「世界最強タッグ決定リーグ戦」の版間の差分

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== 1978年大会 ==
== 1978年大会 ==
; 参加6チーム<ref>『'78世界最強タッグ決定リーグ戦 公式パンフレット』</ref>
; 参加6チーム
* [[ジャイアント馬場]]&[[ジャンボ鶴田]]組「師弟タッグ」 7点 ※優勝
* [[ジャイアント馬場]]&[[ジャンボ鶴田]]組「師弟タッグ」◆全日本プロレス代表 7点 ※優勝
* [[ドリー・ファンク・ジュニア]]&[[テリー・ファンク]]組「[[ザ・ファンクス]]」6点
* [[ドリー・ファンク・ジュニア]]&[[テリー・ファンク]]組「[[ザ・ファンクス]]」◆アメリカ代表 6点
* [[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]&[[ザ・シーク]]組「地上最凶悪コンビ」 4点
* [[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]&[[ザ・シーク]]組「地上最凶悪コンビ」◆アフリカ・中近東代表 4点
* [[ニック・ボックウィンクル]]&[[ジャック・ランザ|ブラックジャック・ランザ]]組[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]代表チーム」 4点
* [[ニック・ボックウィンクル]]&[[ジャック・ランザ|ブラックジャック・ランザ]]組[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]代表 4点
* [[ビル・ロビンソン]]&[[ワイルド・アンガス]]組「欧州代表チーム」 3点
* [[ビル・ロビンソン]]&[[ワイルド・アンガス]]組◆ヨーロッパ代表 3点
* [[大木金太郎]]&[[タイガー戸口|キム・ドク]]組「韓国師弟コンビ」 0点
* [[大木金太郎]]&[[タイガー戸口|キム・ドク]]組「韓国師弟コンビ」◆韓国代表 0点


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2012年10月1日 (月) 08:13時点における版

世界最強タッグ決定リーグ戦(せかいさいきょうタッグけっていリーグせん)とは、1978年12月から、「世界最強のタッグチームを決定する」と銘打って毎年年末に全日本プロレスが行なっているタッグマッチの総当たりリーグ戦である。

概要

日本のプロレス界では「年末のプロレス興行は当たらない」「タッグ・リーグは成功しない」と言われていたジンクスを[1]1977年12月に行われた「世界オープンタッグ選手権」が成功したことで払拭し、翌年の1978年から「世界最強タッグ決定リーグ戦」と名称変更し、以降毎年の年末に全日本プロレスの看板シリーズとして行われている[1][2]

特別試合として組まれる夢のシングルマッチもファンの楽しみの一つであった。また、プロレスにおける同一名称で行われるイベント・シリーズとしては日本最長を誇り、今なお更新中である。

試合形式は当初45分1本勝負、1984年大会から30分1本勝負。あらゆる勝ち2点、あらゆる負け0点、時間切れ引き分け1点、両者リングアウト・両者反則0点の勝ち点制で行われた。

1988年から1994年まで、世界タッグ王座のベルトをリーグ戦開幕直前に王者チームが返上。優勝したチームが新王者の形式が続いた。

1978年大会

参加6チーム[3]
内容
前年のオープンタッグとは打って変わって少数精鋭で行われた。AWA王者ニックの参戦で馬場・ファンクスといったNWAの重鎮との対戦が注目された。シークがドリーの凶器攻撃による負傷で途中帰国し、代わってブッチャーのパートナーにキラー・トーア・カマタが起用され、途中参戦。そのままリーグ戦の星勘定を引き継いだ。最終戦で馬場・鶴田組が時間切れ引き分けでファンクスを振り切り初優勝。『全日本プロレス中継』の第1期ゴールデンタイム時代では最初で最後だった。

1979年大会

参加7チーム
内容
人気者マスカラスの参加が話題を呼んだ。蔵前国技館での最終戦でファンクスに敗れたブッチャーにシークが火炎殺法をして仲間割れ。大木&カマタ組が共闘路線を敷いていたブッチャー&シーク組に白星を献上、物議を醸した。当初、レスリングのパートナーはザ・デストロイヤーと発表されていたが、直前に変更となった。マスクド・ストラングラーの正体はホセ・ルイス・リベラ

1980年大会

参加7チーム
内容
前年仲間割れのシークとブッチャーが別々のチームで参戦し血の抗争を展開。期待の新星スティムボートが初来日、リーグ戦に新風を吹き込んだ。最終戦でファンクスをリングアウトで下した馬場・鶴田組が2年ぶりに優勝。

1981年大会

参加9チーム
内容
この年の春、ブッチャーが新日本プロレスへ移籍、入れ替わりにシン&上田が新日から参戦、全体的にラフファイター揃いの大会となった。シンとシークの凶悪直接対決が実現。最終戦(蔵前)でブロディ&スヌーカ組のセコンドとしてスタン・ハンセンが登場、場外でテリーにラリアットを見舞いKO、全日参戦を表明するという衝撃的な展開でブロディ&スヌーカ組が初優勝[4]

1982年大会

参加7チーム
  • ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組「ザ・ファンクス」 9点 ※優勝
  • ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組「師弟タッグ」 8点
  • スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ組「超獣コンビ」 8点
  • ハーリー・レイス&ディック・スレーター組 7点
  • 天龍源一郎&阿修羅・原組 5点
  • リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド組 3点
  • 上田馬之助&スーパー・デストロイヤー組 0点
内容
この年から全日に復帰したハンセンがブロディと「超獣コンビ」を結成、最終戦でファンクスを一方的に攻めながら、反則決着でファンクスが辛うじて優勝を拾った[5]

1983年大会

参加8チーム
内容
テリーの引退により「馬場&ドリー組」「鶴龍コンビ」が誕生。最終戦で鶴龍コンビに勝利した超獣コンビが堂々の初優勝[6]。初優勝したハンセンとブロディは上機嫌で、賞金1000万円の小切手ボードを優勝セレモニーで渡されると、半分に引きちぎり喜び合った。

1984年大会

参加8チーム
内容
参加メンバーの豪華さもさることながら、内外ともに非常に話題の豊富な大会となった[7]。新日本のMSGタッグ・リーグ戦に参加するため来日した「ブリティッシュ・ブルドッグス」が空港で全日への移籍を電撃発表し初参加。テリーが現役に復帰しファンクスが復活。レイスとニックの元世界王者・リアル帝王コンビが誕生。開幕戦まで「ミステリアス・パートナー」として伏せられていた馬場のパートナーには、UWFを離脱したばかりのラッシャー木村が就いたが、名古屋大会で木村の造反により戦線離脱、木村は鶴見、剛竜馬らと「国際血盟軍」を結成した。決勝戦は鶴龍コンビと超獣コンビの戦いとなり、天龍がハンセンのラリアットを食らってKOされ鶴田が孤軍奮闘する展開になったが、ハンセンのレフェリー暴行による反則負けで鶴龍コンビが初優勝[8]。名古屋大会のメイン終了後に長州力率いるジャパンプロレス勢がリングに上がり、全日は新しい闘いに突入した。
この年から公式戦が45分1本勝負から30分1本勝負に変更。また、大会のテーマ曲としてセルジオ・メンデスの「オリンピア」(インストバージョン)を初使用(前年までの2年間は「王者の魂」)。以後、現在まで入場式や表彰式などで継続して使用されている。

1985年大会

参加8チーム
  • スタン・ハンセン&テッド・デビアス組「ビッグテキサンコンビ」 7点 ※優勝
  • ジャンボ鶴田&天龍源一郎組「鶴龍コンビ」 6点
  • 長州力&谷津嘉章組「ジャパン軍」 6点
  • ジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニア組 6点
  • ハーリー・レイス&ジェシー・バー組 6点
  • ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス組「ブリティッシュ・ブルドッグス」 5点
  • ニック・ボックウィンクル&カート・ヘニング組 5点
  • ラッシャー木村&阿修羅・原組「国際血盟軍」 5点
内容
長州率いるジャパンプロレス軍団が全日に参戦。ブロディの新日転出でハンセンは新パートナーにデビアスを指名。前年はチームを結成して参加したレイスとニックはそれぞれ新鋭を帯同し参加。大激戦となったが、最終戦で長州・谷津組と引き分けたハンセン&デビアス組が初優勝。

1986年大会

参加9チーム
内容
この年からカルガリーハリケーンズも全日に参戦し、参加選手の半数以上が日本人という事態となった。最終戦、まず鶴龍コンビとハンセン組が両軍リングアウトに終わり、ファンクス対長州組の勝った方が優勝という状況になるが、これまた両軍リングアウトに終わり両軍は脱落。再度、鶴龍とハンセン組の同点決勝となり、リングアウトで鶴龍が勝ち2年ぶりに優勝するが、その後コンビは発展的解消した[9]

1987年大会

参加12チーム
内容
長州が新日に復帰、天龍が原と「天龍同盟」を結成した激動の1年を締めくくる今大会には史上最多の12チームが参加。ブッチャー、ブロディが全日にカムバックし、さらに当初カーネル・デビアーズと発表されていたブロディのパートナーが直前で、これまた全日復帰のスヌーカに変更。天龍&原組が「龍原砲」として5年ぶりに参加、鶴龍コンビを解消した鶴田は宙に浮いていた谷津と「五輪コンビ」を結成。元横綱の輪島が初参戦。開幕第2戦でハンセン組とブロディ組が対戦するなど、第10回記念にふさわしく話題満載の大会となった。5チームによる優勝争いとなり、最終戦の日本武道館大会で龍原砲とハンセン組が両軍リングアウトで脱落、ブロディ組を下した五輪コンビが優勝。
シリーズ期間中にハル薗田南アフリカ航空295便墜落事故の犠牲となり、最終戦で追悼のテンカウントゴングが行われた。

1988年大会

参加11チーム
  • スタン・ハンセン&テリー・ゴディ組「ニューミラクルパワーコンビ」 17点 ※優勝
  • ジャンボ鶴田&谷津嘉章組「五輪コンビ」 16点
  • ジャイアント馬場&ラッシャー木村組「義兄弟コンビ」 15点
  • 天龍源一郎&川田利明組「天龍同盟」 14点
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組 「最凶悪コンビ」14点
  • ダニー・スパイビー&ジョニー・エース組「ブロンド・ボンバーズ」 10点
  • ザ・グレート・カブキ&輪島大士組 7点
  • タイガーマスク&ジミー・スヌーカ組「スーパーフライコンビ」 7点
  • ジョン・テンタ&高野俊二組 4点
  • ディック・スレーター&トミー・リッチ組 0点
  • クラッシャー・ブラックウェル&フィル・ヒッカーソン組 0点
内容
馬場&木村の「義兄弟コンビ」が誕生。7月にブロディが急逝しパートナーを失ったスヌーカがタイガーマスクとコンビ結成。79年オールスター戦以来のタッグ結成となるブッチャーとシンの真・最凶悪コンビが参加(シリーズを通しての参加は初)。リーグ開幕戦に原の解雇が発表され、天龍のパートナーとして川田が初参加。最終戦では案の定川田が狙い撃ちにされ、孤立した天龍をラリアットでKOしたハンセン&ゴディ組が優勝。
この年統一された世界タッグ王座のベルトを当時王者の鶴田&谷津組が返上。優勝チームのハンセン&ゴディ組が新王者となる。この「リーグ戦開幕直前に王者チームがベルト返上→リーグ戦優勝チームが新王者」の形式は以後1994年まで慣例となる。
なお、この大会に参加していた輪島はシリーズ終了後、石川敬士と共に退団、引退した。

1989年大会

参加10チーム
内容
原を失った天龍はハンセンとコンビを結成。強力なパートナーを得た天龍は馬場から日本人初のピンフォールを奪うなど絶好調で、五輪コンビと共に全勝で最終戦の直接対決へ。満身創痍の谷津は頭部にヘッドギアを付けて健闘したが、天龍の延髄斬り・ハンセンのラリアットをたて続けに食らいKO[10]。ハンセン&天龍組が初優勝。

1990年大会

参加13チーム
内容
東京ドーム大会で結成された馬場&アンドレの「大巨人コンビ」は途中まで全勝の快進撃だったが、馬場が左大腿骨亀裂骨折の重傷を負いリタイヤ。天龍らの大量離脱で三沢・川田・小橋・田上の新世代が台頭。最終戦でウイリアムスが残り1秒でハンセンからフォールを奪い「殺人魚雷」が初優勝。

1991年大会

参加13チーム
  • テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組「殺人魚雷」 21点 ※優勝
  • ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアント組「大巨人コンビ」 20点
  • ジャンボ鶴田&田上明組 20点
  • スタン・ハンセン&ダニー・スパイビー組 20点
  • 三沢光晴&川田利明組「超世代軍」 19点
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ2組 14点
  • ドリー・ファンク・ジュニア&アル・ペレス組 8点
  • ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット組「カンナム・エクスプレス」 8点
  • ジョー・ディートン&ビリー・ブラック組 8点
  • ダイナマイト・キッド&ジョニー・スミス組 6点
  • ラッシャー木村&マイティ井上組 4点
  • 小橋健太&菊地毅組 4点
  • ジョニー・エース&サニー・ビーチ組 4点
内容
最終戦で三沢・川田組を下した殺人魚雷がリーグ戦史上初の2連覇[11]。最終戦で突如ダイナマイト・キッドが引退を表明しファンを驚かせた。

1992年大会

参加11チーム
  • 三沢光晴&川田利明組「超世代軍」 18点 ※優勝
  • テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組「殺人魚雷」 17点
  • スタン・ハンセン&ジョニー・エース組 17点
  • ジャイアント馬場&小橋健太組 16点
  • 田上明&秋山準組 12点
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ組 6点
  • ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット組「カンナム・エクスプレス」 6点
  • パトリオット&ジ・イーグル組 6点
  • ジョー・ディートン&ビリー・ブラック組 4点
  • ダニー・スパイビー&ケンドール・ウインダム組 4点
  • ドリー・ファンク・ジュニア&菊地毅組 4点
内容
馬場と小橋が「親子タッグ」を結成。鶴田欠場により、コンビを組む予定であった田上のパートナーとしてデビュー直後の秋山が初参戦。3チームがトップで並び最終戦を迎えたが、ハンセン組と殺人魚雷が時間切れ引き分けに終わり脱落、三沢組が田上組を下し初優勝。アンドレはリーグ戦には出場しなかったものの全戦参加、翌年1月に急死したため、このシリーズが最後の来日となった。また最終戦でアンドレと6人タッグで対戦した大熊元司もシリーズ終了後に急逝した。

1993年大会

参加8チーム
  • 三沢光晴&小橋健太組「超世代軍」 13点 ※優勝
  • スタン・ハンセン&ジャイアント馬場組「巨艦砲」 12点
  • 川田利明&田上明組「聖鬼軍」 11点
  • スティーブ・ウィリアムス&ビッグ・ブーバー組 8点
  • ダニー・スパイビー&ジョニー・エース組「ブロンド・ボンバーズ」 4点
  • ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット組「カンナム・エクスプレス」 4点
  • パトリオット&ジ・イーグル組 4点
  • トレイシー・スマザーズ&リチャード・スリンガー組 0点
内容
超世代軍を離脱した川田が、これまで抗争を展開していた田上と「聖鬼軍」を結成したこの年のリーグ戦は、前のシリーズで7年ぶりにコンビを結成し、その聖鬼軍からいきなり世界タッグ王座を奪取したハンセン&デビアス組が本命と見られていたが、リーグ戦途中でデビアスが怪我のため緊急帰国。この大会、当初は馬場は不参加だったが、ハンセンは「出場していない日本人では選択肢は馬場しかいない」と馬場とのタッグを希望し馬場が快諾。リーグ戦の人気を独占したハンセン&馬場組は健闘したものの、最終戦で聖鬼軍を下した三沢&小橋組が初優勝[12]

1994年大会

参加10チーム
  • 三沢光晴&小橋健太組「超世代軍」 16点 ※優勝
  • スタン・ハンセン&ジャイアント馬場組「巨艦砲」 15点
  • 川田利明&田上明組「聖鬼軍」 15点
  • スティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース組「殺人狼コンビ」 14点
  • ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット組「カンナム・エクスプレス」 10点
  • 秋山準&大森隆男組 8点
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ組 6点
  • ドリー・ファンク・ジュニア&ジョニー・スミス組 2点
  • ダニー・スパイビー&ジム・スティール組 2点
  • ジ・イーグル&ザ・ファルコン組 2点
内容
前年の3強に、エースを新パートナーに据えたウイリアムスを加えた優勝争いは、最終戦を前にハンセン&馬場組が脱落。最終戦で先に三沢組がウイリアムス組を破り、聖鬼軍の結果待ちとなったが、その聖鬼軍がハンセン組に敗れ、三沢&小橋組が2連覇。
慣例となっていたリーグ戦開幕直前の世界タッグ返上について「ずっと積み重ねてきた防衛記録が途絶えてしまうのは割り切れない」と三沢が異議を唱えたが、この年は例年通り返上の形をとった。

1995年大会

参加10チーム
  • 三沢光晴&小橋健太組「超世代軍」 16点 ※優勝
  • 川田利明&田上明組「聖鬼軍」 16点
  • スタン・ハンセン&ゲーリー・オブライト組 15点
  • パトリオット&ジョニー・エース組 13点
  • ジャイアント馬場&本田多聞組 10点
  • ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット組「カンナム・エクスプレス」 6点
  • 秋山準&大森隆男組 4点
  • ドリー・ファンク・ジュニア&渕正信組 4点
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ組 4点
  • ジョニー・スミス&ロブ・ヴァン・ダム組 2点
内容
UWFインターナショナルから転出したオブライトが初参戦。三沢&小橋組と川田&田上組が同点のため、優勝決定戦が行われた。小橋がムーンサルトプレスで田上をフォールし、三沢&小橋組が史上初の3連覇[13]
また、この年からリーグ戦開幕直前の世界タッグ王座返上制度が廃止され、リーグ戦優勝チームが世界タッグ王座に就くことは無くなった。

1996年大会

参加7チーム
  • 川田利明&田上明組「聖鬼軍」 17点 ※優勝
  • 三沢光晴&秋山準組「超世代軍」 17点
  • 小橋健太&パトリオット組 16点
  • スティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース組「殺人狼コンビ」 16点
  • スタン・ハンセン&大森隆男組 6点
  • ゲーリー・オブライト&サブゥー組 6点
  • ジャイアント・キマラ&泉田純組 6点
内容
この大会以降、馬場は不参加となる。参加チームが少ないこともあり、この大会は過酷な総当り2回戦制で行われた。最後までもつれる展開となり川田&田上組と三沢&秋山組で優勝決定戦が行われた。田上が秋山に場外への「ノド輪落とし」を決めKOすると、孤立した三沢を二人がかりで攻め最後はパワーボムの連発で川田が三沢をピンフォール。川田&田上組が悲願の初優勝[14]

1997年大会

参加10チーム
内容
ハヤブサ&人生が初参戦。バーチャファイターのキャラクター「ウルフ」に変身したラクロスとスミスのコンビが開幕2連戦で三沢組とウィリアムス組相手に連日の時間切れ引き分けを演じ台風の目に。優勝決定戦の末、川田&田上組が2連覇。

1998年大会

参加8チーム
内容
この大会より、リーグ戦上位2チームによる優勝決定戦方式が採用された。ベイダー、小川、高山が初参戦。ハンセン&ベイダー組が7戦全勝と圧倒的な強さを見せ付けたが、2位に滑り込んだ小橋&秋山組との優勝決定戦で、小橋がハンセンをラリアットで沈め逆転優勝。大森と高山が初タッグチームで出場、翌年「ノーフィアー」結成となる。このシリーズの終盤に体調を崩した馬場はシリーズ終了後に入院、翌年1月31日に帰らぬ人となる。

1999年大会

参加8チーム
  • スタン・ハンセン&田上明組 11点
  • 小橋健太&秋山準組「バーニング」 10点 ※優勝
  • 三沢光晴&小川良成組「アンタッチャブル」 9点
  • ベイダー&ジョニー・スミス組 9点
  • ジョニー・エース&マイク・バートン組「ムーブメント」 9点
  • 大森隆男&高山善廣組「ノーフィアー」 4点
  • ゲーリー・オブライト&ウルフ・ホークフィールド組 2点
  • 本田多聞&井上雅央組 2点
内容
馬場没後、三沢体制で迎えた最初(で最後)の最強タッグとなった。川田の負傷欠場により田上はハンセンとコンビを結成。ハンセン&田上組と小橋&秋山組の優勝決定戦は、秋山が「リストクラッチ式エクスプロイダー」で田上を下して2連覇。このリーグ戦に参加したオブライトは翌年1月に急死したため、これが最後の来日となった。

2000年大会

参加8チーム
内容
プロレスリング・ノア」を旗揚げした三沢ら大量のレスラーが離脱。全日に残留したのは川田や渕などごく少数で、天龍が全日マットに久しぶりに上がる等、他団体からも多数参加した大会となった。バーシティ・クラブ21とウインダム兄弟以外は全チームが初めてのタッグ結成となった。大激戦となり、同点4チームによる優勝決定トーナメントの末にバーシティ・クラブ21が優勝した。

2001年大会

参加8チーム
内容
この年の1月の東京ドーム大会で全日初登場、6月には天龍から三冠ヘビー級王座を獲得した新日本プロレスの武藤が初参戦。同点4チームによる優勝決定トーナメントの末に武藤&太陽ケア組が初優勝。

2002年大会

参加8チーム
内容
この年、武藤、カズ・ハヤシ、ケンドー・カシンと共に全日に移籍した小島が初参戦。またZERO-ONEから大谷&田中の「炎武連夢」が参戦。最終戦で炎武連夢を下した小島&太陽ケア組が初優勝を果たすが、この試合でケアが右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、以後長期欠場。

2003年大会

参加7チーム
内容
TAKAみちのく率いる「RO&D」が初参戦。優勝決定戦でカズ・ハヤシが「ファイナル・カット」でクレディブルをフォールして小島&ハヤシ組が初優勝。最終戦終了後に参戦していたギガンテスが急死するショッキングなニュースがあった。

2004年大会

参加10チーム
内容
優勝決定戦で太陽ケア&ジャマール組が小島&カズ・ハヤシ組を下して初優勝。

2005年大会

参加10チーム
内容
曙が初参戦。優勝決定戦でチーム3Dが武藤&曙組を下し全勝で初優勝。

2006年大会

参加7チーム
  • 諏訪魔&RO'Z組「VOODOO-MURDERS」 9点
  • 武藤敬司&川田利明組 8点
  • 小島聡&天山広吉組「天コジ」 8点 ※優勝
  • ディーロ・ブラウン&ブキャナン組「VOODOO-MURDERS RO&D裏切り組」 6点
  • 太陽ケア&TAKAみちのく組「元RO&D」 5点
  • カズ・ハヤシ&中嶋勝彦組 5点
  • 鈴木みのる&NOSAWA論外組「みのる軍団」 1点
内容
最終戦の時点でみのる&論外組を除く6チームに優勝決定戦進出の可能性がある大混戦となった。久々の復活を果たした天コジが武藤&川田組とVM組を破って初優勝。

2007年大会

参加8チーム
  • 武藤敬司&ジョー・ドーリング「日米師弟タッグ」組 11点 ※優勝
  • 小島聡&諏訪魔組 「VOODOO-MURDERS」 10点
  • 佐々木健介&川田利明組「KK砲」 10点
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー&鈴木みのる組「超異次元タッグ」 8点
  • 西村修&渕正信組「昭和タッグ」 7点
  • 太陽ケア&ハワイアン・ライオン組「ハワイアンタッグ」 6点
  • 荒谷望誉&大鷲透組「元力士タッグ」 2点
  • TARU&ゾディアック組「VOODOO-MURDERS」 0点
内容
小島&諏訪魔組と健介&川田組が同点決勝の末、小島組が勝利して開幕戦のメインと同じカードで決勝戦。開幕戦で勝利した武藤&ジョー組が返り討ちにして見事優勝を決めた。武藤は春季の個人戦最強決定戦「チャンピオン・カーニバル」にも優勝しており、春秋の「本場所」2冠を獲得したことになる。

2008年大会

参加8チーム
  • 小島聡&天山広吉組 「天コジ」 9点 ※優勝
  • 諏訪魔&近藤修司組 「超実力派コンビ」 9点
  • 太陽ケア&鈴木みのる組 「現世界タッグ王者コンビ」GURENTAI 8点
  • ゾディアック&ジョー・ドーリング組 「ブードゥータワーズ」VOODOO-MURDERS 8点
  • 武藤敬司&浜亮太組 「プロレスLOVE師弟タッグ」 6点
  • 西村修&カズ・ハヤシ組 「ワールドクラスのテクニシャンコンビ」 6点
  • 真田聖也&征矢学組 「成長著しい若きチカラ」 4点
  • TARU&ヘイト組 「悪の総帥と嫌われ者」VOODOO-MURDERS 4点
内容
直前に行われた「G1 TAG LEAGUE」に続く制覇を狙う小島&天山組だったが、諏訪魔&近藤組との公式戦で小島が近藤にフォールされ出遅れる。しかしトップを走っていたゾディアック&ドーリング組が、ゾディアックの急性腹膜炎でリタイヤしたこともあり優勝決定戦に進出。諏訪魔&近藤組との再戦となった優勝戦では小島が近藤をフォールし、雪辱を果たした天コジが2年ぶり2度目の優勝、史上初の全日本・新日本両団体でのタッグリーグ制覇を達成した。

2009年大会

参加9チーム
  • 武藤敬司&船木誠勝 11点 ※優勝
  • 諏訪魔&河野真幸 11点
  • 太陽ケア&鈴木みのる 10点
  • 長州力&征矢学 10点
  • 小島聡&ゾディアック 8点
  • 曙&浜亮太 8点
  • 高山善廣&NOSAWA論外 6点
  • 西村修&真田聖也 4点
  • TARU&ジョー・ドーリング 4点
内容
史上初めて開幕戦を海外(台湾)で行った今大会は、8月にプロレスに復帰した船木が初出場、また長州も23年ぶりに出場した一方で、シリーズ中盤から真田、ドーリング、そして小島が次々とインフルエンザにかかり戦線離脱するなど波乱のリーグ戦となった。優勝戦は船木が諏訪魔のジャーマン・スープレックスを受け場外に転落し、その間1対2の状況を強いられた武藤が一瞬のフランケンシュタイナーで河野を押さえ、逆転で武藤&船木組が優勝。

2010年大会

参加9チーム
内容
4月に右ヒザを手術した武藤はチャンピオン・カーニバルに続き不参加。優勝戦はVMのKENSO&KONOと、優勝戦進出決定戦で船木&みのるを破った諏訪魔&浜の対戦となったが、試合終盤にVMの乱入でダメージを受けた浜を、10月に新世代軍を離脱しVM入りした河野改めKONOがジャイアント・ニードロップで沈め、KENSO&KONOが優勝。一方諏訪魔はまたしても優勝戦で涙を呑み、これで5年連続の準優勝となった。

2011年大会

参加10チーム
内容
1か月前の両国大会で管理する4つの王座が全て他団体に流出するという異常事態の中で迎えたこの大会は、アジアタッグ新王者組の関本組が真っ先に参戦を表明する一方で、世界タッグ新王者組のオズ&クエルボ組が出場を拒否、さらにシリーズ期間中にTARUとMAZADAが逮捕されるなど、異例の事態が続いた。5チームが10点で並ぶという混戦で迎えた横浜文化体育館での最終戦は、SMOPを下した船木組と、関本組を破った真田組が優勝戦で激突、KAIが河野からスプラッシュプランチャで勝利し、シングルのリーグ戦で活躍した若手2人のコンビが初優勝を果たした。

脚注

  1. ^ a b 名勝負100 1996, p. 4.
  2. ^ 名勝負100 1996, pp. 8–9.
  3. ^ 『'78世界最強タッグ決定リーグ戦 公式パンフレット』
  4. ^ 名勝負100 1996, pp. 30–31.
  5. ^ 名勝負100 1996, p. 35.
  6. ^ 名勝負100 1996, p. 39.
  7. ^ 名勝負100 1996, p. 40.
  8. ^ 名勝負100 1996, p. 43.
  9. ^ 名勝負100 1996, p. 51.
  10. ^ 名勝負100 1996, p. 69.
  11. ^ 名勝負100 1996, pp. 76–77.
  12. ^ 名勝負100 1996, p. 85.
  13. ^ 名勝負100 1996, pp. 92–93.
  14. ^ 名勝負100 1996, p. 97.

参考文献

関連項目