門司港駅
門司港駅 | |
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駅舎 | |
もじこう Mojikō | |
(4.0km) 小森江► | |
所在地 | 北九州市門司区西海岸一丁目5-31 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
所属路線 | 鹿児島本線 |
キロ程 | 0.0 km(門司港起点) |
電報略号 | モコ |
駅構造 | 地上駅[1] |
ホーム | 2面4線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
4,937人/日(降車客含まず) -2014年- |
開業年月日 | 1891年(明治24年)4月1日[1][2] |
乗換 |
平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線 (九州鉄道記念館駅) |
備考 |
直営駅 みどりの窓口 有 北九州市内駅 * 1942年に門司駅から改称[1]。 |
門司港駅(もじこうえき)は、福岡県北九州市門司区西海岸一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。同線の起点駅[1]。
関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わった。駅舎は重要文化財に指定されている[1]。
歴史
当初は、九州鉄道の起点の駅として門司駅として1891年(明治24年)4月1日に開設された。初代の駅舎が建てられたのは現在の門司駅舎が所在する地点よりも東側、今の北九州銀行門司支店の裏手に当たっていた。1901年(明治34年)5月27日には関門連絡船の運航が開始され、本州の鉄道と結ばれて多くの旅客と貨物がこの駅を経由することになった。しかし間もなく、1911年(明治44年)10月から下関 - 小森江間で貨車の車両航送が開始されて、貨車は直接連絡船に載せて本州と九州の間でやり取りされるようになり、当駅を経由するのは旅客が中心となった[1][2]。
1914年(大正3年)に、2012年現在も存在する2代目の駅舎が完成し、移転開業した。その後も九州の鉄道の起点としての地位を保っていたが、関門トンネルの開通に伴って門司駅の名前は関門トンネルが接続することになる従来の大里駅に使うことになり、当駅は門司港駅へと改称した[1]。
それまでは門司の埠頭にある貨物輸送用の駅が門司港駅(こちらの読みは「もじみなと」)と称しており、これに合わせて貨物駅は門司埠頭駅に改称された。それ以降の当駅は、本州と九州を連絡する鉄道輸送の流れから外れることになった。しかし門司鉄道管理局や国鉄九州総局などは引き続き門司港駅のそばに置かれ、国鉄分割民営化後もJR九州は異例の福岡と北九州の2本社体制を維持して、門司港駅脇に北九州本社が引き続き置かれていた。しかし福岡本社への統合に伴い2000年(平成12年)に北九州本社は閉鎖となっている。この建物は旧三井物産門司支店として現存する。
それ以降は門司港レトロへの観光客などが利用する駅となっている[1]。
年表
- 1891年(明治24年)4月1日 - 九州鉄道(初代)が門司駅として開設[1]。
- 1897年(明治30年)4月20日 - 門司 - 小倉間複線化[3]。
- 1901年(明治34年)5月27日 - 山陽鉄道が関門連絡船を就航[1]。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化され関門連絡線も国有となる[1]。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管[1]。
- 1911年(明治44年)
- 1914年(大正3年)
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 門司 - 外浜間貨物支線開通[1]。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 関門トンネル開通計画に伴い門司港駅に改称[1]。
- 1953年(昭和28年)10月15日 - 17トン車以上の無蓋車積木材の取扱を廃止。
- 1964年(昭和39年)11月1日 - 国鉄関門航路が廃止[1]。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物営業廃止、旅客および手荷物扱いのみとなる[1]。
- 1985年(昭和60年)6月1日 - 荷物扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承[1]。
- 1988年(昭和63年)11月18日 - 駅舎が重要文化財に指定答申される[5]。
- 1993年(平成5年)11月14日 - オーストラリアのフリンダース・ストリート駅と姉妹駅締結[1]。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 外浜までの貨物支線営業休止[1]。
- 2007年(平成19年)11月30日 - 近代化産業遺産(31.北九州炭鉱 - 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産)に認定[1]。
- 2008年(平成20年)9月5日 - 外浜までの貨物支線廃止[1]。
- 2009年(平成21年)
- 2012年(平成24年)9月29日 - 駅舎保存修理工事のため仮駅舎に移行。
駅構造
頭端式ホーム2面4線を有する地上駅。3番線はホームに面していない留置線(もとは機回し線)に付けられているので南側から1 - 5番線となっている。2つのホームの間には日本の鉄道開業100周年を記念して建立された九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標がある。また、隣接して乗務員基地(門司港運転区)と車両基地(小倉総合車両センター門司港車両派出)がある[1]。
直営駅。また、みどりの窓口が設置されており、自動改札機もある。自動改札設置の提案が出たときには「レトロなイメージを壊す」として地元から反対意見が多数出たが、塗装を茶色にして目立たなくするということで同意を得て、稼働開始した。また、関門海峡花火大会など多客時の際には開きスペースにSUGOCA簡易リーダーを設置して対応する。
駅の東側の車両留置線の中からさらに北の方向へ、かつては外浜駅まで鹿児島本線の貨物支線が伸びていた。この路線は2005年に営業が休止された後、線路はそのままになっていた。この線路を再利用する形で、2009年4月26日から第3セクター平成筑豊鉄道が門司港レトロ観光線のトロッコ列車を運行している[1]。
駅舎
駅舎はドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修の下に、1914年(大正3年)1月に建築された木造駅舎で、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれる左右対称の外観デザインが特徴であり、1988年に駅舎としては全国で初めて国の重要文化財に指定された。
駅構内には戦前から使用されている洗面所、手水鉢、上水道など様々な歴史的資産が存在する。現在は別用途に使用されているが、「一・二等客待合室」・「チッキ(手荷物)取扱所」・「貴賓室」・「関門連絡船通路跡」等も残されている[1]。特に関門連絡船通路跡には旧日本軍の命令で設置された渡航者用監視窓の跡も残っている。これは当駅が外来航路の寄港地だったため、戦時下の不審者を発見する格好の場所だったとされるためである。
開業後100年近くが経過し、シロアリ被害や老朽化による腐食でゆがみや亀裂が生じていることが分かったため[7]、国・福岡県・北九州市・JR九州が話し合いを行い、2012年9月から本格的な保存修理工事を開始した[8]。このため2012年9月28日限りで開業時からの駅舎での営業を休止し、翌29日から仮駅舎に移行している。工事完了は2018年3月の予定[9]。
のりば
1 - 5 | ■鹿児島本線 | 小倉・折尾・香椎・博多方面 |
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駅弁
- 小倉のかしわめし
- 一等幕の内弁当
利用状況
2014年度の1日平均乗車人員は4,937人である[11]。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
2000年 | 5,903 |
2001年 | 5,778 |
2002年 | 5,520 |
2003年 | 5,565 |
2004年 | 5,428 |
2005年 | 5,191 |
2006年 | 4,952 |
2007年 | 4,969 |
2008年 | 5,058 |
2009年 | 5,077 |
2010年 | 5,111 |
2011年 | 5,320 |
2012年 | 5,154 |
2013年 | 5,145 |
2014年 | 4,937 |
駅周辺
駅名の通り駅の近くに門司港(北九州港)があり、駅周辺は港と当駅を中心にして古くから栄えた市街地(門司港地区)で門司区の中心部にあたる。現在、当駅駅舎や周辺の歴史的建造物を活かした観光スポット(門司港レトロ)となっている[1]。
駅前を国道198号が通り、駅の約200m東側を国道3号が通っている。
かつては駅舎前のロータリーにバス乗り場とタクシー乗り場があったが、門司港レトロ事業のひとつとして駅舎前を噴水広場に改めたため、ロータリーは東側に移された。バス乗り場からは門司区内各地や、小倉方面へ向かう西鉄バス北九州の路線が発着している。
- みずほ銀行北九州支店門司出張所
- 北九州銀行門司支店(旧山口銀行門司支店)
- 福岡銀行門司支店
- 西日本シティ銀行門司支店
- 福岡中央銀行門司支店
- 門司港郵便局
- 九州鉄道記念館駅(平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線)[1]
主なスポット
- 門司港桟橋(マリンゲートもじ) - 関門汽船の下関(唐戸)行きの船が発着。
- 門司港レトロ地区[1]
- 九州鉄道記念館(旧九州鉄道本社屋)[1]
- 海峡ドラマシップ
- 門司区役所
- 例年8月13日に関門海峡花火大会が行なわれる。開催日の門司港駅は大変混雑する。
バス路線
西鉄バス北九州による運行。駅横の門司港駅前バス停留所から門司区内および北九州市内他区各地へ発着する。
- 7番:太刀浦埠頭入口(海岸経由)
- 74番:和布刈
- 3番:田野浦(海岸経由)
- 41番:白野江(黒川・大積東口経由)
- 43番:柄杓田(黒川経由)
- 45番:門司学園中高前(黒川・伊川経由)
- 95番:田野浦(山手経由)
- 40番:恒見営業所(黒川・伊川経由、一部柄杓田もしくは門司学園中高経由)
- 70・74番:戸畑渡場(門司駅前・原町・砂津・小倉駅入口・魚町・西小倉駅前・中井口経由)
- 72番:青葉車庫(門司駅前・原町・砂津・小倉駅入口・魚町・西小倉駅前経由)
- 95番:小倉北区役所前・青葉車庫・下到津一丁目(門司駅前・社ノ木二丁目・砂津・小倉駅入口・魚町経由、一部西小倉駅(構内)経由小倉北区役所行き)
また、駅から約400m離れた桟橋通り交差点にある国道3号・県道25号のレトロ桟橋通バス停留所にもバスが発着する。
その他
- 太平洋戦争中、政府による金属類回収令が公布され、門司港駅本屋の真鍮製板張りの円柱は、当時の小林鎌次郎駅長の機転により、黒色のペンキで塗装しカムフラージュされ、供出を免れたという。後世、ペンキが剥げたところから真鍮が露出し、さらに磨いたところ非常に美しい真鍮板が顕わになった。駅員たちは、当時の駅長、駅員たちが必死に駅舎を守ったことを知り、感銘を受けたという。
- しばしば「JR九州最古の木造駅舎」との表現が散見されるが、JR九州最古の木造駅舎は当駅ではなく、肥薩線の嘉例川駅・大隅横川駅であり、ともに開業は1903年(明治36年)1月15日である。
- テレビドラマや映画のロケ地としても有名である。1984年には銀河テレビ小説『港駅』(NHK総合)の舞台としてロケーション撮影が行なわれ、タイトルバックの映像に駅舎や当時走っていた西鉄北九州線が使用されている。近年では『ホーム&アウェイ』(2002年、フジテレビ)で度々撮影に使われていた。
- 門司港駅社員の制服は、他のJR九州の駅の制服とは異なるオリジナルのレトロ調のものである[1]。
- 2007年8月10日に放送された実写版テレビドラマ『はだしのゲン・前編』(フジテレビ)で広島駅が登場するシーンがあるが、当時の広島駅のイメージがこの駅と似ているため、駅舎のみロケに使用された(ホーム、車両は静岡県の大井川鐵道で撮影)。その際出入り口に掲示している駅名を『門司港駅』⇒『驛島廣』に差し替えて、背景をCGで白くするなど(1945年の広島駅の風景に近づけるため)、配慮してある。
ギャラリー
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門司港レトロ地区のイルミネーションイベント『門司港レトロナイトファンタジー』でライトアップされる。
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駅舎(2006年8月21日)
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駅舎内
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改札口(向かって右側は旧改札口。現在は使用していないが残してある)
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関門連絡船通路跡
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ホーム
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0哩(マイル)標
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0哩地点
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0哩地点拡大(2006年8月21日)
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帰り水
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幸福の手水鉢
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昔ながらの駅名札(2006年8月21日)
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駅舎の天井(2006年8月21日)
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駅長室の入り口(2006年8月21日)
隣の駅
1930年(昭和5年)4月1日から1986年(昭和61年)11月11日まで、小森江駅との間に貨物駅の葛葉駅(くずはえき)が存在していた。小森江駅は1988年(昭和63年)3月13日開業であるので、この両駅が同時に存在していたことはない。
かつて存在した路線
- 日本貨物鉄道
- 鹿児島本線
- 門司港駅 - 外浜駅
この路線は平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線に転用されている。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 『週刊JR全駅・全車両基地』第07号、朝日新聞出版、2012年9月23日、4-10頁。
- ^ a b 鉄輪、pp.52-53。
- ^ 鉄輪、p.49。
- ^ 鉄輪、p.83。
- ^ 鉄輪、p.190。
- ^ 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2009年3月3日)
- ^ 毎日新聞2010年3月6日[リンク切れ]北九州・門司港駅:老朽の駅舎、改修を/シロアリ被害や腐食、JR九州など協議
- ^ 門司港駅の保存修理工事に着手します (PDF) - JR九州、2012年7月13日
- ^ 国重要文化財:門司港駅しばしお別れ…保存修理工事開始 - 毎日新聞 2012年9月29日
- ^ 『JR時刻表』2015年7月号、交通新聞社、2015年、388頁。
- ^ とうけい北九州 (運輸・通信) JR乗降客人員
参考文献
- 九州鉄道百年祭実行委員会・百年史編纂部会 編『九州の鉄道100年記念誌 鉄輪の轟き』(初版)九州旅客鉄道、1988年。
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』(初版)JTB、1998年。ISBN 4-533-02980-9。
関連項目
外部リンク
- 門司港駅(駅情報) - 九州旅客鉄道