シャルロッテ・フォン・プロイセン (1831-1855)

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シャルロッテ・フォン・プロイセン

シャルロッテ・フォン・プロイセンドイツ語全名:Friederike Luise Wilhelmine Marianne Charlotte von Preußen1831年6月21日 - 1855年3月30日)は、ザクセン=マイニンゲンゲオルク2世の最初の妃。

プロイセン王子アルブレヒトとオランダ王女マリアンネの第1子として、ベルリンで誕生した。母マリアンネは不義密通によって、アルブレヒトと離婚し、彼との間にもうけた子供たちの保護権を剥奪された。シャルロッテを含む子供たちは、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の王妃エリーザベト・ルドヴィカのもとで育てられた。

1850年、シャルロッテは当時公子であったゲオルクと結婚した。結婚に際し、プロイセン王から大理石宮殿の北翼が2人の住まいとして提供された。母マリアンネは、シャルロッテ夫妻に祝いとしてコモ湖のほとりの別荘、ヴィッラ・カルロッタを贈った。

シャルロッテは非常に音楽の才能に恵まれており、数曲の作品が残っている。1855年、シャルロッテは第4子の出産中に急死した。

子女[編集]