松平典信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平典信
時代 江戸時代前期
生誕 寛永6年2月24日1629年3月18日
死没 寛文12年11月20日1673年1月7日
改名 又七郎(幼名)、典信
戒名 忠岸院松誉源英
墓所 京都府亀岡市古世町の光忠寺
官位 従五位下大和守駿河守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
丹波篠山藩
氏族 形原松平家
父母 松平康信水野重央娘常覚院
兄弟 典信昭信英信信則、常子、
土屋政直正室、石川正長室、松平広良
板倉重宗娘専称院
信孝信利松平光永正室、
板倉重郷養女、戸田重恒正室、
松平忠充正室、松平氏辰室、信庸
真田信音正室、永井直敬正室、
松平近禎正室
テンプレートを表示

松平 典信(まつだいら すけのぶ)は、江戸時代前期の大名丹波国篠山藩2代藩主。官位従五位下大和守駿河守形原松平家8代当主。の読みは「のりのぶ」ともいわれる。

略歴[編集]

寛永6年(1629年)2月24日、初代藩主・松平康信の長男として摂津国高槻で誕生。

慶安4年(1651年)12月28日、従五位下・大和守に叙位・任官する。明暦元年4月、駿府守に改任され、寛文9年(1669年)9月29日、父の隠居により家督を継いで2代藩主となった。襲封後、典信は領民の飲料水のため玉水の清泉を復活し、醸酒や灌漑にも使用した。

藩主在職僅か3年後の寛文12年(1672年)11月20日に江戸で死去した。享年44。跡を次男・信利が継いだ。

系譜[編集]