日本の道路年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の道路年表(にほんのどうろねんぴょう)とは、道路に関する法令制度、道路の開通、および道路に関する事象の年表である。

目次

[編集] 主要年表

[編集] 江戸時代以前

[編集] 明治時代~昭和時代初期

 上高地への重要な連絡路となる。現在の位置まで車での通行が可能になったのは1935年のこと。

[編集] 第2次大戦後

自動車の台数はごくわずかな時代。戦前まで都市部以外では国道の整備もほとんど進んでいなかった。
4サイクル車、2サイクル車とも排気量が360ccとなった。
  • 1955年 - ベルで通知する信号機が現れる。
東京都杉並区で目の不自由な人のために設置された。→ 音響装置付信号機
日本の道路事情の遅れを指摘。道路整備のきっかけとなった。
国道2号本州九州が道路で結ばれた。

[編集] 1960年代

東京オリンピックが1つの契機となり、この頃までに日本初の高速道路や都市高速道が現れる。鉄道では新幹線が開通した。
自動車の台数はまだ少ないが、この時期としては急増する傾向。交通事故による死亡者が急増。 次第に悪化し、昭和40年代 (1965年-1974年)になると交通戦争と呼ばれるようになった。
日本初の自動車専用道路。
日本初の都市高速道路。
日本初の高速自動車国道1964年9月までに愛知県から兵庫県までが高速道路で結ばれた。
東海道新幹線も10月1日に開業。
関西圏と中京圏を結ぶ主要な幹線道路。全線立体の自動車専用道路
東京IC神奈川県厚木IC静岡県富士IC静岡県静岡IC愛知県岡崎IC愛知県小牧IC
名神高速道路と合わせて東京から大阪まで高速道路で結ばれた。

[編集] 1970年代

交通戦争と呼ばれた時期。また、すでに公害問題も深刻化していた時期でもあり、自動車や道路でも対策が本格的にはじまった。過疎化が深刻になり、地域格差是正のために道路整備が叫ばれた。
参考値として1990年の年間死亡者数は11,227人、2003年は7,700人。
1972年札幌オリンピックがあり、比較的早い時期に高速道路が作られた。
現在の環境省
日本でもオイルショックが起こった。高度経済成長の時代の終わり。
1958年関門国道トンネルに続いて、本州九州が高速道路橋でも結ばれた。
日本初の沈埋式海底道路トンネル。
開発自然保護かでもめた。
  • 1979年 - 名古屋高速道路の高辻出入口~大高出入口が開通(名古屋初めての都市高速道路)。昭和54年6月、*1979年 - 揮発油税が45.6円/リットルに引き上げ。

[編集] 1980年代

モータリゼーションの進展で鉄道が曲がり角となった。国鉄は経営再建を行ったが、1987年には民営化されJRとなった。
1980年代後半はバブル景気の時代で、大型プロジェクトが続々と推進された。日本の津々浦々に高規格の道路ができる一方で、1970年代来の財政の悪化が進んだ。
山梨県甲府南IC山梨県勝沼IC間が開通し、全通した。
広島県千代田IC鹿野IC間が開通し、全通した。東京から九州までが高速道路で結ばれた。
従来、冬用のタイヤでスパイクタイヤが使用されていた。粉塵公害を起こすなど問題化していた。→ 脱スパイクタイヤ推進月間
埼玉県浦和IC~埼玉県川口JCT間が開通し、全通した。
道路鉄道の併用橋。本州岡山県)と四国香川県)が橋で結ばれた。

[編集] 1990年代

バブル経済崩壊による景気財政の悪化で、道路事業も曲がり角に。道路整備の進展で地方では郊外化が進み、道路建設の負債や維持費の負担が地方財政に重くのしかかった。
排気量が550ccから660ccになった。
自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法
初期の都市高速道路に比べて、設計思想が大幅に変化。
阪神高速道路も橋脚が倒壊するなど大きな被害を受けた。
人吉ICえびのIC開通により全線開通。これにより青森県から鹿児島県までが高速道路網で結ばれた
景気・財政の悪化と公共事業見直しが叫ばれる中、開通。
神戸淡路鳴門自動車道本州兵庫県四国徳島県を結ぶ。

[編集] 2000年代

財政悪化により、道路特定財源制度の見直しが議論されるようになるが、高速道路の建設は引き続き進められている。

日本道路公団→東日本高速道路株式会社中日本高速道路株式会社西日本高速道路株式会社
本州四国連絡橋公団→本州四国連絡高速道路株式会社
首都高速道路公団→首都高速道路株式会社
阪神高速道路公団→阪神高速道路株式会社


[編集] 関連項目