ハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク(Hans-Georg von Friedeburg, 1895年7月15日 - 1945年5月23日)は、ドイツ海軍の軍人。最終階級は海軍大将第二次世界大戦では潜水艦隊司令官を務めたほか、降伏文書に海軍代表として調印した。

経歴[編集]

シュトラスブルク(ストラスブール、当時ドイツ帝国領)に生まれる。1914年、ドイツ帝国海軍に入隊する。第一次世界大戦中の1917年に少尉に任官、1918年6月にUボート乗組員となり、大戦終結までU-114の見張士官を務めていた。戦後も海軍に残り、1932年にはクルト・フォン・シュライヒャー首相の参事官を務める。1933年に中佐に昇進し国防省の海軍副官を務める。大佐に昇進した1934年に海軍総司令部付となる。1939年6月、U27艦長を拝命。しかし翌月には潜水艦隊司令官カール・デーニッツの下で組織部参謀に転じる。

ベルリン・カールスホルストで連合国軍に対する無条件降伏文書に調印するフリーデブルク(着席右端)。その左は陸軍のカイテル元帥。1945年5月9日

第二次世界大戦勃発直後の1939年9月、同部長に就任。1941年9月、潜水艦少将に昇進。1943年2月、中将およびデーニッツの後任として潜水艦隊司令 (BdU)に昇進。アドルフ・ヒトラーが自殺しデーニッツが後継の国家元首になった1945年5月1日、2月1日付に遡及して大将に昇進した。大将としての職務はドイツの降伏事務処理がほとんどであった。5月4日、イギリスに対しドイツ北西部部隊の分離降伏文書に調印。5月7日、ランス連合国軍最高司令部で陸軍のアルフレート・ヨードル上級大将と共にドイツ国防軍の無条件降伏文書に調印。翌8日から9日の未明、ドイツ海軍全軍の司令官としてベルリン・カールスホルストのソ連軍司令部で降伏文書に調印した。

連合軍がデーニッツの暫定政府の閣僚及びドイツ国防軍司令官に対する逮捕を開始した5月23日、フリーデブルクは自殺した。フレンスブルク近郊のアーデルビューに葬られた。

息子のルートヴィヒ(Ludwig von Friedeburg)は社会学者となり、1969年から1974年までヘッセン州文化大臣を務めた。