キ90 (航空機)

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キ90は、大日本帝国陸軍が計画した爆撃機。開発は三菱重工業が担当した。

概要[編集]

1943年昭和18年)7月9日、陸軍は航密8454号で[1]三菱に対して双発近距離爆撃機キ90の試作を命じた[1][2][3]。キ90は四式重爆撃機の後継機とすることを目指したもので[1]、陸軍からの要求性能は常用高度が4,000 - 10,000 m、行動半径が1,500 km + 余裕2時間、固定武装は20mm機関砲2門、13mm機関砲2 - 3門、爆弾搭載量は最大1,000 kgで魚雷装備の研究も行うというものだった[2]。また、高高度水平爆撃とともに急降下爆撃も可能なことが要求されていた[2]

設計の規範となったのは海軍1940年(昭和15年)末に双発急降下爆撃機の研究のためにドイツから輸入したJu 88A-4[3]、エンジンは排気タービンを備えた三菱「ハ214ル」空冷複列星型18気筒(離昇2,500 hp[4])を使用する予定だった[1][5]。4名の乗員の配置は機首キャビンに集中されている[1][3]1946年(昭和21年)3月の審査完了が予定されていたが[2]太平洋戦争の戦局悪化を受けて[1]1945年(昭和20年)5月に行われた試作機整理統合によって、設計段階で計画は中止された[1][6]

Ju 90改設計機[編集]

上記のキ90とは別に、九二式重爆撃機の後継機として[7]陸軍が1938年(昭和13年)2月頃に計画したJu 90の爆撃機型にも、「キ90」の計画番号が仮称として与えられていた[2][6][7]。これは日独共同で改設計したJu 90をユンカース社で生産し、日本へ空輸するという計画で[2][8]、日本側の改設計チームは陸軍と三菱の人員からなると予定されていた[8]

ユンカース社との交渉は三菱が担当し、1938年7月25日にデッサウのユンカース社工場で開始されたが[6][9]、国際情勢の悪化によって輸出向け機体の開発を行う余裕がユンカース社から失われたため[10]、同年9月9日に簡単な一般図が示されたのを最後にユンカース社からの反応が途絶え、計画は断念されている[6][10]

その後、三菱はJu 90に代わる候補としてFw 200の改設計による爆撃機化を計画した。交渉を受けたフォッケウルフ社も積極的に応じたものの、陸軍の関心が薄く計画は中止された[11]。続いて、三菱は1939年(昭和14年)3月からボーイング社との間で交渉を開始し、双方の間で遠距離爆撃機を共同設計した後にボーイング社で生産を行うことが検討されたが、日米関係の悪化により計画のみに終わった[11]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 『決定版 日本の陸軍機』 70頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本陸軍試作機大鑑』 83頁。
  3. ^ a b c 『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』 132頁。
  4. ^ 『日本陸軍試作機大鑑』 238頁。
  5. ^ 『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』 133・205頁。
  6. ^ a b c d 『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』 133頁。
  7. ^ a b 『巨人機物語』 220・221頁。
  8. ^ a b 『巨人機物語』 221頁。
  9. ^ 『巨人機物語』 221・222頁。
  10. ^ a b 『巨人機物語』 222頁。
  11. ^ a b 『巨人機物語』 222・223頁。

参考文献[編集]

  • 歴史群像編集部編『決定版 日本の陸軍機』学研パブリッシング、2011年、70頁。ISBN 978-4-05-606220-5
  • 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、83・238頁。ISBN 978-4-87357-233-8
  • 佐原晃『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』イカロス出版、2006年、132・133・205頁。ISBN 978-4-87149-801-2
  • 秋本実『巨人機物語 知られざる日本の空中要塞』光人社、2002年、220 - 223頁。ISBN 978-4-7698-2359-9