松平尚栄

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松平尚栄
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 元亀2年(1571年
死没 承応3年3月24日1654年5月10日
改名 尚栄→晴暗(号)
別名 通称:藤之助
墓所 豊田市高月院
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家康秀忠家光
氏族 松平郷松平家
父母 父:松平由重
兄弟 尚栄信晴
成瀬重正養女
重和
養子:信正
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松平 尚栄(まつだいら なおよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本。通称は藤之助。松平郷松平家(太郎左衛門家)9代当主。

生涯[編集]

松平由重の長男として誕生。

無位無禄だった幼少期のことは詳細は不明だが、弟・信晴と共に、関ヶ原の戦い徳川家康に従軍し、戦功を挙げ、慶長18年(1613年)、家康から恩賞を受け、松平郷に旧領220石が与えられた。大坂の陣では本多正純の隊に属して参戦し、真田信繁の家康本陣への侵攻を防いだ。その後、更に230石を加増され、松平氏館を増築した。 元和5年(1619年)、家康を祀る松平東照宮を松平郷に創建した。

松平尚栄の墓(豊田市高月院)

正保2年(1645年)頃に剃髪し、晴暗と号した。承応3年(1654年)死去、享年84。

系譜[編集]