読売ジャイアンツ (ファーム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Unamu (会話 | 投稿記録) による 2016年3月21日 (月) 08:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎歴史・概要)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

読売ジャイアンツ
会社名 株式会社読売巨人軍
創設 1949年
今シーズン
現在進行のスポーツイベント2024年の読売ジャイアンツ
所属リーグ

歴代チーム名

  • 読売ジャイアンツ(1949年 - 1953年
  • 読売ジュニアジャイアンツ(1954年 - 1955年)
    • (リーグ中断のため不明)
  • 読売ジャイアンツ(1961年- 現在)
本拠地
読売ジャイアンツ球場
永久欠番
no
球団組織
オーナー 滝鼻卓雄
運営母体 読売新聞グループ本社
監督 斎藤雅樹
テンプレートを表示

読売ジャイアンツ > 読売ジャイアンツ (ファーム)


本項では、日本プロ野球球団・読売ジャイアンツ(巨人)の下部組織として設置されているファームチーム(二軍)について記述していく。

巨人の二軍はイースタン・リーグの球団のひとつで、一軍と同様に読売新聞グループ本社傘下の「株式会社読売巨人軍」が運営法人である。

本拠地

読売ジャイアンツ球場神奈川県川崎市多摩区)を1986年より使用している。

過去の本拠地

つくば市への移転計画

スポーツ報知によると、茨城県つくば市の有識者による「プロスポーツ誘致推進協議会」(仮称)を立ち上げて、当チームを現在の川崎市・稲城市からつくば市に移転誘致を目指す方針であると伝えられた。つくば市の考えとしては「茨城県内で野球人気が高く、巨人軍を地域経済の活性化の上で、最良のコンテンツ」とする考えで位置付けたいとしている。

予定地としては、同市大穂に予定されている総合運動公園の予定地が有力とされている。

同地は2019年開催の国民体育大会の会場、並びに2020年東京オリンピック・パラリンピックのキャンプ地として[1]、また関東サッカーリーグつくばFC」がJリーグ加盟に際して本拠地として使う予定を念頭に、3万人規模収容の陸上競技場などのスポーツ施設を建設する予定だったが[2]2015年8月の住民投票で建設計画反対票が多く、この総合運動公園の計画は一度白紙撤回され、開発が凍結されてしまった。

現在の同地はつくば市土地開発公社の所有で、雑木林などの空き地となっているが、ここに2軍の試合会場となる野球場や練習場、合宿所などの機能を移設したいとしており、「スポーツ施設の建設には民間の発想が必要である」と考えている。[3]

歴史・概要

2リーグ分裂の前年、1949年に結成。プロ球団のファーム(二軍)としては1948年に結成された急映チックフライヤーズ及び金星リトルスターズ(金星スターズ二軍)に次ぐもので、巨人と同年には阪急ブレーブス二軍南海ホークス二軍も結成されている。

1950年夏、大阪タイガース二軍松竹ロビンス二軍と3球団で北海道巡業を実施。同年11月に開催されたプロ野球二軍選手権では、準決勝において5-0で南海に敗れる。

1954年関西ファーム・リーグ1952年結成)に対抗すべく、セントラル・リーグ加盟6球団の二軍で新日本リーグを結成。この際、各球団とも一軍とは別に球団名と本拠地を設定することになり読売ジュニアジャイアンツYomiuri Junior Giants)へ改称、横浜市を本拠地とする。読売ジュニアは1954年前期を18勝5敗で優勝、後期優勝の阪神ジャガーズ(大阪タイガースの二軍が名称変更)と2勝先取方式の優勝決定戦を行うが、1勝2敗で準優勝となった。

しかし、1955年のシーズン途中よりファームをイースタン・リーグ(第1期)とウエスタン・リーグの各7球団から再編することになり新日本リーグは自然消滅。これに伴い、読売ジュニアもイースタンに参加するがリーグの運営方針が定まらず、長期の中断を挟んで1961年にようやくイースタン・リーグ(第2期)が再開される。この際に球団名からは「ジュニア」が除かれ、一軍と同じ名称となった。

1987年よりイースタンとウエスタンの優勝チームにより実施されているジュニア日本選手権に9年連続出場し、1995年までに7回優勝しているが1996年の中断を挟み1997年ファーム日本選手権として再開されて以降、リーグ優勝は2000年2007年の2回に留まり選手権ではいずれも中日ドラゴンズ二軍に敗れている。

2009年、選手に実戦経験を積ませることを目的として千葉ロッテマリーンズ二軍との連合チーム・シリウスを結成[4]。ジャイアンツ球場及びロッテ浦和球場において開催する「シリウスGAME」で社会人野球チームと対戦していたが、2010年を持って事実上休眠となった。

また、2011年から事実上の「三軍」ともいえる「第2の二軍」を立ち上げた。これは二軍のレギュラー選手との競争意識を高めるとともに、試合出場機会が少ない若手や育成・研修生選手(事実上練習生)を中心にした選手構成として、社会人野球やセミプロ独立リーグ、また3月と8月限定であるが大学野球チームとの交流試合を多数行うとしている。

ただ、産経新聞2013年1月11日付け[5]によると「第2の二軍」としての強化を事実上廃止したと報じられた。これによると、当初目指していた「多数錬成」の方針が、守備位置の偏りや、故障者の発生により本来の守備位置とは違うポジションを守らせたり、さらにけがが完全に癒えていないにもかかわらず故障者を無理やり出場させることも弊害につながったとしている。そのため本来「育成の手段」とすべきはずだったものが「育成の目的」になってしまい、強化を始めた2年間で1軍に昇格できた選手は誰一人いなかったことも影響していると伝えている。そのため2013年度の育成選手(練習生)の数を減らし、二軍の公式戦での強化の中で選手を育てる。また二軍の公式戦の前後に実践機会を減らさないようにするためにプロ・アマor独立リーグやフューチャーズとの交流試合など非公式戦も行うなどの工夫は今後も取り組むとしている。

2015年10月2016年度から「第2の二軍」を正式に「三軍」として発展発足させることを発表した[6]。基本的には「第2の二軍」時代とほぼ同じように、育成(練習生)契約を中心とした20-25名程度で編成し、独立リーグ、社会人、大学チームとの交流戦を中心に年90試合程度の対外試合を実施するとしている。独立リーグとの交流戦については、2016年はベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)と48試合[7]四国アイランドリーグplusとは12試合[8]を実施する。

沿革

  • 1949年 読売ジャイアンツ二軍として創設
  • 1954年 新日本リーグ参加に伴い読売ジュニアジャイアンツへ改称、横浜市を本拠地とする
  • 1955年 イースタン・リーグ(第1期)に参加
  • 1961年 イースタン・リーグ(第2期)再開、球団名を読売ジャイアンツに戻す
  • 1986年 多摩川グラウンドよりジャイアンツ球場へ本拠地を移転
  • 2009年 ロッテ二軍及び育成選手との連合チーム・シリウスを結成
  • 2011年 「第2の二軍(事実上三軍)」設立
  • 2016年 正式に三軍を発足

監督・コーチ

歴代監督

太字は優勝達成監督

1953年以前と1956年 - 1960年はリーグ戦が存在せず

三軍監督

育成チーフコーチ

(2011年 - 2014年に置かれ、事実上の三軍に当たる「第2の二軍」の監督的な役割を担当した人物。2015年度は育成チーフコーチは置かず、実質2軍監督が兼任)

放送

地上波については不明

脚注

  1. ^ つくば市、陸上競技場を3万人規模に(日経新聞2013年12月28日 2015年1月15日閲覧)
  2. ^ (仮称)つくば市総合運動公園基本構想(2014年7月2日 2015年1月15日閲覧)
  3. ^ つくば市に巨人2軍!地元企業関係者ら全施設誘致へ(スポーツ報知2016年1月25日 1月27日閲覧)
  4. ^ 巨人とロッテが連合チーム「シリウス」を編成サンケイスポーツ、2009年3月2日)
  5. ^ 巨人「第二の2軍」わずか2季で解散…理想と現実、難しい育成
  6. ^ 「三軍」の設置について(読売ジャイアンツ2015年10月22日・10月31日閲覧)
  7. ^ “巨人3軍 BCリーグ8球団と交流戦48試合”. スポーツニッポン. (2016年2月29日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/02/29/kiji/K20160229012126510.html 2016年3月21日閲覧。 
  8. ^ “【四国IL】2016年日程発表 巨人3軍との交流戦も”. スポーツ報知. (2016年3月2日). http://www.hochi.co.jp/baseball/etc/20160302-OHT1T50115.html 2016年3月21日閲覧。 

関連項目

外部リンク