ジュリオ・セザル・ソアレス・エスピンドラ

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ジュリオ・セザル
名前
本名 ジュリオ・セザル・ソアレス・デ・エスピンドラ
Júlio César Soares de Espíndola
ラテン文字 JULIO CESAR
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1979-09-03) 1979年9月3日(44歳)
出身地 リオデジャネイロ州の旗 リオデジャネイロ州
ドゥッケ・デ・カシアス
身長 188cm
体重 88kg
選手情報
在籍チーム ポルトガルの旗 SLベンフィカ
ポジション GK
背番号 12
利き足 左足
ユース
ブラジルの旗 グラジャウ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2005 ブラジルの旗 フラメンゴ 130 (0)
2005-2012 イタリアの旗 インテル・ミラノ 228 (0)
2005 イタリアの旗 キエーヴォ (loan) 0 (0)
2012-2014 イングランドの旗 QPR 24 (0)
2014 カナダの旗 トロント (loan) 7 (0)
2014- ポルトガルの旗 ベンフィカ 1 (0)
代表歴2
2004- ブラジルの旗 ブラジル 87 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月1日現在。
2. 2014年11月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジュリオ・セザル・ソアレス・デ・エスピンドラJúlio César Soares de Espíndola, 1979年9月3日 - )は、ブラジルリオ・デ・ジャネイロ州ドゥッケ・デ・カシアス出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

来歴

フラメンゴ

1997年に地元のクラブであるCRフラメンゴでプロ契約。2000年に定位置を奪取すると、2005年までに130試合に出場した。

インテル

2005年1月14日イタリアインテルへ移籍した。しかし、EU外選手枠の関係から1月16日ACキエーヴォ・ヴェローナ期限付き移籍する。キエーヴォでは出場機会がなかったが、インテルでは1年目の2005–06シーズンからロベルト・マンチーニ監督の信頼を得てフランチェスコ・トルドに代わる正GKとなる。このシーズンから始まったインテルのリーグ5連覇に貢献した。

2008-09シーズンにジョゼ・モウリーニョ監督が就任してからも守護神の座を譲らず、2009-10シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場。チャンピオンズリーグ、セリエA、コッパ・イタリアの三冠獲得を経験した。

2009年に契約を2014年まで延長[1]。当時はキャリアの絶頂にあり、ジャンルイジ・ブッフォンジャンルカ・パリュウカもセザルのパフォーマンスを称えた[2]。また、2009-10シーズン終了後にトルドが現役を引退したため、翌シーズンより背番号1を引き継いだ。

その後もインテルの正GKを務めたが、モウリーニョがレアル・マドリードに移って以降は故障や細かいミスなどが目立つようになっていき、それと同時にチームの成績も低迷していった。

2012年ウディネーゼからサミール・ハンダノヴィッチが移籍してきたことや減俸提示を受け入れなかったこともあり、背番号1を剥奪されて構想外となり[3]、双方合意の上で契約を解除した[4]

QPR

2012年8月29日イングランドQPRと4年契約を結んだ[5]。背番号は33。同じく新加入のロバート・グリーンが、8月17日スウォンジーとの開幕戦で5失点するなど不安定なパフォーマンスを見せていたための緊急補強となった。9月15日チェルシー戦でデビューを飾ると前年度チャンピオンズリーグ王者相手に攻守を披露し、0-0のスコアレスドローに持ち込んだ。

トロントFC

2014年2月14日、元チームメイトのライアン・ネルセン率いるメジャーリーグサッカートロントFCにレンタル移籍した[6]

SLベンフィカ

2014年8月19日、SLベンフィカがクラブの公式HPで2年契約を結んだと発表した[7]

代表歴

ブラジル代表では、2003年からジーダの控えとしてブラジル代表に招集されるも、出場機会は得られずにいた。しかしコパ・アメリカ2004では正GKとなり、初戦のチリ戦で代表初出場を記録すると全試合に出場。決勝のアルゼンチン戦ではPK戦で最初のアンドレス・ダレッサンドロのシュートを止め、ブラジルの優勝に貢献した。その後もジーダやマルコスエウレリョ・ゴメスロジェリオ・セニドニらと共に代表に招集され、2006年ドイツW杯に向けて互角の正GK争いをした。結局はジーダに正GKの座を譲ったが、ドイツW杯後にジーダが代表を退いてからは即座に正GKの地位を確保。南アフリカW杯のメンバーに選ばれたが、チームは準々決勝でオランダに敗れた。しかし、自身は決勝トーナメント1回戦まで2失点、オランダ戦での2失点で計4失点の成績を残した。南アフリカ大会以降は代表から遠ざかっていたが、2012年末に代表監督に就任したルイス・フェリペ・スコラーリからの信頼が厚く、すぐに代表の正GKに復帰。母国開催となったブラジルW杯にも選出された。決勝トーナメント1回戦のチリ戦では2本のセーブでブラジルを勝利に導いた。準決勝のドイツ戦で7失点、三位決定戦のオランダ戦で3失点を喫し、クラウディオ・タファレルが持っていたブラジル代表ワールドカップ最多失点記録を「18」に更新することとなった[8]。大会後、代表引退を表明。

所属クラブ

イタリアの旗 ACキエーヴォ・ヴェローナ 2005.1-2005.6 (loan)
カナダの旗 トロントFC 2014.2-2014.6 (loan)

個人成績

クラブ リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
フラメンゴ 1997 0 0 1 0 0 0 1 0
1998 1 0 0 0 0 0 1 0
1999 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 16 0 1 0 0 0 17 0
2001 26 0 6 0 0 0 32 0
2002 16 0 0 0 5 0 21 0
2003 37 0 9 0 0 0 46 0
2004 34 0 11 0 0 0 45 0
合計 130 0 28 0 5 0 163 0
キエーヴォ 2004-05 0 0 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0 0 0
インテル 2005-06 29 0 4 0 7 0 40 0
2006-07 32 0 0 0 6 0 38 0
2007-08 35 0 1 0 8 0 44 0
2008-09 36 0 2 0 7 0 43 0
2009-10 38 0 4 0 13 0 55 0
2010-11 25 0 3 0 10 0 38 0
2011-12 33 0 0 0 6 0 39 0
合計 228 0 14 0 57 0 299 0
通算 358 0 42 0 62 0 462 0

獲得タイトル

クラブ

フラメンゴ
  • カンピオナート・カリオカ : 1999, 2000, 2001, 2004
  • タカ・グアラナバ : 1999, 2001, 2004
  • タカ・リオ : 2000
  • コパ・ドス・カンポエス : 2001
インテル・ミラノ

代表

個人

脚注

外部リンク