ミリンダ王の問い

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『ミリンダ王の問い』
Milinda Pañha(ミリンダ・パンハ)
訳者 中村元早島鏡正ほか
発行日 1963年11月、1964年3月・10月ほか
発行元 平凡社ほか
ジャンル 仏典
形態 平凡社東洋文庫ほか
コード ISBN 4-582-80007-6 ISBN 4-256-80007-7
ISBN 4-582-80015-7 ISBN 4-256-80015-8
ISBN 4-582-80028-9 ISBN 4-256-80028-X
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ミリンダ王とナーガセーナ

ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha, ミリンダ・パンハ)は、仏典として伝えられるものの一つであり、紀元前2世紀後半、アフガニスタンインド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世と、比丘ナーガセーナ(那先)の問答を記録したものである。『弥蘭陀王問経』(みりんだおうもんきょう)とも呼ばれる。パーリ語経典経蔵の小部に含まれるが、タイスリランカ系の経典には収録されていない(外典扱い)。ミャンマービルマ)系には収録されている。

目次

概要 [編集]

インド・グリーク朝は、アレクサンドロス3世(大王)による大遠征の後、その遺民たちにより、アレクサンドロスのディアドコイ(後継者)の地位を巡って引き起こされたディアドコイ戦争の中で建国された、セレウコス朝シリアと、インドのマウリヤ朝の覇権が衝突する狭間で、バクトリアの地を拠点に自立したギリシャ人国家であるグレコ・バクトリア王国が、マウリヤ朝の衰退に乗じて北インドに侵攻し、後に分裂することで生じた国家である。その第8代目の王に当たるメナンドロス1世(ミリンダ王)は、この王朝で最も有名な王である。

原典はパーリ語で伝えられ、漢訳経典としては『那先比丘経』(なせんびくきょう)[1]がある。メナンドロス1世(ミリンダ王)は、漢訳経典では弥蘭(『那先比丘経』)、あるいは弥蘭陀王(『弥蘭陀王問経』)と音写される。

内容は、仏教教理などについての問答であり、最後にはミリンダ王は出家して阿羅漢果を得たとされている。当時の仏教ギリシア思想との交流を示す重要な資料の一つであり、また後に、当地にギリシア美術が混じったガンダーラ美術が、クシャーナ朝に至るまで花開き、それら仏教文化中国日本にまで伝播してくることになる、そんな歴史の大きなダイナミズムの一端を、垣間見せてくれる資料でもある。

書誌情報 [編集]

邦訳 [編集]

漢訳 [編集]

  • 「那先比丘経 2巻」『大蔵経 大日本校訂[縮刷蔵経]』244、弘教書院、1885年12月
  • 「那先比丘経 2巻」『大蔵経 大日本校訂[卍字蔵経]』249、図書出版、1902-1905。

英訳 [編集]

パーリ語原典 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 東晋代に成立。二巻本および三巻本。いずれも訳者不明。漢訳『大蔵経』では論集部に収録。

関連文献 [編集]

  • 石上善応 『東の智慧西の智慧 弥蘭陀王問経』 筑摩書房〈現代人の仏教 第10〉、1965年
  • 前田慧雲述 『那先比丘経講義』 光融館、1909年9月
  • 森祖道浪花宣明 『ミリンダ王――仏教に帰依したギリシャ人』 清水書院〈Century Books――人と思想〉、1998年12月。ISBN 4-389-41163-2 - 伝記・解説。
  • 和辻哲郎 『ミリンダ王問経と那先比丘経』 和辻哲郎、1958年

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]