「カール・アンダーソン (プロレスラー)」の版間の差分
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同年5月3日にBAD INTENTIONSとして[[NO LIMIT (プロレス)|NO LIMIT]]と[[青義軍]]を相手にIWGPタッグ王座に挑戦、青義軍の[[井上亘]]にフォールを奪われ敗退、IWGPタッグ王座が青義軍に移動する。翌6月にNO LIMITの再戦申し立てにより3WAYマッチイリミネーションルールで再戦、NO LIMITを青義軍と共同で退け、井上をガン・スタンで下したことで自身初のIWGPタッグベルトを腰に巻いた。翌7月にNO LIMITが巴戦で再び再戦を直訴した為、同じ3組で試合を行い、先に2連勝したことで初防衛に成功し、ほどなくしてリマッチしてきた青義軍に勝利し2度目の防衛に成功する。同年8月[[G1 CLIMAX]]初出場。[[棚橋弘至]]、[[矢野通]]を破って2勝を挙げる。 同年のG1タッグリーグは決勝トーナメントまで上り詰めるもトーナメント準決勝で青義軍に敗退、同じ準決勝でNO LIMITに敗退した日墨マッスルオーケストラと並びベスト3に入り、時期間もなくしてG1タッグリーグに優勝した青義軍とIWGPタッグベルトを掛けて対戦し、3度目の防衛に成功する。 |
同年5月3日にBAD INTENTIONSとして[[NO LIMIT (プロレス)|NO LIMIT]]と[[青義軍]]を相手にIWGPタッグ王座に挑戦、青義軍の[[井上亘]]にフォールを奪われ敗退、IWGPタッグ王座が青義軍に移動する。翌6月にNO LIMITの再戦申し立てにより3WAYマッチイリミネーションルールで再戦、NO LIMITを青義軍と共同で退け、井上をガン・スタンで下したことで自身初のIWGPタッグベルトを腰に巻いた。翌7月にNO LIMITが巴戦で再び再戦を直訴した為、同じ3組で試合を行い、先に2連勝したことで初防衛に成功し、ほどなくしてリマッチしてきた青義軍に勝利し2度目の防衛に成功する。同年8月[[G1 CLIMAX]]初出場。[[棚橋弘至]]、[[矢野通]]を破って2勝を挙げる。 同年のG1タッグリーグは決勝トーナメントまで上り詰めるもトーナメント準決勝で青義軍に敗退、同じ準決勝でNO LIMITに敗退した日墨マッスルオーケストラと並びベスト3に入り、時期間もなくしてG1タッグリーグに優勝した青義軍とIWGPタッグベルトを掛けて対戦し、3度目の防衛に成功する。 |
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2011年、1月4日の東京ドームにてIWGPタッグの3WAYマッチで日墨マッスルオーケストラ([[中西学]]・[[ジョン・アンダーセン|ストロングマン]]組)、ビアマネーインク([[ジェームス・ストーム]]・[[ロバート・ルード]]組)と対戦<ref>リング入場時、マシンガンを持って入場した。</ref>、ルードをガン・スタンで沈め4度目の防衛に成功する。 翌22日の後楽園ホールにてCMLLのOKUMURA・アトランティス組を、2月20日の仙台大会にて日墨マッスルオーケストラを倒し防衛記録を6にする。 |
2011年、1月4日の東京ドームにてIWGPタッグの3WAYマッチで日墨マッスルオーケストラ([[中西学]]・[[ジョン・アンダーセン|ストロングマン]]組)、[[ビアマネーインク]]([[ジェームス・ストーム]]・[[ロバート・ルード]]組)と対戦<ref>リング入場時、マシンガンを持って入場した。</ref>、ルードをガン・スタンで沈め4度目の防衛に成功する。 翌22日の後楽園ホールにてCMLLのOKUMURA・アトランティス組を、2月20日の仙台大会にて日墨マッスルオーケストラを倒し防衛記録を6にする。 |
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3月5日、バーナードが[[プロレスリング・ノア]]の[[グローバル・オナード・クラウン|GHCヘビー級王座]]に挑戦、バーナードのセコンドとしてリングに入場した。 |
3月5日、バーナードが[[プロレスリング・ノア]]の[[グローバル・オナード・クラウン|GHCヘビー級王座]]に挑戦、バーナードのセコンドとしてリングに入場した。 |
2012年1月8日 (日) 09:20時点における版
カール・アンダーソン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
カール・アンダーソン チャド・アレグラ |
ニックネーム |
ザ・マシンガン 戦う銃刀法違反男 |
身長 | 184cm |
体重 | 109kg |
誕生日 | 1980年1月20日(44歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州アシュビル |
所属 | 新日本プロレス |
デビュー | 2002年5月 |
カール・アンダーソン(Karl "The Machinegun" Anderson、1980年1月20日 - )はアメリカ合衆国のプロレスラー。新日本プロレス所属。ノースカロライナ州アシュビル出身。
コール時や試合中にマシンガンを撃つポーズをする。
来歴
当時、設立間もなかった新日本プロレスLA道場に入門。プロレスリング・ゲリラ(PWG)、リング・オブ・オナー(ROH)、NWAと米国団体を転戦し活躍。2007年7月には、同年5月にTNAとの提携終了により空位となったNWA世界タッグ王座を巡る王者決定戦に参加、ジョーイ・ライアンと組み、これを制して獲得している。
2008年2月27日、NEW JAPAN CUP(以下NJC)を欠場することになった永田裕志によりクラシカルレスリングの技術を買われ推薦出場する大抜擢を受け来日。3月9日の金本浩二戦で日本デビューを飾る。しかし4月13日、本隊を裏切りG・B・Hに合流。当時のG・B・Hでは初の外国人レスラー入りだった。
2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームに初参戦。蝶野正洋、長州力、カート・アングル、ケビン・ナッシュのレジェンド軍と対決したが敗れる。同年3月9日には2年連続でNJC出場。1回戦で後藤洋央紀と対戦。追い詰める場面もいくつか見られたが、最後は変形腕固めで敗れる。
4月に中邑真輔、矢野通が結成した新軍団CHAOSの一員に。ジャイアント・バーナードとのタッグ“BAD INTENTIONS”で4月5日の中西学、大森隆男組と5月3日に行われた天山広吉、小島聡組の試合で見事勝利を挙げ、6月20日、ブラザー・レイ、ブラザー・ディーボンのチーム3Dが所持するIWGPタッグ王座に初挑戦。敗れはしたものの健闘を見せた。
10月中旬に行われたG1 TAG LEAGUEでは全勝でブロック通過し決勝トーナメントへ進出。決勝で田口隆祐、プリンス・デヴィット組を撃破し大会史上初の全勝優勝を果たした。11月8日にチーム3DとIWGPタッグ王座を賭け2度目の対戦。終盤、4人共が場外乱闘を繰り広げ両者リングアウト裁定となった。
2010年1月4日、チーム3D、NO LIMITに混じりIWGPタッグ選手権3WAYマッチに望む。最後はNO LIMITの裕次郎(現・高橋裕二郎)にピンフォール負けを喫し、戴冠はならなかった。その後、3月のNJC1回戦では同チームの内藤哲也にスターダストプレスを喰らい敗戦。さらに、シリーズ最終戦の6人タッグマッチ試合後、タッグを組んでいた矢野通から駄目出しを食らってしまい不穏な関係へと発展。そして4月4日、矢野、飯塚高史と組み棚橋弘至、高橋裕二郎、内藤組と対戦。棚橋からフォールを奪われると、矢野から椅子攻撃の制裁を受けCHAOSから追放。そして、試合中に棚橋を相手にせず勝手に2人で試合を進行したNO LIMITはCHAOSと結託した、現在はバーナードと共にしてタッグで活動する。
同年5月3日にBAD INTENTIONSとしてNO LIMITと青義軍を相手にIWGPタッグ王座に挑戦、青義軍の井上亘にフォールを奪われ敗退、IWGPタッグ王座が青義軍に移動する。翌6月にNO LIMITの再戦申し立てにより3WAYマッチイリミネーションルールで再戦、NO LIMITを青義軍と共同で退け、井上をガン・スタンで下したことで自身初のIWGPタッグベルトを腰に巻いた。翌7月にNO LIMITが巴戦で再び再戦を直訴した為、同じ3組で試合を行い、先に2連勝したことで初防衛に成功し、ほどなくしてリマッチしてきた青義軍に勝利し2度目の防衛に成功する。同年8月G1 CLIMAX初出場。棚橋弘至、矢野通を破って2勝を挙げる。 同年のG1タッグリーグは決勝トーナメントまで上り詰めるもトーナメント準決勝で青義軍に敗退、同じ準決勝でNO LIMITに敗退した日墨マッスルオーケストラと並びベスト3に入り、時期間もなくしてG1タッグリーグに優勝した青義軍とIWGPタッグベルトを掛けて対戦し、3度目の防衛に成功する。
2011年、1月4日の東京ドームにてIWGPタッグの3WAYマッチで日墨マッスルオーケストラ(中西学・ストロングマン組)、ビアマネーインク(ジェームス・ストーム・ロバート・ルード組)と対戦[1]、ルードをガン・スタンで沈め4度目の防衛に成功する。 翌22日の後楽園ホールにてCMLLのOKUMURA・アトランティス組を、2月20日の仙台大会にて日墨マッスルオーケストラを倒し防衛記録を6にする。
3月5日、バーナードがプロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座に挑戦、バーナードのセコンドとしてリングに入場した。
5月3日の新日本プロレス福岡大会にてNO LIMITと対戦、当時不協和音が鳴っていたNO LIMITの誤爆を誘い続け、難なく7度目の防衛に成功した。
6月18日、新日本大阪大会で、プロレスリング・ノアのGHCタッグチャンピオンチームである、高山善廣、佐野巧真組と双方のベルトを賭けた「ダブルタイトルマッチ」で激突。バーナードが佐野からフォールを奪いIWGPタッグ8度目の防衛に成功するとともに、第22代GHCタッグ王座となる。
8月、G1 CLIMAXに出場。日本人レスラーのほとんどに敗れ7日目で優勝戦線から脱落するも、MVPやストロングマン、ラ・ソンブラといったBブロックの外人レスラー全員に勝利し、新日本の外人レスラーの意地を見せた。
得意技
やられっぷりの良さや小気味の良さでその曲者ぶりをいかんなく発揮している。日本では比較的大型選手の類に属するが、その身体能力を活かした軽やかな動きが特徴。極め技や丸め込み技の類はほとんど使用しないが、日本のプロレスに順応する器用さを見せている。
- ガン・スタン
- 初期型は飛び付き式のスタナーであったが、徐々にダイヤモンド・カッターの形に変化。現在のフィニッシュ・ホールド。
- 相手の死角に周り込むように待機して四つんばいでマットを叩いて観客を煽り、相手が起き上がって向き合った瞬間に技を浴びせるというランディ・オートンと類似のモーションで仕掛けている(その他、コーナーなどから飛んできた相手に仕掛けるキャッチ式も、オートンのそれと類似している)。
- リバース・ガン・スタン
- 相手の状態が表裏逆で仕掛けるガン・スタン。飛び付き式のネック・ブリーカーと言える。繋ぎ技の扱い。
- 上記、通常のガン・スタンを正調ガン・スタンと表現するなどの程度にとどまり、今のところ明確な区別はされていない。
- ダイビング・ガン・スタン
- コーナートップから飛び付いて仕掛けるガン・スタン。こちらも繋ぎ技の扱いでフィニッシュとなることは少ない。
- 上記、リバース式より発表は早いが、こちらは初期よりネック・ブリーカーの形で仕掛けている。
- 旋回式ガン・スタン
- ファイヤーマンズキャリーの体勢から旋回して放つガン・スタン。ハワイアン・スマッシャーとほぼ同型。
- ガン・スタン系の技では最も発表が遅いが繋ぎ技の扱いでフィニッシュとなることは少ない。
- スピニング・スパイン・バスター
- 主にカウンターで使用。アーン・アンダーソンが得意とする型に近い。
- まれに自らが走り込んで仕掛け、そのままフォールに入ることもある。
- ランニング・ジャンピング・パワーボム
- 相手を抱え上げてから助走をつけて放つシットダウン式パワーボム。獣神サンダー・ライガーのサンダー・ライガー・ボムとほぼ同型。
- 場外の鉄柵に投げっぱなし式で放つこともある。
- デスバレーボム
- 米国団体に参戦していた時期に使用していた。
- 新日本に移籍してガン・スタンをフィニッシュ・ホールドとしてからは使用していない。
- ゼロ戦キック
- カウンター式、串刺し式、コーナーに登ってる相手に対して、ヴァン・ダミネーターのようにイスごと蹴り飛ばすなどバリエーションは多い。
- 現在では主にカウンター式で使用されている。
- ジャンピング・フロント・ハイキック
- 二段蹴りの形や、片足で行うドロップキックの形など様々である。
- エプロン際での攻防では二段蹴りの形が、自らが走り込んで仕掛ける場合はドロップキックの形が多い。
- カチ上げ式エルボー・スマッシュ
- アンダーソンが試合を組み立てる上で頻繁に使用する技。逆水平チョップと交互に打つことも多い。
- ニー・ドロップ
- ダウンした相手の顔面に3連発で仕掛けることが多い。
- 3発目はニーパッドをずらしてむき出しにした膝でジャンピング・ニー・ドロップを放つのが特徴。
- セントーン
- 走り込んで、跳躍時に足をバタつかせながら落下する独特のフォームで放つ。
- トペ・コン・ヒーロ
- ヘビー級の選手でありながらノータッチで放つ。
やられ技
バーナードとのタッグをアンダーソンがコントロールしているという見方が強まった時期からあまり見られることはなくなった。
- コーナーへの股間打ちつけ
- 相手を対角コーナーへハンマースルーした後に攻撃を狙うが、それを回避される。この時「アァー!」と裏声で悲鳴を上げるのが特徴的。
- 場外へ放り出される
- 勢いよく相手のもとへ走り出すも、相手に頭を掴まれ放り投げられる。上記の通りに悲鳴を上げることもしばしば見られる。
- 返り討ち
- タッグマッチなどで待機中に、不意にパートナーの背中または肩を叩いてやる気満々で相手に挑むも、逆に返り討ちにあう。この後パートナーにタッチを求めるも、無視されることがお約束だった。
- ちなみに、返り討ちにされる方法はほとんどが中西学の逆水平チョップである。
合体技
- マジックキラー(w/ジャイアント・バーナード)
- 片方が相手の脚、もう片方が相手の首をそれぞれクラッチして、2人同時にひねりを加えながら倒れ込み相手をマットに叩きつける。ラ・レジスタンスのオール・ボワールと同型。
- この技でG1 TAG LEAGUEを制覇するなど、同タッグではフィニッシュに多数用いられた。
- ブーツ・オブ・ドゥーム(w/ジャイアント・バーナード)
- バーナードがファイヤーマンズキャリーの体勢で抱え上げた相手へアンダーソンがジャンピング・フロン・ハイキックを仕掛け、その勢いでバックフリップへ移行する。
入場テーマ曲
- Devil's Dance/ Metallica
獲得タイトル
- G1 TAG LEAGUE 優勝(2009年, w / ジャイアント・バーナード)
- IWGPタッグ王座 (第57代, w / ジャイアント・バーナード)
- GHCタッグ王座 (第22代, w / ジャイアント・バーナード)
- EWF
- EWFアメリカン王座
- NWA
- NWA世界タッグチーム王座(w / ジョーイ・ライアン)
- NWAミッドウェスト ハートランド州ヘビー級王座
- NWAUKハンマーロック ブリティッシュコモンウェルスヘビー級王座
脚注
- ^ リング入場時、マシンガンを持って入場した。