松平伊耀

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松平 伊耀(まつだいら これてる、慶長9年(1604年) - 延宝2年11月22日1674年12月19日))は、江戸時代旗本五井松平家松平忠実の子。正室は柴田康長の娘。子に松平忠益松平忠利松平則采、娘(川勝広有室)、娘(江原全村室)。別名、忠宣。官位は従五位下、備中守。

承応元年(1652年)12月27日、父の松平忠実の跡を継ぎ8代目当主となる。500石を分知し5500石を領する。承応2年(1653年)10月27日に大番頭となり、寛文8年(1668年)8月7日まで務めた。寛文9年(1669年)2月25日に致仕。延宝2年(1674年)11月22日に71歳で死去した。家督は忠益が継いだ。