ブルペン
ブルペン(英語:bullpen)は、野球場にある投球練習場。
由来
ブルペン(bullpen)は英語でもともと「牛を囲う場所」という意味である。
そこから現在の野球に関する意味を表すようになった経緯については、
- 闘牛場や屠殺場に送られるのを囲いの中で待っている牛を投手に見立てたという説
- 過去球場に遅く着いた観客がファウルゾーンで立ち見を強いられた状況を牛の囲い場に見立てたという説
- 外野フェンスにBull Durham Tobaccoの広告がかつてよく見られたため
などいくつかあるが、はっきりとは分かっていない。
投球練習場
投手(試合開始前は先発投手、試合開始後はリリーフ投手)の投球練習に使われる。投手とブルペン捕手、ブルペンコーチ(あるいはバッテリーコーチ)等が出入りし、他の選手や監督等が試合中に入ることはまずない。そのため、とくにプロ野球で使用される球場では、ベンチ(ダグアウト)にいる監督やコーチらがウォームアップを指示したり登板の連絡をするためのインターホン(東京ドームではダグアウトに多機能電話がある)や、練習状況を確認するためのモニターカメラが設置されていることが多い。
グラウンド内のファウルゾーンに設置されていることが多いが、練習中に打球が当たる恐れがあることなどから、近年新築・改築された日本プロ野球の本拠地球場ではスタンド内、とくにダグアウト(ベンチ)裏に設置されることが多くなっている。
日本のプロ野球の一軍本拠地球場では、明治神宮野球場のみグラウンド内のファウルゾーンにブルペンが設置されている。西武ドームは内野ファウルゾーンのフェンスと観客席の間にブルペンがある。ブルペン捕手がリリーフの投球を受ける、迫力ある捕球音を内野席で間近に聞くことができ、球場へ足を運んだ観客が楽しめる魅力のひとつであるといえる。その他の球場はすべてスタンド内に設置されている。
かつて阪神甲子園球場、西宮球場、藤井寺球場ではラッキーゾーンに設けられていた。阪神甲子園球場ではラッキーゾーン撤去後、しばらくの間ファウルゾーンのブルペンを使用していた。
阪神甲子園球場の春・夏の高校野球の試合時は、現在もファウルゾーンのブルペンを使用している。このブルペンは常設されており、プロ野球開催時にも使用されることはないが撤去もされていない。ただし2008年の改修以降の数年間はプロ野球開催時には撤去されていた。また改修にあわせて投手板とホームベースも2組から1組へと減らされた。
アメリカのメジャーリーグベースボールでは、観客から直接見えない場所にはブルペンを設置しない傾向にある。外野スタンドの合間か、ファウルグラウンドに設置されているものが殆どである。また、日本の球場は両チームのブルペンは離れた場所に作られることが多いが、MLBの球場の中には隣接して作られている場合もあり、例えばフェンウェイ・パークではまさに両チームの控え投手が並んで投球練習を行うことになる。
ブルペンの電話
ブルペンとベンチの間には内線電話が設置され、リリーフに肩をつくる指示を与えたりする。この回線が初めて登場したのがいつ・どこでなのかは不明だが、ヤンキー・スタジアムでは1930年に既に存在していたという記録が残っている。1908年当時のハンティントン・アベニュー・グラウンズには電話でなく遠隔操作で鳴らされるベルがあり、1回鳴れば「肩をつくれ」、2回なら「急いで肩をつくれ」、3回なら「リリーフ、出番だ」という合図だった。
大リーグでは試合中に外部と連絡を取ることが禁止されているため、この電話は外線接続できず、携帯電話の使用は禁止されている。ただ2006年にリグレー・フィールドで専用回線のモトローラ製携帯電話が導入された。6月13日の試合中にMLB機構の人間らが立ち会う中、監督のフィル・ガーナーが初めて使い、「科学技術にとっては小さな一歩だが、メジャーリーグにとっては大きな飛躍だ」と、ニール・アームストロング月着陸時のせりふをもじって称えた[1]。
リリーフカー
プロ野球においてQVCマリンフィールド、横浜スタジアム、阪神甲子園球場ではリリーフ投手はリリーフカーと呼ばれる車の助手席に乗り、ブルペンから登場する(2008年まで広島東洋カープの本拠地球場だった広島市民球場にもリリーフカーが使われていたが、本拠地移転後のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島では使われていない)[2]。オールスターゲームでは用いられない。
また、阪神甲子園球場ではラッキーゾーンにブルペンが存在していた当時、リリーフカーでなくスクーターを用いてリリーフ投手をマウンドまで運んでいたこともあった[3]。
なお、アメリカMLBにはリリーフカーは存在しない。リリーフはブルペンからランニングで登場する。
その他
- 阪神甲子園球場の屋内ブルペンは戦前体育館(一塁側)・25mの温水プール(三塁側)であったものを改装したものであり、現在も天井の低さなどその面影を色濃く残している。
- かつて後楽園スタヂアムではブルペンを一塁側・三塁側のファウルゾーンのフェンス際に設置していたが[4]、1970年に二階席ジャンボスタンド拡張工事を行った際にブルペンも一塁側・三塁側の内野席と外野席の中間に移設していた。
- 横浜スタジアムは横浜公園内にあるために建ぺい率等の制限が厳しく、ブルペンを建物内に設置することができないので、公園に面したスタンドの軒下に設置されている。金網とテントで仕切られているだけなので、投球練習中には捕球音や選手の声などが外に聞こえてくる。
- 広島市民球場の一塁側ブルペンには、夭折した広島東洋カープのリリーフエース・津田恒実を偲ぶ「津田プレート」が壁に埋め込まれている。このプレートは、2009年に開場したMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移設された。
- かつて広島市民球場では、無線誘導によるリリーフカーが使用されていた。リリーフカーには投手のみが乗っていた。
- 球場によってはホーム側とビジター側ブルペンに差がある場合がある。なかにはビジター側ブルペンには空調も窓もないため、密室の蒸し風呂となってしまう球場もあるという。
脚注
- ^ アメリカ野球雑学 ブルペンへの電話の今昔『週刊ベースボール』2011年11月28日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-11/28, 82頁。
- ^ 中には津田恒実のようにリリーフカーがあるにも関わらず、それには乗らないでランニングして登場する投手もいる。
- ^ 1964年(昭39)初登場!バイクに乗って波にも乗ったジーン・バッキー 日めくりプロ野球 スポーツニッポン 2010年3月22日
- ^ V9巨人の礎の一人、斎藤勝博さん死去 蛭間豊章記者のInside BASEBALL 2011年1月21日