意志の勝利

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意志の勝利
Triumph des Willens
監督 レニ・リーフェンシュタール
脚本 レニ・リーフェンシュタール
ヴァルター・ルットマン
製作 レニ・リーフェンシュタール
アドルフ・ヒトラー
音楽 ヘルベルト・ヴィント
配給 日本の旗 東和商事
公開 ナチス・ドイツの旗 1935年3月28日
日本の旗 1942年3月
上映時間 114分
製作国 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
言語 ドイツ語
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意志の勝利』(いしのしょうり、ドイツ語Triumph des Willens)は、1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作されたナチ党全国党大会記録映画

解説[編集]

『意志の勝利』が記録したのは、古都ニュルンベルクで1934年9月4日から6日間行われた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の第6回全国党大会である。製作に使用されたカメラは16台、スタッフは100人以上、撮影フィルムは60時間分に上り、当時としては大がかりなものだった。映像はモノクローム、音声モノラルトーキー映画であった。

リーフェンシュタール監督はこの映画の監督をアドルフ・ヒトラー自身から直接依頼された。主演・監督を務めた映画『青の光』に感動してのことという。

リーフェンシュタールの自伝によると、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの嫉妬を買いたくなかったし、ヒトラーの提示した「意志の勝利」というタイトルが大仰で芸術性のないことに嫌悪を感じたこともあって、最初は断ったという。しかし結局はヒトラーの非常な熱意と、題名以外は自由に製作させるという約束に動かされて監督を引き受けることになった。ただし、リーフェンシュタールはこの前年にナチ党大会の映画『信念の勝利ドイツ語版』を撮影しており、自伝の内容は必ずしも正確ではない。

作品の特徴[編集]

リーフェンシュタール監督は撮影・編集にあたっていくつもの独創的な技法を考案した。たとえばヒトラーの演説のシーンでは半円形に敷いたレールの上に置いたカメラでヒトラーを追い、様々なアングルから同じ被写体を捉えながらも見る者を飽きさせずに高揚させることに成功している。他にも大胆なクローズアップによって群衆の中の一人を切り取って見せ、それによって見る者もまたその全体の中の個であるかのような臨場感を抱かせたり、ヒトラーの飛行機によるニュルンベルク到着を冒頭に置くことによって雲の中から降臨する神・絶対者のイメージを想起させるなど、様々な手法で党大会の高揚感を伝え、また新たに作り出すことにも成功している。

党大会の演出を手がけたのは当時ヒトラーと親密だった建築家アルベルト・シュペーアであったが、リーフェンシュタール監督はシュペーアの演出の意図を汲み取ってたくみに映像に再現した。その最も代表的なものが夜の集会におけるサーチライトの演出で、当時空軍で最新の巨大サーチライトを上空に向けて作り出す光の柱は荘厳で神秘的な印象を強く観衆に刻み込んだ。ヘルマン・ゲーリング航空相は機密の漏洩を恐れてサーチライトの使用許可を渋ったが、その演出の出来栄えには満足だったという。当時のカメラでは夜間の撮影は難しかったが、この光と影、それに照らし出された巨大な鉤十字の旗は、そのコントラストだけでも観客には衝撃的だった。この強い光で垂直に上空を照らす手法は戦後もロックのコンサート演出などで使われ続けている。

『意志の勝利』にはこのほかにも、地方から集まった突撃隊(SA)の若者たちが興じるスポーツの様子や共同の生活が明るいトーンで描かれており、後の『オリンピア』につながる要素も感じられる。この突撃隊の整然たる行進や隊列の美しさもまた『意志の勝利』の魅力となっている。また後半のナチスの各組織、諸部隊のヒトラーの前での閲兵行進もまた圧巻である。ヴィクトール・ルッツェを筆頭とする突撃隊の行進からはじまり、ラストは、ハインリヒ・ヒムラー率いる親衛隊の行進であり、さらにバーデンヴァイラー行進曲と共に「アドルフ・ヒトラー親衛旗連隊」の力強い行進の映像になる。

撮影時[編集]

『意志の勝利』撮影中のリーフェンシュタール。その左はヒムラー。1934年9月

リーフェンシュタールは若い女性であり、ナチ党員でもなかったため、宣伝相ゲッベルス等のナチ幹部からも快く思われていなかった。 また、長いナイフの夜事件で突撃隊幕僚長エルンスト・レームら幹部を粛清された突撃隊員は党に対する不満を持っていた。そのため、カメラマンを突き飛ばしたり、脚立をひっくり返すなどのいたずらが頻発したという。

また、編集に際しては映画に映っていない幹部からクレームがついた。リーフェンシュタールが断ると、ヒトラーが幹部達の写真を挿入するよう要請した。しかしリーフェンシュタールは拒否したためにヒトラーが激怒することもあったという。結果ヒトラーは折れ、リーフェンシュタールの編集のまま作品は完成した。

作品の評価[編集]

『意志の勝利』は完成後ドイツ各地で記録的な動員を達成し、ナチ党の党勢拡大を印象づけた。しかしこれは料金割引や学校や職場における半強制的な動員があってのことであり、上映期間はたったの3日間であった上に、50%の割引を受けられた親衛隊員や突撃隊員はほとんどこの映画を鑑賞しなかったという報告がある[1]。一方でその整然たる映像美は海外でも高く評価され、1935年のヴェネツィア・ビエンナーレでは金メダル、1937年のパリ万博でグランプリを獲得している。しかし戦後その評価は一転し、リーフェンシュタール監督はプロパガンダによるナチズムへの協力者として訴追されることになった。この容疑は長い審判の後否認されリーフェンシュタールは無罪となったがその後も非難は続き、それに対し彼女は名誉毀損の訴訟を100件以上起こしている。

『意志の勝利』は、社会への影響の点でも表象文化論へのそれにおいても、映画史にのこる問題作との評価がある。とくにナチズムへの加担について、リーフェンシュタール自身は「私は政治には全く興味はなかった。興味があったのは美だけ」と述べている。

上映・パッケージ[編集]

現在ドイツでは法律で『意志の勝利』の一般上映は禁じられている。授業などで青少年に観せる必要がある場合には、事前に入念な説明と警告を行う必要がある。

アメリカでは、英語字幕付きのDVDやビデオが発売されている。日本からも、アメリカ版をAmazon等から注文したりヤフーオークションで買い求めることができる(タイトル:意志の勝利/Triumph of the Will)。このDVDはリージョンフリーで、日本国内のプレイヤーで再生できる。オリジナル版には字幕やナレーションは全く無い。しかし、ドイツ語音声のほとんどはヒトラーや党幹部の演説であるため、字幕等がなくてもドイツ語を解しない者の鑑賞にも耐える。

日本では、1942年3月に初公開。それから67年を経た2009年8月に東京でリバイバル上映が行われた。11月にはパブリックドメインDVDムック『ヒトラー伝説』(2009年、コスミック出版)に付属する形でリリースされ、翌2010年1月には音声解説などのついたデジタル・リマスター版DVDが発売された。なお、戦後に公開された版には、ナチス・ドイツの引き起こした惨劇についての注釈がなされている。また、現在のところ日本語吹き替え版は存在しない。

あらすじ[編集]

ヒトラーに忠誠を誓う突撃隊指導者。
  1. 導入部
    • 雲海の上を飛行機が飛んでいる映像。伴奏で党歌「ホルスト・ヴェッセルの歌」が流れる。
    • 飛行機はニュルンベルクのカイザーブルク城ドイツ語版上空を通過する。
    • ドイツ国の国旗(黒白赤の横三色旗)[2]が掲げられた教会上空を通過。
    • 大通りでナチスの諸組織が行進の練習を行っている。
    • 飛行機が空港に着陸し、ヒトラーやナチス党幹部が降り立つ。大歓声を上げて迎える民衆の図。
    • オープンカーで通りをパレードしながらホテルへ向かう。途中赤ん坊を抱えた若い主婦より花束の祝福を受ける。
    • フラウエントーアグラーベンのヒトラーの定宿、ホテル・ドイッチャー・ホーフドイツ語版へ到着。
  2. ヒトラー滞在ホテル前の歓迎集会
    • ホテル・ドイッチャーホーフ前の軍楽隊演奏。
  3. 古都ニュルンベルク
  4. ヒトラーユーゲント野営地の朝の風景
    • 党大会会場の近くに野営しているヒトラーユーゲントの溌剌とした朝の情景。
  5. 農民パレード
    • 伝統的民族衣装をまとった農民が街中をパレードする。同じく民族衣装の若い女性等が街中を行進、夢見るような瞳が印象的。それを見物している幼い少女が幸せそうな笑みを浮かべる。
    • ヒトラーが登場して農民らに握手。ドイツ労働戦線のメンバーとも握手。
    • ヒトラー、オープンカーで会場を去る。
  6. 党屋内集会
  7. RAD(国家労働奉仕団)屋外集会
    • ツェッペリンフェルト広場における国家労働奉仕団の集会。
    • 参加者が一人ずつ出身地を言い、その後全員で「一つの民族、一人の総統、一つの国家、ドイツ!」と叫ぶ。
    • 続いて第一次大戦の戦死者と政治闘争の犠牲者を弔う儀式。
  8. SA(突撃隊)夜間屋外集会
  9. ヒトラーユーゲント集会
  10. ドイツ国防軍の新兵器のパレード(ツェッペリンフェルト)
  11. ツェッペリンフェルト広場での政治指導官夜間集会
    • 党政治指導官の夜間集会。
  12. ルイトポルトアレーナ広場ドイツ語版昼間集会
    • ここではSSとSAによる政治的殉難者追悼と隊旗の授与の儀式が行われる。
    • ヒトラーのSA・SSに向かっての演説。
  13. 古都ニュルンベルク旧市街パレード
  14. 党大会終了演説(ルイトポルトハレ公会堂内)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 田野大輔 2003, pp. 207.
  2. ^ この旗も1935年までハーケンクロイツ旗とともに国旗として用いられた。意匠はドイツ帝国のものと同じ。ドイツの国旗を参照。
  3. ^ ワールドカップドイツ大会でも使用されたスタジアム、現フランケンシュタディオン
  4. ^ 軍は再軍備宣言を翌年に控え、名誉参加であった。政治組織であるナチスとは別であり、政治的中立が基本的立場なので正式参加はしていない。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]