松平忠定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

松平 忠定(まつだいら たださだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。五井松平忠景の次男。深溝松平家初代である。妻は岩津松平親長娘。子に好景孫十郎定政(十郎右衛門)、浅野太郎右衛門定清勘解由左衛門康定市川久太夫好之、新太郎景行大原正親妻、稲生某妻、菅沼定村妻、山本加賀妻、小笠原主膳妻、佐野孫太郎妻がいる。

大永4年(1524年)、兄松平元心松平長親の命により額田郡深溝城主であった大場景紀を滅ぼし深溝城を奪う。その戦功を弟である忠定に譲り、深溝松平家を発祥させる。深溝城を奪う際に忠定が大場景紀の臣稲吉惣助と謀り、大場景紀を毒殺したという説もある。島原本光寺の説によると、岩津松平親長の娘と婚姻してその所領を譲受し発祥させたというが、真偽のほどはわからない。

忠定は非常に長寿であり、66歳の生涯だったという。忠定の首塚(前本光寺)が愛知県額田郡幸田町深溝にあるが、戦死はしておらず、実際には首は埋まっていないと考えられる。また、彼の墓(首塚)のとなりに子の松平好景の墓(首塚)があるが、好景は戦死しており、首は埋まっていると考えられる。忠定の子は好景の他に定政もいるが、こちらは保母松平の祖として派生した。愛知県岡崎市保母町にある保母城が深溝松平に深い関わりがあるが、研究調査は郷土史程度の解明しかない。