松平重栄

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松平重栄
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 正保2年10月13日1645年12月1日
死没 享保5年2月18日1720年3月26日
改名 直之(初名)→重実→重賢→重栄
戒名 霊覚院
墓所 東京都台東区下谷の英信寺
官位 従五位下日向守丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
豊後杵築藩
氏族 能見松平家
父母 父:松平英親、母:松平康信娘・常子
兄弟 重栄重興
養兄弟:竹腰正晴正室[1]
正室:本多康将
継室:岡秀安
側室:宝地院、坪生氏
重休新庄直詮正室

松平 重栄(まつだいら しげよし)は、江戸時代前期から中期にかけての大名豊後国杵築藩2代藩主。杵築藩能見松平家5代。官位従五位下日向守丹後守

略歴[編集]

初代藩主・松平英親の長男として誕生。元禄5年(1692年)12月4日、父の隠居により跡を継ぐ。奏者番寺社奉行を務めた。

元禄10年(1697年)、近隣の日出藩の百姓が逃散してきたとき、それを保護しながら日出藩と交渉し、無難に解決している。宝永5年(1708年)11月23日、次男・重休に家督を譲って隠居し、享保5年(1720年)2月18日に死去。享年76。

脚注[編集]

  1. ^ 一柳直興の娘