新庄直祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
新庄 直祐
時代 江戸時代中期
生誕 元禄5年(1692年
死没 延享3年5月25日1746年7月13日
改名 助十郎(幼名)、直祐、直翁
別名 監物(通称)
戒名 正享院殿雄山直翁大居士
墓所 東京都文京区本駒込の吉祥寺
官位 従五位下、駿河
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
常陸麻生藩
氏族 新庄氏
父母 父:新庄直詮、養母:松平重栄の娘
兄弟 直祐松平直員松浦信尹孝寛京極高周松平親純直矢
正室遠山友春の娘
継室永井直敬の娘
直隆直侯直由(三男)、孝優(四男)、直令(五男)、京極高暁(六男)、娘(新庄直宥室)、娘(宮城和忠継室)

新庄 直祐(しんじょう なおすけ)は、常陸麻生藩の第8代藩主

生涯[編集]

元禄5年(1692年)、第7代藩主・新庄直詮の五男として生まれる。宝永5年(1708年)に父が死去したため家督を継ぐ。宝永6年(1709年)3月7日、従五位下・駿河守に叙位・任官する。正徳4年(1714年)と享保5年(1720年)に大坂城守衛を務めた。享保7年(1722年)、年貢減免を求める百姓一揆が起こり、百姓側の要求を受け入れている。

享保20年(1735年)11月20日、家督を長男・直隆に譲って隠居する。延享2年(1745年)10月14日に剃髪して直翁と号した。延享3年(1746年)5月25日に死去した。享年55。