松平親貞 (松平郷松平家)

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松平 親貞(まつだいら ちかさだ、寛文11年(1671年) - 享保10年4月18日1725年5月29日))は江戸時代交代寄合旗本松平郷松平(太郎左衛門)家12代当主。父は同分家旗本松平(次郎左衛門)家4代信久、母は松平郷松平家10代松平重和の娘清光院。妻は交代寄合中島与五郎重貞の娘であったが、後に離縁した。

生涯[編集]

初めは甚次郎定宗と称す。伯父の松平郷松平家11代信和の嫡男和通元禄9年(1696年)5月に疱瘡で死去したため、同年8月、本家の養子となり、帯刀親貞と名乗る。元禄15年(1702年)、養父が64歳で死去したため、家督を相続する。享保10年(1725年)4月18日55歳で死去。戒名は光岳院殿明誉照山居士。生塚山に葬られた。