誉子内親王
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誉子内親王 | |
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続柄 | 伏見天皇第二皇女 |
全名 | 誉子(よしこ) |
称号 | 章義門院 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 |
不明 |
死去 |
建武3年/延元元年10月10日(1336年11月13日) |
父親 | 伏見天皇 |
母親 | 洞院英子 |
誉子内親王(よしこないしんのう、? - 建武3年/延元元年10月10日(1336年11月13日))は、鎌倉・南北朝時代の皇族・女院。伏見天皇の第二皇女で、母は洞院公宗の娘・英子。女院号は章義門院(しょうぎもんいん)。
生涯
[編集]永仁3年(1295年)8月15日に内親王宣下と准三宮宣下を受ける[1][2]。徳治2年(1307年)6月22日に院号宣下を受ける[1][2]。正和2年(1313年)8月13日に出家して、法名を解脱心とした[1][2]。京極派の歌人としても知られ、『玉葉和歌集』・『風雅和歌集』・『新続古今和歌集』に合計12首が採録されている[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) ISBN 978-4-8205-7128-5 P545.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 (石黒吉次郎「伏見天皇」) P609.