松平親貞 (大草松平家)

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松平 親貞(まつだいら ちかさだ、生没年不詳)は、戦国時代武将大草松平家第2代当主。父は同家初代・松平光重。弟は松平昌安(弾正左衛門信貞・大草3代当主)、松平貞光(左近将監)。「左馬允」と称した。

具体的な動向を示す資料は乏しいが、文亀元年(1501年)の「大樹寺連判状」()に岡崎左馬允「親貞」の名があり、この時期には彼が家督を継いでいたと推測できる。また永正3年(1506年)から同6年にかけての今川氏親、伊勢新九郎長氏(北条早雲)による三河への進入の際に、あるいは戦死したことが考えられる。永正5年(1508年)の父「光重」の没後、永正8年(1511年)の「信貞」(昌安)発給文書があることとも符合する(『新編岡崎市史』2巻562項)。

「親貞」には嗣子がなく、弟の「昌安」が家督を継いだ。一説に、昌安は岡崎の旧領主西郷頼嗣の子であるといわれ(『新編岡崎市史』6巻851項所収「大林寺由緒」)、家督継承は光重が頼嗣の娘を娶った縁故によるものと考えることもできる。墓所は岡崎市魚町1-6の大林寺。しかし霊供養は行うが、没年と法名はいずれも不明であるという(前掲『岡崎市史』2巻562項)。

 『新編岡崎市史』6巻752項所収の「松平一門連判状」。