胸甲騎兵

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拳銃を発砲する胸甲騎兵

胸甲騎兵(きょうこうきへい、フランス語: Cuirassierドイツ語: Kürassier)は、近世ヨーロッパにおける騎兵の区分の一つで、重騎兵の一種である。または、騎兵科の兵職の一つである。

歴史[編集]

近世[編集]

胸甲騎兵の甲冑(16世紀頃)

15世紀以降の火器の普及やパイク槍兵の出現により、それまでヨーロッパの軍隊の主力であった騎士と呼ばれる槍騎兵は、その重要性を急速に失うこととなった。これに代わって登場したのが、火器で武装した新しい様式の騎兵である。

1618年、三十年戦争開始当時の西ヨーロッパの騎兵は、乗馬歩兵たる竜騎兵を除いて大きく二つのタイプ胸甲騎兵火縄銃騎兵とに分類できた。[1]

胸甲騎兵
胸甲(Kürass)と呼ばれる頭から膝下までを覆う重い甲冑を身につけ、二挺のピストルで武装した重騎兵。没落した騎士の後継である。
火縄銃騎兵(Harquebusier)
胸甲騎兵を支援する為に用いられた、より軽装の騎兵。使用する火縄銃により様々な名前で呼ばれていた。カービン騎兵と区別されることもあるが、両者は大変よく似ている。
フランス式の胸甲(19世紀頃)

17世紀に入ると甲冑を身に着けた騎兵は姿を消し、より軽装の騎兵が主流となる。三十年戦争においてのスウェーデン軍の主力は、鎧を鉄兜と背当て・胸当てのみに軽量化し、重い騎兵用小銃の代わりに拳銃で武装した軽装騎兵であった。これを攻撃騎兵(用法としての重騎兵のこと)として戦争を勝ち抜くと、各国もこぞってこれに倣った。敵に至近距離まで接近し、拳銃の火力を最大限引き出すスウェーデン軍の騎兵の前では、胸甲騎兵の重い甲冑も役には立たなかったのである。スウェーデン軍はさらに徹底して、最低限の鎧と拳銃すら廃し、皮革製コートとサーベルのみを装備し抜刀突撃のみを行った騎兵も存在した。

近代軍隊の父として知られる太陽王ルイ14世は、このスウェーデン式の騎兵をさらに発展させ、従来の重騎兵(ここでは後述の半甲冑を身に着けた胸甲騎兵を指す)を廃止し近代的な騎兵隊を創設した。以降ヨーロッパ各国でもフランス式の近代軍隊が組織されてゆき、胸甲騎兵の胸甲も、以前の半甲冑から、より簡素な背当てと胸当てだけの鎧の名称に変化していった。

近代から現代[編集]

セレモニーを行うイギリスの胸甲騎兵

19世紀以前のヨーロッパでは、フリードリヒ大王の組織したプロイセン流の万能型騎兵が全盛であり、胸甲を着け近接戦闘を行う重騎兵はさほど重要視されていなかった。しかしその後のナポレオン戦争では、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が騎兵による集団突撃を重視したため、胸甲騎兵は他の重騎兵とともに一躍戦場の花形となったのである。これらの重騎兵は一般には予備兵として後方で温存され、会戦の勝敗を決する、ここぞという時に投入された。彼らはまずピストルや小銃で敵の戦列を崩し、その後サーベルを持って突撃したのである。そして、この近接戦闘において、胸甲は非常に有効な働きをした。

しかしこのような重騎兵の運用は、ナポレオン戦争の時代を境に少しずつ衰退していった。ライフル銃機関銃など改良されていく火器の前に、もはや騎兵の集団突撃という戦法は自殺行為に等しく、積極的に近接戦闘を行う機会も少なくなった戦場では、胸甲は近代火器を防御出来ず重いだけの無意味な装備でしかなかったのである。それでも第一次世界大戦期までは命脈を保つものの、その後は完全に戦場から姿を消した(もっとも胸甲こそ装備しないものの、騎兵は第二次世界大戦期まで命脈を保っている)。

戦場では姿を消した胸甲騎兵であるが、その名は従来、胸甲騎兵が担っていた機動力およびその高速力を生かした敵中への突破を任務とする戦車部隊、機甲部隊(フランスの第1=第11胸甲騎兵連隊第6=第12胸甲騎兵連隊)や空中機動部隊(ヘリ部隊)の伝統名称として、現在でも部隊名などに用いられている。また胸甲騎兵自体も、ヨーロッパ各国のパレードセレモニーの際に登場し、当時の華やかな様子を今に伝えている。また同時代に活躍していた擲弾兵も、現在ではエリート部隊の名称として残っている。

装備[編集]

胸甲騎兵をもっとも特徴付けるのは、その名の通り胸に着ける鎧(胸甲)である。一般的に銃の登場によりプレートアーマーは無用の長物と化したといわれているが、実際には銃に対抗するためにプレートアーマーはより防御力を増やす方向に発展しているのである。そのために厚さ、ひいては重量を増したプレートアーマーは着用に耐えないものとなったため、やむを得ず防御面積を減らす事で対処したのである。全身を覆うプレートアーマーが、膝下までを覆う胸甲、さらに胸部のみを覆う胸甲へと変遷していったのは、むしろ鎧が銃に対抗するために発展した形態とも解釈できる。実際に、近世イギリス軍の論文、および現存する骨董品の胸甲は銃弾を防いだものが存在し、『イギリス製鉄鋼の胸甲はピストルで撃ち抜かれるが、ドイツ製鉄鋼のそれは破損・窪み程度で致命傷を免れるほど優れている』『以後、この胸甲は一般化する』という文献もみられる。なお、イギリスの鉄鉱石はリンの含有率が多い特色がある為、ドイツ産のそれより強靭性などで見劣りする。

ちなみに、日本語の字義としては胸甲は胸部のみを防御する鎧という事になるが、これはKürassの和訳語としての胸甲という言葉が、背当てと胸当てだけの鎧になった段階以後に作られたからである。膝下まで覆っていた頃のKürassの和訳語としては、半甲冑という言葉もある。これは全身くまなく覆っていた頃の甲冑と比べて半分の面積しか防御していない甲冑といった意味合いである。

出典[編集]

  1. ^ リチャード=ブレジンスキー 著「グスタヴ・アドルフの騎兵―北方の獅子と三十年戦争 」(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ)

関連項目[編集]