La-7 (航空機)

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La-7 / Ла-7

Memorial La-7 open 7-may-2007.jpg

La-7ロシア語:Ла-7ラー・スィェーミ)は、第二次世界大戦時のソ連戦闘機で、最も優秀とされるもののひとつ。La-5FNの改良型として、ラヴォーチキン設計局が開発した。1944年初飛行。朝鮮戦争にも使われた。

概要[編集]

低・中高度用として開発されたASh-82FN空冷レシプロエンジンを搭載していた為、高々度での戦闘には不向きである。もっとも陸戦への戦術支援が主任務の当時のソ連空軍では、ドイツ空軍機との空戦も3000メートル以下の低空が多かった。本機は7500から8000機生産され、ソ連では1950年頃まで使用された他、チェコスロバキアでもスピットファイアMk.IXなどとともに戦後しばらく運用された。また、中国人民解放軍でも運用された。

派生型としては、TK-3ターボチャージャーを装備したLa-7TKЛа-7ТК)高高度戦闘機、機首のASh-82FNエンジンに加えてRD-1ロケットエンジンを尾部に搭載したLa-7RЛа-7Р)戦闘機、複座の練習戦闘機型のLa-7UTIЛа-7УТИ)、新型のASh-84エンジンを搭載する機体等も開発されたが、多くの派生型が生産されたYak-9シリーズと違い、La-7シリーズは基本型のLa-7と練習機用のLa-7UTIしか生産されなかった。ソ連では戦中ターボチャージャーの開発は成功せず、La-7と平行して開発されていたYak-9PDやMiG-11も生産には至っていない。その他、La-9シリーズはLa-7の直接の発展型で、Yak-9Pとともに1940年代後半ソ連の主力戦闘機となった。

同時期の多くのソ連戦闘機は、主翼や桁が木製であるため強度の問題で、武装は全て機首に搭載されていた。La-5FNやLa-7では軽量化のため主翼が全金属製となったものの、武装の配置は変更されていない。La-7ではそれまでのLa-5と同じ2門のShVAKを装備したが、モスクワの第381工場で作られた機体の一部は新型の20mm機関砲であるB-20を3門を搭載していた。この3門搭載型はパイロットからの評価は高かったが、B-20の信頼性があまり高いものでは無かったこともあり生産数は368機程にとどまった。発展型のLa-9や11では23mm機関砲が3~4門と強化された。機首への多銃配置は、主翼への搭載ほど運動性が低下することがなく、またスペースの関係で搭載弾薬は多くできないが、命中率と瞬間的な発射弾数を優先したものと思われる。ちなみにソ連空軍では、レンドリースされたP-39QP-40Cの主翼のガンポッドや7.62mm機銃を撤去して、機首武装だけ残して運動性を上げる改造が行われていた。

ラボーチキンは特に乗員から好まれ、イヴァーン・コジェドゥーブなどソ連最高のエースの何人かはラボーチキン戦闘機で飛行した。[要出典]三度ソ連の英雄となり、連合軍の優れたエースでもあったコジェドゥーブは、62機撃墜の栄光を、すべてラボーチキン戦闘機によって勝ち取った。 コジェドゥーブに供与された最後のラボーチキン戦闘機は、La-7であった。このLa-7でメッサーシュミットMe262を含むドイツ機17機を撃墜した。

スペック[編集]

  • 初飛行:1944年
  • 翼幅:9.80 m
  • 全長:8.67 m
  • 全高:2.54 m
  • 翼面積:17.59 m2
  • 空虚重量:2605 kg
  • 離陸重量:3265 kg
  • 発動機:シュヴィェツォーフ製 ASh-82FN 空冷式レシプロエンジン(ПД Швецов АШ-82ФН) ×1
  • 出力:1850 馬力
  • 最高速度(地表高度):597 km/h
  • 最高速度:680 km/h
  • 実用航続距離:635 km
  • 実用飛行上限高度:10450 m
  • 最大上昇力:1111 m/min
  • 乗員:1 名
  • 武装:20 mm機銃 ShVAK20-мм пушки ШВАК) ×2、または 20 mm機銃 B-2020-мм пушки Березина B-20) ×3、200 kgまでの爆弾(両翼下)

関連項目[編集]