松平信光

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松平信光
Matsudaira Nobumitsu.jpg
松平信光像(萬松寺蔵)
時代 室町時代中期 - 戦国時代初期
生誕 応永11年(1404年)?
死没 長享2年7月22日1488年8月29日)?
改名 信光(のぶみつ)?→法名:信光(しんこう)[1]
別名 左京亮、和泉入道
戒名 崇岳院殿月堂信光
墓所 愛知県岡崎市岩津町信光明寺
愛知県岡崎市鴨田町大樹寺
官位 従五位[2]和泉
幕府 室町幕府
主君 伊勢貞親
氏族 松平氏
父母 父:松平親氏または松平泰親 
母:賀茂氏
兄弟 信広信光益親久親守久家弘
正室:真浄院殿一色氏の娘)
守家昌龍親忠与副光重
光英忠景光親家勝親正
親則、娘(戸田宗光室)
大樹寺(愛知県岡崎市)内にある松平八代墓の信光の墓

松平 信光(まつだいら のぶみつ/しんこう[1])は、室町時代中期から戦国時代初期頃の武将三河松平氏の第3代当主で、岩津松平家の祖。妻は一色氏一色満範あるいは一色宗義[3])の娘。

信光は、『朝野旧聞裒藁』や江戸期系譜類は第2代当主・松平泰親の子とされるが、『松平氏由緒書』では初代当主・松平親氏の子であるとする。生母は賀茂氏の系統の松平信重の娘とする。当時の資料では新田氏、あるいは賀茂朝臣を称していたことが知られる。

生涯[編集]

松平氏当主として系譜の史料で実在が確認できるのは信光からである。信光以前の系譜は確証が乏しいため、松平氏勃興の事情は未検証である。

信光は三河土豪かつ被官で、岩津城(愛知県岡崎市岩津町)を拠点とする岩津松平家の祖となり、応仁の乱頃には室町幕府政所執事伊勢貞親に仕えたと言われる。

長禄2年(1458年)、駿河守護今川氏の分家関口氏(今川関口家)の関口満興の岩略寺城(愛知県豊川市長沢町)を攻め、落城後に十一男の親則を城主として入れた。以降は、岩略寺城に近く満興の弟・長沢直幸の居城だった北側の長沢城(愛知県豊川市長沢町)を居城と定めたため、氏族は長沢松平氏とも言われ、以降の岩略城は長沢山城とも呼ばれている。寛正元年(1461年)には保久城(愛知県岡崎市保久町)の山下庄左衛門を滅ぼす[4][5]

寛正6年(1465年)5月、三河守護細川成之の要請により、貞親の被官として室町幕府8代将軍足利義政の命により額田郡一揆を鎮定している(『親元日記』)。その恩賞として、一揆勢が有していた深溝(愛知県額田郡幸田町深溝)などの所領を幕府から与えられた[6]

信光は、同じく伊勢氏の被官であり、東三河の有力武将である戸田宗光に娘を嫁がせた他、応仁の乱では東軍に属して三河守護細川成之とともに、三河復権を狙う一色氏を破った[7]。また、西軍方である畠山氏一門の畠山加賀守が拠る安祥城(愛知県安城市)を奇襲しこれを奪い、五男松平光重岡崎城主・西郷頼嗣の娘婿とし、岡崎城も勢力下とした。

戦国時代に入ると安祥に進出するなど西三河を中心に勢力基盤を広げ、戦国大名としての松平氏の基礎を築き上げた。長命で子も多く、『徳川実紀』『朝野旧聞裒藁』によると48人の子供がいたという[8][9]。自身の子を分立させ、竹谷松平家、安祥松平家(後の松平宗家)、形原松平家、岡崎松平家(大草松平家)、五井松平家深溝松平家)、能見松平家丸根松平家牧内松平家長沢松平家が各地に置かれた[7]

滝村萬松寺や岩津信光明寺、岩津妙心寺(明治時代京都市中京区円福寺町の圓福寺と寺号交換)などを建立し、岩津城で逝去した。逝去により家督は三男の親忠が継いだ。

生没年について[編集]

信光の生没年については異説・諸説がある。

  1. 応永20年(1413年) - 長享2年7月22日1488年8月29日) - 享年76説
  2. 応永11年(1404年) - 長享2年7月22日1488年8月29日) - 享年85説[2]
  3. 応永8年(1401年) - 長享3年7月23日1489年8月30日) - 享年89説

などであるが、はっきりした確証がなく、特定できない。

ただし、文亀元年(1501年)12月26日の大樹寺勤行式定に月堂(信光)の月忌が22日であると記されているので、22日であることは確実である。なお、『朝野旧聞裒藁』が引用する資料では「本多氏蔵御系図」を除き、すべて長享2年7月22日卒と記している[10]

脚注[編集]

  1. ^ a b 平野 2010, p. 75-76.
  2. ^ a b 『朝野旧聞裒藁』「信光君御事蹟第一」「信光君御事蹟第二」による。
  3. ^ 平野明夫 「信光の妻子」『三河松平一族』 新人物往来社、97 - 101頁。
  4. ^ 『中世城館跡調査報告II』,『額田町史』132-133頁
  5. ^ 「額田町のあゆみ」、岡崎教育ネットワーク
  6. ^ 『三河松平一族』、117-122頁「信光期の松平氏」
  7. ^ a b 『岡崎市歴史的風致維持向上計画』、40頁
  8. ^ 『徳川実紀. 第壹編』「東照宮御實紀卷一」、20頁
  9. ^ 『朝野旧聞裒藁』第一輯、200頁
  10. ^ 『朝野旧聞裒藁』第一輯、199-200頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]