タニノギムレット

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タニノギムレット
2002年5月26日、東京競馬場
欧字表記 Tanino Gimlet[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1999年5月4日(25歳)[1]
登録日 2001年4月19日
抹消日 2002年9月11日
ブライアンズタイム[1]
タニノクリスタル[1]
母の父 クリスタルパレス[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1]
生産者 カントリー牧場[1]
馬主 谷水雄三[1]
調教師 松田国英栗東[1]
調教助手 友道康夫
厩務員 小林眞治
競走成績
生涯成績 8戦5勝[1]
獲得賞金 3億8601万円[1]
勝ち鞍
GI 東京優駿 2002年
GII スプリングステークス 2002年
GIII アーリントンカップ 2002年
GIII シンザン記念 2002年
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タニノギムレット(欧字名:Tanino Gimlet1999年5月4日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

2002年の第69回東京優駿(日本ダービー)優勝馬。馬主谷水雄三は、かつてタニノハローモアタニノムーティエ東京優駿を勝った谷水信夫の子息で、親子二代での東京優駿馬オーナーとなった。

経歴[編集]

誕生までの経緯[編集]

1971年11月8日に、カントリー牧場を経営していた谷水信夫無免許飲酒運転ライトバンにはねられて死去[2]。急遽、息子の谷水雄三が31歳でカントリー牧場及び、皇子山カントリーホテルの経営を引き継いだ[2]。雄三は、その後オーナーブリーダー業からの撤退も考えていたが、父から引き継いだタニノチカラが1973年の朝日杯チャレンジカップハリウッドターフクラブ賞で勝利したのを見て、オーナーブリーダー業へ積極的にかかわるようになった。しかし、信夫が経営していたときのような成績を残すことはできなかった[2]。(詳細はカントリー牧場#低迷期を参照。)

1973年11月、雄三は繁殖牝馬を求めて、カントリー牧場長の西山清一とともにアメリカ合衆国ケンタッキー州の牧場に向かい5頭を購入[2]。道すがらに仔馬のセリにも参加した[2]。当初は仔馬を購入する予定はなかったが、11歳で早世し希少化したシーバードを父に持つ仔馬を目の前にして、牝馬であることを知らずに、思いがけず入札[2][3]。他のバイヤーと張り合ったがそれを制して、雄三が7万ドルで落札した[3]

雄三によって「タニノシーバード(Tanino Sea-Bird)」と名付けられてアメリカで競走馬としてデビュー[3]。江面弘也によれば「先行するスピードには見どころのある牝馬」で、10戦2勝という成績を残した。競走馬引退後の1975年に日本に輸入され、カントリー牧場で繁殖牝馬となった[3]。1983年に産んだタニノスイセイ(父:ゼダーン)は、1988年の朝日チャレンジカップ(GIII)1989年の北九州記念GIII)など重賞を含めて7勝の成績を残した[3]

そして1988年、後のタニノギムレットの母となるタニノクリスタルが産まれた[3]。1991年に競走馬デビューを果たし、アネモネステークスを勝利して桜花賞優駿牝馬(オークス)に出走を果たすなど、6歳まで走り40戦3勝という成績で繁殖牝馬となった[3]。タニノクリスタルの4回目の種付け相手にブライアンズタイムが選ばれ、1999年5月4日、後のタニノギムレットである牡馬が誕生した[4]。カクテルの名前「ギムレット」から「タニノギムレット」と命名された[4]

競走馬時代[編集]

2歳の夏、札幌競馬場ダート1000メートル戦。そこでは2着に敗れる。その後尻尾の骨折による引退の危機を乗り越え[5]、12月に阪神競馬場の芝1600メートル戦で復帰し、2着に7馬身差をつけ初勝利を挙げる。

2002年、3歳となり重賞初挑戦となったシンザン記念は、武豊を迎え優勝。続くアーリントンカップも3馬身半差をつけ優勝。さらに皐月賞トライアルスプリングステークスでは負傷の武豊に代わって四位洋文が騎乗、大外を通り豪快な末脚でテレグノシスに並び掛けてクビ差の差し切り勝ち。 皐月賞では再び四位を背に、2.6倍の1番人気に推された。しかしレースでは、最終コーナーで一番外を大きく回るコースロスが響いてしまい、直線に入ってからほとんどの馬を抜き去る豪脚を見せるが、前の2頭を交わすことはできず3着に敗れた。勝ったのは好位から抜け出した15番人気のノーリーズンであった。このときの四位の荒い騎乗について、明らかな騎乗ミスであったとされることが多く、解説者も「タニノギムレットは1頭だけ100メートル余分に走っていた」と語った。勝ちタイムは1分58秒5は皐月賞レコード、ノーリーズンの単勝は万馬券、2着にも人気薄のタイガーカフェが粘り切って馬連53,090円となった。

レース後はこのまま東京優駿へ向かわず、NHKマイルカップにケガから復帰した武豊を鞍上に迎えて出走。単勝1.5倍の1番人気に推された。いつもの通りの後方待機から直線に向くも、テレグノシスの斜行により進路をふさがれる不利があり、進路を左右に変えながら追い上げたが、そのテレグノシスの3着に敗れた。審議時間は20分以上にも及び、武豊は珍しくテレグノシス鞍上の勝浦正樹に対して激怒したという。

引き続き中2週と詰まったローテーションとなるが、次走は東京優駿に出走。ここでも1番人気に推され、いつもの通りの後方待機から直線に向くと直線坂下から末脚を繰り出し、シンボリクリスエスを差し切り優勝した。武豊は史上初の東京優駿3勝目を挙げる。なお、レース前にタニノギムレットについて「馬は絶好調だし心配することはほとんどないが、杉本さんの◎(本命)だけが唯一心配だ」と関係者が揃って言っていた。

東京優駿後は栗東で調整されたのち、北海道浦河町の吉澤ステーブルに移動して調教を積まれた[6]。秋シーズンに向けて8月25日に栗東へ帰厩し、以降も順調に調整が進んでいたが、9月1日の調教後に脚が熱を持ったため検査が行われたところ、左前浅屈腱炎を発症していたことが判明し、全治6か月と診断されたため、秋シーズンの出走が不可能となった[6]。その後谷水と松田ら関係者が協議を行った結果、復帰への道程が険しいことや生産地の期待が高いことを受けて現役を引退することが決まった[6]。種牡馬となってからの2003年8月24日に札幌競馬場で引退式が行われた[7]

種牡馬として[編集]

故障を受けて、急遽馬主の谷水雄三、社台グループ吉田勝己、調教師の松田国英の間で話し合いが持たれ、総額13億2000万円(2200万円×60株)のシンジケートが組まれ、北海道安平町社台スタリオンステーションで種牡馬となることが決まった[6]

ウオッカ(2004年産)

産駒は2006年から走り始め、初年度産駒のウオッカが第58回阪神ジュベナイルフィリーズを制して産駒の初GI勝ちを収め、さらに翌2007年には自身と同じ「2枠3番」で64年ぶりの牝馬の東京優駿優勝を達成するなど、好調な出足を見せた。ウオッカとの父仔東京優駿制覇は史上5組目であり、父-娘の関係では史上初となる。ウオッカをはじめとする初年度産駒が活躍したこともあり、同年は240頭に種付けを行った。この種付け頭数は当年の国内2位であった。なおウオッカは2008年2009年と2年連続でJRA賞年度代表馬に輝き、2011年には顕彰馬に選出された。

その後、2013年11月30日レックススタッドへ移動すると2014年からは同地で種牡馬生活を送る[8]2020年をもって種牡馬を引退。引退後は北海道日高町Yogiboヴェルサイユリゾートファーム功労馬として繋養されている[9]。ヴェルサイユファームでは、牧場に来た当初からタニノギムレットが頻繁に牧柵を蹴り壊す光景が見られており、修理代を工面するために壊された牧柵をリサイクルしたグッズをネット販売した[10][11]

競走成績[編集]

以下の内容は、netkeiba.com[12]及びJBISサーチ[13]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上がり3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2001. 08.05 札幌 2歳新馬 ダ1000m(良) 12 6 7 002.1(1人) 2着 1:00.8 (36.5) -0.2 横山典弘 53 レアパール 472
12.22 阪神 2歳未勝利 芝1600m(良) 16 2 4 003.6(3人) 1着 1:35.6 (35.2) -1.2 四位洋文 54 (ハマノホーク) 480
2002. 01.14 京都 シンザン記念 GIII 芝1600m(良) 16 2 3 002.2(1人) 1着 1:34.8 (34.5) -0.1 武豊 55 チアズシュタルク 488
02.23 阪神 アーリントンC GIII 芝1600m(良) 13 6 9 001.3(1人) 1着 1:33.9 (34.1) -0.6 武豊 56 (ホーマンウイナー) 482
03.17 中山 スプリングS GII 芝1800m(良) 16 6 11 001.3(1人) 1着 1:46.9 (34.5) -0.0 四位洋文 56 テレグノシス 482
04.14 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 18 6 11 002.6(1人) 3着 1:58.8 (34.8) -0.3 四位洋文 57 ノーリーズン 484
05.04 東京 NHKマイルC GI 芝1600m(良) 18 5 9 001.5(1人) 3着 1:33.5 (35.3) -0.4 武豊 57 テレグノシス 480
05.26 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 2 3 002.6(1人) 1着 2:26.2 (34.7) -0.2 武豊 57 シンボリクリスエス 482

産駒成績[編集]

年度別(中央+地方)[編集]

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2006年 47 139 7 9 89 1.10 1億9830万9000円
2007年 139 794 50 81 21 1.83 9億9233万7000円
2008年 195 1478 92 149 13 1.85 14億0744万9000円
2009年 214 1802 91 167 11 1.89 15億8041万7000円
2010年 267 1953 97 160 21 0.97 10億0954万7000円
2011年 332 2554 136 227 18 0.92 11億6799万3000円
2012年 324 2917 136 259 18 0.75 11億0756万1000円
2013年 301 2597 112 181 20 0.68 8億6451万6000円
2014年 286 2489 97 176 24 0.68 7億6804万2000円
2015年 269 2402 107 187 24 0.56 6億1154万1500円
2016年 242 2457 85 150 34 0.53 5億3908万9000円

グレード制重賞優勝馬[編集]

太字はGI競走。

地方重賞優勝馬[編集]

母の父としての主な産駒[編集]

血統表[編集]

タニノギムレット血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロベルト系
[§ 2]

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale

タニノクリスタル
1988 栗毛
*クリスタルパレス
Crystal Palace
1974 芦毛
Caro *フォルティノ
Chambord
Hermieres Sicambre
Vieille Pierre
母の母
*タニノシーバード
1972 栗毛
Sea-Bird Dan Cupid
Sicalade
Flaxen Graustark
Flavia
母系(F-No.) (FN:9-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Graustark 3×4、Roman 5×5、Sicambre 4・5(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [50]
  2. ^ [51]
  3. ^ [50]
  4. ^ [50]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o タニノギムレット”. JBISサーチ. 2021年4月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 優駿』2002年4月号 18頁
  3. ^ a b c d e f g 優駿』2002年4月号 20頁
  4. ^ a b 優駿』2002年4月号 21頁
  5. ^ 高橋章夫 (2013年4月). “オリジナルインタビュー 吉澤克己社長”. 競馬ラボ. ドゥーイノベーション. p. 2. 2013年4月17日閲覧。
  6. ^ a b c d 「悲運!タニノギムレットが引退、種牡馬入り―左前浅屈腱炎を発症したため」『優駿』、日本中央競馬会、2002年10月、6-7頁。 
  7. ^ “ギムレット 札幌で引退式” (日本語). スポーツニッポン. (2003年8月25日). オリジナルの2004年12月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20041217200637/http://www.sponichi.co.jp/horseracing/kiji/2003/08/25/03.html 2013年5月28日閲覧。 
  8. ^ タニノギムレットがレックススタッドに移動”. 競走馬のふるさと案内所 (2013年12月4日). 2013年12月8日閲覧。
  9. ^ タニノギムレットが種牡馬引退 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2020年7月17日閲覧。
  10. ^ 「破壊神」タニノギムレットのハイペースな牧柵破壊”. Number Web. 2023年1月8日閲覧。
  11. ^ @Versailles_Farm (2022年5月6日). "現状3箇所破壊されています". X(旧Twitter)より2023年1月8日閲覧
  12. ^ タニノギムレットの競走成績”. netkeiba.com. 2021年4月1日閲覧。
  13. ^ 競走成績:全競走成績|タニノギムレット”. JBISサーチ. 2021年4月1日閲覧。
  14. ^ タニノギムレット 種牡馬情報 世代・年次別”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  15. ^ タニノギムレット 種牡馬情報 種牡馬成績”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  16. ^ ウオッカ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  17. ^ ヒラボクロイヤル”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  18. ^ アブソリュート”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  19. ^ ニシノブルームーン”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  20. ^ ゴールドアグリ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  21. ^ スマイルジャック”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  22. ^ セイクリッドバレー”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  23. ^ クレスコグランド”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  24. ^ オールザットジャズ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  25. ^ ミッドサマーフェア”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  26. ^ ハギノハイブリッド”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  27. ^ メドウラーク”. JBISサーチ. 2018年7月8日閲覧。
  28. ^ ブラックスピネル”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  29. ^ カクテルラウンジ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  30. ^ リワードレブロン”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  31. ^ キャニオンサクセス”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  32. ^ ブラックビューティ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  33. ^ ミスマンマミーア”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  34. ^ パフォーマプロミス”. JBISサーチ. 2018年1月16日閲覧。
  35. ^ タケルオウジ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  36. ^ バズーカ”. JBISサーチ. 2018年1月16日閲覧。
  37. ^ プロフェット”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  38. ^ ブレスジャーニー”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  39. ^ タガノディグオ”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  40. ^ スターレーン”. JBISサーチ. 2017年10月30日閲覧。
  41. ^ グラヴィオーラ”. JBISサーチ. 2024年1月30日閲覧。
  42. ^ リンノゲレイロ”. JBISサーチ. 2024年1月30日閲覧。
  43. ^ クラージュゲリエ”. JBISサーチ. 2018年11月24日閲覧。
  44. ^ オーヴェルニュ”. JBISサーチ. 2021年12月30日閲覧。
  45. ^ アリアナティー”. JBISサーチ. 2024年1月30日閲覧。
  46. ^ ララクリスティーヌ”. JBISサーチ. 2023年2月18日閲覧。
  47. ^ エムワンハルコ”. JBISサーチ. 2023年2月18日閲覧。
  48. ^ ブローヴェイス”. JBISサーチ. 2023年2月18日閲覧。
  49. ^ ララクリスティーヌ”. JBISサーチ. 2024年1月30日閲覧。
  50. ^ a b c 血統情報:5代血統表|タニノギムレット”. JBISサーチ. 2017年8月28日閲覧。
  51. ^ タニノギムレットの血統表”. netkeiba.com. 2017年8月28日閲覧。

参考文献[編集]

  • 江面弘也「名門オーナーブリーダー、30年ぶりの復活へ タニノギムレット」『優駿』日本中央競馬会、2002年4月号。

外部リンク[編集]