて首都圏の鉄道会社にも女性専用車の設置を推進した。しかし鉄道関係で特筆される政策はこれだけで、むしろ鉄道会社に締め付けを行う(先の福知山線脱線事故の際、各鉄道会社に改良型ATSの設置を義務付けたがそれはすべて各鉄道会社の負担とさせた)一方、車業界とのつながりが深く、道路関係では道路特定財源の一般財源化を渋ったり、高速道路関係では新直轄方式で建設を認めるなど、モータリゼーションに偏向した大臣でもある[3]。そのため、トヨタのリコール問題が起きてもトヨタに対しては及び腰であった。地元を走る阪堺電気軌道の存続問題についても終始冷淡であった。そして、道路建設を推進する財界との絡みからホワイトカラーエグゼンプションを支持していた。
  • 日本における外国人参政権の積極的な推進者であり、国会開催中の2007年11月8日に、在日本大韓民国民団が開催した決起大会に参加して「永住外国人地方参政権の立法化に全力をあげて取り組む」という趣旨の発言をおこなった[4]
  • 地元堺市や大阪の経済振興、地域活性化施策に熱心なことで知られ、堺市の政令指定都市移行を強力に後押しした。また、これまで堺浜臨海部にシャープ液晶パネル堺工場などの大型企業誘致を積極推進した。その他、自ら国土交通大臣時代に推進した、我が国における主要港湾を拡大し物流国際競争力を高める「スーパー中枢港湾プロジェクト」において、堺泉北港をスーパー中枢港湾に指定した。

関連する政策・政治問題

その他

  • 出身地は大阪府で南海[5]沿線の堺市を地盤としているが、彼は埼玉西武ライオンズのファンである。
  • 彼は前述の通り鉄道よりも道路を重視する為、2009年3月から始まった「千円高速」を大いに評価し、「これからはマイカーの時代。エコカーをどんどん普及させよう」と発言し、更に「エコカー普及の為には夫の小遣いを減らしその分クルマに費やすなど、男性が大いに協力しなくてはならない」とも発言した。
  • 成田空港B滑走路の2,500 mへの延伸および供用開始は、反対派の敷地を避けるため、条件派の土地を収用して空地となった北西方向へ320 m延長する案を北側(当時国土交通大臣)が認可したものである。この延伸は、滑走路の延伸方角と大臣名双方の語句から俗に「北側延長」と言われている。

主な所属議員連盟

役職歴

脚注

関連項目

外部リンク

議会
先代
大野由利子
日本の旗 衆議院科学技術委員長
1999年 - 2000年
次代
田端正広
公職
先代
石原伸晃
日本の旗 国土交通大臣
第5・6代: 2004年 - 2006年
次代
冬柴鐵三