新庄直隆

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新庄 直隆
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保元年(1716年
死没 寛政4年10月22日1792年12月5日
改名 鉄太郎(幼名)、直隆
別名 監物(通称)
戒名 高嶺院殿天真隆松大居士
墓所 東京都文京区本駒込の吉祥寺
官位 従五位下、越中
幕府 江戸幕府
常陸国麻生藩
氏族 新庄氏
父母 父:新庄直祐
兄弟 直隆直侯直由孝優直令京極高暁
直規関盛富(次男)、佐久間信幸
井上政喜(四男)、平井豊昌(五男)、
直温(六男)、長尾景郷(八男)、
末高信実(九男)、富松広光(十男)、
娘(新庄直清室)、娘(最上郷信室)、
娘(新庄直清室)
養子:新庄直侯

新庄 直隆(しんじょう なおたか)は、常陸麻生藩の第9代藩主。

享保元年(1716年)、第8代藩主・新庄直祐の長男として生まれる。享保20年(1735年)11月20日、父の隠居により家督を継ぐ。12月10日に従五位下・越中守に叙位・任官する。

しかし百姓に重税を強いたため、百姓の間で反対運動が起こり、隠居した父・直祐のもとに減税を求めて嘆願する運動を起こされ、寛延元年(1748年)には百姓一揆が起こり、年貢減免要求を受け入れている。宝暦5年(1755年)に隠居し、家督を弟で養子直侯に譲った。寛政4年(1792年)10月22日に死去した。享年77。