松平忠宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平忠宝
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和7年2月22日1770年3月19日
死没 文政12年4月14日1829年5月16日
改名 鉄丸・鉄之丞・与一(幼名)、忠宝
戒名 幹誉道悦高尚院
官位 従五位下、大膳亮、遠江
幕府 江戸幕府
摂津国尼崎藩
氏族 松平氏桜井松平家
父母 父:松平忠告、母:戸田光雄の娘・吉
兄弟 忠宝菅沼定賢忠得忠進平岡頼暢
忠栄
正室:土屋篤直の娘・八百子
忠誨、娘(松平乗全正室)

松平 忠宝(まつだいら ただとみ)は、摂津尼崎藩の第4代藩主。尼崎藩桜井松平家7代。

明和7年(1770年)2月22日、第3代藩主・松平忠告の次男として生まれる。兄が早世したために世子となり、文化2年(1805年)12月10日の父の死去により、文化3年(1806年)2月10日に家督を継いだ。

文化10年(1813年)4月14日、病気を理由に家督を次男の忠誨に譲って隠居する。文政12年(1829年)4月14日に死去した。享年60。

関連項目[編集]