中日クラウンズ

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国際招待ゴルフ 中日クラウンズ
トーナメント情報
創設 1960年
(中部日本招待全日本アマ・プロゴルフ選手権として)
開催地 愛知県
開催コース 名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース
基準打数 Par70
ヤーデージ 6545Yards(2012年)
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 ストロークプレー
賞金総額 1億2000万円
開催月 4月
最高記録
最少打数 260 日本の旗 尾崎将司1995年
通算スコア -20 日本の旗 尾崎将司(1995年)
最新優勝者
大韓民国の旗 I・J・ジャン(2012年)
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国際招待ゴルフ 中日クラウンズ(こくさいしょうたい - ちゅうにち -、英称:THE CROWNS)とは日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認の男子プロゴルフトーナメントの1つである。

概要

中部日本放送(CBC)・中日新聞社主催で毎年4月末・5月上旬の木曜から日曜にかけての4日間、愛知県愛知郡東郷町にある名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースで開催されている[1]1960年の第1回[2]から現在も続いているトーナメントであり、民間ゴルフトーナメントの草分け的存在でもある[3]優勝者には副賞としてスポンサートヨタ自動車よりクラウン[4][5][6]が贈呈され、ホールインワンを達成した選手にはやはりトヨタ自動車より「トヨタホールインワン賞」として人気車が贈呈される(アマチュアの場合は車ではなく記念品)[7][8][9]2012年現在、賞金総額1億2000万円、優勝賞金2400万円[10]。また2009年に限り「JTGO中部スプリング・ダッシュ賞」が設けられ、当大会と東建ホームメイトカップの成績をポイント化し、2戦合計の最多得点者に1000万円の賞金が贈られた。

出場選手には国内のトッププレイヤーはもちろん海外から一流選手を招聘しており、ジャック・ニクラスゲーリー・プレーヤーアーノルド・パーマーデビッド・トムズリー・ジャンセンジャスティン・レナードジョン・デーリーコリー・ペイビンフレッド・カプルスなどが出場している。中でもピーター・トムソン19691972年)、グラハム・マーシュ19771982年)、スコット・シンプソン19841988年)が2度制覇している他、セベ・バレステロスグレグ・ノーマンデービス・ラブ3世などが優勝している。とりわけラブは第39回(1998年)で4日間首位を維持し、2位に大会新記録の8ストローク差をつけて優勝を果たしている。

第9回(1968年)には安田春雄と鈴村久による9ホールにわたるプレーオフ、第17回(1976年)にはデビッド・グラハムの大逆転優勝、青木功19781980年)、尾崎将司19951997年)の3連覇などが知られている。

第48回(2007年)はハワイ在住の日系人、タッド・フジカワが参加するなど開催前から話題を集めたがグリーンの改修などで以前のような難度の高いコース設定に選手が苦しめられ、予選通過ラインは8オーバーまで下がり4日間通算でもアンダーパーで上がったのは優勝争いを繰り広げた宮瀬博文谷口徹の2人だけ。この両者が同スコアで並んだため18番ホールにてプレーオフを行い、宮瀬が初優勝を果たした。

第51回(2010年)は石川遼が最終日男子ツアータイ記録となる12バーディーを記録し、18位から通算13アンダーで逆転優勝した。1ラウンド58は男子国内ツアー新記録で世界記録を達成した。

杉原輝雄は第1回大会から51年連続出場を続け、アーノルド・パーマーマスターズ・トーナメントにおける同一大会連続50年出場を破る世界記録を達成したが[11]2011年の第52回大会は体調不良を理由に欠場。連続出場記録は51回でストップした。

また第52回大会では尾崎将司が64歳3ヵ月で予選を通過し、1976年の第17回大会での中村寅吉の60歳7ヵ月を上回る大会史上最年長予選通過記録を更新した[12]

なお、愛知県では10月に「東海クラシック[13]が行なわれるが、同一年の「中日クラウンズ」と「東海クラシック」を両方優勝した選手は、未だに一人もいない。

歴代優勝者

回数 開催期間 優勝者名
第1回 1960年6月1日4日 日本の旗 中村寅吉
第2回 1961年 日本の旗 石井朝夫
第3回 1962年 日本の旗 橘田規
第4回 1963年 日本の旗 細石憲二
第5回 1964年 日本の旗 杉原輝雄
第6回 1965年 日本の旗 橘田規
第7回 1966年 日本の旗 内田繁
第8回 1967年 中華民国の旗 謝永郁
第9回 1968年 日本の旗 安田春雄
第10回 1969年 オーストラリアの旗 ピーター・トムソン
第11回 1970年 日本の旗 安田春雄
第12回 1971年 中華民国の旗 呂良煥
第13回 1972年 オーストラリアの旗 ピーター・トムソン
第14回 1973年4月26日29日 日本の旗 青木功
第15回 1974年4月26日~29日 日本の旗 村上隆
第16回 1975年4月26日~29日 日本の旗 青木功
第17回 1976年4月29日~5月2日 オーストラリアの旗 デビッド・グラハム
第18回 1977年4月28日5月1日 オーストラリアの旗 グラハム・マーシュ
第19回 1978年4月27日30日 日本の旗 青木功
第20回 1979年4月19日22日
第21回 1980年5月1日~4日
第22回 1981年4月30日~5月3日 オーストラリアの旗 グラハム・マーシュ
第23回 1982年4月29日~5月2日 アメリカ合衆国の旗 ゲーリー・ホルバーグ
第24回 1983年4月28日~5月1日 日本の旗 陳志明
第25回 1984年4月26日~29日 アメリカ合衆国の旗 スコット・シンプソン
第26回 1985年4月25日~28日 日本の旗 海老原清治
第27回 1986年5月1日~4日 アメリカ合衆国の旗 デビッド・イシイ
第28回 1987年4月30日~5月3日 日本の旗 尾崎将司
第29回 1988年4月28日~5月1日 アメリカ合衆国の旗 スコット・シンプソン
第30回 1989年4月27日~30日 オーストラリアの旗 グレグ・ノーマン
第31回 1990年4月19日~22日 日本の旗 須貝昇
第32回 1991年5月2日~5日 スペインの旗 セベ・バレステロス
第33回 1992年4月30日~5月3日 日本の旗 尾崎将司
第34回 1993年4月29日~5月2日 オーストラリアの旗 ピーター・シニア
第35回 1994年4月28日~5月1日 オーストラリアの旗 ロジャー・マッカイ
第36回 1995年4月27日~30日 日本の旗 尾崎将司
第37回 1996年4月25日~28日
第38回 1997年5月1日~4日
第39回 1998年4月30日~5月3日 アメリカ合衆国の旗 デービス・ラブ3世
第40回 1999年4月29日~5月2日 日本の旗 今野康晴
第41回 2000年4月27日~30日 日本の旗 田中秀道
第42回 2001年4月26日~29日 イギリスの旗 ダレン・クラーク
第43回 2002年5月2日~5日 イギリスの旗 ジャスティン・ローズ
第44回 2003年5月1日~4日 日本の旗 星野英正
第45回 2004年4月29日~5月2日 日本の旗 片山晋呉
第46回 2005年4月28日~5月1日 日本の旗 尾崎直道
第47回 2006年4月27日~30日 日本の旗 片山晋呉
第48回 2007年4月26日~29日 日本の旗 宮瀬博文
第49回 2008年5月1日~4日 日本の旗 近藤智弘
第50回 2009年4月30日~5月3日 日本の旗 平塚哲二
第51回 2010年4月29日~5月2日 日本の旗 石川遼
第52回 2011年4月28日~5月1日 オーストラリアの旗 ブレンダン・ジョーンズ
第53回 2012年4月26日~29日 大韓民国の旗 I・J・ジャン

テレビ放送

  • 中部日本放送(CBC)をキーステーションに、TBS系列28局で同時ネット放送(3日目は生放送、最終日はVTR放送)。過去には、系列外である秋田放送福井放送四国放送(いずれも日本テレビ系列、録画放送扱い)や、BSデジタル放送のBS-i(現・BS-TBS)にて当日夜に時差ネット放送されていた。
  • 主催・制作局のCBCでは、上記全国ネットに加え、開催週の月曜深夜の前年度大会のハイライト、火曜・水曜深夜の事前特集番組、初日・2日目の中継、3日目・最終日の事前番組、4日間の深夜のハイライト番組を、全て中京ローカルで放送している。
  • ゴルフネットワークでは「とことん1番ホール生中継」第1弾として、参加全選手の1番ホールの模様を、生中継で行っている。2005年までは前半2日のみだったが、2006年以降は全4日間に拡大した。
  • 2009年は第50回大会を記念し、決勝ラウンド2日間を例年の2時間から30分拡大した。最終日は15:00-17:24の放送になり、その影響でMBS制作アニメ枠(『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』)と夕方のニュース(この年は『THE NEWS』)が30分繰り下げされ、『THE世界遺産』は休止になった。また2010年は決勝2日間は2時間の放送に戻ったが、最終日は15:30からの放送の為、前年と同じく『鋼の錬金術師 - 』とニュース(この年は『Nスタ』)が繰り下げ、『THE世界遺産』は休止になった。
    • 2010年はCBCでは午前に放送された最終日の事前番組『石川遼 王冠への戦い』の前半30分パート(VTR)がTBSテレビ他一部の局でも遅れネット(15:00 - 15:30)で放送された。CBCでは前半パート終了後に現地からの生中継(中京ローカル)に接続され、前半パートを放送した局はそのまま最終日の中継(全国ネット)に接続された。
    • 2011~2012年は最終日の中継が15:00-17:24の放送(但し前半30分がCBC他一部地域のみのネットとなり、全国ネットは15:30から)の為、例年通りアニメ(『青の祓魔師』や『機動戦士ガンダムAGE』)と『Nスタ』が繰り下げ、『THE世界遺産』が休止になった。

脚注

  1. ^ 当初は和合に加え愛知カンツリー倶楽部三好カントリー倶楽部と3会場での持ち回り開催とされており第7回(1966年)より和合での開催が定着した。
  2. ^ 当時の大会名称は「中部日本招待全日本アマ・プロゴルフ選手権」。第7回(1966年)より現在の名称となっている。
  3. ^ JGTO公式サイトに拠れば日本プロ日本オープンに次いで3番目に古い競技という。
  4. ^ 近年の優勝副賞は別のトヨタ車になることがあるが、第45回(2004年)以降は再びクラウンが副賞になった。余談だが以前クラウンが副賞だった時、当時テレビ中継の実況を担当していた田口豊太郎は「歴代の優勝者には日本を代表する名車、クラウンが贈られて来ました」と言っていたが第43回(2002年)から担当している水分貴雅はクラウンの部分を外して「日本を代表する名車が贈られて来ました」と言っている。第50回(2009年)はクラウンマジェスタが贈られた。
  5. ^ 第52回(2011年)では東日本大震災によるトヨタ車の生産減少の影響により、優勝者に500万円が贈られた。
  6. ^ 第53回(2012年)ではプリウスPHVが贈られた。
  7. ^ 17番ホールのホールインワン賞はトヨタ製のプレジャーボートが副賞になっていた年があった。第50回(2009年)で井上信が2日目の13番ホールで達成。クラウンハイブリッドが贈呈されたが、井上は予選落ちした。この大会では4つすべてのショートホールでホールインワンが達成されたらクラウンが用意されていた。参考までに、4番ホールでも「ハイブリッド」、7番ホールでは「ロイヤルサルーン」、17番ホールでは「アスリート」だった。
  8. ^ 第52回では先述の事情により、300万円が贈られた。
  9. ^ 第53回では7番ホールで賞金300万円(ユピテル提供)、13番ホールでマークX、17番ホールでクラウンアスリートが贈られた。
  10. ^ 2009年のみ50回記念として500万円の記念賞が別途用意された
  11. ^ ただし途中棄権が2回ある。
  12. ^ 男子ツアー制度施行後では1997年大会での杉原輝雄の59歳10ヵ月。なお日本記録は2006年4月に行われた「つるやオープン」での杉原の68歳10ヵ月。
  13. ^ CBCと同じ中日新聞系列の、東海テレビ放送東海ラジオ放送が主催。

外部リンク