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覚王山日泰寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
覚王山日泰寺

本堂
(2022年(令和4年)6月)
所在地 愛知県名古屋市千種区法王町1-1
位置 北緯35度10分17.6秒 東経136度57分18.67秒 / 北緯35.171556度 東経136.9551861度 / 35.171556; 136.9551861座標: 北緯35度10分17.6秒 東経136度57分18.67秒 / 北緯35.171556度 東経136.9551861度 / 35.171556; 136.9551861
山号 覚王山
宗派 超宗派
本尊 釈迦金銅仏
創建年 明治37年(1904年)
札所等 大名古屋十二支 恵当寺 寅年本尊札所
文化財 鳳凰台(名古屋市指定)
公式サイト 覚王山日泰寺
法人番号 4180005000783 ウィキデータを編集
覚王山日泰寺の位置(愛知県内)
覚王山日泰寺
覚王山日泰寺の位置(名古屋市内)
覚王山日泰寺
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覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区法王町にある超宗派の寺院である。

概要

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タイ王国から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された[新聞 1]。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。

日泰寺には、その真正について考古学的な裏付けがされている仏舎利が納められている。創建当時(1900年代)は、真身舎利(真正仏舎利)への信仰や敬いに加え、安置場所などを巡る日本仏教界内の激しい争いもあり、日本国内で大きな話題となったが、現在における日泰寺の知名度は高いものではない[WEB 1][WEB 2][WEB 3]。

原始仏教経典に分類される上座部仏教の『大パリニッバーナ経』によれば、釈迦は入滅の前に弟子の僧侶らに「私の史跡を巡礼し供養する者や、私の遺骨を納めたストゥーパを供養するものは、その善業の果報として必ず死後に生天(天界に転生)するであろう。しかしあなたたち修行者(僧侶)は遺骨崇拝に関わってはならない。修行者は本分である修行に専念せよ」と遺言したとされる(釈迦#入滅参照)[1][2]。すなわち日泰寺の仏舎利を供養する者は生天の果報があるとされる。(学術的な観点からは、釈迦在世中の仏教教団では、出家者は輪廻からの解脱(二度と生まれ変わらないこと)を目指し、在家信者は良い輪廻転生を期待するという関係にあったとされる[3]。詳細は大乗非仏説参照。)

日泰寺は日本仏教界における特別な位置づけを反映し、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派、曹洞宗等複数の宗派が合同で設けた超宗派の単立寺院であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている[新聞 2]。ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。

境内には真身舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また上座部仏教徒が多い在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。

起源と歴史

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イギリス駐在官W・C・ペッペが発掘した「親族であるシャーキャ族が納めたブッダ世尊の遺骨」と書かれた壺。高さ145.5 mm, 直径97.0 mm
  • 1898年(明治31年) - ルンビニから西南西15 km のピプラーワ(英語版)遺跡で、イギリス駐在官W・C・ペッペ(William Claxton Peppé)が「親族であるシャーキャ族が納めたブッダ世尊の遺骨」と書かれた壺と舎利を発見[4]。
  • 1899年(明治32年) - 舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡される。
  • 1900年(明治33年) - 舎利の一部が、シャム国国王ラマ五世(ラーマ5世)から日本国民へ贈られた。
  • 1904年(明治37年) - 舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、覚王山日暹寺(にっせんじ)として創建[新聞 1]。
  • 1914年(大正3年) - 伽藍を整備。
  • 1949年(昭和24年) - シャム国のタイ王国への改名に合わせて日泰寺に改名。

境内

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地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
60m
65yds
4
3
2
1
略地図
1
山門
2
本堂
3
ラーマ5世像
4
五重塔

文化財指定されている一部の建物を除き、本堂・普門閣・山門などほとんどの建物が鉄筋コンクリート造りである。境内の広さは、創建当時は約10万坪であったが、現在は約4万坪になっている。

本堂

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1984年(昭和59年)に落成。魚津常義設計、竹中工務店施工。本尊両脇に飾られた絵画は髙山辰雄の作品。

普門閣

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本堂西側にある巨大な祭事場(多目的会館)。

五重塔

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1997年(平成9年)建立 [新聞 3]。高さ30メートル。瑠璃光寺(山口県)をモデルに製作された [新聞 3]。

山門

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1986年(昭和61年)建立。左右に円鍔勝三作の阿難・迦葉像が納められている。

鳳凰台

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大書院。名古屋市指定文化財[WEB 4]。非公開。

八相苑

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鳳凰台の北側。下記の草結庵の移築に伴って造庭された近代的な枯池式日本庭園。非公開。

草結庵

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名古屋市中区の長栄寺から昭和37年に移築された茶室。江戸中期の表千家の茶人、高田太郎庵好みと伝えられている。三畳台目、相伴席付の席で、構成は藪内家の燕庵とほぼ同一である。愛知県指定文化財[WEB 5]。非公開。

同夢軒

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上記の草結庵の移築の際、草結庵の副席として建てられた茶室。五畳台目。非公開。

僧堂

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現在、曹洞宗の専門修行道場となっている。

地図
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Maps: terms of use
230m
251yds
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3
2
1
略地図
1
日泰寺霊堂
2
奉安塔
3
舎利殿
4
覚王山日泰寺墓地

奉安塔

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真舎利を安置するため、1918年(大正7年)に建てられた。伊東忠太によりガンダーラ様式を模して設計された。東側には広大な墓地がある。愛知県指定文化財[WEB 6]。真舎利は塔の中に、別の小さい塔に格納して塗りこめられている。塔に真舎利を出し入れするための扉などは当初から存在せず、奉安塔の設計図も消失してしまっているため、真舎利が塔のどの位置に格納されているのかさえ不明である。よって取り出す場合には塔自体を破壊するしかない[WEB 7]。

日清戦争戦没記念碑

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文化財

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愛知県指定文化財
  • 草結庵
  • 奉安塔(附:石門及び玉垣・設計図・礼拝殿・通天門・土塀)
名古屋市指定文化財
  • 大書院鳳凰台

主な行事

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葬式を挙げた著名人

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ギャラリー

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所在地

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  • 愛知県名古屋市千種区法王町1-1

交通手段

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脚注

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WEB

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  1. ↑ “日泰寺”. 日タイ修好120周年. 外務省. 2022年12月17日閲覧。
  2. ↑ 佐々木閑「仏教再発見の旅 121–129」『佐々木閑の仏教講義』第4巻、2021年12月。2022年12月17日閲覧。
  3. ↑ 鵜飼秀徳「国内で唯一、「お釈迦様の真骨」がある場所とは」『Yahoo!ニュース』2021年4月21日。2022年12月17日閲覧。
  4. ↑ “市指定文化財”. 愛知県 (2012年10月19日). 2013年5月23日閲覧。
  5. ↑ “草結庵”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
  6. ↑ “日泰寺奉安塔”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
  7. ↑ “日泰寺仏舎利奉安塔”. 名古屋市立城山中学校. 2019年12月24日閲覧。
  8. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 “行事”. 日泰寺. 2021年6月27日閲覧。
  9. 1 2 3 4 “知ってる?タイと日本 日泰寺”. 外務省. 2021年6月27日閲覧。

新聞

[編集]
  1. 1 2 「街道を行く 103」『中日新聞』2004年12月19日、21面。
  2. 1 2 3 「近ごろ覚王山は1」『中日新聞』2000年2月22日。
  3. 1 2 「日泰寺に五重塔完成 600人参列 盛大に落慶法要 青空の下で稚児行列も」『中日新聞朝刊市民版』1997年4月9日、17面。
  4. ↑ 「右近さんしのぶ 西川流葬に1100人」『中日新聞朝刊』2021年6月13日、26面。

書籍

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  1. ↑ 佐々木閑『ブッダ 最期のことば』NHK出版 2016年、p102 , p107
  2. ↑ 佐々木閑『集中講義 大乗仏教』2017年、p.199-201
  3. ↑ 清水 2026, p. 127-140.
  4. ↑ 清水 2026, p. 173.
  5. ↑ トヨタ自動車工業株式会社社史編集委員会 2009, p. 349.
  6. ↑ トヨタ自動車工業株式会社社史編集委員会 2009, p. 350.

参考文献

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  • トヨタ自動車工業株式会社社史編集委員会 編『社史で見る日本経済史 36 トヨタ自動車20年史 上』ゆまに書房、2009年5月。 
  • 清水俊史『原始仏教 ブッダから大乗成立へ』講談社現代新書、2026年。 

外部リンク

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