ドイツの首相

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ドイツの首相(ドイツのしゅしょう)は、ドイツにおける行政府の長である。

名称[編集]

本項では1871年ドイツ統一から現在に至るまでのドイツの首相について解説する。この間にドイツがたどった国家形態の名称と首相の呼称は以下の通り。

Reichskanzler(日本では以下の政治体制ごとに以下の訳を当てていることが多い)
Vorsitzende des Ministerrates閣僚評議会議長1968年1989年
Ministerpräsident:首相1949年1968年1990年
Bundeskanzler連邦首相

呼称と歴史[編集]

語源と由来[編集]

ドイツの首相の呼称にはどれにも -kanzler という語が含まれている(共産主義政権の旧東ドイツを除く)。この Kanzler(カンツラー、英語: chancellor )というのは古フランス語の chancelier が語源で、本来は「宮廷や法廷の門衛、案内役、事務員、秘書官」などをさす語だった。神聖ローマ帝国初期のドイツでは、学識を有する聖職者が宮廷文書の管理などを通じて帝国行政に関与しており、司教はその長として「書記官長」(Kanzler)と呼ばれていた。

中世になると、マインツ大司教ケルン大司教トリーア大司教の三司教は選帝侯を兼ねて世俗諸侯と肩を並べるほど強力になった。のちにこれが帝国の最高官職である、帝国内の各3王国(ドイツ、イタリアおよびブルグント)の大書記官長(Erzkanzler)に任じられるようになると、この三司教は、それぞれ、「ドイツ大書記官長」(Erzkanzler durch Germanien)、「イタリア大書記官長」(Erzkanzler durch Italien)、「ガリア=ブルグント大書記官長」(Erzkanzler durch Gallien und Burgund)と称するようになった。

こうした大書記官長の中には、事実上の宰相として皇帝の政務を補佐したり、事実上の摂政として幼少の皇帝に代わって国政を担当した者もいたが、1356年金印勅書でマインツ大司教が皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられると、これ以後「Erzkanzler durch Germanien」は「ドイツ(神聖ローマ帝国)の宰相」を意味する語としてドイツ語圏に定着した。

宰相から首相へ[編集]

近世になると、帝国内のプロイセン王国オーストリア大公国の宰相にも Staatskanzler(領国宰相)という呼称が用いられるようになった。

1867年にプロイセン主導で北ドイツ連邦が成立すると、ビスマルクは自らその首相に就いて Bundeskanzler(連邦宰相)と称した。1871年ドイツ帝国(Deutsches Reich)が成立すると、今度は Reichskanzler(帝国宰相)として以後19年間政界に君臨し、ドイツを列強の一つに押し上げた。

1918年第一次世界大戦の敗北によって帝政が崩壊し、ドイツは共和政となった。しかし新国家の国号に提案された Deutsches Republik(ドイツ共和国)には各方面からの拒否反応が強く、結局、国号には引き続き Deutsches Reich(ドイツ国)が用いられた[1]。このため Reichskanzlerの呼称もそのまま共和政に引き継がれた。

日本では1918年から1933年までのドイツ国を「ヴァイマル共和政」と呼んでおり、共和政のReichskanzlerを「首相」と称して、帝政時のものと区別している。またこれ以降、-kanzler の定訳は今日まで一貫して「首相」である。なお、ドイツ帝国には内閣が存在せず、帝国各省庁の長は、君主に対して宰相と同様に責任を負い、その業務について自立して任務に当たる大臣(Minister)ではなく、帝国宰相の下僚としてその指示に厳格に従う国務長官(Staatssekretär)であった。つまり、帝国宰相は行政上の責任を単独で果たしていたのである。これに対し、ヴァイマル共和政以降の首相は議会に責任を負う合議制行政機関としての内閣の議長として位置づけられた。このように、宰相と首相では性質が異なることに注意が必要である。

総統[編集]

1934年8月1日ヒンデンブルク大統領の死後発効する法律として「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」が制定された。この法律で大統領の官職は首相の官職と統合され、大統領の権限は指導者兼国家宰相である、アドルフ・ヒトラー(Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler)に委譲される事が定まった。翌日、ヒンデンブルクが死去すると法律は発効し、ヒトラーは国家元首の権能を手に入れた。ただし「故大統領に敬意を表して」自分のことは Führer(指導者)と呼ぶよう国民に求めた。首相と国家元首の権能を統合したヒトラーの地位を、日本では「総統」と称する。

8月19日にはこの措置の是非を問う民族投票が行われ、圧倒的多数で承認された。ヒトラーは公文書には「指導者兼国家宰相」(Führer und Reichskanzler)と署名していたが、後には首相の肩書きを用いる事がほとんど無くなった。

東西分裂と再統一[編集]

第二次世界大戦後、ドイツはの4ヵ国による占領下におかれたが、冷戦の対立構造が固定化されていく中で共同占領は困難となり、1949年秋に米・英・仏占領区にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、ソ連占領区ドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国された。

東ドイツは旧来の呼称を使用せず、1949年の憲法では「首相」(Ministerpräsident)[2]としたが、社会主義国を宣言した1968年の憲法改正で閣僚評議会議長(Vorsitzende des Ministerrates)[3]に改められた。東ドイツはソ連型一党独裁制国家であり、1989年の民主化まで国政の実権は支配政党であるドイツ社会主義統一党書記長が握っていた。

一方、西ドイツでは国号に「連邦」の一語が追加されたのにともない、首相の呼称も北ドイツ連邦時代の「連邦宰相」(Bundeskanzler)に戻された。1990年10月3日、東ドイツを吸収合併して再統一を達成した後もこの呼称は変わっていない。ただし日本では「宰相」という時代がかった表現はドイツ政治における特定の文脈を指す場合以外はあまり使われなくなってきており(アデナウアーコールに関連して時折、使われるケースがある)、Bundeskanzler の公式訳も「連邦首相」とするものがほとんどとなっている。

外国の首相の呼称[編集]

日本語では、外国の首相に相当する官職を一律に「首相」と呼ぶことになっている。したがって現在のドイツ連邦共和国の Bundeskanzlerin[4] も、過去のドイツ帝国の Reichskanzler も、すべて「首相」と言ってしてしまって差し支えはない[5]

英語では自国外国を問わず、首相は一律に「Prime Minister」と呼ぶことになっている。ただしドイツの首相だけは伝統的な例外で、ドイツ語を直訳した「Federal Chancellor」、 または単に「Chancellor」と呼んでいる。

ドイツ語では、同じドイツ語圏で連邦制のオーストリアの首相のことも Bundeskanzler(連邦首相)と呼んでいる。そのほかの外国の首相は、各国の政治機構や原語での表現をもとに、「Ministerpräsident」または「Premierminister」と呼んでいる(意味は双方とも「首相」)。

歴代ドイツ首相[編集]

所属
政党
  自由民主党 (FDP)

帝政ドイツ「帝国宰相」[編集]

帝政ドイツの首相についての詳細は、ドイツ国首相を参照。

帝国宰相の氏名 在任期間 プロイセン王国首相
1 オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold von
Bismarck-Schönhausen
Bundesarchiv Bild 146-2005-0057, Otto von Bismarck.jpg 1871年3月21日
- 1890年3月20日
(皇帝により解任)
帝国宰相による兼任
(~1873年1月)
アルブレヒト・フォン・ローン
(1873年1月~11月)
帝国宰相による兼任
(1873年11月~1890年3月)
2 レオ・フォン・カプリヴィ
Georg Leo von Caprivi
Bundesarchiv Bild 183-R09316, Leo Graf von Caprivi.jpg 1890年3月20日
- 1894年10月26日
帝国宰相による兼任
(1890年3月~1892年3月)
ボート・ツー・オイレンブルク
(1892年3月~1894年10月)
3 ホーエンローエ=シリングスフュルスト侯クロートヴィヒ
Chlodwig Karl Victor Fürst
zu Hohenlohe-Schillingsfürst
Chlodwig zu Hohenlohe-Schillingsfürst 1880.jpg 1894年10月29日
- 1900年10月17日
帝国宰相による兼任
4 ベルンハルト・フォン・ビューロー
Bernhard Heinrich
Karl Martin von Bülow
Bernhard von Bülow.jpg 1900年10月17日
- 1909年7月14日
帝国宰相による兼任
5 テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald Theodor Friedrich
Alfred von Bethmann Hollweg
Theobald von Bethmann-Hollweg.jpg 1909年7月14日
- 1917年7月13日
帝国宰相による兼任
6 ゲオルク・ミヒャエリス
Georg Michaelis
Bundesarchiv Bild 183-2004-0720-500, Georg Michaelis.jpg 1917年7月14日
- 1917年10月24日
(解任)
帝国宰相による兼任
7 ゲオルク・フォン・ヘルトリング
Georg Friedrich Graf von Hertling
Georg von Hertling.jpg 1917年10月25日
- 1918年10月3日
帝国宰相による兼任
8 バーデン公マクシミリアン
Prinz Maximilian Alexander
Friedrich Wilhelm von Baden
Bundesarchiv Bild 183-R04103, Prinz Max von Baden.jpg 1918年10月3日
- 1918年11月9日
(革命により辞任)
帝国宰相による兼任
9 フリードリヒ・エーベルト[6]
Friedrich Ebert
ドイツ社会民主党
Bundesarchiv Bild 102-01112, Friedrich Ebert.jpg 1918年11月9日
- 1919年2月13日
ドイツ革命により王国解体

ヴァイマル共和政「ライヒ首相」[編集]

ヴァイマル共和政時代の首相についての詳細は、ドイツ国首相を参照。

首相の氏名 所属政党 内閣 在任期間 連立与党
1 フィリップ・シャイデマン
Philipp Heinrich Scheidemann
Bundesarchiv Bild 146-1979-122-29A, Philipp Scheidemann.jpg ドイツ
社会民主党

(SPD)
第1次 1919年2月13日
- 1919年6月20日
ドイツ民主党
中央党



2 グスタフ・バウアー
Gustav Adolf Bauer
Bundesarchiv Bild 183-J0113-0500-001, Gustav Bauer.jpg ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1919年6月21日
- 1920年3月26日
中央党
3 ヘルマン・ミュラー
Hermann Müller
Bundesarchiv Bild 146-1979-122-28A, Hermann Müller.jpg ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1920年3月27日
- 1920年6月8日
ドイツ民主党
中央党
4 コンスタンティン
・フェーレンバッハ

Konstantin Fehrenbach
Bundesarchiv Bild 183-R18733, Konstantin Fehrenbach.jpg 中央党 第1次 1920年6月25日
- 1921年5月4日
ドイツ人民党
ドイツ民主党
1
5 ヨーゼフ・ヴィルト
Karl Joseph Wirth
Bundesarchiv Bild 146III-105, Joseph Wirth.jpg 中央党 第1次 1921年5月10日
- 1921年10月22日
ドイツ社会民主党
ドイツ民主党
(少数与党政権)
第2次 1921年10月26日
- 1922年11月14日
6 ヴィルヘルム・クーノ[7]
Wilhelm Carl Josef Cuno
Bundesarchiv Bild 183-2002-0625-505, Dr. Wilhelm Cuno.jpg 無所属
(ドイツ人民党
を離党)
第1次 1922年11月22日
- 1923年8月12日
ドイツ民主党
ドイツ人民党
中央党
バイエルン人民党
(少数与党政権)
7 グスタフ・シュトレーゼマン
Gustav Stresemann
Bundesarchiv Bild 146-1989-040-27, Gustav Stresemann.jpg ドイツ
人民党
(DVP)
第1次 1923年8月13日
- 1923年10月3日
ドイツ社会民主党[8]
中央党
ドイツ民主党
大連立政権
第2次 1923年10月6日
- 1923年11月23日
8 ヴィルヘルム・マルクス[7]
Wilhelm Marx
Bundesarchiv Bild 183-1990-0418-503, Wilhelm Marx.jpg 中央党 第1次 1923年11月30日
- 1924年5月26日
ドイツ民主党
ドイツ人民党
バイエルン人民党
第2次 1924年6月3日
- 1925年1月15日
ドイツ民主党
ドイツ人民党
2
9 ハンス・ルター
Hans Luther
Bundesarchiv Bild 146-1969-008A-07, Hans Luther.jpg 無所属
(後にドイツ
人民党に入党)
第1次 1925年1月15日
- 1925年12月5日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
中央党・バイエルン人民党
ドイツ国家人民党[9]
3
第2次 1926年1月20日
- 1926年5月12日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
中央党・バイエルン人民党
10 ヴィルヘルム・マルクス
Wilhelm Marx
Bundesarchiv Bild 183-1990-0418-503, Wilhelm Marx.jpg 中央党 第3次 1926年5月17日
- 1926年12月17日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
バイエルン人民党
第4次 1927年1月19日
- 1928年6月12日
ドイツ人民党
バイエルン人民党
ドイツ国家人民党
11 ヘルマン・ミュラー
Hermann Müller
Bundesarchiv Bild 146-1979-122-28A, Hermann Müller.jpg ドイツ
社会民主党
(SPD)
第2次 1928年6月28日
- 1930年3月27日
ドイツ人民党
ドイツ民主党
中央党
バイエルン人民党
大連立政権
4
12 ハインリヒ・ブリューニング[7]
Heinrich Aloysius Maria
Elisabeth Brüning
Bundesarchiv Bild 183-1989-0630-504, Heinrich Brüning.jpg 中央党 第1次 1930年3月30日
- 1931年10月7日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
バイエルン人民党
経済党・保守人民党
5
第2次 1931年10月9日
- 1932年5月30日
ドイツ国家党・保守人民党
バイエルン人民党
13 フランツ・フォン・パーペン[7]
Franz Joseph Hermann
Michael Maria von Papen
Bundesarchiv Bild 183-S00017, Franz von Papen.jpg 無所属
(就任直前に
中央党を離党)
第1次 1932年6月1日
- 1932年11月17日
ドイツ国家人民党 6
14 クルト・フォン・シュライヒャー[7]
Kurt Ferdinand Friederich
Hermann von Schleicher
Bundesarchiv Bild 183-B0527-0001-020, Kurt von Schleicher.jpg 無所属
(軍人)
第1次 1932年12月3日
- 1933年1月28日
ドイツ国家人民党 7

ナチス・ドイツ「ライヒ首相」[編集]

首相の氏名 在任期間 所属政党 備考
1 アドルフ・ヒトラー
Adolf Hitler
Adolf Hitler-1933.jpg 1933年1月30日
- 1945年4月30日
国家社会主義
ドイツ労働者党

(ナチス党)
全権委任法などにより、憲法・議会を事実上無力化。1934年8月2日以降、首相職のまま国家元首を兼任し、「総統(Der Führer)」と呼ばれた。在任中に自殺。
2 パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス
Paul Joseph Goebbels
Bundesarchiv Bild 183-1989-0821-502, Joseph Goebbels.jpg 1945年4月30日
- 1945年5月1日
国家社会主義
ドイツ労働者党
(ナチス党)
ヒトラーの遺言書により首相に指名されるが、就任直後に自殺。
ルートヴィヒ・シュヴェリン
・フォン・クロージク

Ludwig Graf Schwerin
von Krosigk
Johann Ludwig Graf Schwerin von Krosigk.JPG 1945年5月1日
- 1945年5月23日
無党派 カール・デーニッツにより、臨時政府フレンスブルク政府)の首相代行に指名された。降伏後、連合国軍により逮捕・訴追され、懲役10年の判決を受ける(後に恩赦)。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)「閣僚評議会議長」[編集]

閣僚評議会議長の氏名 在任期間 所属政党 国家元首(大統領)
1 オットー・グローテヴォール
Otto Grotewohl
Bundesarchiv Bild 183-19204-3150, Otto Grotewohl.jpg 1949年10月12日
- 1964年9月21日
(在任中に死去)
ドイツ
社会主義
統一党

(SED)
ヴィルヘルム・ピーク
国家元首(国家評議会議長)
ヴァルター・ウルブリヒト
2 ヴィリー・シュトフ
Willi Stoph
(第1期政権)
Bundesarchiv Bild 183-R0430-0305A, Willi Stoph.jpg 1964年9月24日
- 1973年10月3日
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
ヴァルター・ウルブリヒト
フリードリヒ・エーベルト
(臨時代理)
3 ホルスト・ジンダーマン
Horst Sindermann
Bundesarchiv Bild 183-M1030-0315, Horst Sindermann.jpg 1973年10月3日
- 1976年10月29日
(人民議会により解任)
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
ヴィリー・シュトフ
4 ヴィリー・シュトフ
Willi Stoph
(第2期政権)
Bundesarchiv Bild 183-R0430-0305A, Willi Stoph.jpg 1976年10月29日
- 1989年11月7日
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
エーリッヒ・ホーネッカー
エゴン・クレンツ
5 ハンス・モドロウ
Hans Modrow
Modrow.jpg 1989年11月13日
- 1990年4月12日
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
エゴン・クレンツ
マンフレート・ゲルラッハ
国家元首(人民議会議長)
ザビーネ・ベルクマン=ポール
6 ロタール・デメジエール
Lothar de Maizière
1990年4月12日
- 1990年10月3日
(再統一により国家消滅)
キリスト教
民主同盟

(東ドイツ)
ザビーネ・ベルクマン=ポール

ドイツ連邦共和国(西ドイツ→再統一ドイツ)「連邦首相」[編集]

ドイツ連邦共和国の首相についての詳細は、連邦首相 (ドイツ)を参照。

連邦首相の氏名 所属政党 内閣 在任期間 連立与党
1 コンラート・アデナウアー
Konrad Hermann
Joseph Adenauer
Bundesarchiv B 145 Bild-F078072-0004, Konrad Adenauer.jpg キリスト教
民主同盟

(CDU)
第1次 1949年9月15日
- 1953年10月20日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
(1956年2月に政権離脱)
ドイツ党
1
第2次 1953年10月20日
- 1957年10月29日
2
第3次 1957年10月29日
- 1961年11月14日
キリスト教社会同盟 (CSU)
ドイツ党
3
第4次 1961年11月14日
- 1962年12月13日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
4
第5次 1962年12月14日
- 1963年10月16日
2 ルートヴィヒ・エアハルト
Ludwig Wilhelm Erhard
Bundesarchiv B 145 Bild-F041449-0007, Hamburg, CDU-Bundesparteitag, Ludwig Erhard.jpg キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 1963年10月16日
- 1965年10月26日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
第2次 1965年10月26日
- 1966年12月1日
5
3 クルト・ゲオルク
・キージンガー

Kurt Georg Kiesinger
Kurt Georg Kiesinger (Nürburgring, 1969).jpg キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 1966年12月1日
- 1969年10月21日
ドイツ社会民主党 (SPD)
キリスト教社会同盟 (CSU)
大連立政権
4 ヴィリー・ブラント
Willy Brandt
Bundesarchiv B 145 Bild-F057884-0009, Willy Brandt.jpg ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1969年10月21日
- 1972年12月15日
自由民主党 (FDP) 6
第2次 1972年12月15日
- 1974年5月7日[10]
7
副首相ヴァルター・シェール(自由民主党)による臨時代行(1974年5月7日 - 1974年5月16日
5 ヘルムート・シュミット
Helmut Heinrich
Waldemar Schmidt
Helmut Schmidt (13.07.1977).jpg ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1974年5月16日
- 1976年12月14日
自由民主党 (FDP)
(1982年9月17日に政権離脱)
第2次 1976年12月16日
- 1980年11月4日
8
第3次 1980年11月6日
- 1982年10月1日[11]
9
6 ヘルムート・コール
Helmut Josef
Michael Kohl
Bundesarchiv B 145 Bild-F074398-0021 Kohl (cropped).jpg キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 1982年10月1日
- 1983年3月29日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
第2次 1983年3月30日
- 1987年3月11日
10
第3次 1987年3月12日
- 1991年1月18日
11
第4次 1991年1月18日
- 1994年11月17日
12
第5次 1994年11月17日
- 1998年10月27日
13
7 ゲアハルト・シュレーダー
Gerhard Fritz
Kurt Schröder
Gerhardschroeder01.jpg ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1998年10月27日
- 2002年10月22日
同盟90/緑の党 14
第2次 2002年10月22日
- 2005年11月22日
15
8 アンゲラ・メルケル
Angela Dorothea Merkel
Angela Merkel - Juli 2010 - 3zu4 cropped.jpg キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 2005年11月22日
- 2009年10月28日
ドイツ社会民主党 (SPD)
キリスト教社会同盟 (CSU)
大連立政権
16
第2次 2009年10月28日
- 2013年12月17日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
17
第3次 2013年12月17日
- (現職)
キリスト教社会同盟 (CSU)
ドイツ社会民主党 (SPD)
大連立政権
18

注釈[編集]

  1. ^ Reich という語には「帝国」という意味の他に「領土」「国」という意味もある。なお、「帝国」ということを強調する場合は、Kaiserreichを使用することがある。
  2. ^ 東ドイツ憲法(1949) 第91条
  3. ^ 東ドイツ憲法(1968) 第80条
  4. ^ Bundeskanzlerin は Bundeskanzler の女性形の綴り。
  5. ^ なおドイツは州政府も議院内閣制で、州政府の長は Ministerpräsident と呼ばれるが、日本ではこれを「州首相」と呼んでいる。
  6. ^ 帝政崩壊による臨時政府人民代表委員と重複する。エーベルトは、軍事と内務を担当した。後にヴァイマル共和国初代大統領。
  7. ^ a b c d e 大統領の非常大権により、議会の指名なしで任命される。
  8. ^ 社会民主党の連立政権離脱により、内閣不信任決議案が可決され退陣。
  9. ^ ドイツ国家人民党の連立政権離脱により、少数与党政権となる。
  10. ^ ギヨーム事件で引責辞任。
  11. ^ 建設的不信任制度に基づく解任。

関連項目[編集]