中野信治
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中野 信治 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1971年4月1日(53歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1997 - 1998 |
所属チーム |
'97プロスト '98ミナルディ |
出走回数 | 33 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 2 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1998年日本GP |
中野 信治(なかの しんじ、1971年 4月1日 - )は、日本のレーシングドライバー。大阪府出身。
実父の中野常治も国内F3などで活躍したドライバーだった。
略歴
フォーミュラ・ニッポン、F1、CART、IRLなどに参戦経験を持つ。
2005年シーズンはル・マン24時間レースに参戦し、日本人として初めて世界三大レース(F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レース)の全てに参戦を果たした。2009年6月には中日本自動車短期大学の客員教授に就任。
エピソード
プロスト・グランプリ在籍時、オーナーであったアラン・プロストがオールフレンチチームを目指したため、テストやセッティングも許されないといった様々な冷遇を受けていた。チームメイトであったオリビエ・パニスは中野にとってライバルでもあるが、さすがにこのあまりの冷遇振りに同じF1ドライバーとして心を痛め、「シンジにも彼が走りやすい環境を作ってやってほしい」と苦言をアラン・プロストに呈した。しかし、最後まで待遇改善は行われなかったという。
F1時代
1996年末にリジェと契約し、その後アラン・プロストがチームを買収したことでプロスト・グランプリに改称し、念願のF1参戦を果たす。しかしチーム内での待遇を巡ってアラン・プロストと対立し、入賞2回に終わる。 翌1998年はミナルディへ移籍、チームの財政難で苦しいシーズンとなったがシングルフィニッシュ4回と見せ場を作り、チームオーナーからも高評価を受けたが、チームには残れずシートを失う。 1999年にはジョーダン・無限ホンダのテストドライバーに就任したが、この年限りでF1を去った。
参戦歴
- 1982年~1987年 カートレーシング参戦
- 1989年 全日本F3選手権参戦 最高位7位
- 1990年 イギリス・フォーミュラ・ボクスホール、ヨーロッパ・フォーミュラ・オペル参戦 優勝1回 フォーミュラ・オペル・ロータスヨーロッパ選手権シリーズ16位
- 1991年 フォーミュラ・オペル・ロータス・ヨーロッパ選手権シリーズ10位
- 1992年 全日本F3選手権参戦 最高位8位 全日本F3000選手権参戦 最高位9位
- 1993年 全日本F3選手権参戦 最高位2位
- 1994年 全日本F3選手権参戦 優勝1回 全日本F3000選手権参戦
- 1995年 全日本F3000選手権参戦(童夢・無限) 最高位3位
- 1996年 フォーミュラ・ニッポン参戦(童夢・無限) 最高位2位 シリーズ6位
- 1997年 F1参戦(プロスト) 最高位6位 シリーズ18位
- 1998年 F1参戦(ミナルディ) 最高位7位
- 1999年 F1ジョーダンテスト・ドライバー
- 2000年 CART参戦(ウォーカー・レーシング) 最高位8位 シリーズ24位
- 2001年 CART参戦(フェルナンデス・レーシング) 最高位8位 シリーズ26位
- 2002年 CART参戦(フェルナンデス・レーシング) 最高位4位 シリーズ17位
- 2003年 IRLにインディジャパン300及びインディ500でスポット参戦(ベック・モータースポーツ)
- 2004年
- 全日本GT選手権参戦(チーム国光 #100 NSX) 最高位8位 シリーズ13位
- インターナショナルポッカ1000kmレース参戦(チーム国光 #100 NSX)2位
- 2005年 ル・マン24時間レース参戦(クラージュ・コンペティション #13 クラージュC60-H)
- 2006年
- ルマン・シリーズ参戦(クラージュ・コンペティション #13 クラージュC70) 最高位12位
- ル・マン24時間レース参戦(クラージュ・コンペティション #13 クラージュC70)
- 2007年
- 全日本スポーツカー耐久選手権参戦(M-TEC #16 クラージュC70) 最高位2位 シリーズ2位
- ルマン・シリーズ参戦(クリエーション・オートスポーツ #9 クリエーションCA07) 最高位5位
- ル・マン24時間レース参戦(クリエーション・オートスポーツ #9 クリエーションCA07)
- 2008年
- ルマン・シリーズ参戦(エプシロン・ユースカディ #21 エプシロン・ユースカディ・ジャッド)
- ル・マン24時間レース参戦(エプシロン・ユースカディ #21 エプシロン・ユースカディ・ジャッド)
- 2009年
- アジアンルマンシリーズ参戦(ソラ・レーシング) 岡山国際サーキット 総合優勝
(key)
Year | Team | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | Team | WDC | Points |
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1997 | Prost | AUS 7 |
BRA 14 |
ARG Ret |
SMR Ret |
MON Ret |
ESP Ret |
CAN 6 |
FRA Ret |
GBR 11 |
GER 7 |
HUN 6 |
BEL Ret |
ITA 11 |
AUT Ret |
LUX Ret |
JPN Ret |
EUR 10 |
Prost | 18th | 2 |
1998 | Minardi | AUS Ret |
BRA Ret |
ARG 13 |
SMR Ret |
ESP 14 |
MON 9 |
CAN 7 |
FRA 17 |
GBR 8 |
AUT 11 |
GER Ret |
HUN 15 |
BEL 8 |
ITA Ret |
LUX 15 |
JPN Ret |
Minardi | NC | 0 |
関連項目
外部リンク