ゾクチェン

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ゾクチェン
チベット語
チベット文字: རྫོགས་ཆེན་
ワイリー方式: rdzogs chen
(rdzogs pa chen po)
IPA発音表記: [tsɔktɕʰẽ]
蔵文ピン音: Zogqên
THDL式: Dzokchen
その他の表記: Dzogchen
中国語
繁体字: 大究竟、
大圓滿、
大成就
簡体字: 大究竟、
大圆满、
大成就
ピン音: dàjiūjìng,
dàyuánmǎn,
dàchéngjiù
白いア字と五色のティクレ

ゾクチェンは、主にチベット仏教ニンマ派(古派)と、チベット古来の宗教であるボン教に伝わる教えである。ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の心性における本来の様態、またはあるがままで完成された姿のことを指している。

また、その姿を理解することにより、速やかに優れた覚醒の境地に至ることができるとされている。

漢訳は「大円満」あるいは「大究竟」、英語では Great Perfection などと訳される。アティヨーガとも呼ばれる。日本や欧米ではゾクチェンの修行者をゾクチェンパと呼称することもあるが、チベット仏教では一般的用法ではない。

起源[編集]

学術的には、9世紀頃までにニンマ派のゾクチェンの原型が成立していたと推察されている。その成立には中国の頓悟禅の影響があったのではないかと指摘されることもある[1]が、それとは異なる見解をとる学者もいる[註 1]。ゾクチェンの三部、セムデ(心部)とロンデ(界部)とメンガクデ(秘訣部)の内、特にセムデとロンデにおいてに通ずる面があると言われている[2]が、修行法の面ではロンデととの関連性は見出し難く、また、メンガクデはより密教的で、発想面でもきわめて独特であるという[3]。ニンマ派ではこれらの伝承方法は密教の三原則である「法身説法」の上に成り立つものであり、そのことはゾクチェンが法身普賢(クントゥサンポ)の教えとされる所以の一つでもある[註 2][註 3]。「法身説法」の意味は一般にはなかなか理解が難しいが、両者の教義上に「法身説法」が有るか無いかということにより、単純ではあるがゾクチェンが禅とは異なるものと考えられ得る[註 4] [註 5]。 また、禅宗には他の顕教の教えと同じように「経典や書物を理解する」[註 6] ことによって覚りを得たとする『日本達磨宗』のような宗派もあったので、本来、文字によらない教えである密教に属するゾクチェンとは異なる教えであるといえる。

いわゆる、ゾクチェンにの影響があるとする主要な説には、次の3つがある。[4]

  1. 東洋学者のジュゼッペ・トゥッチGiusepp Tucci)の研究による「中国禅の摩訶衍(まかえん)禅師の影響がある」[5]とする説。
  2. インド学の山口瑞鳳の研究による摩訶衍禅師からランダルマの破仏までの間に「九世紀の初期に完成度の高い中国禅が中国から入り、影響を与えた」[6]とする説。
  3. 日本の諸研究による「摩訶衍禅師より以前に、敦煌文献・他に見られるような禅の影響があった」[7]とする説。

これらのうち、はじめの2説についてはいずれも有力とされるが、後述するようにサムイェー寺の建立を771年とし、摩訶衍禅師の「サムイェー寺の宗論」は792年のことであるから、いずれもニンマ派における歴史上のグル・パドマサンバヴァが説いたとされる、ニンマ・カマのゾクチェンにはそれらの説はあてはまらない。また、3番目の説については高度な密教の教えをインドで学び、そのゾクチェンの伝法が行なわれるまでの滞在期間の数年間(767-771)をサムイェー寺の建立と密教経典の翻訳に費やされ、チベット語が堪能であったかも不明なグル・パドマサンバヴァ個人には、敦煌文献に見られるような未成熟な禅思想[註 7]が影響を与えたとは考えにくい。ただし、テルマのゾクチェンは歴史の流れの中で無数の教えが発見されているので、今後は、その時期と説かれた地方や発見者についての詳細な研究が待たれる。

ゾクチェンの起源はボン教にあるという説もあり、この説を採る僧はボン教とニンマ派の双方に存在する[8]。ニンマ派の伝承では、インド北西にあったと言われるウッディヤーナ英語版で生まれたガラップ・ドルジェ英語版が人間界においてゾクチェンの教えを伝えた重要な祖師とされる。一方、ボン教の経部(カンギュル)に属する『シャンシュン・ニェンギュ』[註 8]は、ゾクチェンを西チベットにあった古代シャンシュン王国より伝来した教えとしている。これについて、東チベット出身のゾクチェンのラマであり、長年イタリアでチベットの言語と文化の教育・研究に携わってきたナムカイ・ノルブ・リンポチェ英語版は、ボン教文献を調査して両者の起源を考察し、ウディヤーナ国はシャンシュン王国の属国であったか、両国には何らかのつながりがあったのではないかという仮説を立てた[9][註 9]

ヴィパッサナー瞑想の実践家でもあるスリランカの比較宗教学者ナンディスヴァラの報告した、数万年の古さをもつオーストラリア・アボリジニーの精神伝統の中には、ゾクチェンで行われる青空を見つめる瞑想[註 10]に類似した営みがみられる。このことから宗教人類学者の中沢新一は、『三万年の死の教え』の中で両者の共通性にふれ、アボリジニーの「ドリームタイム」の思想には仏教の空性の思想と相通じるものがあるとして、人類学的な見地から、ゾクチェンがニンマ派のゾクチェンの伝統を超えたきわめて古い人類の精神文化に連なっているのではないかと指摘した。さらに、ゾクチェンのテーマである心の本性(セムニー)の探求においては禅と密教の両者のアプローチが結合されていると論じ、禅と密教はともに中央アジアで発達した如来蔵思想を源流のひとつとするものと仮定して、仏教そのものよりも素朴ではるかに古い中央アジアの精神伝統にゾクチェンの淵源を求めうる可能性を示唆した。

アボリジニーの瞑想との比較は今後の研究成果を待たねばならないが、付言すれば、ゾクチェンにおいては青空を見つめる瞑想の他に、空間を見つめる瞑想「アカーシャー」[註 11]、睡眠中の瞑想「ミラム」(夢見)[註 12][10]、暗闇の瞑想「ヤンティ」[註 13][11]等々、さまざまな実践法があることが知られている。

ゾクチェンとチベットの諸宗派[編集]

ゾクチェンは他の宗派や学派に類を見ない哲学的見解を有する独特な瞑想体系である。ニンマ派のゾクチェンとボン教のゾクチェンに大別され、それぞれの宗派(教派)の教義の中心をなしている。また、ゾクチェンとは原初の境地を指す言葉であって、特定の宗派だけに内属するものではないと主張する向きもある。リメー運動(超宗派運動)が盛んであった東チベットで生まれ育ち、後にイタリアやその他の国でゾクチェンの伝授を行うようになったナムカイ・ノルブ・リンポチェは、かつてチベットでは自分の帰依する宗派や根本ラマ以外に別の派からも教えを伝授されるのはよくあることであった、ということを強調し、チベット仏教の主要宗派のすべてにゾクチェンの系譜を受け継ぐ人がいたとしている[12]

チベット仏教[編集]

チベット仏教のゾクチェンの教えはニンマ派の真髄の一つであり、ニンマ派の教義に深く結びついていて、その開祖グル・パドマサンバヴァがその信仰の源であると考えられてきた。今日セムデの一部を構成している最初期のゾクチェン文献は8世紀頃にまで遡ることができる[13]。それはチベット仏教のいわゆる前伝期に当たり、新訳諸派の台頭とともにパドマサンバヴァの信徒たちがはじめてニンマ派(古派)と呼ばれるようになるずっと前のことである。チベット仏教の僧は他宗派の師からも灌頂や教えを受けている場合があり、ゾクチェンはチベット仏教の長い歴史の中でサキャ派カギュ派ゲルク派に属する人に伝えられることもあった。新訳諸派ではニンマ派が伝える古いゾクチェン・タントラ類はインドのサンスクリット経典に含まれない偽経であるとして批判的な学者が多かったが、ゾクチェンに関わりのある人物も輩出している。カギュ派では、ロンチェンパと同じ師(クマラーザ)の下で学んだと伝えられ、ロンチェンパにも成就法を授けたカルマパ3世ランジュン・ドルジェ (1284-1339) が殊に著名である。ランジュン・ドルジェはカギュ派のマハームドラー(チャクチェン)とニンマ派のアティヨーガを統合し、その教えはカルマ・ニンティクと呼ばれている[14]。ゲルク派ではダライ・ラマ5世13世14世もゾクチェンの師として知られているが、ゲルク派の座主ではないが高位のラマであるダライ・ラマがゾクチェンを取り入れることは、かねてよりゲルク派の保守層の一部で論争の種となっている[15]

ニンマ派[編集]

ゾクチェンは、ニンマ派の伝統では歴史上のグル・パドマサンバヴァ(蓮華生大師[註 14])が伝えた教えの一つに数えられ、ニンマ派の六大寺院に大別される六大流派には、それぞれに異なる流れのゾクチェンが伝わっている。14世紀にゾクチェンの教えをまとめて体系化した学僧ロンチェン・ラプジャムパが明確化した[註 15]ニンマ派の「九乗教判」によると、無上瑜伽タントラの頂点であるアティヨーガ乗に位置づけられ、法身普賢(クントゥ・サンポ)を主尊とする。ニンマ派においては、このアティヨーガ乗の境地がゾクチェンと等しいとされ、ゾクチェンはアティヨーガの異名であり[16]、同時にその教えの法流の名称でもある[17]

仏教教義上の位置づけ[編集]

現在のニンマ派では中観派空性の教義に付随して教えが説かれ、チベットでの呼び名が同じであるため、ニンマ派の『大幻化網タントラ』を依経とする密教的境地のゾクチェンと、太古からのスタイルを守るとされるボン教のゾクチェンが同一視されることが多いが、仏教的見地からはそれぞれの伝統は別のものだと理解すべきかもしれない。ニンマ派のゾクチェンは「如来蔵」の無我説に基づき仏教に分類される。なお、「如来蔵縁起説」とはインド学において主に真諦三蔵の訳経に見る思想を指して言うが、上田義文の著作ではこれを「性相即融」の唯識古説とする。ただし、日本においては空海の著作に法華思想とは異なる密教の「本覚」が説かれた。この問題に関連して『大幻化網タントラ』の持つ思想と唯識により、かつてドゥジョム・リンポチェ[註 16]がチベット亡命政府主催のチベット仏教者会議において、ニンマ派はボン教と異なるインドの仏教であるとしてニンマ派を純粋な仏教として主張した経緯がある。また、サテル(地下の埋蔵経)の『ドゥジョム・テルサル』によるゾクチェン[註 17]は、『宝性論』等を主とした如来蔵と唯識の説を背景とするインドのヴィクラマシーラ大僧院の僧院長であった密教の大学者ラトナーカラシャーンティ(980-1050)[註 18]の説を引用することがある。こうしたことを背景として、チベット仏教におけるニンマ派でも伝統の理解と専門的な知識を必要とし、現時点ではニンマ派のゾクチェンはボン教のゾクチェンと用語は等しいがやや異なる教えによって構築されていると見てよい。ちなみに、こうした問題を避けるためにも、ニンマ派の各大学の密教クラスではロンチェン・ニンティクのゾクチェン文献や、大学者ミパム (1846-1912) の著作を教養として学んでいる。そのテキストの主なものは以下のようになり、いずれもすでに英訳・中国訳等が存在する。

  1. 『大円満法義解説』 ロンチェンパ著[註 19]
  2. 『大円満法義解説註釈』 ロンチェンパ著[註 20]
  3. 『成就心要八論疏』 ミパム・リンポチェ著[註 21]
  4. 『生起次第の教え』 ジグメ・リンパ著[註 22]
  5. 『瞑想四種法の専門的教え』 パトゥル・リンポチェ著[註 23]
  6. 『本性自解脱三種要法』 ロンチェンパ著[註 24]

また、ロンチェン・ニンティクにおけるゾクチェンの系譜では、ニンマ派六大流派とは別に直系の血脈を持つドドゥプチェン・リンポチェ (1927-) や、「リメ」(超宗派)運動の思想とともにゾクチェンの核心を今に伝えるジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥ (1893-1959)、ディンゴ・ケンツェ・リンポチェ (1910-1991)、トゥルシク・リンポチェ (1924-2011) への流れの教えとテキストは今日のチベット僧の好んで学ぶところである。

ダライ・ラマ14世[註 25]は、ロンチェン・ラプジャムパの『法海の宝蔵』の註釈や、ジグメ・リンパの直弟子の3代目に当たるトゥルクであるドドゥプチェン・ジグメ・テンペ・ニマ (1865-1926) の著述などを基に、主に中観帰謬論証派の見地から、ゾクチェンのいう原初の清浄性は顕教とは空性の意味が異なるが、ある意味で空(くう)であると説いている[18]。ロンチェンパや近世の学僧ミパム・ジャムヤン・ギャツォ(1846-1912)[註 26]のゾクチェンにおける空性の理解は、中観帰謬論証派の見解とほとんど合致している、もしくは両者の見解が相補的なものであることを主張している[19]。また、ミパムの『宝性論註』等は、ゾクチェンにおいて第二転法輪の『般若経』の空性の教えと第三転法輪の『如来蔵経』の教えを結びつけている。かれらは「他空」(シェントン:gzha stong)[註 27][20]という言葉を使用しているが、ダライ・ラマ14世によれば、そのほとんどは「土台」(シ:shi)[註 28]としての心である「リクパ」(rigpa:純粋意識)のことを指しており、過去のチベットでチョナン派のトゥルプパ・シェーラプ・ギェルツェンが唱え、などの非仏教の教説に通じるものと批判された『他空説』[21]でいうところの他空とは意味が異なる[22]

ボン教[編集]

ボン教においては「アティ」、「ゾクチェン」(ここではボン教の一系統としての狭義のゾクチェンを指す)、「シャンシュン・ニェンギュ」という3つの独立したゾクチェンの伝統が認められ、受け継がれている。ボンの創始者であるトンパ・シェンラプ・ミウォ英語版の説いたとされる教義は「四門五蔵」と「ボンの九乗」の2系統に分類され、ボン教のゾクチェンもその中に位置づけられている[23]。ボン教のゾクチェンについてはまだまだ謎が多く、神秘のヴェールに包まれているのが現状である。

ニンマ派のゾクチェン[編集]

系統[編集]

仏教のゾクチェンの系統には、ニンマ派の教法に合わせて3つの系統がある。チベット仏教では、根本ラマ(ツァエ・ラマ)や歴代のラマからの加持が最も重要で神聖なものとされるため、いずれの教えも伝授の際には『伝承祈願文』[註 29]のテキストを授かるので、各流派ごとではあるが、誰が誰に伝えたかの系統が分かるようになっている。

「ニンマ・カマ」の系統[編集]

「ニンマ・カマ」(アーガマ:口頭伝承経典)の系統とは、いわゆる古タントラに付随するゾクチェンの系統である。最も早期のものは、歴史上のグル・パドマサンバヴァが伝えた『大幻化網タントラ』(梵名:グヒヤガルバ・タントラ)を皮切りとして、前行(ンゴンドゥ)の発展系である「グルヨーガ」を中心とするゾクチェンの修行・瞑想法である。前行は『金剛頂経初会』をベースとした行法で、無上瑜伽タントラの主要な五タントラのそれぞれにあり、チベット仏教四大宗派おのおのが独自の前行を伝えている。ゾクチェンと前行との深い関係は、ドゥジョム・リンポチェの講演録『ゾクチェンへの道』[註 30]に詳しい。 『大幻化網タントラ』の伝承系統の解明はドゥジョム・リンポチェの『ニンマ仏教史』[註 31]に始まるが、1959年に亡命先のインドにおいて、ドゥジョム・リンポチェが外国人に対して世界ではじめて『大幻化網タントラ』の大灌頂と伝授(全伝)を行なった際の伝授録『大幻化網導引法』のなかでも、この系統のゾクチェンについて触れている。また、ニンマ派では密教の伝承そのものがゾクチェンの系統の解明に繋がり、この系統のゾクチェンにおいては伝授に関わるグル・パドマサンバヴァの「3つの秘密の名前」:(1)「ぺマ・サンバヴァ」(パドマサンバヴァ)、(2)「ぺマ・ジュンネー」(ツォチィ・トゥディ)[註 32][24]、(3)「シャカ・センギェー」(シャカ・シンハ)に由来する。なお、ニンマ派には密教の伝承として、日本密教における『大日経』の「南天鉄塔」説話と同様の系統伝承がある。ソギャル・リンポチェとギェーパ・ドルジェ・リンポチェの日本講演によると、密教は大日如来が教えを説き、それを金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ:憤怒相)へと伝え、さらにそれを(密教における)仏陀もしくはガラップ・ドルジェに伝えてインドにおいて説かれたとする。ゾクチェンの主尊の法身普賢(クントゥサンポ)は金剛手菩薩の異名であるので、密教の龍猛菩薩(ナーガールジュナ)[註 33]と同時代の人として、この系統ではガラップ・ドルジェの実在を考えることができる。

旧来のニンマ派では、ガラップ・ドルジェは釈迦滅後15年に生まれたとの伝承から、チベット仏教では釈迦滅時を紀元前150年〜紀元後150年に設定するため様々な誤解が生じていたが、ニンマ・カマの系統によるゾクチェンの理解からはそのような問題は生じない。また、釈迦についても、先述の伝承における密教の教主の仏陀であれば、龍猛菩薩(=龍樹菩薩)と同じくインド密教史上に釈迦(シャカ)もしくは仏陀(ブッダ)の名の付く人物が数多くいる。いずれにせよ『大日経』の成立年代からたどると『大幻化網タントラ』の成立も密教学ではすでに比定されているので、この系統では、先行経典も含めてガラップ・ドルジェは7世紀〜8世紀に実在した無上瑜伽タントラの伝承者であってもかまわないことになる。事実、この系統のゾクチェンのタンカ(仏教絵画)には、インドのパンディタ(大学者)の姿をした僧形のガラップ・ドルジェが描かれるのを見ることができる。[25]

ニンマ派において『大幻化網タントラ』のテキストはマハーヨーガに、本尊「大幻化金剛」の成就法(秘密本尊法)はマハーヨーガとアティヨーガとに分類される。伝承系統の一例(ミンドルリン寺流)を挙げると以下のようになる。

  1. ヴァジュラ・パーニ(ベンザ・パニ:秘密主・金剛手菩薩、クントゥ・サンポの異名)
  2. インドラ・ブーティ(ギャルポ・ザ:国王ザ、7 - 8世紀)
  3. クク・ラージャ(ククリパ:7 - 8世紀[註 34]
  4. ブッダ・ミトラ(漢名:仏密、8世紀)
  5. プラバ・ハースティ(プラバの光:ヴィクラマシーラ大僧院の僧長、8世紀)
  6. グル・パドマサンバヴァ(僧名:シャカ・センギェー、ここでは密号を指す。8 - 9世紀)
  7. ビィマラ・ミトラ(8 - 9世紀)
  8. ヴァイローチャナ(8 - 9世紀)
  9. ジャナ・クマーラ(8 - 9世紀)

「テルマ」の系統[編集]

テルマ」(埋蔵経)の系統とはニンティク(心髄、真髄とも訳す)と呼ばれるゾクチェンの教えの系統のことである。「カンドゥ・ニンティク」(「空行心髄」と漢訳)、「ビィマ・ニンティク」(「卑摩心髄」と漢訳)、「ロンチェン・ニンティク」(「龍清心髄」と漢訳)の3つが代表的なもので、日本でゾクチェンの系統といえば「ロンチェン・ニンティク」が有名[註 35]である。

「カンドゥ・ニンティク」はニンマ派の「テルマ」に基づくゾクチェンの系統である。カンドゥ(ダーキニーのこと、空行母と漢訳)によって秘されていた教えとするところから「カンドゥ・ニンティク」と呼ばれ、六大流派それぞれが独自のニンティクを備えている。「テルマ」というと日本では創作と思われがちであるが、「サテル」(地下の埋蔵経)の中には歴史的な資料性の高いものが含まれている。ちなみに、ニンマ派では尊挌としての「イェシェ・ツォギャル仏母」はカンドゥの代表の一尊とされ、そのため歴史上のグル・パドマサンバヴァから直弟子のイェシェ・ツォギャルへと伝えられた[26]とされる教えの多くは、「テルマ」として一応は「カンドゥ・ニンティク」に収められている。その名の通り「カンドゥ・ニンティク」はニンマ派の教えの母体であり、大きく言うと北のテルマ・南のテルマ・中央のテルマ・東のテルマ・西のテルマの五系統がある。このうち北のテルマが有名であり、東のテルマは量が少ないが古い伝承を伝えている。[27]「カンドゥ・ニンティク」の系統は、ドゥジョム・リンポチェ、弟子のニョシュル・ケンポ・リンポチェ、その弟子のイェシェ・サンポ・リンポチェらによって解明され、イェシェ・サンポ・リンポチェの『紅宝珠錬』(ルビー)[註 36]に詳しい。[註 37]

「ビィマ・ニンティク」の系統は、途中グル・パドマサンバヴァを介さずにインドの成就者からビィマラ・ミトラ[28]を経て直接チベットへと伝えられたゾクチェンの系統である。なお、チベット僧の中には「ビィマ・ニンティク」も「カンドゥ・ニンティク」の中に含めて考える人もいる。

「ロンチェン・ニンティク」の系統はチベットの大学者ロンチェンパ (1308-1364) の教えをジグメ・リンパ (1729-1798) が深い瞑想の中で学んだ教えの系統を指している。そして、「ロンチェン・ニンティク」はインドで密教を学んだ中国人の成就者シュリー・シンハ[29]から弟子のヴァイローチャナ、ビィマラ・ミトラ、グル・パドマサンバヴァの三者に別々に伝えられたものを一つにまとめた系統の教えで、ロンチェンパまではニンマ派の伝承に基づくものであり、そしてジグメ・リンパ以降はほぼ史実を伝えていると見てよい。 現在、この「ロンチェン・ニンティク」の系統は六大流派の伝統の壁を乗り越えたドゥジョム・リンポチェと弟子のニョシュル・ケンポ・リンポチェによって解明され、ニョシュル・ケンポ・リンポチェの『藍宝石』(ラピスラズリ)[註 38]に詳しい。

「タクナン」の系統[編集]

「タクナン」とは、瞑想や夢の中で教えを得ることを意味する。1959年のチベット動乱文革以降、チベット本土や欧米において、チベット人や外国人の僧侶の中には、ガラップ・ドルジェやグル・パドマサンバヴァ、ブッダ等から直接教えを聞いて独自の教えを得たとする系統がある。これらの人々は往々にしてチベット仏教の伝統の学問や修行の期間も短く、霊感そのものを重視する傾向があり、まだ、ニンマ派の宗義との一致を検討するのに必要な歴史の淘汰やチベット仏教の批判にさらされていない。[30]なお、ニンマ派では、伝統の立場に立つ高名なリンポチェが得た「タクナン」の教えは、それぞれの流派の教えに照らし合わせて順次「カンドゥ・ニンティク」の系統に入れられる。

教義[編集]

チベット仏教のニンマ派におけるゾクチェンの教義は、今日ではその教えの始まりや内容・伝授の流れも明確になってきている。以下は「ニンマ・カマ」[註 39]と、それに付随するゾクチェンの教えについてである。

ゾクチェンの初転法輪[編集]

西暦771年にサムイェー寺が完成した後[註 40][31][32]、グル・パドマサンバヴァは自らサムイェー寺の東北の地にあるティンプーの地においてイェシェ・ツォギャルをはじめとする25人の弟子たち[註 41][33]を集めて、マハーヨーガとアティヨーガに関する『大幻化網タントラ[註 42]の教えを伝授した。いわゆるチベット仏教における密教の教えは、『大幻化網タントラ』から始まったと言っても過言ではない。一般にはあまり知られていないが、グル・パドマサンバヴァの弟子の数を25人とするのは、この時に無上瑜伽タントラに属する『大幻化網タントラ』の正式な伝授の際に灌頂を受けることのできた人数が、最大で25人までと経典に記されているからである。他の無上瑜伽タントラの主要な経典の場合も同様で、参加人数が25人を超えた場合には、全ての灌頂と教えとが無効とされる。この『大幻化網タントラ』の教えを伝授し終わった上で、聖地タクマル(赤い洞窟)に場所を移して、現時点で考証できるものとしてはチベット史上初めてのゾクチェンの教えが弟子たちに説かれた。そのテキストは古タントラに、講義録は「カンドゥ・ニンティク」に残されている。

この考証ということは現在の日本仏教では常識となっているが、チベット仏教にはまだまだ伝統の壁があり、チベット僧の間では年代考証も文献学的研究も未だ認知されているとは言い難いため、1959年のチベット動乱以前に亡命されたラマに個人的な伝授を受ける際や、伝統的な寺院で学習をする際は注意を要する。チベット仏教の考証家でもあったドゥジョム・リンポチェが亡命チベット人のニンマ派の長に就任後、ニンマ派の各仏教大学の改革に着手し、その後を引き受けたディンゴ・ケンツェ・リンポチェがサムイェー寺の再建と西洋的な学習方法の導入に努め、さらにぺノル・リンポチェが外国人も同時に学ぶことのできるシステムの仏教大学を建立したが、考証学の浸透には至っていないのが現状である。日本が「廃仏毀釈」の影響を拭い、今日の世界の最高水準に近い仏教研究を確立するのに150年ほどかかったので、亡命政府に支えられるチベット仏教が近代化を成し遂げるにはまだ時間がかかる。それ故、ゾクチェンの歴史的な考証には仏教学等の研究成果を取り入れる必要があり、チベット密教の主要な無上瑜伽タントラの経典である五大タントラの学問的研究を含めた解明も急がれる。

古くから大乗経典や密教経典には「五成就」[註 43][34][35]という原則がある。今日的に言い換えるならば 5W、すなわち「いつ、何処で、誰が、何を、どうした」が分からなければ、その教えは正しく説かれたものではないとされている。いわゆる大乗仏教等の顕教とは違って、密教やゾクチェンは人から人への伝承であるから、文献学だけではなく、歴史学考古学をも含めた今日的な考証方法も必要で、それらの条件を一応は満たしているのが先の聖地タクマルでのゾクチェンの伝授である。

  1. いつ:西暦771年。これは「サムイェー寺の建立後すぐ」という歴史的事実によって算定されており、その証明となる建物も1959年のチベット動乱まで存在していたことが知られている。
  2. 何処で:ティンプーの地の聖地タクマルで。ティンプーという地名は現在もあり、タクマルの遺跡の洞窟もチベット人らの篤い信仰によって今も守られていて、その遺風を漂わせている。
  3. 誰が:グル・パドマサンバヴァが25人の弟子たちに。グル・パドマサンバヴァは1938年(昭和13年)に、インド学の宇井伯壽監修の辞書に「蓮華生上師」の名で登場するが、仏教学ではまだ歴史上の人物とは認定されていなかった。その後、歴史学的な考証を経て平成になって仏教史上に広く存在を認められた。事実関係としては、1959年のチベット動乱の際に史跡であるサムイェー寺が破壊され、グル・パドマサンバヴァが開眼に立ち会ったとする自身の仏像(蓮華生大師像)の中からは、ニンマ派の伝承どおりに当時のものと思われる袈裟が発見されている。また、25人の弟子たちの遺物としては、別れの際にグル・パドマサンバヴァの指示によって各々が作ったとされるツァツァ[註 44]の仏像(僧形の蓮華生大師像)が残されており[註 45]、それらの弟子の存在を証明している。
  4. 何を:『大幻化網タントラ』と『ゾクチェン』を。『大幻化網タントラ』の成立年代も考証されており、その内容や曼荼羅等も、日本人がすでに数々の伝授を受け、松長有慶木村秀明の学問的研究とともに順次明らかにされており、グル・パドマサンバヴァの用いた原典や、その思想背景とゾクチェン独自の灌頂次第も、その儀軌の内容から成立過程が推察できるようになってきている。
  5. どうした:伝授した。伝授の際の講義録が「カンドゥ・ニンティク」に残されており、各テルマやニンティク系統との共通点も明らかであるので、ロンチェンパが指摘したように、諸派連合であるニンマ派には『ゾクチェン』の教えという共通項があることも事実である。

以上の点で、ニンマ派ではグル・パドマサンバヴァの伝授をゾクチェンの教えの先峰としているが、ボン教の教えのゾクチェンが起源である場合のボン教からの考証は、ボン教の文献の専門的な成立過程の研究や史跡の発掘が始まったばかりなので、さらに時間が必要である。

十三の界位と過去十三仏[編集]

ニンマ派においては、ゾクチェンは十三の界位〔世界・浄土〕において説かれ、いまも説かれているとされる。 原初仏である法身普賢(クントゥサンポ)は、円満なる密厳浄土の法界において自性の顕現として五智の変化の光を常に放ち、ゾクチェンの教えをあるがままに説いている。その五色の虹の光は報身の諸菩薩に届き、五種姓(仏部・金剛部・宝部・蓮華部・羯磨部)の個々の曼荼羅を現出した。やがて、その虹の光は娑婆世界(この世の世界)へと到達して、一切衆生を六道輪廻の苦しみから解放するために、法身普賢は報身の金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ)となって菩薩の世界や娑婆世界へと降臨し、化身である様々な仏陀(ブッダ:覚者)の姿をとってゾクチェンの教えを説いた。その数は13とされ、13の界位のうち、1から12番目までを「勝者(ジナ)による心の伝承」、13番目のみを「持明者による象徴(灌頂)の伝承」、14番目以降に当たるガラップ・ドルジェからは「化身による口頭伝授」という。その十三の界位と、そこにおける説法者の如来の名前と、その時の人類の寿命は以下のようになる。[36]

  1. 菩薩の十地である「歓喜地」において、「無限幼児」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は無限であった。
  2. 原初の「娑婆世界」において、「幼児不動」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は1000万歳であった。
  3. 「湿度光輝蘊」において、「文殊救難」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は10万歳であった。
  4. 「貪欲源在胎」において、「青年常歓楽」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は8万歳であった。
  5. 「青年薬物花園」において、「六倶金剛持」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は7万歳であった。
  6. 「大密神変火焔墳墓」において、「大青年勇士力」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は6万歳であつた。
  7. 「羅刹倶茹哩声」において、「仙人憤怒王」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は1万歳であつた。
  8. 「霊鷲山」の王舎城において、「阿羅漢金光聖」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は5000歳であった。
  9. 「菩提樹勝利屋」において、「悲心神変智慧」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は1000歳であった。
  10. 「霊鷲堆」において、「光佑」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は500歳であった。
  11. 「金剛座菩提源」において、「円満王」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は300歳であつた。
  12. 「円満孤独園」において、「釈迦牟尼」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は100歳であった。
  13. 釈迦滅後の無仏の時代「作明日山」において、「金剛手菩薩」が姿を現しガラップ・ドルジェに灌頂によって教えを伝えた。この時、末法の世であるために人類の寿命は50歳であった。

初期仏教においては『本生経』(ジャータカ)に釈迦の「前世物語」を説き、大乗仏教においては「過去七仏」を説いたように、金剛乗のゾクチェンにおいてはガラップ・ドルジェを第二の仏陀として「過去十三仏」を説く。それらはすべて法身普賢(クントゥサンポ)の化身であると同時に、歴史上の釈迦の生涯である『十二章経』の物語になぞらえており、さらには『大幻化網タントラ』の先行経典や当時流行していた密教経典に説く如来と浄土を採用している。これにより、先行経典の世界観をゾクチェンの教えに取り込むとともに、小乗仏教(声聞・縁覚乗)や大乗仏教に対するゾクチェンの優位性を主張しているのが、この「十三の界位でゾクチェンが説かれた」という教義である。この教義をさらに詳しく説明したものには、それぞれの如来の時代に説かれたとする大乗経典や、密教経典、タントラ経典の名前や教えも挙げられているので、それらの文献研究が行なわれることによって、今後はゾクチェンの成立年代が解明される可能性のある重要な教義とも言える。[37]

いわゆる9世紀頃のインド人やチベット人は、かつての日本人と同様に諸仏・諸菩薩や神々が人間と同じように生活していると考えていたため、今でもチベット僧たちはこれらの如来がゾクチェンの教えを説き、太古の時代には寿命が10万歳や1000歳の人間がいたと信じている。しかしながらここでいう年齢には意味はなく、無限歳から50歳まで末法(まっぽう)の時代に近くなると人類の寿命も短くなり、苦しみが増えるということを、この教義は主張している。界位の梵語はダートゥ (dhatu) 、仏教語では「駄都・界」と訳し、意味は性質や原因・種族を表す言葉で、用法としては界会(かいえ)や界外(かいげ)、三界(さんがい)等がある。ゾクチェンでは、この「界位」以外に「説時」とする場合もあるが意味するところは本来変わらない。しかし、これを梵語からチベット語、チベット語から英語、英語から日本語へと重訳を重ねることによって、現在の日本では、メンガクデの「十七タントラ」のひとつ『ダテルギュル』に説かれる13の浄土が銀河宇宙や太陽系と訳されたり、インが次元と訳されたりして、13の次元や13の宇宙でゾクチェンが説かれているかのように誤読されている。また、仏教の伝統がない欧米人の間では、先の年齢を実際の年齢としたり、宇宙人の年齢とする説もあり、欧米経由のゾクチェンの教義には様々な疑問点が残るものがある。

修行階梯[編集]

方便のゾクチェン[編集]

異教徒に説かれる場合[編集]

仏教が未だ説かれていないか、異教徒の多い土地[註 46]でゾクチェンを説く際には、初めは仏教徒以外を対象とするため「方便のゾクチェン」が説かれる。まずは仏教的な講話とともに、主にターラー仏母や観音等の柔和尊の「結縁灌頂」を授け、死後に生まれ変わって仏教の説かれた土地に生まれることができるようにする。また、これを機会に仏教に改宗したとしても環境が整わないので、本人のために「方便のゾクチェン」を授ける。その内容は、ゾクチェンの教義に関する話や、ゾクチェンの境地がいかに素晴しいものであるかの説法と、ゾクチェンの入門段階から奥義にも通じる瞑想である「阿字観」の初歩のバリエーションや、密教の諸尊の供養法、死後に迷わずに人間に生まれるように「シトー」[註 47]のマントラ(真言)や護符声明(しょうみょう)を授ける。伝統的な観点からは、正式な仏教の教えを受けるための前段階に当たるので「方便のゾクチェン」と呼ばれる。

在家行者に説かれる場合[編集]

チベット仏教ではゲルク派のツォンカパ大師以降、ニンマ派においても出家の僧院化や実質的な専門化が進み、一般の在家がゾクチェンの本格的な修行をすることはない。であるから、伝統では在家行者(ンガッパ)とは還俗した僧侶や、寺に入って修行をしない在家のトゥルク(転生者)や、一部の専門家を指していう。かつてのチベット社会では一般の在家の場合には文盲率も高く、「大蔵経」を読む機会も稀なので、ゾクチェンを学ぶといっても具体的な内容を伴わないのが現状であった。ここでは、修行を半ばにして還俗した僧侶やトゥルク、外国人が特例としてゾクチェンを学ぶ場合を意味している。ただし、外国人の場合は、最初に出家の意志があるかないかを尋ね、一生涯その流派や師個人に仕えるつもりがあるかどうかについての指導者の判断が、在家のゾクチェンを教わるための修行内容の鍵となる。

最初に仏教についての教えと、観音や菩薩などの柔和尊の灌頂やテキストを2・3種類授かり、その際に密教に必要な諸戒律である三帰依戒・在家の五戒八斎戒十善戒菩提心戒菩薩戒に加えて、基礎の三昧耶戒である十四根本堕八支粗罪戒等を授かる。これらの諸戒を授からなければ正式な密教の教えを聞くことはできないので、その上で「前行」の教えが始まり、「共通の加行」である種々の「訓戒」や「四転心法」を教わり具体的な伝授に備える。ここで大切なのは、仏教の諸戒律は「心地の戒」なので、それらをいかに良く理解し、その上で「四転心法」をいかに深く行じるかということにある。また、「四転心法」は、それだけで悟りの見解を得て「無常観」と「出離」とを得ることができるので、在家にとっては根本の修行の一つとなる。

この後、「特別な加行」である密教の瞑想法の「礼拝加行」、「曼荼羅供養法」、「金剛薩埵法」、「グルヨーガ」の4つや、別行立ての「チュウ」や「ポワ」を教わるが、正式な伝授の際にはそれぞれ灌頂を伴い、特に「金剛薩埵法」の場合の灌頂の本尊はニンマ派では必ずヤブユム(父母尊)でなければならないので、正式な伝授であるかどうかが授かる側にも分かるようになっている。この「前行」の密教の行法は、各十万回を終了するのに在家でも六箇月かかる。また、「金剛薩埵法」は実際には回数に限りはなく、「グルヨーガ」は生涯にわたって続けることになる。 これらを終了した時点で、師の判断により護法尊や守護尊(イダム:プルパ金剛や馬頭明王)法を授かり、十分な修行が重ねられた時点で、諸尊やゾクチェンための「プジャ」(供養の法要)の伝授と、「ゾクチェン」の詳細な講義と「導き入れ」が行なわれる。さらに希望するならば、ゾクチェンの「阿字観」の手ほどきから、例えば「ヤンティ」や、ナーローパ伝「マハームドラー」の部分的な教えや、「ナーローの六法」の教えの中から選んで、ゾクチェンに付随する教えを「ゾクチェン」として教える。受ける側がその資格(さらなる戒律灌頂・修行)を伴わない伝授であるため伝統ではそれ以上のことが教えられず、出家に伝える本行の「ゾクチェン」の代替の法であるので、これも「方便のゾクチェン」と呼ばれる。

伝統には良い面がたくさんあるが、マイナス面として閉鎖的であることも事実である。チベット仏教においても同様で、表面的にはオープンであっても、知った上で質問しなければ実質的な返答も正しい教えも受けることは難しい。外国人や日本人は西洋的な学習方法になれているので、知らずに質問して知ろうとするため、伝統的なスタイルにおいてはカルチャー・ギャップ以上の壁に遭遇する。ゾクチェンについてもこの例に漏れず、師から教えを受けたつもりで何も教わっていないことがしばしばあるので、仏教である前に自分自身の謙虚な精進がものをいう。なお、『ドゥジョム・テルサル』に限って言えば、アメリカに在住されていたチャンドゥ・トゥルク・リンポチェのように、出家の「チュウ」である「ゾクチェンのチュウ」[註 48]を伝授する場合もある。

本行のゾクチェン[編集]

本行のゾクチェン(智慧のゾクチェン)とは、別名「出家のゾクチェン」とも呼ばれるものを指す。その実際の修行階梯の体系は伝統の流派では閉鎖的で複雑ではあるが、一応の目安となる簡単な項目を、流派に偏らない形で段階的に挙げると以下のようになる。なお、トゥルク(転生者:化身ラマ)の場合は、通常3歳〜5歳ぐらいで自身の所属する寺に入り、複数の師からマンツーマンで専門的な教育を受け、たとえ在家であっても出家以上の修行を10年〜30年ほど重ねる。ただし、現在は亡命中で仏教大学に行くのが普通となり、各流派の専門的な教育を受けられないトゥルクも数多く存在する。

  1. 受戒(正式の出家には最低で2年)と出家作法、僧衣の授与と初歩の灌頂(ワン)
  2. 「三根本法」(グル・デーヴァ・ダーキニーの三尊法)[註 49]や柔和尊の灌頂と伝授
  3. 出家の「前行」(ンゴンドゥ:「四加行」ともいう)の伝授
  4. 出家のチュウ(施身法)とポワ(遷識)[註 50]の伝授、各種の法要や葬儀の伝授
  5. 日課経典の『聖妙吉祥真実名義経』(ナーマサンギーティ)[註 51][38][39]を主とする、ルン(詠唱)とティ(講伝)。
  6. 諸尊法(主要な100〜400尊[註 52])の各「許可灌頂」と伝授
  7. 道場荘厳法と護摩法の伝授、曼荼羅作法や「マハームドラー」のヨーガ行法の伝授
  8. 「ゾクチェン」の詳細な講義と「導き入れ」(心の本性を浮かび上がらせる、後の「リクパ」の顕現に繋がる)
  9. ニンマ派「九大護法尊」(ゴンポ)の体系[註 53][40]灌頂と伝授、各種の「チャム」[註 54]の伝授
  10. 「大幻化網タントラ」の「前行」[註 55]や、「風と脈管のヨーガ」の初歩[註 56][41]の伝授
  11. 「マハームドラー」やマハーヨーガの伝授(具体的な本尊法に基づく場合もある)
  12. 「蓮華生大師八大変化法」(グル・ツェンギェー[註 57])の九尊の灌頂と伝授
  13. 「蓮華生大師十三成就法」(サンバ・ルンジィ[註 58])の十四尊の灌頂と伝授
  14. 「寂静と憤怒の百尊法」(シトー:漢訳「文武百尊法」)の大灌頂と伝授
  15. 「八大ヘールカ法」(カギェー:八大守護尊の大系)の九尊の大灌頂と伝授
  16. 各流派(六大流派)の「テルマ」の大灌頂と総合伝授
  17. 阿闍梨灌頂と阿闍梨作法、「阿闍梨の五明」の教学や「阿闍梨戒」等の伝授
  18. テルマや各ニンティクの「ゾクチェン」の灌頂と伝授、特別な「風と脈管のヨーガ」行法の伝授
  19. 「大幻化網タントラ」のヨーガ行法や、「イェシェ・ツォギャルの六法」等のアヌヨーガの伝授
  20. 「四大タントラ」[註 59]の大灌頂と伝授
  21. 「大幻化網タントラ」の大灌頂[註 60]
  22. 「大幻化網タントラ」のテキストに基づく各種の伝授[註 61]
  23. 大幻化金剛法」の灌頂と伝授(主要なタントラの「五大金剛法」に属する秘密本尊法)
  24. 「カンドゥ・ニンティク」と「ビィマ・ニンティク」、「リンチェン・テルズ」の全体の各灌頂と伝授
  25. 本行の「ゾクチェン」の伝授(勝義における「テクチュー」と「トガ」、三昧耶戒の「大圓満戒」)

チベット仏教のニンマ派は他の三宗派と違って諸派連合であり、その教えや系統も一様ではない。ただし、古くはロンチェンパの指摘したように、それぞれの「ゾクチェン」の教えによって統一した教義を持ち、そのおかげで、現在では「ロンチェン・ニンティク」は六大流派の全てに共通する教えとされている。また、ドゥジョム・リンポチェが新たに指摘した歴史上のグル・パドマサンバヴァの教えである「ゾクチェン」・「大幻化網タントラ」・「八大ヘールカ法」[註 62][42][43]・「前行」の4つは、一応は検証に耐えうる教えを伝承している。上に挙げた項目は全ての流派が伝承するものではなく、例えば「四大タントラ」は、「リメ」で知られるジャムヤン・ケンツェ・ワンポ(1820-1892)以降にニンマ派に伝えられたもので、伝承しない流派もある。

ニンマ派に「マハームドラー」が有るか無いかは問題とする研究者もいるが、ニンマ派の代表的な祈祷文である『祈祷七品』(レイトンマ)[44]にある、25人の弟子の一人による「ナナン・ドルジェ・ドゥジョム品」に、「(グル・パドマサンバヴァは)この地においてマハームドラーの成就と覚りをもたらし」とあり、また、四大宗派に共通する『五智如来の三昧耶戒』の中に「マハームドラーを修します」との一文がある。さらに『大幻化網タントラ』は松長有慶の研究にもあるように『金剛頂経』系と『大日経』系の両方の内容を持つ教えであり、「前行」は『金剛頂経初会』に基づくものであるので、カトック寺第2世カトック・レンチェン・ツェワン・ノルブ(別名:黒い行者)が『大持明者の教法興隆祈願文』[註 63]の中で「ゾクチェンとマハームドラーの双修」を述べているように、古伝の「マハームドラー」は実際に現在も脈々と継承されている。清朝末期から民国年間にかけてチベット人に直接教えを受け、後にアメリカに渡って今日のアメリカにおけるチベット学の基礎を築いた陳健民の『大手印教授抉微』によると、当時はカギュ派の「マハームドラー」(大手印)とニンマ派古伝のものを区別するために、ニンマ派古伝のものは「カルマムドラー」(羯磨手印[註 64])と呼ばれていたという。なお、古伝の「マハームドラー」や、特別な「風と脈管のヨーガ」、「イェシェ・ツォギャルの六法」、「大幻化網タントラ」のヨーガ行法、本行の「ゾクチェン」等、高度な密教のヨーガを含む実践法は、宗派としては伝承しているが実際に知る指導者は極めて少ない。

ゾクチェンの教え[編集]

「カンドゥ・ニンティク」に残されている、歴史上のグル・パドマサンバヴァによる「ゾクチェン」の教えは以下のようになる。

ボン教のゾクチェン[編集]

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  1. ^ 早期には、インド学の平松敏雄が論文集「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」(東洋文庫刊、1882年)の中で、ゾクチェンは禅から出ているとしていたが、後の論文で自身が誤りを認め、ゾクチェンは禅ではなく、インドの仏教によるとしている。
  2. ^ この項はノルラ・トゥルク・リンポチェ(1865-1936)の『諾那呼圖克圖開示録』(「ノルラ・トゥルク講義録」)上海版、p63による。ノルラ・トゥルク・リンポチェはダライラマ12世(1856-1875)によって、ボン教とニンマ派とタロン・カギュ派の三宗派の教学を兼修するボン教の寺院・ノルラ寺のトゥルク(転生者;活仏)として認定され、7歳の時に寺に入って出家生活を始めるが、担当の主任教授僧がゲルク派に傾倒していたために反発し、当時、ニンマ派のゾクチェンの大成就者として知られていたペヤ・ダライ・リンポチェについて本格的な学習を修め、ゾクチェンによって成就を得る。その後、当時のカルマパ15世(1871-1922)に直接ついてカルマ・カギュ派の教えとマハムドラーの奥義を学んで、ニンマ派とカルマ・カギュ派の教えの継承者となる。大成後、ダライラマ12世の政治顧問となり活躍するが、ダライラマ12世の死後、ダライラマ13世(1876-1933)とそのブレーンによる欧化政策に反対したために、獄中に捉えられ、三度暗殺されかかるも、三度目の毒殺の際に服毒によって仮死状態にあったところを、信徒らの計らいによって「死体」として処理され、助け出される。後に、当時の中国であった清朝の招きによって中国へ亡命し、中国大陸でチベット密教とゾクチェンの教えを広めることに尽力。中国大陸における弟子と信徒らの数は600万人から300万人と記録にはある。ゾン・サキャ派のコンカル寺のクンガー・ナムギャル・リンポチェやパンチェンラマ6世(1883~1937)、後には政策を転換したダライラマ13世らとも協力し、大陸における中国密教の西密(シーミィ;西藏密宗)の復興に成功する。晩年はチベットに帰ることなく、中国の盧山にて没する。直系の弟子は、全伝を授かり師の最後を看取った出家の弟子・華藏金剛上師(禅密双修の中国僧)と、清朝の七省の将軍であった法賢金剛上師が有名である。また、戦後になって華藏金剛上師の直弟子である智敏金剛上師が盧山にノルラ・トゥルク・リンポチェの菩提を弔う「諾那寺」を建立し、法賢金剛上師の直弟子である李逸明金剛上師が同寺の敷地内にノルラ・トゥルク・リンポチェの舎利を祀る「大仏舎利塔」を建立し、現存する。資料としては、『金剛上師西康諾那呼圖克圖行状』・『諾那呼圖克圖応化史略』・『民國密宗年鑑』に事歴を見ることができ、ノルラ・トゥルク・リンポチェの伝えたゾクチェンについては、『大圓満』全二巻(圓烈金剛阿闍梨 編著)に詳しい。なお、中国語版ウィキペディアにも「諾那呼圖克圖」の項目が登録されている。
  3. ^ 法身説法などの「密教の三原則」については、『空海 弁顕密二教論』(金岡秀友著)や『弘法大師空海全集 第2巻』(筑摩書房)が参照しやすい。
  4. ^ 法身説法とは、文字通りに解釈すると仏の「三身」の一つである法身が説法することで、法身は密教では大日如来法身普賢(クントゥサンポ)等を指すが、一般の辞書では顕教も視野に入れて「仏教の真理そのものが説法する」と解釈されている。世界で初めて密教を宗派として独立させ、その教相を解説した弘法大師空海の著作『弁顕密二教論』には、この「法身説法」が詳しく説かれている。仏教に属するニンマ派のゾクチェンはこうした密教的見解が適用され禅宗との比較がなしうるものとなる。端的に言うとニンマ派のゾクチェンは法身仏である法身普賢の教えと伝授によるものなので「法身説法」と言うことができる。密教的な解釈は「三身論」を含め色々と複雑になり、チベット密教の側からの「法身説法」はまだ資料が少ないため、ここでは禅宗の側からの「法身説法」に関する資料の一部を取り上げる。禅宗といえば日本では臨済宗曹洞宗黄檗宗が有名であり、今では欧米人にも優れた師家(しけ:伝統の資格を持った禅の指導者)を輩出している。中でも曹洞宗の開祖・高祖道元禅師は、「古仏道元」(こぶつどうげん)と言われるほど宋代の純粋な禅の教えを日本に伝えたとされている。そして、この道元の教えを正確に記録し、その衣鉢(いはつ)を継いだ曹洞宗第二祖・孤雲懐奘禅師の著作の中に「三身」・「伝授」・『大日経』を扱った著作の『光明蔵三昧』がある。『大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)入真言品住心品第一(大正大蔵経第十八巻一頁)』の婆伽梵(梵:Bhagavat)から金剛手菩薩に教えが授けられた点について、密教においては『大日経』の文中にある婆伽梵は表題にある毘盧遮那仏を指し、弘法大師空海の『付法伝』には法身仏とあり大日如来のことをいう。そして、この法身の大日如来が説法することは論を待たない。しかし、曹洞宗の伝統の解釈では「この経典も他の大乗経典の講成様式と同様に、婆伽梵、即ち世尊が、ここでは大日如来であるが、その上首である金剛手を対機として、その都度、秘密主と呼びかけて話された説法集で講成されている」(洒井得元『光明蔵三昧講話』より)とあり、他の大乗経典と同様に化身仏である世尊、すなわち大日如来を釈迦如来の異名としている。いわゆる禅宗においてこれを釈迦如来とする理由は、先の伝授に関連して、禅の教えにおいて仏教の真実の教えは「唯一単伝」(ゆいいつたんでん)とされ、過去七仏の燃燈仏から釈迦如来、インドでは釈迦如来から達磨大師まで、中国では達磨大師から禅宗の六祖まで、代々一人の弟子にのみ伝えられたとするからである。このように、禅宗では法身で説法する仏を認めず、密教では法身が説法しているとする点で、禅とゾクチェンとは異なる教えと世界観に立つと理解することができる。
  5. ^ 「法身説法」と「二而不二」の関係については、真言宗京都大学而真會『密宗学報』第六十七号、p29~p36「大日經教主の分齋」(拙弦道人)に詳しい。
  6. ^ 禅のスローガンの一つとして知られる「不立文字」(ふりゅうもんじ:文字の教えを立てない)と言うのは、道元が『正法眼蔵』の中で指摘するように禅宗の理解としては偏った見方である。歴史的に見ると、日本では禅宗や密教(真言宗天台宗)ほど経典や論書を学ばなければならない宗派は無い。例えば、黄檗宗では河口慧海の請来による『チベット大蔵経』や鉄眼和尚の『鉄眼版大蔵経』、真言宗と天台宗では『真言宗全書』・『続真言宗全書』・『天台宗全書』・『続天台宗全書』(これらは量だけで言えば『大蔵経』に匹敵する)等々である。無論、深い学問を要求する点ではチベット密教に於いても事情は変わらない。なお、臨済宗山田無文師によると、これらを学び尽くした上でその成果に執着することなく、「書を捨てて」独自の境地を切り開くのが禅の醍醐味ともいわれる。
  7. ^ 敦煌文献にみる主要な資料である『二入四行論』等は、既に歴史上の達磨大師の説ではないことが判明しており、柳田聖山らの研究により中国禅に与えた影響も解明されている。
  8. ^ 『シャンシュン・ニェンギュ』は8世紀には成立していたと言われている。それ以来、埋蔵経典(テルマ)として隠されることなくその系譜が続いているとされる(『智恵のエッセンス』 p.249 参照)。
  9. ^ ただしナムカイ・ノルブは、ゾクチェンそのものは仏教にもボン教にも属していないとしており(『虹と水晶』 pp.29-30)、ボン教がゾクチェンの起源だと示唆しているわけではない。
  10. ^ タイの上座部仏教でもよく見られる瞑想法。青空を見つめることによって四法印の「諸行無常」や、「空性」を悟るとされている。
  11. ^ 「空間」と漢訳、ニンマ派やカギュ派の「マハームドラー」が典拠。現在、ニンマ派の「マハームドラー」には、古タントラの「金剛頂経」や『大幻化網タントラ』に属するニンマ派の古伝のものと、カギュ派やサキャ派から伝わったナーローパ伝の「マハームドラー」とがある。
  12. ^ 「ミラム」は、「夢見」(ゆめみ)あるいは「夢示」(むじ)と漢訳。現在ではゾクチェンに付随する教えで、後期密教の六成就法の6つの代表的な瞑想法の一つであり、10世紀に始まるカギュ派の「ナーローの六法」や「ニグマの六法」、ドゥジョム・テルサルの「イェシェ・ツォギャルの六法」が典拠。「ナーローの六法」等はニンマ派に伝えられて久しいので、現在、これらを「ニンマの六法」と呼ぶこともあるが、カギュ派が本家でニンマ派だけではなく、サキャ派やゲルク派にも伝えられている。また、「イェシェ・ツォギャルの六法」は『大幻化網六成就法』を基とするドゥジョム・リンポチェのテルマであり、これらを「ニンマの六法」と呼ぶ人もいる。
  13. ^ 「ヤンティ」は、その内容から、「閉関成就法」(閉ざされた場所での一定期間の瞑想法)、あるいは「黒関成就法」(暗闇での瞑想法)と漢訳される。アヌヨーガに属する微細な意識を観察する瞑想法で、14世紀の「北のテルマ」の法流が典拠。数種類のテキストがあり、現在はカギュ派やサキャ派にも伝えられていて、ニンマ派の「北のテルマ」の教主であるタクルン・ツェトゥル・リンポチェや、ドゥクパ・カギュ派のドゥクチェン・リンポチェによる「ヤンティ」の伝授は世界的に知られている。
  14. ^ ニンマ派の開祖、その事跡の多くは伝説と謎に包まれている。ティソン・デェツェン王の招きによってチベットを訪れ、サムイェー寺の建立(西暦771年に完成)に携わり、主に密教経典の翻訳事業に深く関わり、その後、ランダルマの破仏が始まる直前の西暦834年頃までチベットに滞在していたとする説もある。
  15. ^ 敦煌文献には吐蕃時代の古い密教を伝える資料が残っているが、その中には、現行のものとは異なる九乗教判を記した、年代的には比較的新しい写本がある(田中公明 『図説 チベット密教』 p.151 参照)。
  16. ^ 1959年から1987年までニンマ派の長を務める。ニンマ派最高位の密教のヨーガ行者として知られ、ゾクチェンの教えの真相を極めた人物。ニンマ派六大流派の全ての血脈と教えを集めて1959年に命がけでインドに亡命し、当時、外国人に初めて伝統的なチベット密教の教えを公開した。その直接的なゾクチェンの教えの薫陶を受けた弟子は数多く、六大流派の各総帥をはじめとして、ソギャル・リンポチェや、日本にも長く滞在していたラマ・ケツン・サンポ・リンポチェ等がいる。
  17. ^ 「血族の系譜」と「弟子の系譜」とがあり、前者は主にドゥジョム・リンパ (1835-1904) からその息子、ドゥジョム・リンポチェ (1904-1987)、ティンレー・ノルブ・リンポチェ (1931-2011) へと伝えられた。多くのテキストがあるが、代表的なものはゾクチェンの詳細な解説書であるドゥジョム・リンパ著『ナンジュン』。重要な教えに、八大ヘールカに属するプルパ金剛法の脈管と風のヨーガや潅頂の儀軌次第を解説した『ナンジャン・ブーティ』や、アヌヨーガの教えで、カギュ派で有名な「ナーローの六法」と同様の内容を持つニンマ派の『イェシェ・ツォギャルの六法』等が挙げられる。
  18. ^ カダム派の祖であるアティーシャの師。アティーシャがターラー仏母の啓示によってチベット行きを考えた際に、その可否を相談した人物でもある。顕教の著作には後期インド唯識学の精華を伝える『般若波羅密多論』、『唯識性成就』他がある。密教に関する著作はさらに数多くあり、チベット密教の事相面に影響を与えた。
  19. ^ チベット名は『ゾクパ・チェンポ・セムニィ・ニャル・ソォ』、漢訳は『鬆担安住心性中』。
  20. ^ 漢訳は『鬆担安住心性中釈』。
  21. ^ チベット名は『カルギェ・ナムシェド・ンゴォドゥプ・ニンポ』、漢訳は『成就心要八論疏』。
  22. ^ チベット名は『キェーリム・ウーミン・ドォスパィ・ゼェムケェ』、漢訳は『奥明浄土要道』。
  23. ^ チベット名は『ソォグドォム・ゼルシェ・メンガク』、漢訳は『禅修四種専注指示』。
  24. ^ チベット名は『ゾクパ・チェンポ・ランドル・コルスム』、漢訳は『本自解脱三要道』。
  25. ^ ゲルク派に属するダライ・ラマ14世は、ニンマ派の相承系譜にも名を連ねているダライ・ラマ5世の『秘印集成』の教えの伝承者であるほか、リメ(超宗派)運動を推進した複数の師から各派の教えの伝授を受けており、ニンマ派の教えについてはキャプジェ・ディンゴ・ケンツェ・リンポチェから教授された。
  26. ^ ミパム・リンポチェ(1世)とも表記。
  27. ^ ニンマ派の中観の見解は「大中観見」(ブマチェンポ:dbu ma chen po)といい、これはゲルク派の中観の見解とは多少異なるので、区別する意味では、別名を「内瑜伽中観」(nang gi ral byor dbu ma)ともいう。主に如来藏を背景とする「瑜伽行中観」(rNal byor spyd pai dbu ma)や「経部行中観」(mDo sbe spyod pai dbu ma)に基づくともするが、この分類法は日本のインド学や、ゲルク派のツォンカパ大師の説とは一致しないので学習の際には注意を要する。いわゆる中観の空性を「他空」(gzha stong)と、「離辺」(mtha bral)と、「了義」(ngeg don)の三段に分け、『聖妙吉祥真実名義経』の説を受けて「了義」の空性の現れである覚りの「幻化網現証菩提」(mayajala bhisam bodhi)を説く。この「幻化網現証菩提」がニンマ・カマのゾクチェンの見解における基礎となる。なお、これに対してドゥジョム・リンポチェは更にインド後期密教の唯識の諸説を展開する。
  28. ^ 「土台」(シ:shi)は「基」、「地」とも訳される。
  29. ^ 『伝承祈願文』には、その宗派に共通の祈願文と、各流派の祈願文と、その宗派に共通な根本ラマへの祈願文と、その流派の歴代のラマ(祖師)への祈願文と、自身の根本ラマへの祈願文と、特別なラマへの祈願文がある。長いテキストの修法や、法要の際にはそれらを必ず唱えることになるので、各宗派やその流派の特徴が聞いただけで分かるようになっている。また、チベット密教では内容の長短はあっても四大宗派が共に各『伝承祈願文』を唱え、伝統的にこれを唱えない宗派は存在しない。
  30. ^ 英訳:ソギャル・リンポチェ、RIGPA刊。和訳:中沢新一、T.C.C(旧・チベット文化研究所)刊、1989年。
  31. ^ 中国訳は『西蔵古代佛教史』(寧嗎佛教史)、劉鋭之 翻訳、1969年刊。
  32. ^ 「ペマ・ジュンネー」には、「ツォチィ・トゥディ」と「グル・ナンシ・スィヌン」という二つの呼び名がある。「ツォチィ・トゥディ」(ツォキィ・ドルジェ:tsokye dorje)は『三根本法』の主尊の名前であり、「グル・ナンシ・スィヌン」(guru snan srid zil gnon)は『蓮華生大師八大変化法』(グル・ツェンギェー:guru mtshan brgyad)の本尊の名前でもある。
  33. ^ 龍樹菩薩のこと。龍樹菩薩は顕教に1人、密教に2人いて、中論の龍樹菩薩と真言八祖の龍樹菩薩、聖者流の祖である龍樹菩薩がいる。今までのチベットには年代考証がないため、伝承では顕教と密教を混同し龍樹菩薩は500歳〜750歳まで生きたと考えられていた。
  34. ^ この人物は、インド密教における主要なタントラの重要な伝承者として知られる。梵名の「クク」は犬、「ラージャ」は王様を意味し、ククラージャが犬を飼っていてとても可愛がり、いつも一緒にいたところからこの名で呼ばれた。それゆえ、タンカには犬を抱きかかえた姿で描かれている。
  35. ^ ラマ・ケツン・サンポ・リンポチェ共著『虹の階梯』等の知名度による。
  36. ^ 原文はチベット語、英訳と中国訳『歡喜持明空行 紅宝珠錬』がある。
  37. ^ この項は『寧嗎佛教史』(劉鋭之 翻訳)、他による。
  38. ^ 原文はチベット語、英訳と中国訳があり、英訳はアメリカで賞を受賞、中国訳『大圓満傅承源流』は系統ごとのタンカと血脈の系統図を新たに製作しカラー図版を添付して全二巻、約1000ページを超える大著となっている。
  39. ^ 「ニンマ・アーガマ」、別名を「ルン・アーガマ」ともいう。ニンマ派が代々直接的に伝承する「旧訳密教経典」のこと。
  40. ^ サムイェー寺の建立については諸説ある。「賢者喜宴」には開始763年-774年終了とあり、「西蔵王臣記」には開始767年-771年終了とある。日本における吐藩の歴史研究を参考にティソン・デツェン王の生没を(Khri srong lde brtsan:生742年-没797年)とし、在位を(755年頃-797年)と比定、また、サムイェー寺の完成を「西蔵王臣記」に基づく771年、「サムイェー寺の宗論」を792年とする。これにより、ニンマ・カマのゾクチェンの成立は8世紀と考えられ得る。テルマの系統のゾクチェンはテルマ(埋蔵経)としての性格上、「ランダルマの破仏」(834-842)が行なわれた後のことと見られるので、9世紀から10世紀または、そのテルマが発見された時に始まる。実際には初期のニンマの教えは吐藩の仏教と言ってもよく、吐藩が滅亡した842-877年以降に、中央チベット地域に新たに成立した国家によって新訳派と呼ばれる仏教がインドからもたらされることになり、吐藩の仏教であったニンマの教えが「ニンマ派」と呼ばれるに及んで、各種のテルマをはじめとして、ゾクチェンの教えも再編成されたと見られる。
  41. ^ グル・パドマサンバヴァの弟子は数多くいたとされ、主に地名と数によって呼ばれる。「ティンプーの25人の成就者」、「ゾンの55人の大覚者」、「イェルパとチョウォリの108人の『虹の身体』の成就者」、「シェルダクの35人の密呪者」、「光となって消えた25人のダキニ(と呼ばれた女性たち)」、「女性の(瑜伽の)成就者」等が有名である。各資料によってその人数は一致するが、名前は異同があり、必ずしも一致しない。
  42. ^ チベット名を「サンワ・ニンポ」、中国訳の全訳は『幻化網秘密藏續』。
  43. ^ 「五成就」とは、信成就・時成就・教主成就・住処成就・眷属成就の五つを指す。弘法大師空海による『理趣釈経』の請来以来の言葉で、仏教学や密教学では経典の由来や曼荼羅の講成を考察する際の参考とされる。また、経典によっては「六成就」とするものもある。
  44. ^ 土をこねて作るチベット式の小さな塑像のこと。チベットの漢方薬である「法薬」を練って作ったり、中に「仏舎利」等を入れたりもする。
  45. ^ 1991年にT.C.Cの招聘でソギャル・リンポチェが来日の際に、ゾクチェン寺に伝承されていた一体と、ソギャル・リンポチェの実家の家系に伝承されていた一体の実物を、日本でも公開した。
  46. ^ 例えば、欧米諸国等々。
  47. ^ パルド・トェドル:『チベット死者の書』に基づく瞑想や修法。
  48. ^ チュウの本行や葬儀護摩・「テクチュー」を含む総合的な修法。
  49. ^ 「三本尊法」ともいう。古い流派では、主に「グル・リンポチェ」(ペマ・ジュンネー:蓮華生大師)・「グル・タポ」(憤怒相蓮華生大師)・「シンハ・ムカ」(獅子面空行母)の三尊を指す。新しい流派では、「ツォチィ・トゥディ」(不死の蓮華生大師のヤブユム)・八大ヘールカの「プルパ金剛」・空行母相の「イェシェ・ツォギャル仏母」の三尊を三根本に配する。今日では、ゾクチェンの教えと共にこの「三根本法」もサキャ派やカギュ派に伝えられている。
  50. ^ 「ポワ」は、阿弥陀仏や観音等を本尊として極楽往生を願う瞑想法で、「転識」とも漢訳されるが、唯識の「転識」(てんしき)や、密教の「転識得智」(てんじきとくち)の用語等との誤用を避けるため、別の漢語である「遷識」の訳語を用いた。
  51. ^ 『聖妙吉祥真実名義経』(Arya Manjusri namasamgiti:アリヤ・マンジュシリー・ナーマサンギーティ)、略して『真実名義経』(Namasamgiti:ナーマサンギーティ)は、チベット四大宗派において共通の日課経典であるが、中でもニンマ派においては前半の「幻化頌」と「曼荼羅の偈頌」が『大幻化網タントラ』の要約とされ、ニンマ・カマの系統のゾクチェンにおいては必須の経典ともされている。また、日課経典であると同時に、『大幻化網タントラ』の伝授が終わったら再びこの『聖妙吉祥真実名義経』に帰り、三面四臂のナーマサンギーティ文殊等を本尊として経典の読誦と共に、ナーマサンギーティ真言と呼ばれる長いマントラを唱えて修法に入る。ちょうど日本の真言宗において『理趣経』の読誦から『理趣経法』へと進むようなものである。五大タントラにおいては、「ナーマサンギーティが理解できなければ、時輪タントラは理解できない」とも言われるほど、チベット密教全般においても重要な経典とされている。読経にあたっては、ニンマ派には独特の節(ふし)回しと声明(しょうみょう)とがあり、マントラにも同様の唱え方があって、この経典が唱えられなければ僧侶や瑜伽行者としては一人前の扱いを受けない。なお、『聖妙吉祥真実名義経』については、栂尾祥雲著「聖文殊真実名義経の研究」(『栂尾祥雲全集別巻第一』)に詳しい。
  52. ^ 流派によって差異があり大小のテルマを含む。
  53. ^ チベット密教では、一般に護法尊のことを「ゴンポ」(mgon po)と呼ぶが、ニンマ派「九大護法尊」の大系は、『ニンマ派護法尊の大系』(ニンマ・カテル・ギ・チューキョン:rnin ma bkah gter gyi chos skyon)とも言い、主尊である「二臂のマハカラ&マハカリ」(ペーグン・レクデン・ツォーキ・ダクポ:dpal mgon legs ldan tshogs ki bdag po)を中心とした九体の護法尊と、流派によっては数百からなる神々によって講成される。各流派によって講成が異なるが、マハカラの三尊(二臂・四臂・六臂)を中心とするその主要な九尊を称して「九大護法尊」の大系と呼ばれる。「九大護法尊」のうち、「一髻仏母」(ガク・スンマ:snag srun ma)や、「羅候羅」(サドゥ・ラーフラ:gzah bdud rahula)、「大自在天」(ラチェン・ワンチユク・チェンポ:lha chen dban phyaug chen po)等は、ゾクチェンの修行において特に重要な尊格とされるが、いわゆる胎蔵界曼荼羅にも登場するので日本密教にも馴染みが深い。
  54. ^ 密教舞踏:漢訳「法舞」。
  55. ^ 黒憤怒空行母(トゥマ・ナクモ)や金剛亥母(ドルジェ・パモ)等を本尊とする「前行」。ロンチェン・ニンティクでは、テルマに基づく特別な空行母のテキストに換える場合もある。
  56. ^ ニンマ派の特徴である「四輪三脈法」(しりんさんみゃくほう)の伝授。四つのチャクラと、三つの脈管の浄化法と、基本となる呼吸法や、密教ヨーガ(瑜伽)の座法と基本アーサナ(体位)からなる。この段階のドゥジョム・リンポチェの講義録が、既に英訳と中国訳で公開されている。また、この伝授を授かっていないとニンマ派の「マハームドラー」の正式な伝授は受けられない。
  57. ^ 漢訳「蓮華生大師除障道」。
  58. ^ 漢訳「蓮華生大師如意満願道」。
  59. ^ 秘密集会タントラ』・『勝楽タントラ』・『喜金剛タントラ』・『時輪タントラ』のこと、これらの灌頂の儀式には通常は各2日間かかり、参加人数は25名以下となる。ただし、『時輪タントラ』のみは人数の限定が原典に書かれてはいないので、理論的には何人でも参加が可能である。ちなみに、インド等でダライラマ14世が灌頂の導師となってこの「時輪タントラ」の灌頂を開催する際には、毎回数万人もの僧俗が参加し、まるでお祭りのような盛況ぶりとなる。
  60. ^ ニンマ派では『大幻化網タントラ』の灌頂の儀式に3日間から7日間かかる。これは宗派の特別な灌頂に当たるためで、参加人数は25名以下となる。
  61. ^ 各種の儀軌や灌頂の作法、大幻化網戒護摩法等々。
  62. ^ 「八大ヘールカ法」は、『修部の八教説』(ドゥパ・カギェー;sgrub pa bkah bragyad)、または『八大守護尊の大系』(イダム・ドゥパ・カギェー;yidam sgrub pa bkah brgyad)といい、分類上は九乗のマハー・ヨーガに属する法とされるが、テキストによりアヌ・ヨーガやアティ・ヨーガの内容を含むものもある。「八大ヘールカ法」と呼ばれる理由は、日本の八大明王に相当する後期密教の「ヘールカ」と呼ばれる憤怒相をした八尊の守護尊(イダム)の法を集めた大系であるためで、それらの八尊を一つにした「総集ヘールカ」を含めて九尊から構成される。八尊のうち、最初の五尊を「出世間の五部」、後の三尊を「世間の三部」といい、それらの名前は次のようになる。 一、妙吉祥ヘールカ(ジャンペル・ク;hjam dpal sku、大威徳明王)。二、蓮華ヘールカ(パドマ・スン;padma gsun、馬頭明王)。三、真実ヘールカ(ヤンダク・トゥク;yan dag thugs)。四、甘露ヘールカ(ドゥツィ・ユンテン;bdud rtsi yon tan)。五、金剛橛ヘールカ(プルパ・チンレ;phur pa hphrin las、プルパ金剛)。六、殊勝ヘールカ(マモ・プートン;ma mo rbod gton)。七、呪語ヘールカ(ムゥパ・ダクガク;dmod pa drag snags)。八、世神ヘールカ(ジクテン・チユトゥ;njig rten mchod bstod)。以上の八尊のうち、先の五尊は五仏に対応している。そして、八尊の総てを合わせた尊格が「クントゥ・サンポのヤブユムの化身」と呼ばれる持明金剛(リンジン・ロプン・ラ;rig hdzin slop dpon lha)の「総集ヘールカ」(チェチョク;che mchog、清浄ヘールカとも表記)である。日本でも、2004年にギェーパ・ドルジェ・リンポチェが来日し二日間にわたる大潅頂と各種の伝授を行い、チベット式の大タンカや日本語のテキストが存在する。
  63. ^ 『大持明者の教法興隆祈願文』の内容は次のようになる、「了義である他空(シェントン)と大中観見(ブマチェンポ)の殊勝な見解、優れた甚深なる大手印(マハームドラー)の方便である行と、究境なる(道の)光明の大圓満(ゾクチェン)の(智慧である行)を融合させる。(願わくは)優れた大持明者の教法が興隆しますように」。以上は、「蓮華生大師十三法3『蓮華生大師薬師仏成就法』」(岡坂勝芳訳)より転載。
  64. ^ 陳健民の訳語では「事業手印」となっている。

出典[編集]

  1. ^ 『チベット密教』 pp.207-208、『増補 チベット密教』 pp.197-198
  2. ^ 『三万年の死の教え』 p.114
  3. ^ 『ゾクチェンの教え』 p.195
  4. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、pp.6-7。
  5. ^ 『Die Religionen Tibets und der Mongolei』、pp.94-106。
  6. ^ 山口瑞鳳「チベット仏教」(『講座 東洋思想』5)、p254、p260、p270。
  7. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、p7。
  8. ^ 『チベット密教』 p.208、『増補 チベット密教』 p.198
  9. ^ 『ゾクチェンの教え』 p.195
  10. ^ 『秘伝!チベット密教奥義』(高藤聡一郎 著)、p284。
  11. ^ 『A Losary of Jewels』(第12世 ドゥクチェン法王;Gylwang Drukpa著)、〔YANGTI RITUAL〕p55~p94。
  12. ^ 『虹と水晶』 pp.62-66
  13. ^ Van Schaik (2004), p.8
  14. ^ 『虹と水晶』 p.63
  15. ^ "The Shugden Affair: Origins of a Controversy (Part I)" by Georges Dreyfus. Official website of the Office of His Holiness the 14th Dalai Lama.[1]
  16. ^ 『虹と水晶』 p.55
  17. ^ 『静寂と明晰』 p.208
  18. ^ 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 p.185
  19. ^ 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 p.181, p.281
  20. ^ 『聖妙吉祥真実名經 梵本校譯』(談錫永 譯著)、pp.1-5。
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  22. ^ 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 pp.217-218
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  24. ^ 『蓮華生大士祈請文集』(全佛文化事業有限公司)、pp.251-268、pp.300-304。
  25. ^ 『大チベット展』、図版ツ74-3。
  26. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章」、p111。
  27. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章」、pp.11-14、〔ゾクチェンの歴史的背景〕を参照。
  28. ^ 『大チベット展』、図版ツ74-5。
  29. ^ 『大チベット展』、図版ツ74-4。
  30. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章」、pp.112-120に〔深淵浄現教説(zab mo das sana)の系統〕と、ゾクチェンにおけるニンマ派の宗義との一致や変遷に関して、pp.117-123にはニンマ派の教法の吟味について、原本『一切宗義』に説かれている。
  31. ^ 『チベット(下)』(山口瑞鳳著)、p27表。
  32. ^ 『古代チベット史研究』(佐藤長著)、pp.391-497。
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  36. ^ 『大圓満傅承源流』(全佛文化有限公司)上巻、pp.100-103、pp.120-131。
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  41. ^ 津田真一「四輪三脈の身体観」(『インド思想と仏教』中村元博士還暦記念会 編)、pp.293-300。
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  43. ^ 『大チベット展』、図版ツ73-1~ツ73-9。
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参考文献[編集]

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  • 高藤聡一郎 『秘伝!チベット密教奥義』、学習研究社、1995年刊。
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  • 平松敏雄 『西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章』 、東洋文庫、1982年
  • 立川武蔵 「西蔵仏教宗義研究 第五巻 トゥカン『一切宗義』 カギュ派の章」、東洋文庫、1987年刊。
  • 西岡祖秀 「西蔵仏教宗義研究 第二巻 トゥカン『一切宗義』 シチェ派の章」、東洋文庫、1978年刊。
  • 中村元博士還暦記念会 編 『インド思想と仏教』、春秋社、1973年刊。
  • ラマ・ケツン・サンポ・リンポチェ 監修 『大チベット展』、此経啓助編、株式会社毎日コミュニケーションズ、1983年刊。
  • 岡坂勝芳 訳 「蓮華生大師十三法3『蓮華生大師薬師仏成就法』」、蓮華堂出版部、2011年刊。
  • 永殿侶握&吉美切林 訳 『蓮華生大士祈請文集』、全佛文化事業有限公司、民国84年(1995年)刊。
  • 陳健民 著 『大手印教授抉微』(伝授書)、遷安司可荘書、民国54年(1965年)刊。
    • 陳健民瑜伽士 著 『大手印教授抉微』、林鈺堂 總校、圓明出版社、民国83年(1994年)刊。{上記の再編集の一般書}
  • 宇井伯寿 監修『コンサイス仏教辞典』、大東出版社、昭和13年(1938年)刊。
  • 永平寺第二祖・懐奘『光明蔵三昧 全』、豊後州(大分県)永慶寺刊、明和3年(1766年)刊。
  • 永平寺第二祖・懐奘『光明蔵三昧 全』、本山(永平寺)版、京都貝葉書院刊、昭和5年(1930年)刊。
  • 洒井得元(大本山永平寺僧堂掛搭・駒沢大学仏教学部教授:当時)『光明蔵三昧講話』、大法輪閣刊、平成3年刊。
  • 和田仁雅(真言宗御室派元教学部長:当時)『真言宗 理趣経・心経・観音経』、真言宗仁和寺教学部監修、PONY CANYON。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]