背後の一突き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
1920年総選挙時の国家人民党によるポスター
敵と相対する騎士(ドイツ軍)を背後から社会主義者が妨害している様を描いている。
1919年に発行されたオーストリアのポストカード。ナイフを持ったユダヤ人が戦場のドイツ兵を刺そうとしている。
当時の右翼側のドイツ人にとっては、社会主義者や共産主義者と同様にユダヤ人がドイツを敗北に導いた憎むべき対象となっていた。

背後の一突き(はいごのひとつき、: De-Dolchstoßlegende.ogg Dolchstoßlegende[ヘルプ/ファイル])とは、第一次世界大戦敗北後のドイツ国内において、主に右翼政党が、ヴァイマル共和政左翼政党、ユダヤ人等を批判する際に好んで使った陰謀論もしくはプロパガンダである。「背後からの一突き」、「匕首伝説(あいくちでんせつ)」、「背後の匕首」とも呼ばれる。

概要[編集]

1919年、国民議会でドイツの敗北の原因を調査する調査委員会が開かれた。この委員会で喚問された元参謀総長パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥の発言がこの伝説の元となった。ヒンデンブルクの証言によると、第一次世界大戦におけるドイツの敗因は、軍事的作戦による失敗ではなく、休戦協定に政府代表として署名した社会民主党や、革命を扇動していた共産主義者らに求められるべきであるとする。

もっとも、ドイツの歴史学者であるフリードリヒ・マイネッケはその回想録の中でドイツ革命が始まる前の1918年10月に右派政党であるドイツ祖国党系の新聞において、ドイツの苦戦の原因を国内の弱気な人々と敗北主義者(暗に社会民主党や中央党左派の人々からなる「自由と祖国のための国民同盟」など、戦争遂行の方針を批判した人々を指す)のせいだとする批判論が展開されていたと述べ、ヒンデンブルクの証言以前にルーツを求める考え方もある[1]

この主張は、後にナチスの公的な第一次世界大戦観として採用され、ヒトラーが政権を獲得するのにも一役買うことになる。

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤真一『ヨーロッパ史学史 -探究の軌跡-』(知泉書館、2009年)P258-259