松平親盈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平親盈
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保11年9月15日1726年10月10日
死没 寛政12年12月26日1801年2月9日
改名 千之助(幼名)→親盈
戒名 寛量院
墓所 京都府京都市右京区花園妙心寺聖沢院
官位 従五位下、市正、対馬
幕府 江戸幕府
豊後国杵築藩
氏族 能見松平家
父母 父:松平親純、母:浅井氏
兄弟 親盈親章関政富正室
正室:永井直陳の娘
親貞(長男)、親賢(次男)、親宝(三男)、親安(四男)、親清(六男)、親長(七男)、清子(牧野康陛正室)、娘(佐竹義祇継室)、娘(木下利彪正室)、娘(小笠原長禎正室)、娘(松平勝政正室)、娘(最上義明正室)

松平 親盈(まつだいら ちかみつ)は、豊後杵築藩の第5代藩主。杵築藩能見松平家8代。

第4代藩主・松平親純の長男。元文4年(1739年)、父の死去により家督を継ぐ。藩財政を再建するために銀札を発行し、倹約令を出したが、宝暦年間に凶作が相次いだため、効果はほとんどなく、むしろ藩財政は悪化していった。明和4年(1767年)8月14日、長男の親貞に家督を譲って隠居し、寛政12年(1800年)12月26日に75歳で死去した。