宇津ノ谷峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
宇津ノ谷峠を貫く旧東海道

宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)は、静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町岡部坂下の境にある国道1号・旧東海道が通る。標高170メートル。

中世から交通の要衝として和歌にも詠われ、現在でも国道1号のトンネルが通過している。また、平安時代の道(蔦の細道)から国道1号現道のトンネルまで、全て通行可能な状態で保存されており、道の変遷を知ることができる。近世東海道の交通を知る貴重なものとして2010年に国の史跡に指定された。

地理[編集]

南アルプスから駿河湾まで伸びた尾根の一つ。太平洋側には日本坂のトンネル群が通る。

歴史[編集]

古代・中世[編集]

平安時代、古代東海道にあった小川駅が廃止されたことに伴い、それまで太平洋側にある日本坂を通過していた交通が宇津ノ谷の蔦の細道へと移った。

その後、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、蔦の細道のみでは進軍に不足であったため、現在の旧東海道にあたる別ルートを整備し通過した。この別ルートの方が蔦の細道に比べて峠越えが楽であったため、次第に旧東海道が利用されるようになり、蔦の細道は廃道と化していった(蔦の細道はその後昭和40年代まで忘れ去られていたが、静岡市立長田西小学校の教諭であった春田鉄雄らにより復元・整備された)。

近世[編集]

江戸時代になり、宿場参勤交代の制度とともに東海道は整備された。宇津ノ谷峠周辺にも鞠子宿岡部宿が置かれ、峠付近にも宿や商店が立ち並んだ。

近代・現代[編集]

明治時代に煉瓦で造られた宇津谷隧道
昭和5年12月に竣工した宇津谷隧道
国道1号の新宇津ノ谷隧道と平成宇津ノ谷トンネル(2010年6月30日)

明治に入り、文明開化により東海道の交通量が増大したため、当時安倍郡弥勒村の村長であった宮崎総五が地元の有力者にトンネルの掘削を働きかけた。それを受けて杉山喜平次らが結社を作り、1874年(明治7年)に掘削を開始、1876年(明治9年)に日本初の有料トンネルとして開通した。その後、1896年(明治29年)火災により焼失するが、1904年(明治37年)修復・改修され再開通した。

しかし、東海道本線建設にあたっては、海岸寄りの石部トンネル経由となり、宇津ノ谷峠を越える鉄道路線は敷設されなかった。鉄道唱歌には21.駿州一の大都会 静岡いでて安部川を わたればここぞ宇津ノ谷の 山きりぬきし洞の道 と宇津ノ谷峠のトンネルであるかのような歌詞があるが、事実を歌っていない。

明治のトンネルは、その後の自動車の普及に伴って対応できなくなったため、1926年大正15年)に宇津ノ谷隧道(昭和第一トンネル)の建設が開始され、1930年(昭和5年)に開通した。昭和第一トンネルは当時としては高規格な作りになっており、現在でも大型車が十分にすれ違える幅員が取られている。

戦後、モータリゼーションが進展すると昭和第一トンネルでも交通の増大に耐えられなくなった。そのため、1957年(昭和32年)に新宇津ノ谷隧道(昭和第二トンネル)の建設が開始され、1959年(昭和34年)に開通した。昭和第二トンネルは第一トンネルよりも標高の低い位置に建設され、静岡・岡部間の所要時間は大幅に短縮された。
しかし、それでもその後の通過トラックの増加、志太平野への人口の流入による交通量増加には対応できなかった。そのため岡部バイパス整備に合わせて平成宇津ノ谷トンネルの建設が1990年(平成2年)に開始され、1998年(平成10年)に開通した。この開通に合わせて昭和第二トンネルは上り線専用に改修され、国道1号は片側2車線となった。

周辺には道の駅宇津ノ谷峠も整備され、通過する車両は「峠」であることを意識することなく通過できるようになった。

峠越えルート[編集]

  • 蔦の細道
  • 旧東海道
  • 明治のトンネル
    • 1876年(明治9年)開通、1896年(明治29年)火災により焼失
    • 1904年(明治37年)修復・改修し再開通
  • 宇津ノ谷隧道 (昭和第一トンネル)・・大正時代から計画があったため大正トンネルと呼ぶこともある。
  • 新宇津ノ谷隧道 (昭和第二トンネル)
    • 1959年(昭和34年)開通
    • 2車線。開通当時は対面通行、現在は国道1号現道上り線として使用
  • 平成宇津ノ谷トンネル
    • 1998年(平成10年)開通
    • 2車線。現道下り線として使用。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度56分00秒 東経138度18分11秒 / 北緯34.93333度 東経138.30306度 / 34.93333; 138.30306