萬松寺

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万松寺
Banshoji.jpg
所在地 愛知県名古屋市中区大須3丁目
位置 北緯35度9分32.85秒
東経136度54分16.88秒
座標: 北緯35度9分32.85秒 東経136度54分16.88秒
山号 亀岳林(きがくりん)
宗派 曹洞宗系の単立寺院
本尊 十一面観音
創建年 天文9年(1540年
開基 織田信秀
正式名 亀嶽林 萬松寺
公式HP 亀嶽林 萬松寺
地図
萬松寺の位置(愛知県内)
萬松寺
萬松寺の位置(名古屋市内)
萬松寺
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織田信秀の墓入口
織田信秀の墓
織田信長のからくり人形

萬松寺もしくは万松寺(ばんしょうじ)は、愛知県名古屋市中区大須にある470年以上の歴史を持つ寺院。織田備後守信秀公(織田信長の父)が織田家の菩提寺として開基。ご本尊は十一面観世音菩薩織田信長徳川家康をはじめとする戦国武将との縁が深く、名古屋の歴史的観光名所にもなっている。

歴史[編集]

天文9年(1540年)、織田信秀により織田氏菩提寺として那古野城の南側に建立された。開山には信秀の叔父にあたる雲興寺八世・大雲永瑞和尚を迎えた。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていたが、慶長15年(1610年)、名古屋城を築く際に小林邑(現在の大須3丁目)に移建した。移転後も尾張徳川家朱印寺として篤く信仰され、亜相源敬公大夫人霊廟(徳川義直高原院の御霊屋(廟))が置かれるなどしていたが、幕末頃から徐々に衰退した。大正元年(1912年)に三十七世大円覚典和尚が寺領の山林の大部分を開放することを決断し、開拓された町は現在の大須3丁目となって、萬松寺は再び賑わいを取り戻すこととなった。しかし、1945年昭和20年)3月12日名古屋大空襲で大須も焦土と化し、本堂が再建されたのは平成に入ってからである。大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有している。2016年(平成28年)曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院となる。

2017年(平成29年)には、2015年(平成27年)から行われていた不動堂および稲荷堂の建て替え工事が完了し、新諸堂「白龍館」としてオープンした[1][2]

歴史的事件など[編集]

  • 信秀の葬儀の際に信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、大須に移る前の萬松寺が舞台である。
  • 徳川家康は6歳で証人(人質)として今川義元の元に送られる途中で信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたと伝わる。
  • 明治年間、シャム国から日本に分骨された仏舎利覚王山日泰寺に運ばれた際には、萬松寺から行列が出発した。

堂宇[編集]

  • 不動堂 - 加藤清正が命名したと伝えられている身代わり不動明王の石像が安置されている。
  • 白雪稲荷堂 - 白雪枳尼真天を祀る。

からくり人形[編集]

からくり人形は現在の萬松寺の名物として知られた。本堂に設置されたからくりは前述の「抹香投げつけ」と、桶狭間の戦いを前にして「敦盛を舞う」信長を再現したもので、人形師の8代目玉屋庄兵衛の手による。また、かつての境内で寺の向かいに建つ万松寺ビルには白雪稲荷のからくり人形もあるが、いずれも2008年平成20年)頃から故障したままとなっている。2011年(平成23年)6月から「あっぱれNIPPONプロジェクト」の一環として修復に着手。その年の大晦日に修復完了、公開された。修復担当は9代目玉屋庄兵衛。

かつて存在した墓[編集]

第二次世界大戦後、名古屋市の戦災復興事業で、境内にあった多くの墓が名古屋市千種区平和公園内の万松寺墓地に移転改葬された。

交通手段[編集]

参考資料[編集]

  • 『万松寺の歴史』伊藤治雄(萬松寺四十一世住職

出典[編集]

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  1. ^ 万松寺:コンピューター制御の納骨堂 織田家ゆかりの古刹”. 毎日新聞. 2017年8月23日閲覧。
  2. ^ 名古屋大須・万松寺新諸堂「白龍館」竣工式を開催します”. ドリームニュース. 2017年8月23日閲覧。

関連項目[編集]

  • 桜天神社 - かつて萬松寺の鎮守として置かれた神社
  • 名古屋東照宮建中寺 - 名古屋東照宮の社殿である権現造が名古屋大空襲による戦災で焼失してしまった為、昭和29年(1954年)に建中寺にある徳川義直の正室春姫(高原院)の御霊屋(廟)を移築して代わりに社殿としているが、この御霊屋(廟)は慶安4年(1651年)に万松寺境内に建てられ、大正3年(1914年) に建中寺へ移築されたものである。

外部リンク[編集]