松平忠名

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松平忠名
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年
死没 明和3年12月24日1767年1月24日
改名 亀三郎・与七郎(幼名)、忠名
戒名 寛誉仁岳道樹徳雲院
官位 従五位下、兵庫頭、遠江
幕府 江戸幕府
摂津国尼崎藩
氏族 松平氏桜井松平家
父母 父:松平忠喬、母:戸田忠真の娘
正室:宗義誠の娘、
側室:久保氏、庄司氏、山下氏
加藤明堯忠告土井利厚
娘(脇坂安弘正室)、娘(水野勝起正室)、
娘(相良長寛正室)、養女:菅沼定用の娘)
特記
事項
名は「ただあき」とも言われる

松平 忠名(まつだいら ただあきら)は、摂津尼崎藩の第2代藩主。尼崎藩桜井松平家5代。

正徳4年(異説として正徳5年(1715年)8月6日)、初代藩主・松平忠喬の次男として生まれる。兄の早世で世子に指名され、寛延4年(1751年)3月20日の父の隠居により家督を継いだ。幕命により、朝鮮通信使の接待役を務めている。

明和3年(1766年)12月24日(異説として12月26日)に死去した。享年53。跡を三男の忠告が継いだ。

関連項目[編集]