P-40 (航空機)

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カーチス P-40

アメリカ陸軍航空軍第24戦闘飛行隊のP-40N

アメリカ陸軍航空軍第24戦闘飛行隊のP-40N

カーチス P-40 (Curtiss P-40) は、第二次世界大戦期のアメリカ陸軍戦闘機。F型以降の愛称はウォーホーク (Warhawk:アメリカで「タカ派」を指す言葉) 。アメリカ陸軍のみならず各連合軍に多数が供与され、イギリス空軍ではC型までをトマホーク (Tomahawk:インディアンの用いた斧)、D型からをキティホーク (Kittyhawk:ライト兄弟が初飛行に成功した場所)と称している。

性能的には平凡な機体であったが実用性が高く常に量産体制が整っていたこともあり、劣勢であった大戦初中期に重要な使命を担い、各国軍で広く運用されドイツ軍日本軍に対し善戦した。

概要[編集]

1938年P-36の改造型として空冷エンジン液冷アリソンエンジンに換装しXP-40として初飛行した。この機体は、最高速度が原型のP-36よりも70km/hも速かったので、直ちに量産命令が出てアメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空軍)の主力戦闘機となり、また当時ドイツ空軍と交戦していたフランス空軍に援助機として振り向ける事となった。しかし1940年のフランス敗戦により、同じく対独戦を行っているイギリス空軍への援助機として供与、トマホークおよびキティホークの名で運用されている。地中海の戦い (第二次世界大戦)でキティホークを装備したイギリス空軍、またのちに参戦したアメリカ陸軍のP-40はドイツ空軍およびイタリア空軍を相手に活躍を見せた。

日中戦争で日本軍の攻勢に苦しんでいた中華民国蒋介石の妻で、国民党航空委員会秘書長でもあった宋美齢のアメリカ軍への呼びかけにより、中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられたクレア・リー・シェンノートにより、アメリカの「義勇兵」パイロットで編成されたAVG(フライング・タイガース)はP-40を129機装備し、国民革命軍を支援するため中国で活動した。1941年12月20日から翌年6月12日の解散までにフライング・タイガース側の記録では撃墜・撃破171機(日本側記録89機)の戦果をあげ、自らは80機を失ったとされた(この「撃墜記録」は、報奨金獲得のために水増しされているとの意見もあり、実際に日本側の被撃墜記録との乖離が激しい)。

太平洋戦争開戦時、フィリピンの戦い (1941-1942年)にて同地に配備されていたP-40C/Eは日本海軍零式艦上戦闘機をはじめとする日本軍機の邀撃に当たったが、邀撃前に航空撃滅戦の爆撃で地上破壊された物が多く、フィリピンや撤退先のインドネシア(蘭印作戦)で出撃出来た一部の機体は零戦や一式戦闘機「隼」の空戦性能(特に低速低空での旋回性能)に遅れをとり、劣勢に立たされた。しかしソロモン諸島の戦いニューギニアの戦い、中国戦線では活躍し多数の日本軍機を撃墜。またその頑丈さと防弾性能の高さから日本軍戦闘機は苦戦した。

連合軍は後に武装の貧弱さと高度性能の改善をはかり、マーリンエンジンを搭載したF型を投入し、これを「ウォーホーク」と称した。P-40Fは高々度において遥かに良い性能を発揮した。しかし、あまり多数のマーリンエンジンは入手できなかった。より優れたノースアメリカンP-51B/C マスタングにそのエンジンの優先権が与えられていたからである。

大戦中期以降、主力戦闘機の座はP-38 ライトニングP-47 サンダーボルト、P-51 マスタングに譲ることとなり、エンジンと武装の改良を繰り返しQ型は高性能を発揮したが試作に終わったものの、大戦後期の1944年にかけ総数13,738機が生産された。

なお、日本陸軍は南方や中国などで完全な状態のP-40EやP-40Nを数機鹵獲し、内地に送りテスト飛行や研究用に使用したほか、1943年羽田空港で開催された鹵獲機展示会で一般向けに公開されている。さらに1943年公開の航空映画『愛機南へ飛ぶ』、1944年公開の航空映画『加藤隼戦闘隊』には同じく鹵獲されていたバッファローとともに一式戦「隼」の敵機役として「出演」した。ビルマ戦線のラングーンでは、防空を目的として少数の鹵獲P-40Eによる臨時戦闘隊が飛行第50戦隊の高野明中尉以下4名の操縦者と整備隊で結成された。しかし初陣の夜間迎撃では飛行第12戦隊所属の九七重爆を誤って不時着大破させるなど活躍することなく、3ヶ月後の5月26日に解散している[1]

1943年11月当時大学生だった佐々木陸軍少尉は、陸軍航空技術研究所で鹵獲展示されたP-40に搭乗。防弾装備と、小便を機外に排出するため操縦席に備え付けられた蛇腹状の管を見て、人間工学を配慮した設計に感銘を受けている[2]

派生型[編集]

  • XP-40:試作機。
  • P-40:初期量産型。199機中、P-40A(1機)、P-40G(44機)に改修。残りはRP-40と改称。
  • トマホークI:フランス空軍向けのP-40を、フランス降伏によりイギリス空軍が受領した機体。
  • トマホークII:トマホークIの改良型。
  • P-40A:非制式の写真偵察機。1機のみの改造。RP-40とは異なる。
  • P-40B:翼内7.62mm M2機銃を各1挺増、計4挺に。防弾燃料タンク採用。
  • トマホークIIA:イギリス空軍向けのP-40B。翼内武装7.7mm機銃×4挺。
  • P-40C:燃料タンク防弾装備の改良。ただし飛行性能は犠牲となった。
  • トマホークIIB:イギリス空軍向けのP-40C。
  • P-40D:エンジンを換装(V-1710-39(-F3R))、武装・防弾設備の改良などを行うが22機の生産のみ。
  • P-40E:翼内12.7mm M2機銃×6挺に変更。
  • キティホークI:フランス空軍発注のP-40D。イギリス空軍が560機購入。
  • キティホークIA:イギリス空軍向け(供与)のP-40E-1。
  • P-40F:翼内12.7mm M2機銃×6挺。発動機をマーリン28型(パッカードV-1650-1)に換装。F-5から胴体後部を長胴化。
  • キティホークII:イギリス空軍向け(供与)のP-40FあるいはP-40L。
  • P-40G:P-40にトマホークIIAの7.7mm機銃×4挺仕様の主翼、防弾鋼板・防弾ガラスを装備。試作1機+43機改修。
  • P-40J:高高度戦闘機型。排気タービン装備予定。計画のみ。
  • P-40K:E型のエンジン換装型(V-1710-73)。安定性向上のため垂直安定板前縁にフィン追加(短胴型)。K-10から胴体尾部を長胴化。
  • P-40L:F型の軽量化型。期待されたほどの性能向上はなかった。
  • P-40M:K型(長胴型)のエンジン換装型(V-1710-81(-F20R))。
  • キティホークIII:イギリス空軍向け(供与)のP-40K-1あるいはP-40LまたはP-40M。
  • P-40N:軽量化された最終生産型。約5,000機生産。N-2以降新型キャノピーに改装。
  • キティホークIV:イギリス空軍向け(供与)のP-40N。一部ソ連にも渡る。
  • TP-40N:P-40Nの胴体燃料タンクを廃し、複座化した練習機型。
  • P-40P:マーリンエンジンで計画されるが実現せず、P-40N-1/-5となる(のちのN-40、4翅プロペラ化など諸説あり)。
  • XP-40Q:2段式スーパーチャージャー装備のV-1710-121に換装、水滴型風防装備、冷却システム更新など徹底改良された試作機。最高速度680km/hを出すP-40最高性能モデルだが、P-51などの新鋭機には及ばないため採用されなかった。
  • P-40R:F型・L型のV-1650-1をV-1710-81に換装したタイプ。計123機の改修にとどまり、主に訓練用に運用。

スペック[編集]

P-40Eの三面図

(P-40N-20)型 出典:第2次大戦アメリカ陸軍機の全貌[3]

  • 乗員:パイロット 1 名
  • 全長:10.10 m
  • 全幅:11.38 m
  • 全高:3.70 m
  • 主翼面積:21.92m2
  • 空虚重量:2810 kg
  • 運用時重量:-- kg
  • 最大離陸重量:5160 kg
  • 動力:アリソンV-1710-99レシプロエンジン
  • 出力:1200HP
  • 最大速度:565 km/h
  • 巡航速度:467 km/h
  • 航続距離:1740km
  • 実用上昇限度:10,270 m
  • 上昇率:4270m/7.3min
  • 武装:12.7mm 機関銃×6
  • 爆弾: 225kg

運用国[編集]

オーストラリアの旗 オーストラリア
ブラジルの旗 ブラジル
カナダの旗 カナダ
中華民国の旗 中華民国
エジプトの旗 エジプト
フィンランドの旗 フィンランド
フランスの旗 フランス
インドネシアの旗 インドネシア
大日本帝国の旗 大日本帝国 - 鹵獲機
オランダの旗 オランダ
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
ポーランドの旗 ポーランド
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
トルコの旗 トルコ
イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ


現存する機体[編集]

現在、約70機のP-40がアメリカを中心に現存しており、内約30機は飛行可能な保存状態にある。2012年3月には、1942年にエジプトサハラ砂漠で墜落した英軍のP-40「キティホーク」の残骸が大変良好な状態で発見された[4]

型名 機体写真   国名   保存施設/管理者 公開状況   状態   備考
P-40C
2008年9撮影
アメリカ Flying Heritage Collection[1]ポール・アレン 公開 飛行可能  [2]
P-40E
2015年5月撮影@Chino Airport
アメリカ 飛行可能  英空軍 S/N AK940。PLANES OF FAME AIRSHOW 2015 にてデモフライトを披露。
P-40E アメリカ National Museum of the United States Air Force 公開   [3]
P-40N
2015年5月@ Chino Airport
アメリカ Planes of Fame Air Museum [4] 公開 飛行可能  米陸軍 S/N 42-105192。
P-40N
2015年4月撮影
アメリカ Museum of Flight[5] 公開    [6]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 押尾一彦・野原茂『日本軍鹵獲機秘録』(光人社、2002)107 - 109頁
  2. ^ 佐々木晃『学徒兵の航空決戦日本の名機とともに生きた青春』(光人社、2006)64-65頁
  3. ^ 航空情報編集部編 「第2次大戦アメリカ陸軍機の全貌」 1964年、酣燈社、54頁。
  4. ^ http://www.vintagewings.ca

関連項目[編集]

外部リンク[編集]