空 (仏教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

仏教における(くう、: śūnyatā , シューニャター: suññatā, スンニャター)とは、固定的実体もしくは「我」のないことや、実体性を欠いていることを意味するとみられ、初期仏教以来用いられてきたものである。大乗仏教初期の『般若経』やナーガールジュナ(龍樹)の『中論』及びその後継である中観派によって、特に強調・称揚・発展されてきた概念で、そこに端を発する中国仏教宗派の三論宗を「空宗」と別称する[1]ことからも分かるように、その文脈との関連で用いられることもある。

原語はサンスクリットの形容詞「シューニャ」、名詞形は「シューニャター」(Śūnyatā) でしばしば「空性」と漢訳される[2]

インドでの基本概念[編集]

サンスクリット語: शून्य, śūnya(シューニャ)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という意味である。また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、初期の仏典にもその意味で登場することがある。

シューニャはインドの数学における「 0 (ゼロ)」の名称でもある。

歴史[編集]

初期仏教[編集]

  • 「常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ」 -- 『スッタニパータ』1119偈
  • 「この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空(欠如)ではない」 -- 『小空性経』(中部経典、中阿含経

欠如と残るものとの両者が、空の語の使用と重なり説かれている。これから空を観ずる修行法が導かれ、空三昧(ざんまい)は無相三昧と無願(無作)三昧とを伴い、この三三昧を三解脱門(さんげだつもん)とも言う。 また、この用例は特に中期以降の大乗仏教において復活され、その主張を根拠づけた。 また、『大空性経』(中部経典、中阿含経)は空の種々相(例えば、内空と外空と内外空との三空)を示す。さらには、空と縁起思想との関係を示唆する資料もある(相応部経典、雑阿含経)。部派仏教における空の用例も初期仏教とほぼ同じで、上記の段階では、空が仏教の中心思想にまでは達していない。

大乗仏教[編集]

般若経の空[編集]

般若経』が説かれて初めて大乗仏教の根幹をなす教えが完成した。その中で空が繰り返し主張されている(ただし、『金剛般若経』のような最初期のものと見られる般若経典には、「空」の語彙は出て来ない[3])。その原因の一つは、この経典を編纂した教団が批判の対象とした説一切有部の教えが、存在を現に存在するものとして固定化して観ずることに対して厳しい否定を表し、一切の固定を排除し尽くすためのことであろうと考えられる。『般若経』の空は、このように全ての固定的観念を否定することを主目的としている。

大品般若経』では「空」を「諸法は幻の如く、焔(陽炎)の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く、ガンダルヴァの城[4]の如く、夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化(変化)の如し」と十喩を列挙して説明している。 さらに空を分類して、内空・外空・内外空・空空・大空・第一義空・有為空・無為空・畢竟空・無始空・散空・性空・自相空・諸法空・不可得空・無法空・有法空・無法有法空の十八空(経典によっては二十空)を挙げ詳説している。

龍樹の空観[編集]

龍樹の空観は、『中論』などの著作によって示された。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 三論宗とは - 大辞泉
  2. ^ 中村元三枝充悳 『バウッダ』 小学館〈小学館ライブラリー〉、1996年 p.373
  3. ^ 『大乗仏典〈1〉般若部経典―金剛般若経・善勇猛般若経』 長尾雅人戸崎宏正中公文庫
  4. ^ インドラに仕える音楽神であるガンダルヴァが幻術で作り出す城で、蜃気楼のこと。

参考文献[編集]

関連項目[編集]