松平親純
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄16年10月25日(1703年12月3日) |
死没 | 元文4年2月16日(1739年3月25日) |
改名 | 吉五郎(幼名)→重交(初名)→親純 |
戒名 | 心源院 |
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 |
官位 | 従五位下、豊後守、市正 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 豊後杵築藩主 |
氏族 | 新庄氏→能見松平家 |
父母 |
父:新庄直詮、母:松平重栄の長女 養父:松平重休 |
兄弟 | 新庄直祐、直員、松浦信尹、新庄孝寛、京極高周、関長張正室、親純、新庄直矢 |
妻 |
正室:松平忠喬の娘 側室:浅井氏 |
子 | 親盈、親章、娘(関政富正室) |
松平 親純(まつだいら ちかずみ)は、豊後杵築藩の第4代藩主。能見松平家10代。
略伝
[編集]常陸麻生藩主・新庄直詮の十三男。早くから外祖父重栄の養嗣子となり、正徳5年(1715年)におじで先代藩主の重休が早世したため、その跡を継いだ。藩政においては享保9年(1724年)から天候不順、享保の大飢饉による大被害を受け、幕府から3,000両を借用してしのぐほどであったと言われている。元文4年(1739年)2月16日、37歳で死去し、跡を長男の親盈が継いだ。